第13話 ロジーナ姫
洞窟の床に放り出された私は泣きながら竜に向ってののしっていた。
「ヴォルを殺したわね。ひどい、あんまりよ!」
手元に転がっていた石を私は竜に投げつけた。竜の目は変わらない。
出迎えたセイラさんが、顔色を変えて私に言った。
「私の物を盗もうとしたのだから、殺して当たり前だって。今度、逃げ出したら、殺すって!」
「誰があんたの物なの! 私は誰の物でもないわ! 殺す? じゃあ、今、殺したら! そしたら、あんたは二度と私の歌が聞けないんだから!」
私は大声で喚き、激しくなきじゃくった。もう、何もかもどうでも良かった。
「駄目よ! そんなこと言ったら。さ、こっちに来て!」
私はセイラさんに連れられて元の部屋に戻され、ドアに鍵をかけられた。
「今日はそこに一日中いるようにってファニが言ってる」
「出してよ! ここから出して!!!」
私は拳で思いっきりドアを叩いたが、何の反応もなかった。
逃げても無駄なんだわ……。あの竜を倒さない限り!
たとえ逃げてケルサに戻っても、あの竜はやってくる。いつまでも隠れて過すわけにはいかない。竜を倒すしかないのだ。
どうしたらいい。どうやったら、倒せる。竜にだって、弱点はある筈よ。
私は泣きながらいつのまにか眠っていた。
扉の開く音で私は目を覚ました。セイラさんが食事を持って来てくれていた。
「落ち着いた?」
私は答えたくなかった。
「ねえ、セイラさん」
「何?」
「竜はどうしたら倒せるの?」
「無理よ。ファニの鱗。金色に輝く鱗。あれで全身、覆われているの。あの鱗がある限り、剣で貫けない」
「でも、何か欠点がある筈よ」
セイラさんがほっと、ため息をついた。まるで、子供の戯れ言を聞いた母親のようだ。
「それより、一体どうやって逃げたの? びっくりしたわ。今朝いなくなってて」
私は迷った。ヴォルの話をしていいのだろうか? ヴォルはもう死んでしまった。それなら別に構わないだろう。もう、ヴォルが私を迎えに来る事はないのだから。
「私ね、森の中で狼に歌を歌った事があるの。馬で森の中の道を歩いていたら、いきなり大きな灰色狼が現れて。私、怖くて、必死になって歌ったの。私、怖くて怖くて仕方がなくなると歌ってしまうの。それで、その時の狼がヴォルだったのよ。森の王じゃないかと思うわ。人の言葉を話せるし。ヴォルは私の歌を気に入ってくれて、助けに来てくれたの。私はヴォルの背中に乗って逃げたのよ」
「でも、割れ目があった筈よ。あそこはどうしたの?」
「ヴォルが飛んでくれたの。割れ目が狭くなっている所があるの。そこを飛び越えたのよ」
「あの割れ目を飛び越えるなんて!」
「でも、ヴォルは死んだわ。竜に焼き殺されて! ひどい!」
私はもう一度泣き出した。セイラさんが私の背中をさする。暖かい手。セイラさんの優しさに涙が止らない。
「さ、このスープを飲んで。ね、何かお腹に入れた方がいいわ」
セイラさんは食事を置いて、部屋を出て行った。
翌朝、朝食の席で、またしてもロジーナ姫から嫌味を言われた。
「あらあら、逃げ出した歌姫さんじゃない。やっぱり、殿方が迎えに来たのね。いつか誰かが外からやってくると思っていたわ。あなたが一人で逃げ出せるわけがないもの。で、救援隊はいつ来るの?」
私はセイラさんを見た。セイラさんが首を振る。セイラさんは、ヴォルの話を皆にしていないようだ。
「ごめんなさい。救援隊は来ないんです。ヴォルは殿方じゃありません。ヴォルは狼、森の王です。狼じゃなければ、割れ目を飛び越えられない!」
ロジーナ姫が、おやという顔をした。肉の間に埋もれたような細い目が精一杯大きく見開かれる。片方の柳眉がきりっと持ち上げられた。
「狼! やはりね、こんな色気も何もない子供の所に、殿方が忍んで来るなんてあるわけないもの!」
この人は姫君のくせにどうしてこういう下世話な言い方をするのだろう。
「それで」
ロジーナ姫は、言葉を切った。私に続きを話せという意味だろう。
「それでって、あの?」
「あなたは噂に聞く割れ目を飛んで逃げた。それで、その後どうしたの? 山道を下ったの? 登ったの? どっち? あなた、もちろん道は覚えてるんでしょうね?」
「えっと、あの、すいません。途中で気を失って……」
「役に立たない子ね。狼に飛び越えられる割れ目なら、私たち人間が工夫して越えられない筈はないでしょう。道さえわかれば、逃げ出す算段がつくのに。使えない子ね」
「そんな! 使えないなんて、ひどい! まさか、ここに戻ってくるなんて思ってなかったし。逃げるのに精一杯で、夜だったし、ヴォル、えーっと、狼さんの名前です、ヴォルに全部まかせてたんです。第一、逃げ出したってすぐに竜が捕まえに来るんだから、無駄じゃないですか! そういうあなたは逃げようとはしなかったんですか?」
「まあ、生意気だこと。教えてあげるわ。ファニは出掛けていないし、ちょうどいい機会だわ。いい事、私が今まで、逃げ出す方法を探していなかったと思うの! だけど、竜を倒さないと無駄なのよ」
「だったら、竜を倒す方法を考えればいい!」
「考えたわ。倒せるわよ。いいこと、私たち、王族はね、考えるのが仕事なの。この洞窟に残されたたくさんの本をひっくり返して、情報を探して、考えたわ」
ロジーナ姫がいきり立って言った。とてもあの、無気力な姫君と同じだとは思えない。セイラさんも驚いた顔をして見ている。一体、どうしたというのだろう。
「何を不思議そうに見ているの。いいから、聞きなさい。竜を倒す方法なら山ほど考えたわ。だけど、ここにいる人間ではだめなのよ。かよわい女性や老人ではね。ファニはちゃんと人を選んで連れて来ているの。決して自分に歯向かうような若者は連れて来ない。若い男なんて絶対に連れて来ないのよ。そして、ファニを倒すには強い力がいる。私達では駄目なのよ。だから、私は竜を倒す方法を木片に刻んで湖に投げたの。誰も知らなかったでしょ。私の部屋には窓があるのよ。そこから投げたわ。もしかしたら、下流まで流れて行って誰かの目に停まるかもしれない。そう思って、毎日、毎日、投げ続けたわよ。でも、いつまで経っても、外から連絡は来ない。いくら投げたって無駄なのよ。みんな竜にさらわれたら、すぐに殺されたって思ってる。死んだ人間の事なんて、みんなすぐに忘れるのよ。投げたって無駄なのよ! 私は木片を投げるのをやめたわ! 諦めたのよ!」
ロジーナ姫は肩で息をしていた。興奮したせいか、顔が真っ赤だ。私は迫力に押されながらも聞いていた。
「どうやって? どうやって、倒すんです?」
「いろいろあるわ。例えば、剣を使える若者がいればだけど、竜の翼は鱗に覆われていない。だから、剣で切れる筈よ。飛べなくなった竜を、洞窟から突き落とす。或は、目に剣を突き立てる。目も鱗に覆われてないでしょ。それから、竜に眠り薬入りのお酒を飲ませて洞窟から突き落とす。お酒と眠り薬がいるけど。あとは、竜の寝床の上に落とし天井を作る。竜は私たちが何をしようと無関心だもの。竜を生き埋めにする仕掛けを作っていても竜は気が付かない筈よ。竜がどれくらいの重さまで耐えられるか、知って置かないと失敗するけれど」
ロジーナ姫が私をきっと睨んだ。
「どう、わかった? 竜を倒す方法なんてね、山程考えつくのよ。ただね、総てに共通の欠点があるの。わかる?」
私は黙って首をふる。ロジーナ姫ってこんな人だったの。なんだか凄い!
「私たちの食料はファニに頼っているの。ファニが捕まえてくる魚や羊で命を繋いでいるの。確かに小麦はとれるわ。でも微々たる物なのよ。何かあった時の非常食なの。つまり、竜を倒して、速やかに逃げ出さないと私たちは飢え死にしてしまうのよ」
私は目を見開いた。
「だから、外から救援が来ない事にはどうにもならないの。あなたが逃げ出したなら、道がわかる筈だったのに! 山の中で道に迷って、のたれ死ぬわけには行かない。道がわかれば、大体、何日くらいで山を降りられるかわかるわ。そしたら、どれくらい食料を確保しなければならないかわかる筈だったのに、本当に使えない子ね! エバンズ!」
ロジーナ姫はお付きの人の名前を呼んだ。
「はは!」
矍鑠(かくしゃく)としたお爺さんが立ち上がってロジーナ様に一礼する。
「林の中に狼の足跡がある筈よ。消えない内に目印をつけておいて! 足跡を辿って、狼がどこで割れ目を越えたか、至急、調べて! この子はピーチクパーチク歌うしか能がないから」
お爺さんは、「はっ」と言うと駆け出して行った。なんだか、急にみんなが元気になったみたい。
そうか、割れ目を飛んで逃げられるかもしれないっていう希望がみんなを元気にしたんだわ。
ロジーナ姫は太った体を揺すりながら自分の部屋に戻って行った。
竜は朝食から戻ってくると、早速、私に歌を歌うようにセイラさんを通して命じて来た。歌を促された私は、バルコニーで歌った。悔しいから、「鎮魂の歌」を歌った。暗い歌だ。ヴォルへの哀しみを私は歌にこめた。
竜が私に「風よ届けて」を歌うように命じたけど、私は歌わなかった。
竜が怒って、私を突き飛ばしたけれど、どんなに脅されても「風よ届けて」を歌わなかった。セイラさんが、庇ってくれなかったら私は殺されていたかもしれない。
そして私は、ロジーナ姫の話にある事を思いついた。
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