第6話 七つ森
次の休みの日。私は久しぶりに魔女のヤタカ様を訪ねた。
魔女様の家は七つ森の奥深くにある。魔女様の家につくと、魔女様はぽっちゃりとした体をいつもの黒い服に包み白いエプロンをして薬草の仕分けをしていた。魔女様は私を見るなり、手放しで喜んでくれた。
「聞いたわよ。ケルサ祭の初舞台。素晴らしかったわ」
「ありがとうございます! 今日は私、魔女様に御礼がしたくて来たんです」
私は銀貨の入った袋を差し出した。
国立劇場で歌うようになったので、少しだけお給金が出る。侯爵夫人の元でお世話になっているので、私には使い道のないお金だ。魔女様は私がこの国に流れ着いた時、助けてくれた。歌手の道を進めてくれたのも、劇場主のポランさんを紹介してくれたのも魔女様だ。大恩ある魔女様に私は何か御礼がしたかった。
「まあ、ギル、いけないよ、こんな事しちゃあ。これは自分の為にとっておかなきゃ」
「でも、でも。だったら、占っていただいた代金です。ね、魔女様。私が歌手になれたのは魔女様が占ってくれたおかげなんですから」
魔女様がほっと笑顔を浮かべた。
「ギル、そういう事ならありがたく貰っておこうかね」
魔女様は銀貨の入った袋を戸棚にしまった。
「そうだ、一つ頼みがあるんだ、あんたの歌を聞かせてくれないかい?」
「魔女様! はい、魔女様、喜んで!」
魔女様は家の中で聞くのは惜しいからと私を外に連れ出した。魔女様の家は七つ森の奥深くにある一軒家だ。高い樹々に囲まれている。
私は歌った。森の深い樹々の中、小鳥やリス、鹿達が観客だ。私は思いっきり歌った。高く低く。魔女様への感謝の気持ちを歌に込めた。
歌い終わると、魔女様が拍手をしながら立ち上がった。にこにこ笑いながら、私を抱き締める。
「素晴らしいよ、本当になんて素晴らしい。あんたを占った時、水晶玉の中に観客が総立ちになる様子が見えたから安心していたさ、だけど予想以上だね。あんたを助けた時は、まあ、生きているのが不思議なくらいだったのに」
「魔女様」
「あの日、川辺に流れついたあんたは三日三晩熱を出した。てっきり、死んでしまうと思っていたのに、あんたは生き延びた。目が醒めたあんたは恐怖で声も出なかった。それが、国立劇場で歌うようになるなんてね! さ、家にお入り。お茶をいれるよ」
「あの、魔女様、ぜひ、劇場に聞きに来て下さい。私、チケットを贈りますから」
「まあ、素敵! それはぜひ行きたいわ。そうね、だったら、あんたの髪を1本頂戴」
私はヴェールの中から髪を一本取り出すと、きゅっと抜いた。魔女様はその髪の毛を壁にかかっている小さな箱の金具に結んだ。箱にはたくさんの丸い金具がついていてその一つ一つに髪が結ばれている。
「さあ、これで大丈夫。チケットの後ろに『七つ森の魔女ヤタカ宛 ギルベルタ・アップフェルト』と書いてチケットにキスして頂戴。そして、空に向って投げるの。そしたら、必ず私の所に届くから」
「え? それだけで届くんですか?」
「ええ、あんたのサインとキスがこの髪に呼ばれて来るんだよ」
この箱はきっと魔女様の手紙入れなのだろう、髪の毛が結んである人達からの手紙がこの箱に届くのだろうと私は思った。
「髪がなくても届くけど、やっぱり遅くってね。歩いて持って来た方が早い時もあるのよ」
魔女様がころころと笑った。私は魔女様とお茶を飲んでおしゃべりをして、小屋を後にした。
小屋を出た時、陽はまだ高かった。私は馬に揺られながら、ケルサへの道を辿っていた。森の中は木立の影が深く、風が吹き抜けて涼しい。魔女様を訪ねて、幸せな気分だった私は、街の流行り歌を大声で歌っていた。
本当は大声で歌ったりしてはいけなかったのだと思う。樹々が深い影を作る森の中では息をひそめておくべきだったのだ。
それに気が付いた時、すでに遅かった。突然、馬が怯えたように、後ろへあとずさった。
「どうどう」
私は馬を落ち着かせようと首筋をたたいた。
茂みから大きな、大きな灰色狼が姿を表した。
ヒヒーン!
馬は恐怖で後足で立ち上がった。あっと思う間もなく私は地面に放り出されていた。走り去る馬。どうしよう。私は必死になって後ずさった。木立にすがりつく。だが、狼は何もしない。じっと私を見ている。わずかに開いた口から見える鋭い牙。私は知らずに歌い出していた。死を前にすると私は歌いたくなるらしい。無意識だった。
すると、狼が! 狼が目を細めた。えー! うそー! 狼が私の歌を聞いてる?
私は歌いながら、側にあった樹に登った。安全な所まで登っても、私はそのまま歌い続けた。
そして、歌の歌詞を変えた。
「たすけてー、たすけてー、お願い、誰かー助けてー、狼がいるのー
たすけてー、たすけてー、お願い、誰かー助けてー、狼がいるのー
この歌を聞いたらー、助けに来てー、お願い!
あー、あああああー」
私は歌を繰り返した。
どうしよう、歌えなくなったら……。
私はだんだん疲れてきて、声がでなくなり始めていた。とうとう、これ以上歌えないと思った。
ヒュッ
狼がさっと姿を消した。見ると、狼のいた所に1本の矢が!
私はほっとした。きっと猟師だろうと思った。ところが違った!
「ギルベルタ・アップフェルト! こんな所で何をしている!」
「レオン!」
私は唖然とした。美々しい狩猟姿のレオンだった。いや、レオニード殿下とお呼びすべきだろう。レオンは私の登っている樹の側に馬を寄せた。私に手を差し伸べる。私はレオンの手を取るべきか否か迷った。
「どうした? さっさとしろ。狼が戻って来るかもしれん」
「は、はい」
私はレオンの手を取った。レオンがぐいっと私を抱き寄せる。力強い腕。
私を馬に乗せると、レオンが言った。
「こんな所で何故歌っていた? 危険だとは思わなかったのか?」
「狼が私の歌を聞いてくれてたんです! せっかく、気持ちよく歌っていたのに!」
私は嘘をついた。本当は怖くて仕方なかった。でも、レオンにそれを悟られるのは癪だし、一体、私はレオンにどう接したらいいのか、何よりそれがわからなかった。以前と同じように親しくしていいのか、それとも、臣下としての礼を取るべきか……。
「ほう、そうか。だったら、もう一度、樹の上に戻るか?」
レオンが私の腰を持ち上げようとした。
「あ! だめぇーー」
私は慌てて馬にしがみついた。馬がぶふんと首を振る。
「くっくっくっく、大丈夫だ。置き去りにしたりしない」
「もう、また、からかって!」
「殿下!」
その時、ばらばらと騎士達が姿を表した。騎士の一人が言った。
「王子、急に駆け出したのでびっくりしました」
「ああ、この子の歌が聞こえたのでな、こんな森の中で何事かと思って来てみたら狼を歌で宥めていた」
「狼を歌で宥める?!」
「ああ、狼を前に歌っていたんだ。狼はじっと目を細めてこの子の歌を聞いていた」
「ほう、それは凄い!」
騎士達から感嘆の声が洩れる。私は急いで言った。
「あの騎士様方、私はギルベルタ・アップフェルトと申します。国立劇場で前座を務める駆け出しの歌手です。馬上から失礼とは存じますが、お見知りおき下さいませ」
私は頭を下げた。騎士様の一人が馬を寄せて来る。
「これはこれは丁寧な挨拶、なかなかのご器量のようだ。それより、王子、そろそろ戻りませんと」
「ああ、そうだな。鹿も仕留めたし、カナリアも捕まえた。引き上げるか」
捕まえたの言葉に私はむっとしてレオンを見上げた。
その時、騎士の一人が、逃げた私の馬を連れて来てくれた。
「レオン、私、あの馬で帰るわ。もう、大丈夫だと思うから」
「いや、だめだ。このまま、連れて行く」
「ええ! でも、私、今日中に帰らないと!」
「もう、遅い。叔母上には使いを出す。それならいいだろう」
「う! もう、強引なんだから」
私はレオン、いいえ、レオニード殿下が主催された鹿狩りの野営地に連れて行かれた。
大勢の貴族達とその従者、犬の吠え声といった喧噪の中、中央にひと際美しい女の人がいた。赤毛の姫君。あれが皇女様なのだろう。男の服を着てらっしゃる。長く美しい赤い髪は一つにまとめ上げられ、そのまま背中に流していた。
私は奥様の言葉を思い出していた。
──ミレーヌ=ゾフィー様は男装をされるのよ。
素晴らしい剣士で、王子と渡り合える程の腕前なんですって。
あんなに美しくて、ドレスもよくお似合いになられるのに、残念な事。
ただね、ダンスパーティやお茶会が減ったから、私は嬉しいのよ。
年寄りには連日のパーティはとてもとても。
私は皇女様に見とれた。きりりとした様子が、なんて美しいんだろう。
「さ、ついたぞ。ギル、何を見ている」
馬から降りたレオンが私の視線の先を追った。
「ミレーヌ殿か?」
私を鞍から降ろしながらレオンが聞く。
「ええ、とても綺麗な方……」
「剣も強いぞ。素晴らしい剣士だ。紹介しよう」
私はいい機会だと思った。
「あの、レオン。その前にお願いがあります」
「なんだ? 改まって」
私はレオンの目をしっかり見て言った。
「あの……、紹介して下さい。この国の王子様を」
レオンの顔が無表情になった。
「そうだな、まだ、挨拶をしていなかったな。私はレオニード・フォン・ブルメンタール。この国の王子だ」
レオンが帽子を取りわざとらしい礼をする。
私も深々とおじぎをした。
「私はギルベルタ・アップフェルトと申します。国立劇場で今年初舞台を踏んだ新人の歌手です。お見知りおき下さいませ。『殿下』」
レオンが私の二の腕をぐいと掴んだ。低い声で囁く。
「殿下はやめてくれ。レオンでいい。君は……、俺の友人だろう? ギル」
友人? 誰と誰が? 私とレオンが? いや、レオニード殿下が?
「でも、私は平民です。殿下に失礼な真似は出来ません」
「俺にだって気のおけない女友達がいたっていいだろう? 違うか?」
私は何と答えていいかわからなかった。私が黙っているとレオンが冷たい目をして言った。
「そうか、では仕方がない。王子の特権を振るう。ギルベルタ・アップフェルト。君に命じる。以前と同じように俺の友人でいるように」
私ははっとした。
友達が欲しかったの? レオンは?
王子様って対等に付き合える友達が少ないんだわ!
だから身分を隠していたのね。
なんだ、そうなんだ。
いいわ、友達になってあげる。レオニード王子様。
あなたが好きだけど、でも、いいわ。恋なんて、いつか忘れる。
でも、友人なら、きっと一生お友達でいられる。
私は叫んでいた。
「横暴! 何よ、私に命令なんて出来ないんだから! あなたに命令されなくたって、私のお友達にしてあげる。友達になりたいなら最初っからそう言えばいいのよ。素直じゃないんだから!」
「おい、女、殿下に対して無礼であろう。なんという物言いだ!」
いつのまにか、まわりに人が集まっていた。側近の方なのだろう、髭をはやした大男が怖い顔をして私を睨んだ。
「仕方ないじゃありませんか! 私はたった今、殿下からこういう口の利き方をするように命じられたんですから!」
「くっくっくっくっく」
レオンが笑い出した。
「よい、いいのだ。その者の言った通りだ。皆の者、紹介しよう。私の友人にして、私のカナリア。今年、国立劇場で初舞台を踏んだギルベルタ・アップフェルト嬢だ。素晴らしい歌声の持ち主だ。我が叔母、ローゼンタール侯爵夫人の屋敷に滞在している。皆、見知り置くように」
私は周りの人々に向って深々とおじぎをした。
周りから、「王子が『私のカナリア』と言ったぞ」「『王子のカナリア』だ」というひそひそ声がする。私は誰の物でもないわと言い返したかったが、貴族様に口答えするわけにはいかない。顔をあげると鈴をふるような美しい声が響いた。
「まあ、可愛らしいカナリアですこと。私にも紹介してくださいな」
ミレーヌ=ゾフィー様だ! なんて美しい声をしているのだろう。レオンは私をミレーヌ様に紹介して下さった。
「殿下のご友人なら、私にとっても友人。仲良くして下さいね」
「は、はい、もちろんでございます」
私はしどろもどろになって答えた。こんな美しい姫君が私に仲良くしてくれとおっしゃって下さる。私は信じられなかった。ミレーヌ=ゾフィー様は、ほほと笑いながら宴会の席に向われた。私は立ち去る皇女様の背中を見ながら、思わず、ほっぺたをつねっていた。
「殿下、私にも紹介して下さい。殿下のカナリアなら、我々で守らねばなりません」
「バーゼル、そうだな、ちょうどいい。守りの騎士を二名彼女につけてくれ。人選は任せる。ギル、俺の片腕のバーゼルだ」
「お初にお目にかかります。アップフェルト嬢。赤獅子騎士団団長、ハインリッヒ・フォン・バーゼルです。お見知り置きを」
バーゼル騎士団長は、栗色の長い髪、濃い青い瞳をした長身の若者だった。レオンより幾つか年は上だろうか?
私は、よろしくお願いしますと深々と頭を下げた。
やがて、宴会が始まった。その日どんな獲物を仕留めたか、騎士様達が自慢しあう。獲物の数や大きさに合わせて、レオニード殿下が人々に褒美を与えた。
そして、私はレオニード殿下、いいえ、レオンの為に歌った。
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