第13話 第三章 雨に導かれて②

「お伝えしなければならないこととは?」

「そうですね……まあ、言うよりもご覧になった方が早いでしょう。こちらへ」

 神無月はカウンターの下からライトを二つ取り出すと、一つを黒羽に手渡す。

 外にでも出るのか? と黒羽は思ったがそうではない。

 神無月はカウンターを出て、左に曲がると真っすぐ進む。突き当りには、厨房スペースとトイレの間に挟まる形でドアがあった。

 神無月はポケットから鈍色の鍵を取り出し、鍵穴へと差し込んだ。

「この先は暗いので足元に注意してください」

 ドアが開く。その先は、むせかえるような闇が佇む空間が地下まで伸びている。神無月は、慣れた様子で先に下りて行った。

 ライトを付け、足元を照らすと、石畳の階段が寂しげに光を反射した。目を瞑り、肺に空気を溜めて、ゆっくりと吐く。それを二度繰り返し、黒羽は慎重に一歩を踏み出した。

 足が階段に触れるたびに、音がこだまする。地下にいくほど、気温が下がっていくのを肌で感じた。しかし、寒さに反比例して、体からは汗が大量に噴き出て、しばらく止まりそうにない。

「よっと、ん? 随分広いな」

 最後の段差を降り、ライトを正面に照らした黒羽を待ち受けていたのは、石で覆われたテニスコートほどの広い地下空間だ。

「黒羽さん。こちらです」

 声が反響して聞こえる。見れば、神無月が大きな鉄製のドアの前に立って手招きしていた。

 灯台の明かりのようにも見える、神無月のライトを目印に黒羽は歩を進める。近づけば近づくほど、扉の大きさに驚く。人どころかトラックさえ楽に通れそうだ。

「さて、黒羽さん。お話をする前に一つお願いがあります」

「なんでしょうか?」

「今からお話しすること。そして、今からお見せすることは、あなたにとって驚くべきことでしょう。きっと、吾輩とご自分の正気を疑うかもしれません。だからこそ、問いたい。覚悟はよろしいですか?」

 覚悟という重たい言葉に、黒羽は緊張する。覚悟とは一体なんのことだろう。致命的な欠陥がある物件なのだろうか? それとも誰かが亡くなった事故物件なのだろうか? 理由について考えてみるが、結局どれが答えなのか見当がつかない。

 ただ確かなのは、ここで退くという選択肢だけはないということだけだ。

「神無月さん。ぜひ続きをお話ください」

「かしこまりました。では、さっそくなんですが、黒羽さん。あなたはイセカイの存在を信じますかな?」

 イセカイという予期せぬ言葉に、思考が数瞬止まる。まさか、ゲームや漫画で登場するあの世界のことではないだろうな、と黒羽は思った。

「イセカイとは、どんな字をあてるのでしょうか?」

「異なる世界で、異世界でございますよ黒羽さん」

「い、異世界。それは文字通りの意味ですか?」

「さようでござます。こことは違う、隣り合って存在する世界。……実在すると言ったら、あなたはどうお思いになるでしょうか?」

 黒羽は慎重に言葉を選びつつ答えた。

「……僕はあまりオカルトは信じていません。でも、世の中には人間が知っていることよりも、分からないことの方が多いでしょうから、実在している可能性もあるでしょうね」

「フムフム、なるほど。黒羽さん。実は、異世界は存在しているのですよ。手を伸ばせば触れられそうなほど近い距離でね。ですが、コインの表と裏が互いに向き合うことができないように、通常の手段では逆立ちしたってその存在を認知できません」

「先ほどから何をおっしゃっているのですか? その、物件の話をしてほしいのですが」

「落ち着いてください。吾輩はこの物件に関わる重要な話をちゃんとしています。まあ、続きは話すより、実際にご自分の目で確かめてもらうとしましょう」

 老人は懐から緑色の鍵を取り出すと、ゆっくりとした動作で目の前にあるドアの鍵穴に差し込んだ。

「ああ、そうそう。この物件を購入しない場合は、今からお見せすることは他言無用でお願いします。まあ、話したところで誰も信じないでしょうが。そして、購入するという場合は、あなたが深く信用している相手にのみ話して構いません。ただ、メディア関係者や政府関係者に言うことだけは避けてください。難しく考える必要はありません。つまりは世間に広く知れ渡らなけば良いのです」

 あまりにも怪しすぎる言葉に、黒羽はどういうことなのか問いただそうとした。だが、口は半開きのまま固定し、声にならなかった。

 神無月が鍵を開けたドアが開き、その隙間から見えた景色がありえなかったからである。

「え? 待ってくれ。どういう……ことだ」

 ドアは完全に開き、目の前には青い光に照らされた丘が広がっていた。

「ここは異世界『トゥルー』の森林地帯『プレンティファル』にある『光の丘』です。光を放ち続けるソル・ツリーが沢山生えているので、夜でも明るい場所なんですよ」

 神無月の説明は、残念ながら黒羽の頭に全く入ってこなかった。

 黒羽は地下にいる。しかし、ドアの向こうにある景色は、地下にいる限り絶対に見れない光景だ。

 枝や葉、幹、根っこに至るまで全てが光り輝く木が、ランダムに立ち並んでいる平たい地面の向こうは、山々がそびえ立っている。遠くでは、鳥にしては巨大な影が羽ばたいてどこかへと消えゆく。風が全身を撫でつけ、土と植物のにおいが黒羽の鼻を刺激した。

「何なんですか? 異世界だって? そんな馬鹿な……」

 あるわけがない、と否定の言葉が心を駆け巡っていく。けれども、五感を通じて感じる圧倒的なリアルさが、否定する心を打ち消していった。

「トゥルーは魔法によって栄えた世界。そこには、あなたにとって御伽噺とも言える出来事が待ち受けていることでしょう。……さて、黒羽秋仁さん」

 一度言葉を切った神無月は、笑みを深め、穏やかに問う。

「この物件、購入いたしますかな?」

「ハ、ハハハ。い、異世界へ通じる扉付きの物件。凄い。どうしてこんな世界が存在するんですか? そもそもあなたは何者ですか?」

「フム。異世界が存在する理由。それは誰にも分かりません。ただ在るのです。そして、吾輩が何者か? それは簡単です。あなたと同じ生き物ですよ」

 人は見かけによらないもの。この老人に限って、その考えは的を外れてしまったようだ。見かけどおり、得体が知れない。

 だが、そんなことは黒羽にとって、すでにどうでもよかった。頭の中で、未知なる食材を料理し、それを提供するイメージが駆け巡る。

 きっと、世界でここだけの喫茶店が経営できる。そう考えた時、答えは決まった。

「購入します。今すぐに。この際、あなたが何者であろうが構わない。俺はオンリーワンの経営者になります」

 運命が存在するか否か。それはきっと人には証明できない永遠の課題。

 しかし、琉花町に雨が降った時、黒羽はいつも思ってしまうのだ。

 雨が降ったあの日。運命が俺の肩を叩いたのだ、と。

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