第22話 第五章 水の守護者の願い⑥
「集中して秋仁。私の中にあるウロボロスの源、ドラゴニュウム精製炉を意識するの」
「意識するって言ってもな、見たこともないものをどうやってイメージするんだ?」
「難しく考えないの。入れ物の中にある道具を取り出すような感じで、ドラゴニュウム精製炉という箱からウロボロスを取り出すの」
黒羽は困惑していた。カリムとの遭遇に向けてウロボロスを扱う特訓を開始したはいいものの、全く上手くいかない。レアとアクア・ポセイドラゴンは、離れた場所からそんな二人の様子を見て、苦笑している。
「なあ、ドラゴニュウム精製炉ってそもそもなんだ?」という素朴な疑問に、「ドラゴンだけが持つ臓器ね。心臓とか胃と同じ。ウロボロスを生み出すのが役目ね」と答えてくれた。
いまいちピンとこないので、黒羽はさらに質問を重ねた。問いに対する答えは、黒羽の持つ刀から聞こえてくる。
「どんな形してるんだ?」
「さあ? 知らないわよ。体の中にあるんだもの。あなただって、心臓を見たことないでしょう」
「実物はないけど、テレビでだったら見たことあるぞ」
――しばし沈黙が流れた。刀になった彼女の様子は目では判断できないので、反応に困る。あと数秒返事がないようなら、名前を呼んでみようと思った時にやっと答えが返ってきた。
「あのテレビってけっこうエグイ道具なのね」
「エグイ道具って……たんに治療する様子を流していただけだぞ」
「治療? 始まりの世界の人達ってどんな方法で治療するの」
凄く驚いているようだ。面白いので、さらにビックリさせてやろう、と黒羽は声を低くして恐怖をあおるように話した。
「病気や怪我の状態にもよるけど、鋭いナイフで腹を裂いて、悪い部分を切除したり、針と糸で縫ったりするかな」
「切る、縫う……治療なのに、それは拷問だわ。ねえ、す、少し休憩して良いかしら。気持ち悪くなったわ」
刀が光りを発し、数瞬で人間の女性の姿になる。顔は蒼白で、形の良い眉が眉間に寄っていた。
「ごめん。妙なこと言っちゃったな」
「いえ、良いのよ。私があなた達の文化を知らなすぎるだけよ」
向かい合う形で二人は腰を下ろした。そこら一帯には、黒羽がなんとか生み出せた出来損ないのウロボロスが漂っている。気体のようだが、液体のようでもある不思議な物体。眺めていると、ここは異世界なのだと強く感じる光景だ。しかし、この世界の人々にとって、これはそう不可思議に映るものではないのだろう。そう思うと、自分はこの世界の異物なのだと、黒羽は仲間はずれの気分になってしまう。
――と思ったのも束の間、真後ろに流れる川と変わっている形であるものの、見慣れてくればただの木にしか過ぎないロッグ・ツリーに意識を向けると、沖縄の大自然の中にいるようにふと感じた。
「なんだか『やんばる』にいるみたいだな」
「?」
首を少し傾けるサンクトゥス。具合はまだ悪いようだ。意外と繊細な女性なのかもしれない。彼女の気持ちを紛らわせるためにも、黒羽は話すことにした。昔、祖父が連れて行ってくれた沖縄の豊かな大自然について。
「俺の家と店はさ、沖縄って呼ばれる島にあるんだ。で、沖縄は大まかに分けると北部、中部、南部の三ブロックあって、『やんばる』は北部一帯を指す言葉だよ。北部は自然が豊かで、不思議な生き物が沢山いるんだ」
「不思議? 槍でも飛ばすのかしら」
予想外の発言に少し戸惑ってから大声で笑う。黒羽は目を閉じて、故郷にある深い森を思い浮かべた。
「違うよ。くちばしが真っ赤なヤンバルクイナって鳥だとか、近くで見ると分かるんだけど、凛々しい顔立ちのクロイワトカゲモドキとか、珍しい生き物が生息しているんだ」
木々の隙間から降り注ぐ日の光、踏みしめる土の感触と吹き出す汗。濃い森のにおいに肺を満たしながら歩くと出会う生き物達。やんばるで感じたそれらを一言で表現するならば命、そして、ここに存在するのもまた命だ。そう思うと、途端に仲間外れなどどこにもいない、自身もただの命で、世界をまたいでもそれは同じだと黒羽は強く感じた。安心感が体の至るところに漲り、黒羽はさらに饒舌に語りだす。
身振り手振りを交えながら話すと、彼女は、相づちを打ち、時に質問をする。夢中で話を聞くうちに、どうやら具合も良くなったようだ。サンクトゥスはあどけない少女のように笑った。
「そうなの。ジョークがお好きな方だったのね、あなたのお爺さん」
「まあ、そうだな。……うん。なんか、分かってきた気がする」
立ち上がり、大きく伸びをする。そうだ。彼女は初めから言っていた。難しく考えすぎたのだ。もっとシンプルにいこう。一人納得した黒羽に、サンクトゥスが小首を傾げる。
「分かったって何の話」
「ウロボロスさ。俺はこの力を物語でしか登場しないものとして、心のどこかで考えていたんだろう。でも、そうじゃない。体を動かして物を遠くに投げるように、声帯を震わせて声を出すように、変に身構えずにあくまで自然に扱おうと思えば、もっと簡単に使えるものなんじゃないかな。よし、再開しよう」
瞬時に刀に変身したサンクトゥスを掴むと、黒羽は意識を集中させる。見えない手で、箱の中にあるウロボロスを、ボールのように持つ己の姿をイメージした。
「……」
ふわりと温かな光が、刀からわずかに漏れ出るのを黒羽は感じた。ここまでは、さっきもできたのだ。
――もっと、もっとだ。
ボールよりも液体の方がイメージしやすいかもしれない。黒羽は水面に手を沈めて、すくった水を宙に跳ね上げるように、ウロボロスをすくって、宙に放り投げた自身の姿を思い浮べる。
「……!」
先ほどよりも勢いよく放出されたウロボロスが、目の前を横切る。黒羽は空いた方の手を、白い光の中に差し込んだ。
「秋仁。ウロボロスを体内に吸収して。体の隅々まで行き渡らせるの」
スポンジが触れた水を内に取り込むように、手からウロボロスを吸い込む。
じわりと額から流れる汗が頬を伝い、わずかに集中が途切れそうになるが、すんでのところで踏ん張った。
魔力が手から入り、血管を通って全身に行き渡る感覚。思ったよりも異物感はなく、心地良ささえ感じる。
「良い感じよ! その状態を保ったまま、真上に飛んでみて」
言われた通り黒羽は、膝を屈伸させて思いっきり地面を蹴る。
「え? うそ! なんだこれ」
地が黒羽を残して遠ざかった。そう錯覚するほど、高く、瞬時にジャンプしている。高さにしておよそ五メートルほどだろう。エレベーターに乗って上に上がり、そして目的地に到着した時の浮遊感。その一連の感覚を味わう。加速がゼロになった地点から空を見上げてみる。
「ああ、なんて景色だ」
燃ゆる夕焼けに染まる空は美しく、吹く風は汗をぬぐい、耳に心地良い。
「秋仁! ボーとしない」
彼女の声にハッとする。
視線を下に向ければ、落下する感覚と共に、地面が近づいてくるのが目に映る。この高さと落下速度なら足が折れる、もしくは死ぬ。普通ならば。
「ウォォォォ」
祈るように黒羽は着地の瞬間に備えた。
――足が地を殴りつける音が大きく鳴るものの、黒羽が想像していたよりも衝撃を感じない。いや、即死レベルの衝撃を感じたが、体の耐久力が信じられないほど向上しているおかげで、全く問題なかったと表現すべきだろう。
「お、俺生きてるよな」
「死んでないし、怪我一つ負ってないわ。どう? これがウロボロスの力よ」
心臓が太鼓の音のように激しく鳴っている。できたことの喜びよりも、死にかけた恐ろしさの方が勝っているのが嘘偽りない黒羽の本音だ。が、やっとウロボロスの力の片鱗を感じられた。
「これがウロボロスか。凄まじいな」
「まだまだこんなものじゃないわ。もっと使いこなせるようになれば、さっきよりもずっと高く飛べるはずよ」
頼もしいやら、おっかないやら分からないが、これがあればカリムにも後れを取らずに済むかもしれない。
「よし、続きだ。あれ?」
よろめき膝をつく。細胞の一つ一つに重たい石が乗っているように、体が重い。
「今日はもう無理ね」
「どうして? 三日しかないんだぞ。それまでにカリムと戦えるくらいにならないと」
「無茶は駄目よ。忘れた? ウロボロスは人にとってかなりの負担を強いる魔力なの。連続して使用したら、カリムと戦う前に倒れてしまうわよ」
そうは言っても、無茶なスケジュールを承知でこなそうとしているのだ。ここで無茶しないで、どうするというのか。黒羽は、体にムチ打って立ち上がると、サンクトゥスがため息をついた。
「ふぅ、馬鹿ね。変身。そして、えい」
「は? ちょ、ちょっとお前。何してるんだ」
柔らかな感触。サンクトゥスが突然黒羽に抱きついてきたのだ。体重はそれほどあるわけではないが、今のコンディションでは受けとめることはできず、あっけなく地面に倒れてしまう。
「えええええええええ!」
遠くでレアがおかしな声で叫んでいるが、気にしている余裕は黒羽にない。甘い花のような匂いと、密着している肌から感じる体温。そのどれもが艶めかしく、体全体が火を灯したように熱くなるのを自覚する。
「ほら。私がこうするだけで倒れるのは、それだけ体力を消耗している証拠。これ以上やっても戦えなくなるだけよ。今日は休憩、また明日にしましょう」
黒羽が頷くと彼女は満足そうに笑った。恥ずかしくてその場をすぐに離れたいものの、まるで動けそうにない。サンクトゥスは、面白がっているのかしばらく抱きついたままだったが、いつの間にか近寄っていたレアに強引に引きはがされた。
「し、信じられません。うらやま、じゃなくて。あなたには恥じらいというものがないんですか」
「恥じらい? えーと。具体的にはどういうことを指すのかしら?」
「そ、それはですね。えっと……ともかく、むやみやたらに男性に抱きついてはいけません。分かりましたか」
自分よりはるかに人生の先輩であろう女性を叱りつけるレアは、温厚な彼女らしくなくひどく怒っているのが印象的だった。
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