2. エメラルドの風の中で
『━━━━━それが明日なんですって』
『明日って、そんな急に!』
『なんだよ朝から騒々しいな』
『あ、お兄ちゃん! 大変なの!』
全開にしている窓からは空気を揺らす程度の風と、朝ドラの会話が入ってくる。『騒々しい』と『お兄ちゃん』も言うとおり、いつも賑やかで休む暇もなく次から次へと波乱の展開をみせるドラマだ。それでも食器のぶつかる音同様、庭を渡ってくるその会話は、なぜか不思議な安心感を運んでくる。
うっすらと開けた目で、わたしはぼんやりと白い天井を眺めた。土曜日の宮前さんはいつもと変わらず早くに朝食を終えているが、二度寝から目覚めたわたしは、まるで散り際のチューリップのようにベッドに横たわっている(ベローンとだらしのない寝姿を美化してみました)。
ドラマ内では何かとんでもない事実がわかったらしく、ヒロインの驚く声が聞こえた。もちろんこの絶妙なタイミングで翌週へと続き、番組が変わったのをきっかけに、わたしもようやく身体を起こす。風が前髪を散らすので窓の外に視線を向けると、二階にあるベランダで洗濯物を干していたおばさんと、バッチリ視線が合ってしまった。
「あら、
「あ、はい。おはようございます」
ボサボサの髪の毛を手櫛で直しながら、わたしは網戸を開けて答えた。おばさんはここがベッドサイドであることは知らないはずだけれど、この身なりでバレてしまったかもしれない。
「ゴミ収集所の掃除、ありがとうございました!」
「ああ、いいの、いいの。お互い様なんだから」
今週はわたしがゴミ収集所掃除の当番だったのだけど、いつも宮前さんのおばさんが代わってくれている。わたしのようにひとり暮らしで働いているような場合、ボックスの片付けが深夜になってしまう。そのため結局は近隣の気づいた人がやってくれることがほとんどなのだ。お互い様と言っても、わたしの場合はたまたまスーパーで行き合ったとき、一度荷物を運んだだけなので、負担のバランスはかなりおばさん側に傾いている。
「あとでプリン届けに行ってもいいですか?」
「そんな気を使わなくていいのに」
「いえいえ、わたしが食べたかったからついでですよ」
心苦しさから、ときおりお裾分けと称してお菓子を届けて濁していた。
「今日はいい天気ねえ。暑くなりそう」
おばさんが額に手を当てて空を仰ぎ見る。つられてわたしも顔を上げると、すでにいまいましいほどの青空が満面の笑みで見下ろしていた。そろそろ窓を閉めてエアコンを頼る季節になりそうだ。
パンをかじり身支度を整えると、わたしはさっそく宮前家を訪問した。庭はブロック塀に囲まれていて、普通に通りを歩いていると庭木の頭頂部程度しか見えない。あの庭を堪能できるのはごく限られた人だけで、わたしもその限られたひとりなのだとほくそ笑む。
門を通って庇の下に入ると急にひやっとする。盛夏が近いこの時期でも日陰は涼しく、風がよく通る地域なのだ。
ふぃんふぉーん。ボタンを押すと、やわらかな音色のチャイムが、重そうな扉の向こうで響いた。少しして「はい」と、さらに重そうな返事が聞こえる。待ってみても反応がないので、そろそろとドアを引いた。
「こんにちはー」
広いたたきの向こうに、“彼”が立っていた。
「あの、えーと、隣のアパートに住む片桐小花と申します」
無表情と沈黙で先を促す彼に、とにかく言葉で間を繋ごうともがく。
「ゴミ収集所の掃除って結構大変ですよね。わたし、平日は仕事だからなかなか難しくって。夜でよければやるんですけど、広げっぱなしだと邪魔だし」
一向に反応がないので、仕方なく自分でうんうんとうなずいた。
「あ、それでですね、こちらのお母様がいつも代わりにやってくださってて、それでこれ……」
プリンの入った紙箱を差し出したが、
「母はいま留守です」
カコンと小気味いい音がしそうなほど話をぶったぎられた。初めてまともに聞いた声は相変わらずもごもごしていたけれど、玄関の反響もあってよく通った。思わずポカンと口を開けたわたしに、彼はスリッパをすすめてくる。
「すぐ戻るはずなのでどうぞ」
薄いピンク色のスリッパひとつ残して、自分は素足でぺたぺたと廊下を行ってしまった。そのインディゴブルーのシャツがどこかの部屋に消えるのを、口を半開きにしたまま見送る。
「いや、それならまたあとで来るし」
つぶやきは艶やかな廊下に虚しく消え、わたしは仕方なくスリッパを履いて奥へと踏み出した。
「お邪魔しまーす」
廊下の先に開かれたままのドアがあり、覗き見るとそこが居間だった。初めて見たけれど、まったく想像通りの場所だ。12畳ほどある畳の部屋には誰もおらず、壁際のテレビも消されている。奥には使い込まれた茶箪笥と、今はカバーをかけられたFF式ストーブ。部屋の真ん中には木目も鮮やかな大きなテーブルがどーんと鎮座しているけれど、それ以外は何もなく広々としている。分厚く重そうなそのテーブルは艶やかに清められていて、縁側の向こうに広がる庭の緑が、その表面に映り込むようだった。夏の庭からひと続きに繋がる夏の居間。葉の香りを含んだ風が下げられた簾をふうわりと揺らしてから、わたしの頬も撫でて、廊下へと抜けて行った。
茶箪笥の隣にある磨りガラスの引き戸がガタガタと開けられ、彼がお盆の上にお茶のセットを乗せて入ってきた。そちらがキッチンのようだ。朝に聞こえる戸を開ける音と往復するような足音は、キッチンに食器を運んでいるときのものらしい。
「どうぞ」
片手にお盆を乗せたまま、もう片方の手でちょっと座布団を直したので、「お邪魔します」ともう一度言ってからそこに座った。座ってしまってから、あれ? 座布団っていきなり座ったらダメじゃなかったっけ? と、カビた記憶を探りながらお尻をもぞもぞと動かす。
「すみません」
私の謝罪に、彼は視線を合わせて応える。
「あの、座布団に座ってしまいました」
「……なにか問題が?」
「えーと、最初は座布団を断って畳の上で挨拶してから、再度勧められるのを待って座るのがマナーだって、テレビの講座で観たような……」
わかりにくいけど、少し目を見開いたようだった。
「そうなんですか?」
「はあ、多分。失礼をしてしまいました」
「うーん。でも、俺が知らないんだから、失礼にはならないでしょう」
小首を傾げて考える姿が、ちょっとだけかわいく見えてしまった。つい笑みがこぼれて手で口元を隠すわたしを視界にも入れず、茶葉を急須に入れ、妙な形の入れ物にポットからどぼどぼとお湯を注いでいる。その入れ物からさらに一度湯呑みにお湯を移してから、とろりと急須にお湯を注いだ。ピクリとも言わずしばし急須を凝視するので、わたしも一緒になって急須を見る。その後急須から注がれたお茶は新緑色をしていた。それは湯気を伴わず湯呑みに収まっている。窓越しに聞いたものと同じ、ことり、といういい音をさせて、わたしの前にお茶が差し出された。続いておせんべいやマドレーヌなど、さまざまなお茶請けが入った菓子盆が、つっと指先で押しやられて目の前に並ぶ。
「すみません。いただきます」
暑いこの季節に熱いお茶。出されたものに文句が言えるわけもなく、舐めるように口に含んだ。
「あ、おいしい」
緑茶特有の苦味はしっかりあるものの、それは軽やかですっきりとしている。この居間を抜けていく緑風のように、気持ちまでさっぱりとさせるおいしさだった。
「高いお茶らしいので」
わたしの素直な感動に、ずいぶん即物的な言葉が返ってきた。
「おいくらでしょうか?」
負けじと現金な会話を続ける。
「値段は知りませんが、毎年お中元にいただくんです。母も気に入っていて、残りは冷凍して大事に飲んでいるようです」
「そんなお茶、わたしがいただいてよかったのでしょうか?」
「他の茶葉がどこにあるのか知らないので」
「……そうですか。それなら仕方ないですね」
どすっと沈黙が落ちる。お茶はとてもおいしいのだけど、わたしが飲んでいると会話が途絶える。一応彼にも客の相手をするつもりはあるようで聞けばぼそぼそ答えるのに、決して自分から話題は振ってこない。いない方が寛げるほど居心地は悪かった。この数分でかなり肩が凝った気がして、ふーっと肩の力を抜くと、上品な緑茶の香りがする。その風味を壊さない程度の風が、また簾を揺らしていた。彼の硬質な髪の毛も、素直にさらさらと風を受ける。
そのとき、静寂を打ち壊すように、びゅいーーんと黒い点がテーブルの上を通過した。
「あ、虫!」
虫も自然の一部。これだけたくさんの緑があれば当然虫も無数にいるはずだけど、それが生活圏内に入り込んでくるなら話は別だ。しかも音で十分わかるように、なかなか大きい。びゅいーーん、びゅいーーんと飛び回る虫を目で追って、ヤツが畳の上に落ち着いたところでわたしは動いた。
「ティッシュ!」
目を離したら負けだというようにじっと虫を睨んだまま、彼に手を差し出す。虚を突かれた彼だが、テーブルの下からカバーに包まれたティッシュ箱を取り出して差し出した。ちらりと横目でそれを確認して、ザザッと二枚ティッシュを取り、そーっと虫に近づく。息を殺しじわじわ詰め寄って、あと5cmというところで飛び掛かるも、びゅいーーんと茶箪笥に逃げられてしまう。急いで茶箪笥に駆け寄ってもさらに逃げ回って、今度はなかなか落ち着かない。
「どこ?」
音は確かに聞こえるのに、なかなか目で捉えることができずひたすらキョロキョロ視線をさ迷わせる。サラウンドのように部屋のあちこちから羽音と壁にぶつかる音がする。このまま目で追っていたらめまいがしそう。
「……何してるんですか?」
同じように立ってキョロキョロ虫を追っていた彼が怪訝な声で言った。
「いっそ気配だけを頼りに、心の目で見ようと思って」
わたしは目をつぶってじっとしたまま答える。
「見えますか?」
「いや全然」
羽音は聞こえなくなったからどこかに止まっているはずなのに、まったくわからない。それでも心の目を見開いて、ヤツの気配を必死で探す。
「ではそのままじっとしていてください」
虫よりはるかに大きくあたたかな気配がしずかにしずかに近寄ってくる。すぐ近くでふわっと風がおこって、わたしの頭を大きな手が一瞬包んだ。驚いて目を開けた先には彼がいて、わたしの頭に手を置いたまま視線は部屋中を追いかけている。
「逃げられました」
気配を探っていたのに、ヤツは一番身近、わたしの頭の上にひそんでいたようだ。
「えー!」
「頭の上で潰したらよくないと思って、つい手を緩めてしまったので」
「頭で潰すのは嫌ですー!」
シュッと俊敏に動いた彼がテーブルの上で何度か格闘したあと、ティッシュと手を合わせて足早に縁側に向かう。その様子にわたしも後を追いかけた。彼が庭に向かって腕を伸ばし、そっとティッシュを開くと、びゅいーーんと黒い虫は庭のどこかへ消えて行った。
「あー、よかったー」
目で追うこともできなくなり笑顔を彼に向けると、少し口元が綻んだようだった。
「網戸閉めますね」
からららと網戸を引く彼を残して、わたしはテーブルに戻った。ぬるくなった高級緑茶をイッキ飲みする。彼はまた妙な容器にお湯を注ぎ、そこから急須にお湯を移す。少し待ってから、わたしの湯呑みへとお茶を注ぎ足してくれた。
「ありがとうございます。……うん、おいしい。淹れ方もいいんですね、きっと」
「いや、誰が淹れてもその味でしょう」
「でも、わたしそんなカレールー入れみたいなの使いませんもの」
「カレールー入れ?」
落ち着き払っていた彼が目を丸くしてその容器を見る。一度お湯を受ける器は白い陶器でできていて、カレールー入れを小さくして取手をなくしたような、注ぎやすい形をしている。
「それでお湯の温度を下げるんですよね? 多分。熱湯だとおいしくはいらないから」
煎茶は70度程度のお湯がいいのだとか。それも一度沸騰させて、それを少し冷ましたもの。器を一回変えると10度下がるとも言うから、沸騰させたポットのお湯はカレールー入れ(仮名)と湯呑みを渡り歩いた結果、急須に入るとちょうど70度程度になる計算だと思われる。
「そうなんですか。母がいつもこうしているので、そういうものだと思っていました」
「カレールー入れなんて、実家にもないですよ。わたしなんて手鍋でお湯沸かして、そのままティーポットに入れちゃいますし」
情緒のない生活に嫌気が指して顔を背けると、きらめく緑の向こうに、情緒のない自分の部屋の窓が見えた。その向こうの散らかったベッドまで透けて見えそうで、ふたたび顔を戻すと彼は無表情のまま小さくうなずいた。
「合理的です」
「慰めてくださらなくて大丈夫ですよ……」
お茶を飲むとやはり沈黙が降りる。けれど、さっきとは違って、この豊かな空間を五感で楽しめるようになっていた。まともに挨拶さえ交わせないと思っていたのに、話しかけるとちゃんと受け止めてくれる。それがわかれば沈黙も苦ではない。
ふと、このひとは、ここに住んでいるんだな、とごく当たり前のことを、風を受ける黒髪を見て思った。彼のまとう落ち着いた空気と、ここのやわらかい風はよく似ている。時間を持て余したように彼は庭に目を向けて、その瞳の中にもエメラルドの風が揺れているように見えた。
「これ、なんていう名前なんでしょうね」
例のカレールー入れに少し触れて聞いてみた。どうでもいいことだし携帯で検索すればわかることだけど、彼ともっと話してみたかった。
「さあ。考えたこともありません」
最初の頃よりずっとクリアな声で、彼は答えた。言葉の内容に反して、拒絶した感じはない。
「ちょっと考えてみませんか?」
わたしは腕組みをして真剣に考える。ミルクピッチャーにも近い形状だけど、和食器だろうから名前は日本語のはず。
「なんだろ? お湯を冷ますものだから『夕涼み』」
『湯涼み』に掛けた会心の出来で、わたしは自信たっぷりの笑顔を向けた。
「それなら『湯冷まし』(正解)でしょう」
まっとう過ぎる彼がまっとうな返事をする。
「そんな面白みも情緒もない名前じゃダメですよ。もっとこう、想像力を掻き立ててください」
「想像力?」
「例えば、うーーーん? 『ひとひらの木葉』とか」
「……なるほど。見えなくはないですね」
軽く眉間に皺を寄せてカレールー入れを眺める様子は、言葉の半分ほども共感していない。
「雰囲気ですよ、雰囲気。はい、どうぞ」
「俺!?」
「もちろんです。あ、大事なのはアイディアですからね」
彼はなかばうめくように考えて、
「…………『温水』」
と、絞り出すように答えた。
「そのままですね」
「ひねる必要ないでしょう」
「面白みと茶目っ気は重要ですよ。却下」
「……『笹舟』」
「いい感じです。風流ですね。……『愛の行く末』」
彼はちょっと感心してくれたようで、2、3度うなずいた。
「なるほど。“冷める”んですね。それなら『百年の恋』が一般的ですけど」
「“一般的”とかいらないんです。オリジナリティもポイント高いですから。いっそ『アイドル、その裏の顔』とか」
「うーん、『吐息』」
「ああ! フーフーして冷ますんですね。かわいい。じゃあわたしは『若気の至り』」
「冷めますか?」
「はい。思い出すと冷や汗が出るとともに、心が冷めます」
「むしろカッと熱くなりそうですけど」
「個人差ありそうですね。それだと『交際三年目』も商品名としては難しいかな」
「数日で冷める人もいますからね」
『秋の訪れ』(冷える)、『宝くじが当たる夢』(覚める)、『夜明け』(目が覚める)、『重要会議に寝坊』(肝が冷える)、『あなたの後ろの黒い影』(背筋が冷える?)、『モナリザのため息』(?)。だんだん何の話だったのかわからなくなってきた。
「次はわたしの番。『お前を一生離さない』」
彼がこれまでで一番怪訝な顔をする。
「なんだ? それ」
「これ言われたら冷めませんか? いや冷めるというより引くかな?」
「ちょこちょこ闇が……」
「独り身長いですからね。幸せな恋愛に対する僻みは、知らず漏れ出ちゃいますよね。あ! もしかして言ったことありました? だったらすみません!」
「はあ!? あるわけないでしょう!」
「じゃあぜひ次の機会に言ってみてください。『お前は俺のものだ』と『俺のこと好きだろ?』もオススメです」
「……確かに、冷や汗で心身ともに冷えそうだな」
徐々に場はほぐれたものの、まったく無意味なやり取りをひたすら続けていると、
「ただいまー。あら? お客様?」
玄関でおばさんの声がしてパタパタと足音が近づいてくる。
「こんにちは。お邪魔してます」
「あ、小花ちゃんだったの。待たせてごめんなさいね」
居間を抜けてキッチンに行きかけたおばさんは、
「あらやだ。熱いお茶なんか出して。今冷茶に替えるわね。それともアイスコーヒーがいいかしら?」
と足を早める。それに追いすがるように、座布団からはみだして声を掛けた。
「あの! これ、プリンです。よかったらどうぞ」
冷蔵保存なのにすっかり忘れて放置していた紙箱を慌てて差し出した。中のプリンが汗をかいているらしく、紙箱は少し湿ってやわらかくなっていた。
「あらあら、いつもごめんなさいね。ありがとう」
おばさんは一度中を開け、わあおいしそうねと笑ってから今度こそキッチンに入って行く。それを見送った彼はひと言もなく、またわたしに一瞥もくれることなく席を立ち、そのまま二階の自室へ引っ込んでしまった。心地よく吹いていた風が急に止まってしまったような、物足りなさを感じる。
「うちの息子、気がきかなくてごめんね。風があるって言っても夏なのに」
からんころんと涼しげな音色を響かせて、おばさんが冷茶を運んできた。
「あら?
「なんかお部屋に行かれたようです」
「重ね重ねごめんなさい。悪気はないんだけど、昔からとにかく人見知りがひどくて」
行き場をなくした三つ目の冷茶をお盆に乗せて、おばさんもテーブルにつく。
「いえ、わたしがちょっと調子に乗ってからかい過ぎたのが良くなかったんです。気分を害されてしまったかもしれません」
初対面に近いのに、あんなゲームのようなやり取りを強要したのは、やり過ぎだったかもしれない。
「からかう?」
おばさんが驚いて、口に運びかけた茶器を茶托に戻した。
「啓一郎を?」
「はい。お話してみたら思ってたより反応が面白かったのでつい。本当にすみませんでした」
おばさんはほうっと息をついて、さきほど彼、啓一郎さんが上って行った階段に目をやる。
「愛想はないけどそうそう怒る子じゃないから大丈夫。それより、啓一郎がこんなに早く人と打ち解けるなんて珍しいわねえ」
「いや、打ち解けたってほどでもないですけど」
二階には啓一郎さんがいるはずなのに物音ひとつしない。気配も感じられないほどにしずかだった。
「うちはお父さんも無口なひとだから、家族でいてもあまり会話がなくて。さっき玄関に入ったとき、楽しそうな声がするからびっくりしちゃった」
おばさん自身もおっとりと物静かな話し方をする。この家では茶碗や箸の方がずっと饒舌なのだろう。
ガラスの茶器の中で新芽のようにやわらかな緑色が、氷とともに楽しげに揺らいでいた。
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