ヒューマン・フーズ
無記名
とある記者の取材記録
ヒューマンフーズという企業は謎に包まれている。 記事:スガノアラタ
今や『新時代の新人類の為の新食品を提供します』というキャッチコピー筆頭に、世を震撼させる新商品を続々と放ち、瞬く間に人類の食事というものを変化させたヒューマンフーズ。
自社のみで確立された穀物類の全自動栽培のシステム。
そして、『二度と生物を殺す必要のない人工肉』だ。
昨今でこそ、国内における食料自給率の70%近くを担うとされるヒューマンフーズだが、当然大きな壁にぶつかって来ている。
特に、『二度と生物を殺す必要のない人工肉』。
発表当初は得体のしれない食品への世間の拒絶があった。
植物を原料にしたミートレスミートと呼ばれるような人工肉とは違い、「細胞増殖により従来の家畜が不要になる画期的な人工肉です」と説明されて受け入れられる人間は少なかった。
しかし、大半の人類が待っていたのは最初の被検体だった。
ヒューマンフーズの人工肉が今や世間に受けられた要因として、筆者が特筆すべきと感じているのは、イノベーター、つまり、最初の被検体が大変に優れたインフルエンサーである割合が高かったことのように思う。
各国の著名人から、政治家まで、人造肉は、世間一般へ浸透するより前にインフルエンサーへの広がりがあった。
やがて政府当局により「調理することを前提とした人工肉としての生産を企図して用いる限り『人工肉が既存の肉類の代替品になる』というヒューマン・フーズ社の結論に疑問の余地はない」と発表されると、安価な人工肉が爆発的に世間へ普及したことは火を見るよりも明らかな結果だった。
ここでは自国の企業であるヒューマンフーズの製品を認めるのが海外当局よりも遅れていた、という話題については、触れないことにしたい。
そして、筆者としては未だビーフの一種類しかラインナップのないヒューマンフーズ社の人工肉の新種類を待望するばかりだ。
さて、何故筆者が今更ながらヒューマンフーズの話題について纏めたのか。それは人類で初めてヒューマンフーズへの取材権を得たからである。
企業関係者も目撃されないとされるヒューマンフーズ。AIが取り仕切る未来的企業か、はたまた、地球外生命体が主導する秘密結社か。
記者としても大きなスクープを掴んで帰りたいところだ。
筆者が無事に生還するためにも、ただただ、同じ人類であることを祈るばかりだ。
さて、冗談はこの辺で。
それでは、また。次の記事で会おう。 end.
―――――
ヒューマンフーズの受付で前置きの記事を書き終えた私は半分の興奮と半分のうんざりとした気分で背筋を伸ばした。
この記事を書き終えたということは、この記事を書き終えるまで私はこの受付で待たされているということだ。つまり、受付嬢の後ろのホロスクリーンで流れる『新時代の新人類の為の新食品を提供します』というヒューマンフーズのCMを何十回と聞かされ続けていることにもなる。
白の曲線的なフォルムを好んだ意匠、いかにもらしくこしらえられた近未来的な玄関ホール。
蛇行したテーブルの奥に座る受付嬢は思わず声を掛けたくなる見目麗しい美人だが、人と見間違えるほど精巧なアンドロイドであることは先ほど確認済みだ。
所帯を持つ身でありながら女性に声を掛けようなどと思った私は懺悔の気分でメモ帳に挟んだ家族の写真を開いた。
妻と生まれたばかりの子供の写真。
フリーの記者という不安定な私をいつもあたたかく支えてくれる妻には感謝しかない。
「おや、ご家族のお写真ですか?」
急に降りかかった物腰柔らかな声に驚いて顔を上げると、そこには全身白衣の四角い眼鏡をかけたエリートを体現したような男性が立っていた。
「いやはや、申し訳ない。このような醜態をさらしてしまうとは」
私も気合を入れて普段は着ないスーツに身を固め、寝癖のままが多い髪を後ろに固めてみてはいるが、しゃんとした姿勢の目の前の男には到底かなわない。
「ご家族を大切にされる気持ちは美しいと思いますよ」
こほん、と咳ばらいをして男は名乗った。
「お待たせして申し訳ありません。はじめまして。我がヒューマンフーズにお越しいただきありがとうございます。CEOのヤマノと申します。」
「い、いえ、待ったなどとは全然。フリーのスガノです。CEO自らお出迎え頂くとは光栄です。本日は宜しくお願い致します」
「スガノ様、こちらこそ宜しくお願いします」
差し出された手を握り返す。
CEOの男が「それでは早速なのですが」と話していると、彼の後ろから自立型の配膳ロボが肉を運んでくる。
「これは?」
「ウェルカムドリンク、ならぬウェルカムミートです。サガワ肉といって、わが社の新製品です。よろしければ、お試しになりませんか?」
「サガワ肉ですか? 生産地や元になった牛の名前かなにかですか?」
「ええ、まあ、そんなところです」
男が柔らかな笑みを浮かべるのを見届ながら、私の手は自然とフォークとナイフに伸びていた。
ヒューマンフーズから新種の肉が販売されるとはまだどこにも情報がでていない。ナイフを入れると、すっと溶けるように均一な繊維たちが開き、脂身の乗った赤みが顔を出す。口に入れると牛に似た芳醇な旨味が口内を支配した。
ただ少し。違和感はあった。
「いかがです?」
「いえ、その何と言いますか、従来通り大変美味ではあるのですが……いえ、そうですね。既存の製品と変わりないように思います。今までの人工肉から名前が変わっただけのような。それから、少しだけ薬品っぽさがあります。少しだけですが」
男を不機嫌にさせてしまったかと恐れたが、私に向けられたのは少し嬉々とした表情だった。
「ははぁ、なるほど。毎日、自社の製品を吟味してますと、味が分からなくなってしまいますので、とても参考になります」
「いえいえ、とんでもない」
「我が社の肉には実は細かく分類がありましてね」と、男は優しい笑顔を浮かべている。
今日の取材はきっと豊作になるだろう。そう囁く記者としての勘に心は踊っていた。
―――――
「うぅぅん……」
取材を終えた私は録画を振り返る。
一人で取り残されたヒューマン・フーズ社の休憩室で慟哭のような呻き声を上げ、絶望に近い感情を背負っていた。
想像通りの最先端企業。目新しいスクープもない。
はっきりといえば、つまらない。
私が最初に案内されたのは生鮮野菜の栽培施設だった。
「このように、高栄養価野菜キースは、完全なAIによる管理の下での栽培を確立しています。機械による管理ですから人間の体温によって室温が乱れたり、雑菌の侵入があるということ自体が未然に防がれます」
白い廊下の窓から見える11段に分けられた金属製の棚。
それぞれ成長段階が決められており、定期的に生育状況を確認するシステムが管理しているということだ。
次の映像は穀物類エリア。広大なドームの中で、人間にかわり機械が作業を行うというだけで、私が期待したようなものは何一つとしてなかった。
最後に訪れた味覚研究所と呼称される施設で、最先端の味覚センサの実働の様子を見たが、このような機械が存在することも既知の事実だった。
私がなぜ今回の取材を受けてくれたのか尋ねているシーンに映像が移る。
すると男は困ったように笑ってから、答える。
「実は、我が社が人工肉の技術を確立してしまったせいで、原料となる僅かな肉でさえ手に入りにくくなっていまして。今まで動物保護団体の方にも施設を案内したこともありまして、余計。まあ、その宣伝も込めた今回の依頼なんですよ」と。
そこで私は気が付いた。肝心の人工肉の生産ラインを見ていない。
だから、休憩室に一人取り残された私は好奇心に突き動かされる。
ばれたらトイレにでも行きたかったとでも言えばいい。そう言い聞かせて休憩室を抜け出した。
無機質でまるで人が存在しないとでも言いたげな白亜の廊下を進む。
足が鉛のように重い。男に見つかってしまうのではないかという恐怖のせいだろうか。
順番に扉を巡る。何度も何度も同じ扉を開けている錯覚に陥りそうだった。
だから、「meat」の文字を見た私は体を投げ出すように扉を破っていた。
薄暗い部屋だ。
私の体中を周囲から大量の目に見張られてるような嫌悪感が支配していく。臓腑が蠕動し、
ずぶり、と手が机ではない何かに触れている。
私の思考は、手が掴んだ物の正体を分からずにいた。ただ、そのまま再び崩れ落ちたときに掴んでいた物の正体をはっきりと視認できた。
肉だ。ただ私が知っているものとは違う。赤みの強い、レバーのような肉。
次に襲った違和感は鼻孔を穿つ、強烈な刺激臭。
もし、この肉が、ヒューマン・フーズ社の秘密だとしたら。
もし、腐った肉を利用しているというスキャンダルを持って帰れれば。
そこで、私の思考は打ち切られる。
カツ、カツ、カツと、人の近づく気配が。
身を隠そうにも、迫る恐怖に力が入らず頽れる。
「おやおや、困りますよスガノ様」
「あ……あ……」
私の口は情けなく涎が垂れるだけだった。なんだか眠くなって、意識が遠くなる。
「今回の筋弛緩剤は一時間六分ですか。ここまで入られてしまうとは、でも、まあ、何を見たところで変わりはないですが」
そんな男の淡々とした言葉が聞こえた気がした。
――――――
ヒューマンフーズの受付にて。
生真面目さが表情にでた女性記者が懸命に何かを打ち込んでいる。
「ようこそ、我が社へ」
「早速なのですが、新製品を試してみませんか? スガノ肉というのですが」
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