三竦みの戦場

 その切っ先が背に突き刺さり、カドは天に掲げられる。

 だが、それだけでは収まらない。周囲に溢れる魔素を感じ取った皮膚は粟立った。

 あのイフリートの〈昇熱〉をも上回る魔素が地面にぶわりと広がり、いくつかの塊として各所で集束する。


 背を突き刺されたカドはブリッジと同様にのけぞった体勢で地面を目にした。集束した魔素はそれぞれがハルアジスの形状を取り、形を持とうとしている。文字通りの影分身だろうか。

 影は杖と思しきものを一斉に掲げ始め、ユスティーナは先んじて後退を始めた。


「……うーん。死んだふりで不意は打てなさそうですねぇ」


 カドは小さくぼやき、背に突き立った〈影槍〉と思しき魔法を掴み、体勢を直す。

 切っ先は皮膚と筋肉は貫通したものの、そこまでだ。普通なら串刺しとなって掲げられるところが、先端に乗っているだけなのだから傍目には不自然も見えただろう。

 そう、攻撃は刺さってなどいない。体内で止められていた。


「抑制解除。励起へ移行。全力で戦闘支援して」


 呼びかけに、カドの体内に潜むものが応える。体からはエイルが気功による攻撃をする際のように光が漏れ出した。

 直後、形が出来上がった“影”が一斉に杖を掲げ、光線を放ってくる。殺傷力は十分にあるものだろう。それが一瞬でも舐めた場所は瞬時に焼き切られ、溝ができていた。人間ならちょっとでも触れれば輪切りにされることは想像に難くない。


 カドは即座に地面に降り立つと、舞台で振る舞わされるスポットライトのように迸る光条を躱しながら影の一つに迫った。

 その指で擦れ違い様に“影”の喉仏を掻き千切り、次の一体は腹を抜き手で貫く。


 けれども残る四体の“影”は動じない。二体は変わらずに杖から光を放ち、あとの二体は地面を杖で打つ。

 すると足元の感触が瞬時に変じた。まるで生温かい沼にはまったかのようだ。それは冥府への入り口となっているのか、無数の手が生じて足を掴んでくる。


「〈死者の手〉の派生版ですかね? 足場まで悪くするとかイヤらしいな」


 迫りくる光条を見つめながら息を吐く。

 魔法使いとは詠唱の必要があるため、こんな状況では詰みだ。――だが、仲間がいないカドがそんなわかりやすい弱点をいつまでも放置するわけがない。

 エワズやリリエならばこんなものは引き千切る。そんな身体強化術式が羨ましいとは常々考えていた。だから自分なりの方法で真似たのだ。


「〈影槍〉、〈死者の手〉二重起動」


 両手を外から覆うように〈死者の手〉が生じ、宙に黒い槍が浮く。そうして備えつつ、ぎりぎりまで光条をひきつけた。

 重く、粘着質な泥のようなものに膝まで沈んだ足が、ようやく地面に触れる。それと同時にカドは前傾姿勢を取り、思い切り地を蹴った。


 無数の手が足を掴んでいたが、そんなものを力尽くで振り切り、跳躍後の体に軌道修正してきた光条は〈死者の手〉で地面を討つことによって軌道修正してすれ違う。


 体勢を立て直し、跳躍の勢いは両足と〈死者の手〉で獣のように制動をかけて“影”に〈影槍〉の狙いを定める。

 まずは光線を放つ二体だ。射出された槍は寸分違わず“影”を穿ち、霧散させた。


 残る二体はユスティーナが放ったと思われる狼によって飛び掛かられ、食い殺される。


「――この程度ではやはり殺しきれぬか」


 北方から妙に耳に響く声がした。あちらはまだ多くの魔物が群れているというのに、なんという存在感だろう。

 それに目を向けると、何かが横凪ぎに一閃された。


 有象無象の魔物はそれで一斉に魔素へと還り、開けた視界に一人の老人が歩み出してくる。ハルアジスだ。彼の背後には王に仕える騎士のように、身丈五メートルほどの影の騎士と、バジリスクの骨格が付き従っていた。


「貴様、その体といい、魔物を死に至らしめる術といい、何をした?」

「身体強化術式とか複雑すぎて僕には組めそうにもないんで、体の中に一匹の使い魔を飼っているだけですよ。あっちは単に病気の真似事ですね」

「同じ死霊術師であっても、育つ才はこうまで異なるか」


 会話をしているうちにユスティーナが戻ってきた。

 彼女は興味ありげにカドの服を捲り、傷を確かめる。だが、そこにはもう傷はない。体内の使い魔が傷をすでに埋めた後だ。

 ハルアジスは目を細める。きっと、魔素を見る目ならばその正体が透けて見えることだろう。


「その身を下僕に食わせるなど、忌まわしきことだ。貴様に誇りはないのか?」

「その言葉は聞き捨てならないですね。こうやって一つの命を救った例を見たので真似ただけです。上手く共存すれば便利なものですよ」


 エイルの兄弟は自分の身を材料に彼女の命を繋ぎ止めた。高度な治癒魔法でなくとも、その身を補う何かを別の手段で作り出せれば命を救う手段はもっと増えるだろう。倫理的にどうかは知らないが、それを蔑む気はカドにはなかった。

 だからまずは試しに真似たのだ。


 使い魔を一つ作って腹に住まわせ、消化管を繋ぎ止める大網と置換してやることにした。そこから徐々に広げて腹膜、後腹膜を経て、四肢には筋膜や脂肪組織の代わりに広げさせていく。

 肉体が欠損すれば〈血流操作〉と使い魔の肉体で補填してもいい。使い魔を操って体を無理やりに動かしても、〈操血〉によって反動を防げば血管の破綻もブラックアウトもなくなる。そうすれば死霊術師でも戦闘職と同等の身体能力、治癒師並みの自己治癒力を発揮できるはずだ。

 燃費は悪めだが、その試験運転は良好である。


「ふん、見解の相違を問答する段階でもないか。年端もいかぬ五大祖の一門よ。儂は我が探求が喚んだ死神と殺し合う。貴様は如何とする?」


 ぺたぺたとカドの背の傷跡を触っていたユスティーナはその声に目を向けた。彼女はにたりと微笑む。


「若く、これだけ有望なカド様から目移りする理由は見当たりません。それと、あなたは一対一の決着を求めていそうなところ申し訳ないですが手は出させて頂きます。あなたに利用価値があるのならばできる範囲で取り計らいますが、抗うのであればお覚悟を」

「一門の財を啜りに啜った治癒師がよくほざくものよ」

「わたくしは末端になど興味はありません。そういう汚いことはおじいさまが取り計らうことですね。意地汚い点には同意します。いっそ死霊術師の財産は猛毒で、治癒師も諸共に滅びれば面白いかもしれませんね」

「流石は〈狂奔の聖女〉よ。正気とは思えぬな」

「――いいえ。正気で五大祖として立ち続けられる者の方が狂気に満ちています」


 その声は五大祖の地位をそしるものだった。以前のハルアジスであればその言葉に憤ったことだろう。だが、驚くように眉を上げた彼はその言葉を受け止めた。


「よかろう。ではこの場から去らぬのであれば貴様も我が狂気を身に受けると知れ。すでに全ては配し終わっている。滅びるまでは止まらぬとも」


 ハルアジスが杖で地面を叩くと巨大な魔法陣が広がった。そこから浮き上がった粒子は魔素を絡め取り、人間の形を成していく。さらに地面から手が伸びると、作り上げられていくその依り代の中に吸い込まれていった。


 そして出来上がるのは影の騎士だ。それらは群れていた魔物と同等に増殖し、天を仰いで一斉に咆哮する。

 生まれ落ちた歓喜ではない。憎悪と怨嗟と苦しみ――やりどころがないそれらの感情を声として発しているようだ。


「有象無象を殺し、無限の魔素を供給してくれたことには感謝を示そうぞ」

「ああはい、じゃあ解除しますね」


 何かしらの企みもあるかもしれないが、余剰の魔素を元にいくらでも増える敵戦力を目にしたカドは指を弾いただけで〈大感染〉を解除する。

 それと同時に手を上げた。


「我が意志に降れ。汝らが身は我が糧である。〈生気吸収〉」


 まだ余剰の魔素があるうちに、〈魔素吸収〉の上位に当たる魔法によってそれらを搔き集めて吸収する。

 ハルアジスが作った影の騎士は周囲の魔物を殺し、新たな騎士を産もうとしていた。

 しかしそれも一部での出来事だ。〈大感染〉ほどの大量死には至らないので魔物はカドらの周囲に集まるだけでなく、エルタンハスにも向かい始める。


 ハルアジスが揃えた戦力と、カドとユスティーナ、それらを取り巻く魔物。

 平原は三竦みの状態へと移ったのだった。

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