第25話 甘く柔らかな誘惑
「俺がいた世界のホテルみたいだ…」
広い廊下には真っ白い薄い石のようなつるつるした素材で作られた扉が並んでいる。
その中の一つを、金色のドアノブを捻って開けた
信の肩越しに部屋を覗き込んだハティとスコルも、予想以上の自分たちの待遇に驚きを隠しきれないようだ。
「客室だ。一人一部屋はあるので好きに使ってくれ。父上の時代から碌に使ってはいないが…ゴーレムたちに手入れはさせている。問題が在れば遠慮なくそこの小型ゴーレムに申し付けるといい」
「オノール王女はどこへいかれるんです?」
モノクルを人差し指で直して、背を向けようとしたオノールは、信に呼び止められると立ち止まって、不機嫌そうな顔を向けた。
「王女ではない。俺様は王だ。なんにせよ俺様が王になってから初めての宴だ。こちらにも準備はあるのだよ」
そう言ってどこかへ消えていったオノールを三人は見送ると、顔を見合わせた。
「とりあえず…お言葉に甘えるとするか。後でな」
それぞれ目の前の部屋に入っていくのを見守って、信も目の前にある部屋へと足を踏み入れた。
床には灰色の分厚い絨毯が敷かれているのか、靴越しにも関わらず足元がふかふかとする。ベッドに腰掛けると、スプリングがしっかりと自分の体重を押し返してくる。
元いた世界に近い文化水準に驚きながらも、懐かしさと安心感が湧き出してきた信は、やわらかそうな真っ白い枕に顔をうずめるようにして体を横たわらせる。
予想通り、枕はやわらかくて、そしてポプリのような優しい良い香りが漂ってくる。
「思ったより…疲れてたのかな…」
そんな独り言を漏らしながら、信は抗えない心地よさに身を任せるように目を閉じた。
※※※
「うう…」
腹から胸にかけて何かが乗っているかのような息苦しさを覚えて、信は目をゆっくりと開こうとした。
目を閉じる前に明るかった部屋の中は薄暗く、なにやら甘い香りが鼻腔を刺激する中、目に入ってきた見覚えのある銀髪の女性に驚いて体を起こそうとする。
しかし、それは自分の上に跨るように伸し掛かっている女性の石像のように灰色になっている右手によって難なく阻止された。
「なんのつもりなんですか?」
信は、先程までとは別人のように扇状的な格好をしているオノールを睨みつける。
布の向こう側が透けるほど薄い衣の下はコルセットという格好をしているオノールは、そんな信の唇に自分の人差し指を当てながら妖艶な笑みを浮かべる。
「お前の欲望の赴くまま俺様を扱ってもいい許可をやろう」
信が眉を顰めるのを見ても動じずに、人差し指を彼の唇から顎…そして首へと滑らせながらオノールは囁いた。
「あの狼どもやドラゴンはともかく、お前は弱い。悪いことは言わない。俺様と此処に残れ」
「何を…」
「お前は使命感ではなく欲望だけでここまで来たとあの黒い狼も言っていた。ならば、貴様のその欲望を俺様が満たしてやろうと言っているのだ」
オノールが纏っていた透けている布をまくりあげ、信を押さえつけていた手を離し、コルセットの胸元の革紐を緩めるために体を起こす。
「その谷間を…しまってくれ」
信はオノールの手首を掴んで首を横に振った。予想もしていなかった行動にオノールが目を丸くして口をあんぐりと開ける。
「は?」
「巨乳が好きだからってな…全部脱いだらそれはそれで違うんだよ!安易に脱ぐのは違うだろ!まずその!ひらひらのやけについたスケスケの布!それはそれでいいけれど…オノール王はさっき自分が王女であることを否定しましたよね?じゃあそこは王である威厳を捨ててこんな男に媚びを売るような格好をするのは解釈違いじゃないですか。あのフォーマルで華美な鮮やかなエメラルドグリーンの神秘的に光る長い外套!前開きの外套から見えるボタン付きの絹のシャツ…そして大きめの魔石を利用した外套を止めるブローチ…それになによりも年代物なので恐らく先代の王から譲り受けたものである太めの竜の顔を模したバックルが付いたベルトと鮮やかな黄色のタイツ…しかも短パンは履いていない…その格好の方が俺の下心は激しく揺れましたよ!今のその露わになっている谷間とコルセットから見えそうなミルク入りの紅茶のような薄い色の乳輪よりもですね…俺はシャツに押さえつけられてボタンが限界までがんばっている隙間から見える谷間が好きなんですよ」
「え…」
信の体に跨っていたオノールの顔がみるみるうちに引きつっていく。しかし、信は更に話すことがあるようで、自分の上から退いた彼女の手を掴んで止めた。
「いいですか?もし夜這いをするつもりならやり直ししてください!ギャップを狙いたいのならもっとこう…王として威厳は保ちたいけれど本当は可愛いものが好きだとか…実は女としても誰かに好かれたいと思ってるとか…そういうヒントがあるでしょう?さっき王女って呼んで怒った相手にそんな女全開で迫るのはなんていうかもう滅茶苦茶じゃないですか」
「は、はい…」
オノールは信が手を離した途端、足元に落ちていた外套を手早く身にまとい扉の方へ向かう。
出ていく彼女を見届けようと、扉の方へ目を向けようと視線を上げた時、くぐもった声と濡れた柔らかいものから空気が漏れる音がした。
オノールの体から切り落とされた首が、真っ黒な犬の魔物に変化して灰色の絨毯の上に音もなく落ちる。
胴体から吹き出した血が壁と扉を濡らし、落ちた首から流れた血はジワジワと絨毯の上に滲みていくのを見ていた信は、彼女の胴体の向こうに人影があることに気がついて慌てて立ち上がった。
「オノール王?」
「チッ!見慣れない魔力の痕跡があると思ったら…。クソ…今後は魔力の波長で偽物を判断出来るようにならなければいかんな」
魔物の血を浴びながらそこに立っていたのは紛れもなくオノールだった。信は手にした剣を思わず落としそうになりながら間抜けな声を上げる。
「…ほう。あの小賢しい魔物と密室にいて怪我一つないとは。さすがあの烏共の試練をくぐり抜けてきた勇者と言うだけのことはある」
「え?どういうこと?」
ベルトにぶらさげてある小さな鞄からハンカチを取り出して顔とモノクルを吹いたオノールは、信の肩を叩いて満足そうに頷いた。
信が呆気にとられながら首を傾げて廊下にいるオノールの方へと近付いていくと、他の部屋の扉が勢いよく開いてスコルとハティが慌てた顔で飛び出してくる。
ハティの胸元には、怯えた顔をしているナビネが抱かれていた。
「シノブ!無事だったか?お前の見た目をした魔物が部屋に来たんだ。臭いが違ったからあたしは無事だったが…お前の方は」
スコルはそこまで言うと、血塗れのオノールを見て口を閉じて、剣を構える。信は、スコルの方へ駆け寄ると、さっきまで自分の部屋に偽のオノールが来ていたことと、目の前にいる彼女が自分を助けてくれたことをハティとスコルに話した。
「…ってことは、あんたが本物ってわけか?」
オノールに向けていた剣を収めたスコルは、鋭い目で彼女をにらみながらそう尋ねる。
しかし、銀髪の男装の麗人はかけているモノクルを指で押し上げながら首を横に振るのだった。
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