竜殺しの姉妹 壱

 レオニダスとの闘いを終えたニーズヘッグは、久方ぶりの深い眠りの中で夢を見ていた。 いつも見る強き者と邂逅かいこうし、死闘を繰り広げる夢ではない。


 夢の中でニーズヘッグはまだ人であった頃の姿をしていた。 その夢は大輪の花が咲き乱れる花園を、決して手が届かないほど遠くから眺めているだけの退屈なものだったが、不思議とニーズヘッグの渇いた心に安らぎをもたらした。


 それは闘いの中でのみ充足感を得てきたニーズヘッグにとって到底理解出来ない安らぎであった。 それはただの意味の無い夢であろうか? 否、それはきざし。 長きに渡り繰り返されて来た闘いの輪廻りんねに変化が訪れようとしていた。

 

 ニーズヘッグは目覚める。 花園などにうつつを抜かす惰弱だじゃくな心など彼には認める事ができなかった。


 ニーズヘッグには花の美しさなど理解出来ない。 何故なら彼にとっての美しさとは、極限までに無駄なものが削ぎ落とされた、純粋な強さであるからだ。


「誰ぞきたれ、我が下へ来れ。 我は飢え渇いておる。 強き者…… 美しき者よ、我が下へ……」


 暗闇に響き渡るはニーズヘッグの嘆きの声。 その声はただ洞窟の闇に飲み込まれ、消えゆくだけに思われた。


「それがあなたの望みなの? ならば見せてあげるわ、この世で一番美しいものをねっ!」


 ニーズヘッグの渇望かつぼうの嘆きに答える、りんとした少女の声が響き渡る。


「姉さまっ!? 何故、堂々と名乗りを上げているのですか!」


 やや幼さを残した少女の困惑した声。


「私達のことには気付いてたみたいだしね。 こそこそしたってしょうがないでしょう?」

「姉さまは堂々とし過ぎですわ…」


 姉さまと呼ばれた少女は妹の困惑をよそに、ニーズヘッグに対して昂然たる口ぶりで言い放つ。


「 最後になるだろうから、あなたには特別に見せてあげる。 世界で一番可愛いくて可憐で美しい、私の妹をね!」


 暗闇に導きの燐光ウィルオウィスプが灯り二人の姿を浮かび上がらせる。


 その姉妹を目にした瞬間に、ニーズヘッグの脳裏に夢の中で見た光景が蘇る。 大輪の花が咲き乱れる麗しい花園の幻視げんしが。


 その姉妹はお互いに似通った姿形をしていた。整った顔立ちに、きめ細やかな創りの目鼻立ち。姉の流れるような金色の長髪に対して、妹は肩の辺りで姉と同じ金色の髪を切り揃えている。 わずかに幼さの残る妹のあおき瞳に宿るは冷静にして冷徹なる意志。 姉のあかき瞳に宿るは力強く揺るぎない意志。 体格は人間の女性にしては長身で妹の方がやや背が低い。 すらりと伸びた手足は冒険者とは思えぬ程に華奢で、すき透るような肌は何処どこかの国の姫君のようですらあった。

 

 ニーズヘッグはしばし、その姉妹に目を奪われていた。 その類稀たぐいまれなる優れた容姿よりも、奇妙なまでに安らぎを与えるたたずまいに戸惑い、不快感を覚えた。


「私の妹以上に美しいものなんて、この世に存在しないでしょう? これであなたは心置きなく冥界に旅立てるわね」

「姉さまの姉馬鹿… というか双子なのだから姉さまも殆ど一緒の見た目ですわよ?」


 外見の醜美などニーズヘッグにとって何の価値も無い。


「我が求めしは強き者との闘いのみ。 さあ名乗るがいい。 我を十分に楽しませたなら、その名を永遠に刻もう」


 気の抜ける様な会話を繰り広げる姉妹に僅かな苛立ちを覚えながら、ニーズヘッグは問い掛ける。


「わざわざ名乗る必要がありますこと? 今から死ぬことになる、あなたに」

「まぁまぁ、そう言わずに名乗ってあげましょう。 私の名はリリア・フロース。 いざ尋常に勝負ってね」

 

 姉の方が答える。


「わたしの名前はエリス・フロースですわ」


 妹の方が答える。

 

 死闘の準備は既に整っていたがニーズヘッグの心に、いつものような闘いの高揚感はなかった。 何故なら彼の目にはフロース姉妹は強き者として映らなかったからだ。


「よかったらあなたの名前も聞かせておいてくれる? 」

「名前など… とうに忘れてしまった。 ただこの地を訪れる者達は我をニーズヘッグと呼ぶ」

「ニーズヘッグ… 悪いけどあなたには此処で死んでもらうわ。 私の妹の為に…」

「暴食の罪を司る竜… 本物みたいですわ、姉さま。 呪いあざが灼けつく様に痛みますもの… 」

 

 ニーズヘッグはなおも脳裏に残る花園の幻視を振り払い、一つの眼で敵を見定める。 姉妹が身につけた防具はいずれも動き易さを重視した軽鎧ライトアーマーであり、細身の長剣は実戦的ではなく軽く薙いだだけで折れてしまいそうだ。 しかしニーズヘッグは魔力視により見抜いていた。 それらの武器・防具が魔力伝導率の高い金属で構成された魔導具である事に。


「姉さま、魔力視を使われてますわ…」

「分かってる。 ばっちり見られてるわね… まぁこういう時の為に、ちゃんと準備してあるの」


 リリアは腰の道具袋から瓶の様な物を取り出すと、地面に叩きつけた。 容器の破片が飛び散り、辺りに限りなく透明な霧が立ち込める。 ニーズヘッグ はそれが何なのかを即座に理解した。 空間中の魔力の流れを一時的に不可視化させる魔法具——見えざる濃霧ミスティックミストだ。


 魔力視が使えなくなる事は闘いにいて時に致命的な結果をもたらす。 それはフロース姉妹にしても同じ事が言える以上、そうまでして隠し通したい何かがこの姉妹にはある。 或いは何かがあると思考を誘導する心理的な罠であろうか? ニーズヘッグは考えあぐねた。


「エリス、大丈夫? 呪い痣はまだ痛む? キスしてあげようか?」

「大丈夫ですわ。"見えざる濃霧" が切れる前に終わらせましょう、姉さま」

「了解よエリス、作戦通りに鬼神の舞踏ランシフォリアムの身体強化と愛の祈りと勝利の宝剣グラジオラスの武装強化で短期決戦といくわよ!」

「分かっていますわ。 お手を繋いでくださいまし姉さま…」

 

 フロース姉妹は剣を持っていない方の手を絡めて魔法を発動させる。


 魔法とは物理法則とは異なる、この世界を構成する五つの力── 即ちアグニスアクアテルスルクスノクスの五属性の魔力のいずれか、或いは組み合わせたものを収束させて様々な現象を操る業である。


 魔力視は通常に於いて視認出来ないほどに僅な魔力を捉える能力であり、その力が使えずとも収束した魔力がもたらす視覚的効果エフェクトは視認出来る。


 フロース姉妹が用いた二つの魔法、身体能力を増強する “鬼神の舞踏”と手にした武器に魔力付与エンチャントを施す “愛の祈りと勝利の宝剣”がもたらした視覚的効果はニーズヘッグに姉妹の持つ脅威を認識させて余りあった。 フロース姉妹の全身からは血のように朱い光が揺らめき、周囲の空間は膨大な魔力により僅かな歪みを見せる。 また、姉妹が手にした細身の長剣には光の魔力ルクス・フォルティアが収束し攻撃範囲と威力の両方を兼ね備えた伝説級武器レジェンダリーウェポン並の性能をもたらした。

 

 ニーズヘッグは六本腕で完全防御の構えをとる。 既にニーズヘッグの頭には、フロース姉妹との闘い以外の全ての思考が消えさっていた。


「準備は良いいかしら? エリス」

「勿論ですわ! いきましょう、姉さま!」


 フロース姉妹は繋いでいた手を離しニーズヘッグと姉妹を隔てる空間を舞踏ぶとうのように軽やかに、それでいて尋常ならざる疾さで駆け抜けてニーズヘッグに斬りかかる。


 接敵する際の速度をそのまま剣に乗せたリリアの左斜め下からの斬り上げを、ニーズヘッグは受け止めた。 右側の腕二本を犠牲にして、どうにか剣撃の勢いを殺し、三本目の腕で刀身を捉える。 その刃はニーズヘッグの強靭な骨肉を容易に切り裂く程に鋭利だった。

 

 ニーズヘッグが二本の腕は差し出した代わりに手に入れた反撃の好機。 しかし、ニーズヘッグが反撃を繰り出すより疾く、リリアの初撃と交差する軌道で、エリスが右斜め下から斬り上げを放つ。


 その剣撃はニーズヘッグが掴んでいたリリアの剣の背を叩き、加速させる。 再び勢いを得たリリアの剣は、掴んでいたニーズヘッグの 腕を斬り飛ばして、そのまま胴体を切り裂いた。

 

 ニーズヘッグの肉体は強固な外殻と強靭な骨肉により驚異的な耐久力を持っていたが、胴体に受けた傷は決して浅くはなかった。 何故ならリリアの放った一撃は、攻撃後の隙など一切考えていない防御を捨てた全力の一撃であったからだ。 故にニーズヘッグは今こそ反撃の好機とばかりに必殺の剛腕を繰り出す。


 その手に剣を持たずともニーズヘッグの剛腕は一撃で巨人すら屠り去る程の暴威を宿している。 その上、三本の腕を同時に放つ事で圧倒的な攻撃範囲を誇り、防御も回避も不可能であると言えた。


 迫り来る死の一撃を前にしてもリリアの表情には一切の恐怖も絶望も感じられない。 その理由はただ一つ。 彼女にはこの世で最も信頼し、命を預けられる妹がいるからだ。


 エリス・フロースの持つ最大の能力は冷静に状況を分析し、最適な行動を即座に選択する判断力にあると言えた。 時にその能力は未来を予知するかの様な精度をみせる。


 エリスは一瞬の攻防の中でニーズヘッグの狙いは、肉を切らせて命を絶つ捨て身の戦術にあると予測して、初撃を放った後、即座に迎撃の体勢を整えていた。


 愛する姉を絶対に守りきるというエリスの強固なる意思に呼応して、握り締めた剣はより一層輝きを纏う。 ニーズヘッグの反撃に対応してエリスは腰だめの姿勢から神速の剣を走らせ、死の一撃を向かえ討つ。


 それは攻撃範囲、速度、威力、タイミングその全てが完璧に噛み合った正に神技であった。 故にニーズヘッグの三本の腕はリリアに届くより先に斬り飛ばされ、地面に転がっていた。


「本当に姉さまは世話が焼けますわね…」

「それだけエリスを信頼してるって事だよ? さぁて、さっさと終わらせちゃいましょう!」

 

 フロース姉妹は空いている方の手を繋ぎ、優雅に舞い踊るように廻りながら、連続で斬撃を繰り出した。


 全ての腕を斬り落とされ、防御する手立てをなくしたニーズヘッグを一切の容赦なく切り刻む死の舞踏。 姉妹が廻る度にニーズヘッグの堅牢なる外殻が、筋繊維が、骨が、臓物が切り裂かれ血飛沫ちしぶきが咲いた。


 フロース姉妹が舞終えた時、ニーズヘッグは辛うじて頭部を判別できるだけのぴくぴくとうごめく肉塊と成り果てていた。

 

 全身を苛む激痛の中でニーズヘッグは狂喜きょうきした。 これ程までに強き者達は、未だかつて合間見えた事がなかった。


 フロース姉妹は個々の実力が高いだけではない。 お互いがお互いを高め合い、欠点を補い合っている。 まるで二人で一つの生き物であるかのような完璧な連携だ。


「素晴らしい… 汝らの業、誠に美事… よもや我が… ここまで追い詰められようとは…」

 

 血を吐き、途切れ途切れになりながらもフロース姉妹を称賛しょうさんするニーズヘッグ。


「姉さま、まだ生きてますわ。 早く止めを」

「そうね、一思いに息の根を止めてあげる…」

 

 既にこの闘いに於ける勝敗は決まっているかのように見える。 しかし、極限の死闘に於いては勝利を確信した瞬間にこそ魔が潜む。 狂おしいほどに運命を翻弄ほんろうする残忍なる“魔”が。


「まだ喰らい足りぬ… もっと… 味あわせてくれ…」

 

 突如としてニーズヘッグの全身が蠢く。


 その頭部には十三の瞳が開かれ、血のように赫い輝きを湛えていた。


「姉さま、何か変ですわっ! 離れてくださいましっ!」

 

 エリスが叫ぶとほぼ同時に、ニーズヘッグの全身から、無数の矢のようなものが高速で放たれた。 それは骨の破片を強靭な筋肉により体外に射出する、ニーズヘッグの奥の手であった。


「エリスッ! エリス… 何で… こんな…」


 いち早く攻撃の気配を察していたエリスは、全身を盾としてリリアの前に立ち塞がり、最愛の姉を骨矢ほねやから護っていた。 エリスは身体中を貫かれ、血を吹き出してくずおれる。


「姉さま… 怪我は… ないですの?」

「エリス、こんな時に私の心配なんてッ!」

「姉さまが無事なら… まだわたし達は負けてはいません……そうですわよね?」


 身体中に致命的な傷を負ったエリスとは対称的に、ニーズヘッグの肉体は十全じゅうぜんな状態を取り戻しつつあった。 十三の瞳の封印カルネージアイズが解かれた事による超再生能力のたまものだ。


 解かれた能力はそれだけではない。 既に再生を終えた六本の腕は異形の大剣を引き抜く。 ニーズヘッグに最早、全ての毒や呪いの類いは通用せず、外殻は更に硬く、筋肉は更に強靭になり、全身に魔法攻撃を減衰げんすいさせる被膜を纏っていた。


 そして十三番目の瞳が封じていた異能力、忌まわしき大群勢マレフィクスレギオン。 それはニーズヘッグがこれまでに喰らってきた、数多の忌まわしき者共を解放する能力。


 ニーズヘッグ自身が忌避きひし、封じ続けてきた力は解き放たれた。 今やニーズヘッグはこの世に並ぶ者のない絶対的な超越者と化していた。


 






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