第8話 野外劇

 とうとう野外劇の初日がやってきた。

 「花火師ジョフレの冒険」は、子爵サイラスが、敵対する伯爵カリストの娘マリーと、それとは知らずに恋をするどたばた劇だ。花火師ジョフレの手引きでマリーとサイラスはハッピーエンドになる。ラストでは花火が上がる。野外劇ならではの趣向で、圧巻だという。

 マリーが、恋人となったサイラスを思って歌う歌「風よ届けて」は難しい歌だ。

 舞台袖で、私は出番を待っていた。「王子のカナリア」発言が効いたのか、野外劇場は超満員だ。私は急に怖くなった。失敗したらどうしよう。

 人の気配を感じて振り返るとエリーゼさんが立っていた。

「あなた、こんな大きな舞台、初めてでしょう」

「ええ、はい……」

 エリーゼさんは私の気持ちを見透かすように言った。

「ふふ、上がってない? 初日にパトロンの殿下が来られないそうね。残念だこと……。ほほほ」

 エリーゼさんは扇で口元を隠して優雅に笑う。

「ね、王子のカナリアさん。殿下が来られないのは、あなたが上がらないように考えて下さったのかしらね……。

 あなたの失敗は王子の失敗。絶対に失敗は出来なくってよ。ちょっとでも音をはずしたり、歌詞を忘れたりしたら、いい笑い者になるわ。そして、笑われるのはあなたじゃない。この国の王子。表敬訪問中の皇女様の前で我が国の王子が笑い者になるの。あなたの失敗は我が国の恥になるのよ。失敗したらもちろん、あなたは死んでお詫びをするのよね。この国の為に。あら、こんな事いったら、ますます上がるかしら? ほほほほほ」

 エリーゼさんは、私にそれだけ言うと、去って行った。

 えっと、それって、それって、失敗したら、私に死ねって事よね?

 違う、そういう覚悟でやれってことよね。

 あんなに優しそうなエリーゼさんが、そんなそんな意地悪言わないわよね?

「ギルベルタさん、次、出番です」

 進行係が私に声をかけた。

「はい!」

 私はエリーゼさんに「死んでお詫びをするのね」と言われ、かえって気持ちが落ち着いた。何故だろう。何度も死にそうになっては助かったからだろうか? 

 何も考えまい。失敗も成功もすべて、私の実力。王子も侯爵夫人も関係ない。

 私は舞台へ踏み出した。


 歌劇は音が途切れる事はない。歌手が歌わない間も、伴奏は流れ続ける。その間、劇のお話をする#話士__わし__#の方が劇を進行させる。私達歌手は普通のお芝居のように台詞を言ったりしない。お話の進行に合わせて歌を歌うのだ。愛の歌を男性歌手と二人で歌ったり、大勢で一緒に歌う事もある。だが、やはり主役は独唱が歌えなければならない。

 満員の劇場。ふとみると柱の影に、レオンだ! 

 レオン!

 レオンったら、そんな地味な格好で仮面までして!

 お忍びで聞きにきてくれたのね!

「風よ届けて」の伴奏が始まった。トルーフという横笛が主旋律を奏でる。ところが、タントルーフが主旋律を奏で始めた。タントルーフは、トルーフより一オクターブ高い音が出る横笛だ。トルーフよりずっと短い。

 え! うそ! タントルーフの伴奏で歌えっていうの。

 ひどい!

 タントルーフの伴奏で歌ったら、高音部が!

 どうしよう! でもでも歌うしかない。

 私は歌った。高音からさらに高音へ!

 誰も歌った事のない高音へ!

 人の声というより楽器に近い高い音!

 全身全霊で歌い上げる!

 野外劇場に広がる澄んだ高音。夜空に広がっていく。

 私は……、歌い切った。

 音楽が止んだ舞台、静まり返る客席。

 パン! パンパンパン!

 誰かが、拍手した。途端に割れんばっかりの喝采が響いた!

 一斉に立ち上がる人々! 拍手、拍手、拍手の嵐。

 怒濤のように押し寄せる賞賛の叫び!

 音楽が再び始まり、話師が舞台を進め始めて、やっと収まった客席。


 舞台袖に戻った私を、エリーゼさんや皆が唖然とした顔で見ている。

「あの、何か?」

「だって、タントルーフの伴奏だったのに……」

「ええ、いつもより高かったんです。私、お屋敷に帰ってから練習してたんです、タントルーフの伴奏で。家庭教師のナハイド先生が、余裕をもって歌えなければいけないって! おかげでなんとか歌えました。突然だったからびっくりしましたけど」

 何故か、みんなはそそくさといなくなった。

 何が起きたの?

 舞台は順調に進んだ。そして、成功の内に終わった。

 最後にあがる花火の音を私達出演者は拍手と喝采の中に聞いていた。

 結局、タントルーフの伴奏に変わったのは、エリーゼさん一派が私を蹴落とそうと、わざとした事だった。だけど、それがかえって私の名声を高めてしまったのだ。

 翌日の新聞もべた褒めだった。

「……アップフェルト嬢は、今まで聞いた事のない高い歌声で我々を魅了した……」

 奥様が嬉しそうに新聞を読んでくれた。

「本当に、タントルーフの伴奏が始まった時は私もどきっとしましたよ。あなたが、歌い続けた時は、感動したわ」

 私は恥ずかしくて口の中でもごもごと、奥様に礼を言った。

 その日、劇場に行くと総支配人から、「昨日と同じタントルーフの伴奏でお願いしますね」と言われた。昨日のハプニングが受けたのだそうだ。何が幸いするかわからない。

 さらに、レオニード殿下から使者が来た。皇女様と一緒に次の満月の日、聞きに来てくれるというのだ。私は昨日、柱の影から聞いていたレオンを思った。

 一体、どんな言い訳をしてこっそり宮殿を抜け出してきたのだろう。あの厳しいバーゼル騎士団長の目をどうやってかいくぐったのだろうと。

 それを思うと私はおかしくて、一人くすくすと笑った。

 そういえば、魔女様にチケットを送ったけど、同じ満月の日だったわ。良かった。魔女様に皇女様のお姿を間近で見て貰える。

 私は魔女様も異国の美しい皇女様の姿を見たいだろうと思った。

 異国の美しい皇女様。どんな人でも魅了せずにはおかない美しい女性。

 きっと、レオンも夢中なのだろうな。だって、歌を聞きにきてくれたなら、楽屋に寄ってくれてもいいのに。きっと私が会いたがっているなんて、これっぽっちも思わないんだわ。

 私はほっとため息をついた。


 次の満月の夜。

 レオンと皇女様がたくさんの人達を従えて野外劇場に来てくれた。

 出演者のみんなは、レオンより皇女様のお出でに舞い上がっていた。異国の美しい皇女様にみんな憧れていたようだ。みんながはりきったので舞台は多いに盛り上がり、劇は順調に進んだ。

 私は出番を待ちながら、ふと気になって、舞台袖から客席を見た。魔女様が私が招待した席に座っている。

 よかった。本当にチケットが届くのか不安だったけど、無事に届いたんだわ。

 次は私の出番。舞台中央にゆっくりと歩み出る。私は心をこめて「風よ届けて」を歌った。

 低音から高音へ。繰り返される主旋律。そして、高音からさらに高音へ。

 レオン、知ってる?

 この歌はあなたを想って歌ってるのよ。

 友達でいいわ。

 子供だってからかわれてもいい。

 好きよ、レオン。

 きっと、ずっとずっと、あなたが好き!

 気持ちよく歌う私の耳に、奇妙な音が聞こえた。

 バサッ、バサッ

 え?

 満月の前を何かが横切った。

 私は、はっとして見上げた。

「きゃあーーーーーーーー!!!!!」

 あの黄金竜が、いつのまにか野外劇場に降り立っていた!

 劇場内が騒然となる。竜が尾を振り回す度に人々がなぎ倒される。逃げ惑う人々。金切り声が聞こえる。

「逃げろ! ギル!」

 私と竜の間にレオンが! レオンが竜に斬りつける! 剣が燃えるように輝く。竜が腕でレオンを払った。弾き飛ばされるレオン。

「いやー!」

 レオンに駆け寄ろうとした瞬間、私を掴む大きなかぎ爪!

 あっといまに空中に持ち上げられた私。飛び立つ竜。

「ギル!」

 声の方を見た。人々の喧噪の中、はっきり聞こえたレオンの声。私は手を伸ばした。

「レオーン!」

 レオンと目があった。怒りを露に剣を片手に立ち尽くすレオン。

「ギル! 待ってろ! 必ず助ける!」

「レオン!」

 私は気を失った。

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