第26話 第六章 カリム強襲①

 森林地帯『プレンティファル』にある『光の丘』。眩い光が昼夜を問わず発し続けるソル・ツリーが群生する丘に、似合わぬ闇が佇んでいる。太陽の黒点のように光の中にある黒いマントは風にたなびき、男の発する圧力をより大きく見せていた。

「カリム様……」

 部下の声に気が付いて、カリムは後ろを振り向く。視線を下に向ければ、寒くもないのに震えた体を地面に張り付かせる部下の姿があった。

 名は確か……カスペルと言ったはずだ。この様子だとハズレらしい、とカリムは内心ため息をつく。

「申し訳ございません。アクア・ポセイドラゴンを捜索したものの、見つかりませんでした。で、ですが痕跡らしきものは発見できましたので、もう少々お待ちくだされば」

「喋るな」

 鈍器で殴りつけるかのような声に、カスペルは呼吸すら忘れて黙りこむ。

「お前らが役立たずなのは知っているが、これほどとはな。さて、どうするか?」

 カリムは腕を組み、二の腕を人差し指でリズミカルに叩く。風の音に交じって聞こえるその音は、時計の針のように正確で、熱しかけた頭を冷やすのに丁度良い。

「む……」

 冷静さが戻ってくるにつれて、周りを観察する余裕が生まれた。光の丘の斜面を下った先に広がる広大な森。そのちょうど中央に位置する場所に、商業都市フラデンが忌々しくも陣取っている。

 人の目では決して見えない距離だが、カリムからは町の様子が細やかなところまで見分けられた。男、女、子供。体格や性別の違いはあれ、どれも同じように醜い生き物が蠢く町は、すぐにでも焼き払いたい対象だ。

「待て。焼き払いたい……か」

 引っかかるものを感じ、思考の湖から慎重に情報を引っぱり上げて、一つのアイデアにまとめ上げていく。初めは泥を積むようなもので、なかなか形にならなかったが、やがてそれは一個の素晴らしい作品へとなる。

「クフフ、ハーハハハハハ」

「カ、カリム様?」

「すぐに支度しろ」

 唐突な大声に、カスペルは肝を冷やし、ひざまずいたまま背筋を正した。

「どういうことでしょうか?」

「あいつらをおびき寄せる方法だ」

 カリムは部下の男に近づくと、耳元でその方法を告げ、残りの部下達にも伝えるように命じて下がらせた。

「滑稽だな」

 耳元でささやいた時、面白いほど瞬時にカスペルの顔色が青く変化したものだから、おかしくてたまらない。

 吹き付ける風がまた、カリムのマントを揺らした。不規則に方向を変えて吹く風によって、マントはその都度、揺れ方を変えた。

「ヒィ」

 すでにカリムからかなり離れた位置にいた部下の男は、後ろを振り向いて情けない声を上げ、逃げるように仲間の元へ駆け出した。

 黒いマントが黒炎のように自在に動き、光を塗りつぶすウロボロスがカリムの体から発せられる。

 【インフェルノ】

 カリムの今の姿はそう形容するにふさわしい。地獄の業火の如き黒きウロボロスは、際限なく広がり、光の丘を飲み込む。このままどこまでも覆いつくしてしまいそうだったが、唐突にこれまでで一番強い風が吹いた。大男でも体が浮くような強風が、みるみるうちに黒きウロボロスをさらっていく。

 ――しばらくの後、ウロボロスは完全に消え去った。後に残されたのは、地面がひび割れるほどの膂力で踏みつけたことが分かる、死神の足跡が一つだけだった。

 ※

「フン」

 気迫のこもった声とともに振るった黒羽の一撃は、大岩を水平に両断した。

「やったわね秋仁」

 刀へと変化したサンクトゥスの一体どこに口があるのか分からないが、ともかく褒められたので黒羽は「ああ」と短く返事をする。

「だいたいウロボロスを吸収した状態での感覚は掴んできたかな。それにしても見事に刀に変化しているな。いつも使ってた日本刀とそれほど大差ない感じだ」

「でしょ? 全く疑い深いんだから。ちゃんと見た目だけじゃなくて性能も本物よ」

 岩を切った時点で、本物よりも凄い武器である。

 だが、黒羽はこの程度トゥルーならば常識だ、と思いあえて何も言わずにいたが、両手を口に当てて、目を丸くして驚いているレアを見て、トゥルーの常識に照らし合わせても非常識なのだと理解する。

「にしても、漫画の主人公みたいな力を扱えるようになっても、ちっとも楽じゃないな」

 ウロボロスを使った反動だろう。体が鉛のように重く、正直立っているのも億劫に感じるほどだ。

「……もっと時間があって特訓できれば、ウロボロスが体に馴染んで疲れにくくなるかもしれないわね。でも、あなたの都合で考えると、今日と明日で兄さんを止めないといけないのだったわね。ハア、無茶な人と契約したものだわ」

「おいおい、今頃後悔か?」

「言っておくけど、明日までに兄さんを止められなかったとしても、私に力を貸してもらうわよ。本当だったら、こんな計画性のないやり方じゃなくて、確実に戦えるようになってから挑むわ。最大限譲歩しているんだから、感謝してよね」

 刀の状態でも分かる。きっと彼女は、人の状態だったならば人差し指を黒羽に突き付けているはずだ。

「黒羽さん。それよりもどうやってカリムを見つけるつもりですか?」

「あ!」

 失念していた。カリムを止めることばかりを意識しすぎて、肝心の捜索方法を彼は考えていなかった。アクア・ポセイドラゴンが、呆れたような調子で呟いた。

「全く。お主はツメが甘いのう。それでは肝心な時に、命を落としかねんぞ。……娘よ。お主の魔力はどの程度広範囲に散布できる?」

「散布ですか? うーん」と眉根を寄せて考え込んだレアは、両手を前に掲げ、手の平をうちわのようにひらひらとさせた。

「たぶん……薄い濃度で良いのなら、森の半分くらいはいけるはずです」

 本人はいたって真面目なのだが、先ほどの動作といい表情といい、可愛らしくて黒羽は一人笑ってしまう。

「ハハハ。それで、どうしてヒュ―ンを散布する必要があるんですか?」

「うむ。ヒュ―ンはウロボロスに弾かれる。その性質を逆に利用するのだ。ヤツめは人型になっているだろうから、ウロボロスを常に使っているわけではないだろう。だが、何らかの行動を起こす時は使う可能性がある。そうなればこちらのものだ。弾かれた時に場所が特定できる。そうだろう娘?」

「ええ、ウロボロスに弾かれた時、わずかに妙な感覚がしました。その方法なら、発見しやすくなるかもです」

「なるほどな」

 黒羽はよくそんな方法が思いつくな、と感心した。さっそく試してくれと、レアに声をかけようとした時だった。ふいに大地が揺れた。

「なんだ?」

 地震だろうか? 揺れに驚いて、飛び立つ鳥が空を覆い、狼に似た獣が黒羽の横を通り抜けた。

「いいや。あれを見ろ」

 アクア・ポセイドラゴンが鋭い視線を向ける方向。そこには、空の青を黒く塗りつぶす煙が広がっている。あの方角は確か……

「フラデンが、た、大変なことに。どうしましょう」

「落ち着くんだレア。様子を見に行こう」

 何が起きているのかこの場の誰も分からなかったが、猛烈に嫌な予感がした。

 黒羽は緑色の鍵を使って、扉を出現させた。これから足を踏み入れる場所、つまりは憩いの宿アルシェの二階にある部屋を鮮明にイメージした。質素だが居心地の良い部屋。ベッドの脇にある窓からは、優しく花の匂いが漂い、活気のある街の様子が見える。

「行くぞ」

 鍵を捻り、扉を開く。――前に見た時と変わらない部屋だ……と思ったのは一瞬のこと。足を踏み入れた瞬間に聞こえてきたのは、人々の発する悲鳴と怒号であった。

「秋仁。窓の外をごらんなさい。大変なことになっているわ」

 窓辺に近寄り、通りを見てみれば、サンクトゥスが何を言わんとしているのかが嫌でも理解できた。逃げ惑う人々。燃え盛る建物。折れて道を塞ぐ木。時折視界を塞ぐ黒煙。

 どれもが黒羽の知る光景ではない。むろんレアにとっても、これほど混乱を極める故郷は見たことがなかったはずだ。現に顔は蒼白になり、今にも崩れ落ちそうになっている。

「レアちゃん。しっかりしなさい。まずはエメと宿のお客さんの無事を確認するべきでしょう」

 サンクトゥスの声に、ハッとしたレアは頷くと、脇目も振らずに部屋を飛び出した。急いで追いかけようとした時、「待て」と呼ばれて足が止まった。

「黒羽よ……町の混乱が万が一カリムによるものであった場合は心せよ。死ぬなよ」

 扉の奥で忠告をしてくれたアクア・ポセイドラゴンに礼を言い、黒羽はサンクトゥスとともにレアを追った。

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