思いもしなかった失敗へ
「どうして!? あなたは魔法使いなんでしょう!? アルノルドに回復魔法をもう何回かかけてくれれば治るんじゃないの!?」
アルノルドの母親はカドに縋りついてきた。いや、勢い的には組み付くと言ってもいい程だったかもしれない。
いつもはおっとりしたサラマンダーも、これに対しては口を開けて威嚇を示す。
だが、母親にはそれも見えていないらしい。
すると見かねたトリシアが彼女の肩を掴んで止めた。
「……それは無理だと思います。治癒魔法は対象の生命力と結びついて効果を発揮します。基準として、効果があるのは自己治癒が可能な範囲までと言われています。死に瀕した者に使った場合は、力が霧散してしまうんです。それをどうにかできるのは、非常に高位な治癒師や死霊術師の秘術のみと聞きます」
「~~……っ!」
トリシアの言うことは、カドとしても実感をもって把握できていた。
治癒魔法を構成するのは、魔素による肉体の補完と、血流操作の術式だ。
少なからず血流操作によって生命活動を維持した上、被験者の魔素の流れがある程度は安定していないと魔法そのものが崩壊して維持できない。
血流操作を行えば、少しは魔素の流れは安定するのはこの目でも確認できた。
もしかすると対象の魔素の流れを操る魔法や、魔法を維持させるための呪詛のようなものも、治癒魔法の中には多少なりとも含まれているのかもしれない。
そんな複合術式を全て成立させなければ重傷者を治癒させられないのだ。確かに、高位の術者のみに限られるというのも頷ける。
そして、それほどの人間に治療を依頼できる財力はこの家にはないのだ。
現実を思い知った母親は力を失って膝をついた後、アルノルドを抱きしめた。
カドはそんな背に、これからについてを告げる。
「魔法を使って、彼の体調を少しでも整えます。そこから家族の時間を、取ってください……。あと魔法を維持するためにも休みたいので、出来れば一室を借りられたら嬉しいです……」
この声に対して返答があったのは、彼らが泣き明かしてからだった。
□
アルノルドの家は狭いものだった。
リビングと寝室、あとは倉庫があるだけで総面積は二十畳と少しといったところだろう。
カドはアルノルドが会話に苦労しないように口や声帯周りを治癒魔法で整えた。
その代わり、腎臓や腸など、あと半日も保たせられない彼にとって不要な部位の機能は絞っていく。
「これも、人工呼吸器や心臓マッサージを……やめていくようなものですか」
例えば口にした通りの生命維持のほか、重度のてんかん発作で意識の回復が見込めない時などだ。
苦しむばかりになるより、残り限られた命の使い方を考えていくことがある。
惜しむらくはアルノルドの生命維持が薬や機械ではなく、カドの魔力を元にしているということだ。望むだけ延々と、ということができない。
「それにしても、限界までっていうのは……本当に……」
辛いという言葉を飲み込み、その場に崩れ落ちる。
アルノルドたちからカドが借り受けたのは倉庫だ。
かび臭く、休むには適さない。
だが、家族の時間に用いるリビングや、最後に寝るかもしれない寝室に間借りするわけにもいかなかった。
彼らの時間は、彼らのみで取るべきだろう。
「はは、我ながら配慮しすぎですね……」
考えるまでもなく、そうするのが自然と体が動いてしまったのだ。
避けられない死なら、せめてそれが満足できるものであるようにと演出する。それは医療関係者から、葬儀関係者までが徹底することだろう。
死霊術師なんてものに適性があった理由にも、それを考えれば心当たりができる。
生かし続けていれば当然、死に目にも会う。その中では患者の状態によって心残りのない死のために演出で彩ったり、穏やかな死を計画したりもする。
自然とこうしてしまったこと、死霊術師に適性があったことは、生前の自分の仕事がこの類だったことの証明だろう。
その演出の対価は中々に重い。頭痛に胸の痛みまで感じる。
今まで魔法の使い過ぎは大きな魔術を使って、消耗過多でぶっ倒れるだけだった。
だが、アルノルドの延命に使っている力はかなり少なめだ。それを行使し続ける精神力の方が摩耗していきそうなくらいである。
結果、体が生成した魔力を即座に使いつつ、限界までふり搾っている状況だ。
言ってみればミシミシと繊維が切れる音がしながらも、まだ雑巾の水を絞ろうとしているようなものである。
カドは姿勢の維持すら放棄して床に転がり、痛む胸を押さえていた。
契約で繋がっているサラマンダーまで苦しむことはない。この子は頭に寄り掛かり、たまに耳に噛みついて気付けをしてくれていた。
悪戯なのかよくわからないが、意識の維持に繋がるので拒むものではない。
リビングからは日常を演出するような声や、そこから崩れるようにすすり泣きに至る声。あとは料理の匂いなどが届く。
こうして帰るべきところに帰ることができただけ、アルノルドにとっては救いだっただろうか。
そんなことを考えながら苦悶の表情を浮かべていると、この場にいるもう一人が膝をついて寄り沿ってきた。
「カドさん、大丈夫ですか? 濡らしたタオルだけでも貰ってきましょうか……?」
トリシアは熱を測るためか、フードに手を伸ばしてくる。
それを何とか察したカドは手を掴み止めた。
「いら、ないです……。この姿勢で、十分に安定して……ます。それより、最期の時まで……彼らの時間を邪魔しないで、あげてください」
「わ、わかりました。では、もう一つだけお話をさせてください」
彼女は単に体調を心配してくれたのだろう。差し出がましい事をしたと表情を曇らせる点には、心が痛んだ。
しかし、何やら思うところがあるらしい。
彼女は正座した上で両拳を握りと、決意した様子の顔を見せる。
「私はあるパーティに入れてもらうための力試しをしていました。そんな状態では受け入れてもらえないかもしれないのですが、チームメイトに掛け合って彼を助ける手段を模索してみたいと思います。乗り掛かった舟ですから、尽力させてください」
「それは、好きにしたらいいと思います……。ただ、彼はもう、多くの臓器を魔法で補って……繋いでいる状態です。その状態でなお、出来ることがあるかどうか……考えてから行うように言ってください……」
やろうと思うなら、勝手にすればいい。
ただし、本物の助けにならないものなら、無駄な希望は抱かせないように。そんな思いだけ口にする。
思考に割く余力がすでにないため、カドにはこんなことしか考えられなかった。
決心した様子のトリシアは倉庫を颯爽と飛び出す。
早速、その仲間のもとに走ったのだろう。
この時のカドには、安易に返したこの答えが大きな失敗に繋がるとは知る由もないのだった。
□
トリシアはアルノルドの家を出ると、神代樹に隣接するギルドに向かった。
この冒険者の街アッシャーには、群を抜いて巨大な建造物が二つ存在する。それは神代樹に向かって左側に位置する冒険者ギルドと、右側に位置する管理局だ。
自分と共に行動していたギルド職員は、そこで受付嬢をしている。
その姿を見つけたトリシアは彼女まで最短距離と思われるカウンターに飛びついた。
「サルビアさん、私の査定はどうなりましたか!?」
「ひえっ!?」
紙の束を持って移動していたギルドの受付嬢、サルビアの背をトリシアの鋭い声が叩く。
彼女は危うく束をぶちまけそうになったが、何とか耐え凌いだ。
「トッ、トリシアさん、受付では順序を守ってお静かにっ……!」
見咎められたトリシアは我に返った。
ここは境界域での取得物を査定する最も忙しい窓口だったようだ。
自分は一人の査定が終わったちょうどその間隙に飛び込んだらしく、品を持って並ぶ二番目のパーティに刺々しい視線を向けられていた。
「あ……。わわっ、これは申し訳ありません! 失礼いたしました!」
長髪がひっくり返るほどの勢いで頭を下げたトリシアは赤面しながら場から飛びのく。
見ればサルビアが受付の端で手招きをしていた。
トリシアはそこにすごすごと歩み寄る。
「私もまだギルドに帰って来たばかりで、この束のうちの一つが上司への申請書です。それが認可されてから、タグが卸されるので時間はまだまだかかりますよ」
「えっ。それなら私のパーティ加入の話については……」
「適正な実力は認めたので、認可が下りる見込みとは伝えてあります。出立の時期との兼ね合いもあるでしょうし、あとはパーティリーダーのイーニアス様たちにご確認願います。彼らはちょうど今、ハルアジス様のお弟子さんとの顔合わせのため、食堂にいるようですよ」
「そうなのですか? それは手間が省けて助かります!」
サルビアから情報を得たトリシアはすぐさま駆け出した。
境界域に挑戦するにはギルドで冒険者として登録する必要がある。
けれど、査定を受けたのはもう一つ特別な理由があるからだ。
それは最低限の実力を認められ、この街を襲ったドラゴン討伐のパーティに入れてもらうことである。
そもそも、冒険者として採取や討伐等の仕事を斡旋されたり、特定の狩場の入場許可を受けたりするには、実力の証明たる二種のタグが必要となる。
一つは自分の到達階層を示す色付きのタグだ。
各階層の魔素の色と同様で、紫、藍、蒼、翠、黄金、橙、朱の順に色合いが変わっていく。
もう一つは実際の戦闘力を示すタグである。
これは、荷物持ちとして同行しただけなど、実力がないのに魔力の質だけは高い者の幅を制限するために設けられたものらしい。
実際の戦力としては主にこちらが重視されている。
トリシアはこの第一層でも難度が高い狩場の主を一人で打倒するところをギルド職員に見せた。
それによってクラスⅡ――第二層の冒険者相当の実力と認められたのである。
ドラゴン討伐のパーティに荷物持ちとして参加するためにも、その程度の力量は必要だとパーティリーダーに言われていたのだ。
食堂に着いたトリシアはすぐにリーダーを見つけた。
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