幽霊保険

kaito

第1話 左足の靴下が右足のそれに比べて3cmほど短い幽霊

そこに居た彼女は、じっと僕を見ていた。


僕は彼女を見ることができないが、彼女の目は僕に槍を刺したみたいに見ているに違いない。


梅雨入り前の6月の風は高原を走る白馬のような爽やかさがまだあった。


不意に誰かに顔を持ち上げられるように彼女の方を見た。目が合った。


同じ学校の制服を着た左足の靴下が右足のそれに比べて短い彼女に目が合った。スカートの裾から下しか見えない。細くて長い足が二本。こげ茶の学校指定のパンプスにその先に真っ白の靴下。凝視しないと分からないが、とても気になる。


左足の靴下が右足のそれに比べて3cmほど短い。


信号が変わった。歩き出した。さすがに下を向いたままでは、彼女にぶつかるかもしれないので顔を上げた。当たり前のように僕は目線を外し彼女の横に見える高校名が書かれた塀の一部を見た。入学式の帰りによく行われる記念撮影みたいに彼女はそこにいた。


彼女は僕を見つめていたわけではない。ただ横断歩道を渡ろうとして信号が赤なだけだ。現に、信号が変わったら、彼女は歩き出した。僕の心が叶えられない思い出に傷心している上に、彼女の髪の美しさが誰かに似ていて雰囲気がとても魅力的に感じたからに違いない。彼女は僕を見てなく、景色の一部として僕が映っていたただそれだけだ。何もドキドキすることはない。


まるで彼女は幽霊のようだ。


彼女が僕の横を通り過ぎた。下を向いていて顔は見ていないが、左右の靴下の長さが違うのを確認したので間違えない。


「あなた見えるの。」


後ろから聞こえてきた。風に飛んで行ってしまいそうに微かな声だったが、透き通った心地よい音色に聞こえた。


無視をした。聞こえていけないものがはっきりと聞こえたんだ、人として当たり前の反応だ。


「ねえ、無視しないで。」

また、後ろから声がした。先ほどより明るく、入学したての中学生ぐらいの声に感じた。


「ねえ、だから無視しなでって。」

泣いているようにも聞こえる震えた声で叫んだ。


全くしつこい幽霊だ。横断歩道を渡って学校に敷地の中に入ったのにまだついてくる。こんなにも周り人がいるのに、どうして僕なのか。どうして、見てしまったか。これまで一度も幽霊とかそういう類のものには全く縁がなかった僕が。


幽霊はこんなにもしつこく絡んでくるのか。なんて恐ろしいんだ。走って逃げようと思ったが、ここで突然走り出したら、幽霊に「やっぱり、見えてるだ。」と証明することになってしまう。

散々無視をしているんだ、人でも激怒することを幽霊にしたら殺さるんではないか。


しかし、このまま無視し続けたらどうなるのか。ずっとついてくるに違いない。授業中話しかけてきたら集中できない。トイレもついてくるのか。あんなに美少女の幽霊に見られながらなんてなんか興奮するなあ。何を考えてるんだヘンタイ。


相手は幽霊だ。何をされるかわからないし、簡単に殺されてしまうかもしれないそれに後ろを振り返ったら終わりなんだ。振り返らなくても、鏡を見たり、夜の窓を見たり、水たまりを見ても終わりなんだ。これからそんな恐怖が続くぐらいならいっそ振り返って楽になった方がましな気がしてきた。


 誰かが肩を叩いた。肩の力が抜け何も考えずに後ろ振り返ってしまった。


やってしまったと思ったがそこにいたのは制服を着た誰かだった。さっき幽霊だと思っていた、黒髪長髪美女ではなく、黒髪長髪幼女だった。

「何で先から無視するの。」

もちろん幼女ではない。だって高校の制服を着ているのだから。童顔の可愛らしい女子高生だった。


「もしかして、幽霊が話しかけていると思った。」

身長は150㎝ぐらいで、長い黒髪を後ろでくくり、前髪をブラウンの髪留めで留め左半分だけおでこを出している。


「ねえ、聞いているの。さっきから人の顔をじろじろ見て。言っておくけど私は幽霊じゃないからね。それともなあに、わたしのあまりにもの可愛さに見とれてた。」

くりくりと子犬みたいな目、ぷくっと柔らかそうな頬っぺた、子狸みたいな丸い輪郭、加えて健康的に焼けた小麦色の肌ときたらこどもっぽくてとてもかわいい。


ぼうと彼女を見た。秋の楓の木を数日の定点カメラを超高速で見ているみたいにだんだん赤くなってきた。つられてこっちも恥ずかしくなる。


「笑えよ。笑ってよ。冗談で言っているんだから。」

目がウルウルと今にも泣きそうになりながら言った。


「あ、ごめん。そういう性格なのかなと思ってちょっと引いちゃって」


「ちょっと失礼だよ。初対面だよね。初めて会う人に言うようなことじゃなくない。」


「ごめん」

やっぱりそういう性格なんだなあ。人懐っこい壁を作らない。


「そんなことよりあなた見たでしょ。」

僕の隣を歩いて聞いてきた。彼女は話す時にしっかりと目を見てくる。初対面だけどモテるなこの子と思った。


「何にも見てないけど。」

手を団扇みたいに振り否定した。


「信号待ちをしているときに絶対見たよね。とぼけなくていいから。見たんでしょう。」

「だから、何も見てないって。」


「そのセリフが見たって言ってるのと同じなの。」

玄関に入ると自信満々な彼女を巻くように、走って下駄箱に行き一瞬で靴を変えた。しかし廊下にはもう彼女が居た。悪魔の赤ちゃんみたいな無邪気な笑顔を僕に目一杯注いでいた。

僕の横を散歩の時の犬みたいに付いて来る。


「何も見てないって何か疚しいものを見たから言う言葉なの。だって、私は、ただ見たって聞いているだけで、見たものが何か一言も言ってないよね。それなのに、どうして何も見てないって言えるの。絶対言えないよ。」


「そんなことないと思うけど。」

語尾がとても弱々しい。


「何が」

間髪入れずに言われ怖いと思ったが、あくまでも冷静に答えた。


「いきなり、見たでしょって言われたら反射的に見てないって言ってしまうことだってあっても不思議じゃないと思う。」


「反射ねえ。」

僕の心を舐めるように言う。バカにされている気がした。


「まあ、そんなことはどうでもいいんだけど。隠す必要ないよ。だって、見てない人に見たって言わないから。」

彼女が足を止めた。なぜかそれに従い僕を止まった。いつの間にか僕が犬になっていたようだ。


「もう一回聞くよ。今度は優しく聞いてあげる。あなたは幽霊を見ましたね。」

僕の前に壁のように立ちふさがった。10cm以上差があるのにぬりかべぐらいの大きな圧力を感じた。怖い。幽霊よりも怖い。


「はい、僕は幽霊を見ました。」

洗脳されたように当たり前のようにそう言った。というよりも、飼い主に従ったとても頭の良い犬になった気分だ。


「よし、良い子。イイ子。」

今にも撫でてきそうなそんな言い方だ。


「私の名前は、上門寺珠理。まあよろしくね。あなたの名前は怖がりの眼鏡クンでいいかなあ。」


「いや、やめて。そんな名前じゃないから。」

当然でしょう。太陽は東から登って西に沈むでしょうみたいに、言ってきたので思わず、うんと言いそうになったが、頑張って否定した。

「分かりやすくていいと思うけど。じゃあ何。早く言って。」


子供番組の司会のお姉さんみたいな笑顔で言った。

「佐藤達也。」

「なんて普通の名前なの。いったいその名前この国に何に居るの。絶対一万人はいるよね。一万はいるよね。」

くそつまらないギャグを言われたあとみたく、彼女はふんと鼻で笑った。

「そんなこと僕に言われてもしょうがないし。僕が幽霊見たってわかるってことは上門寺も、幽霊見たってこと。」


「はあ、呼び捨て。私ちびだけど、3年だよ。18歳なんですけど。それに初対面だよね。」

黒目を小さくして僕を睨む。笑っていると天使みたいなのに、怒ると鬼そのものみたい。


「ごめんなさい。」

きゅんと肩を縮めた。叱られた犬みたいに。


「まあ、別に呼び捨てでもいいんだけどね。でも絶対私のこと、中学出たてだと思って舐めていたでしょう。そういうのいつもだから、初めにバシッと言いたかっただけ。しょうがないよね、私って可愛いし、お人形さんみたいだから。」

セリフみたいにあまりにもすらすらと言うから、

「そうだね。」

と棒読みした。


「だから、引かないで。傷つくから。」

なぜか泣きそうになっていた。それを少し可愛らしいと思ってしまった。

「幽霊を見たのは初めて?」


彼女が廊下の壁にもたれ掛かり、彼女に対して直角に立ち話を聞いた。いろいろなことで彼女を直接見ることができない。


「これから大変だと思うから、これ私の連絡先。言っておくけど、ナンパじゃないからね。」

そう言って写真ぐらいのサイズの白い紙を渡してきた。そこには彼女の名前と電話番号、メアドが書かれていた。それを無理やり右手に握らされた。


「大切なことだからよく覚えときなさい。幽霊なんかよりも生きている人間の方が何倍も恐れしいことを。すぐにその理由がわかるよ。何かあったら連絡してね。まあ、その何かは、今日か明日には起こると思うから。」

意味ありげに含み笑いをした。


「じゃあね。」

と手を軽く振って去って行った。朝日のような優しい笑顔にドキドキするしかなかった。夢から覚める瞬間みたいに一度目を閉じ、もう一度目を開けた。宇宙の果てみたいに真っ黒な髪を一本一本生きているよう揺らしている彼女を見た。


締め付けるような痛みを胸に感じ、右手で制服の第二ボタンあたりを強く抑えた。



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