ハルアジスへの復讐 Ⅱ

 ここで何を行うかといえば、もちろんハルアジスとの契約の履行だ。

 しかしアルノルドの生命維持に使った魔法以上の事を説明する気はない。というより、それしかできないというのが本当のところでもある。

 その理由は先程の会話だけでなく、実践をしてみればよくわかる。


「じゃあ、始めます」


 いつまでも何もしないことに変な嫌疑をかけられては堪らない。カドはまだ苦しんでいる様子のウサギを手早くうつ伏せにさせた。

 施術中に暴れられるのを防ぐため、サラマンダーに施したのと同様に硬膜外麻酔を施すために毒素生成の呪文を詠唱する。


「生命を蝕む毒よ、ここに在れ。〈毒素生成〉」


 その呪文を唱えて脊椎間に麻酔を入れていたところ、死霊術士二人の眉が上がった。


「貴様、治癒師ではないのか?」


 死霊術師は数がとても少ない一方、毒素生成を扱える職業は他にもいるのだろう。彼らはカドの正体を探りあぐねて困惑していた。

 この辺りは処置を見せる以上、如何ようにしてもバレるところなのでカドは隠しもせずに説明する。


「ええ。ですが、この生命維持をどうやったかについて以外は黙秘です。そういう契約ですからね。下手に明かすと僕自身の価値を下げてしまいます。これからの話にも使える題材をわざわざ明かす人はいません」


 それはビジネスとして当然の話だ。

 そして、『これから』と言われれば自分への交渉があるとでも思ってくれたのか、ハルアジスの追及は止んだ。その代わりに、手技に関する視線はより一層真剣なものとなる。


 麻酔に続き、カドはウサギを仰向けにした。

 本当はこんな傷であれば即座に挿管して吸入麻酔によって全身麻酔を掛けつつ、留置針によって血管も確保。

 状態を見つつ、開腹して腹部の状態把握から縫合や洗浄という流れが最もいいはずだ。


 しかしながら今はこのまま行うしかない。

 背と腹が平べったい人と違って動物を仰向けにしても安定しないので、カドはかねてより考えていたことを実行する。


「亡者の腕よ、闇より出でて生者を縛れ。〈死者の手〉」


 これは一日目の魔物狩りで得た魔法だ。

 机から浮かび上がった四つの手がウサギの四肢を掴み、固定をしてくれる。

 本来の使い方とは違うのだろうが、手術台がなくても使えるという点で非常に便利である。


「なっ。貴様はまさか死霊術士か!?」


 死霊や亡者に関するような魔法だ。使える職もグッと狭まるらしく、確信めいた疑惑を投げかけられる。


「はい」

「わ、わからぬ……。貴様、何が狙いだ? 他家が我が血統を潰しに……? いや、これほど高位の死霊術士。まさか他の境界域の……?」


 治癒師などライバルに立ちそうなところであったなら決めてかかれたのかもしれない。

 だが、彼が警戒するどの思惑とも掠らないカドの存在に酷く困惑している。


 それはそうだ。

 異世界から魂を引っこ抜かれて杖にされた者が、人の身になってここにいるなんて誰が考えるだろうか。


「ハルアジスさん。集中したいので、全部の問答はこれが終わってからでもいいですか?」


 視線が離れていては契約履行にならないかもしれない。

 そんなことを心配して尋ねてみると、「う、うむ……」とハルアジスは初めて聞き分けよく頷いた。

 謀ったところも謀らなかったところも含め、いい感じに揺さぶりが効いているようだ。これならば説明をしようとする動きには猜疑心も持たれないだろう。


 ようやく隙ができたようで何よりである。

 真っ向勝負では歯が立たないし、周囲をスコットによる骨の兵に囲まれているのだ。やるならば一瞬の隙に、一撃で仕留めなければならない。

 カドは落ち着きを取り戻すべく、小さな深呼吸を挟むと処置を続けた。


 まずは行うのは、ウサギの腹部の正中切開だ。

 消化された草の匂いと共に、もわりと風呂場のような湿り気が顔に届く。

 それを感じながら腹腔内に手袋をはめた手を入れた。


 深部体温なだけあって割と熱い印象まである腸を優しく掻き分け、傷を確かめる。

 どうやらハルアジスの杖は腸管を数か所破り、おまけに肝臓の葉の一つまで傷つけたらしい。腹腔の底には赤黒い血が溜まり、そこには消化産物が浮いて見える。


(これを生かそうと思ったら、よーく洗浄をした上に抗生物質も使わないといけないですね)


 ウサギは痛みに弱いため、痛みに対する管理は非常に敏感にならないといけない。

 こんな傷を本気で治療するなら、かなり根気を要しただろう。


 カドは盗賊のピッキングツールの中にあったクリップじみた物で腸管の穴を仮に留めた。それでこれ以上の消化産物の流出を防いだ後は清潔な布で溢れている血を吸い取り、水で洗って再び吸い取る。


(清潔な大量のガーゼと、生理食塩水の補充も必要ですね。魔力が潤沢にあれば、この腹腔に溢れ出た血だけを操って体外に捨てるとか、腹腔に広がった病原体を魔法で殺すとか出来るんでしょうか……?)


 例えば殺菌で注目されてきたオゾン水や微酸性電解水などは、微生物は強い酸化力で殺すが、すぐに無害な物質に変わるために肉体にはかなり害が少ない。

 なので手術時の傷や腹腔内の洗浄に用いられることがある。


 微生物のみを死滅させる殺菌魔法なんて定義のよくわからないものはともかく、魔法で作った残留性のない物質で微生物を殺したら消すなんて手法でも感染予防はできるだろう。


(課題と発展の余地はたっぷりですね)


 カドの手技に理解が追いついていない死霊術士を他所に、一人頷く。

 洗浄を終えたカドは操作魔糸による傷の繋ぎ合わせと、初級治癒魔法による傷の補填及び血流の操作にかかった。

 それらを終えて腹腔を閉じれば処置は終了である。


「はい、このように毒素生成で痛みを麻痺させ、操作魔糸と初級治癒魔法で傷を補って終わりです」

「なっ……。こんな低級な魔法を用いた処置などでは、完全な治癒に程遠いではないか!?」


 ハルアジスは首を大きく横に振り、否定をしようとする。スコットにしても似たようなものだ。

 彼らの常識では、カドがクラスⅤの魔力に任せて強大な魔法を行使して生命維持を図る――そんな風に思っていたはずだ。


 しかし用いられたのは、クラスⅠの初歩的な魔法である。

 そこが納得いかないのだろう。


「いえ、ちゃんと処置した後に適切な治療も施せば完治を目指せますよ」

「否っ! 否、否、否じゃっ! 伸びしろがない治癒師はこのような小手先の技術で補おうとした。しかし施術中の悶絶死や、術後の衰弱で全てを死なせていた! 高位の治癒術ですら、瀕死の者を治癒させれば酷く衰弱する。魔力不足の者が行う治療では、先に体力が尽きようというものではないかっ! こんな方法で瀕死の者を何日も延命できるはずがない!」

(裂けた腹腔内の傷をそのまま塞いだだけになったりとかで、術後の感染を起こしているんじゃないでしょうかねえ……)


 その失敗例は見ていないものの、可能性は大いにあり得るだろう。

 手術器具も、洗浄に用いる生理食塩水やガーゼもどうして滅菌するかという話だ。

 傷の中に細菌を残したまま治癒をさせれば破傷風や気腫疽、癒合不全も当然起こるだろう。魔法の万能性に胡坐を掻いた結果の失敗としか思えない。


 思いつくところではあるが、この相手なので指摘はせずにいてもいいだろう。カドは複雑な面持ちで頭を掻いた。


「でもこれで完治するのなら、もうちょっと改善点はあるんじゃないかなと思いますが、どうでしょう?」


 ひとまずそうとだけ問いかけてみる。

 ハルアジスは意固地になって「ぐぬぬ……」と唸るばかりだ。一方で、スコットは深く考えた様子になった後、ハルアジスに耳打ちを行う。


「師よ。クラスⅣ以上の治癒や蘇生系の術式には解析や呪詛も含まれてきます。それを紐解けば、彼が適宜講じた手技と重なるところがあるのではないでしょうか」

「戯けがっ!」


 指摘をした途端、スコットはハルアジスが振るう杖で顔面を打たれた。

 これは先程、秘奥だと言っていた魔法の構成に関する話題が一端でも出たからだろうか。


 スコットは背中から倒れる。

 上体を起こした彼の鼻や口の端からは血が流れ出していた。

 身内の争いに加え、興奮によっていい具合に冷静さを失ってくれて何よりである。


「魔法に関しては終わりですが、もう一つ話があります。これを見てもらってもいいですか?」

「……っ」


 身内への怒りに我を忘れかけていたハルアジスはこちらを向いた。

 信じてきた大前提が崩れるなど、彼としては並々ならぬ衝撃を受けているところだろう。


 カドは彼にドラゴンから譲り受けた魔本を見せようとする。

 これは本当に便利だ。魔素を含む物体なら欄の数だけ収納できるだけではない。

 具現化する際の飛び出し方まで想像すれば、射出と言える速度で物質を出現させることができる。


 保存用具というだけではなく、そんな攻撃的な意味も有する魔本だ。

 カドは覗き込むハルアジスに魔本を傾け、剣が描かれた欄を指差す。

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