Wednesday

7月11日


今日もお日様が元気な日だった。

だから今日はぼくの車で遊んだ。

ぼくの車はすごく早く走るんだ。

家の床中を走らせてたら、ママがアぺリアを連れてきた。

ぼくが遊ぶのをじっと見つめてくる。

少しだけ、ほんとに少しだけアペリアを見ると、にやにや笑ってた。

怖くなったぼくはすぐにあっちを向いた。

でもアペリアは”なんでわたしを殺さないの?”って言うんだ。

ぼくはすごく迷った。

そしたらママが来て、”まだ殺してなかったの?”って言った。

ママと一緒に来たプルートも不思議そうな顔をしてた。

小さなプルートは”早く彼女を殺してやれよな、ついでにオレもね”って笑ったんだ。

それから後のことはあんまり覚えてないけど、ママとパパが凄く優しかった。



                      ―『ジャックの日記』より



 ――――――――――――――――――――――――――――――――――



 太陽が地面を照らしつける日。

「今日も昨日と同じぐらい暑くなるだろうなぁ」

と、父親が出勤前に言った。

「もう少し涼しくてもいいのにね」

と、母親が言う。

「あぁ。今日はなるべく日陰を歩こう」

そう言って、暑そうに手で顔を扇ぎながら家を出た。

父親と入れ替わりで、少年がリビングに来た。

「おはよう……」

「あら、おはよう。具合はもう大丈夫?」

少年が昨日の昼過ぎから今朝までずっと寝ていた為、母親は体調不良だと思ったのだろう。

実際は、体調には何の問題もない。

「ジャック、今日はお家で遊んだら?」

それに対して少年は目を擦りながら小さく頷いた。

テーブルにはすでに朝ご飯が準備されている。

今日のメニューは、ハムエッグとこんがり焼いたトースト。それとりんごジュースだ。

「具合悪かったら早めに教えてね」

と、言いながら、母親は食器を片付けている。

 少年はフォークで卵の黄身をぐちゃぐちゃにして、白身がなくなるくらいになってから口に含む。

それから塩味が強いハムを頬張り、トーストをザクザクと平らげる。

夕食を食べずに寝ていたのだから、普段の数倍も早く食べ終えるのも道理だろう。

それを見た母親は、驚きつつも嬉しそうな顔をした。

「もう食べたのね、ママ嬉しいわ」

そして少年の頭を優しく撫でる。

ニコニコと笑みを浮かべる少年は、昨日の不安感はどこかに投げ去ったのだろう。幸福感に包まれた、澄んだ瞳をしていた。

「ぼく、遊んでくるよ」

と言って、食卓から離れた。

そのままの足取りで2階の自室まで行き、数分後には部屋から飛び出してきた。お気に入りの車たちを両手に抱えて。

 少年が何処を走らせようか、と辺りをキョロキョロと見回したが、すぐ近くの床で遊び始めた。

キリキリと音を立てて車を引き寄せ、パっと手を離した瞬間。凄い速さで床を真っ直ぐに走っていった。

それを見た少年は嬉しそうに、走っていった車を追いかける。

 しばらく1つの車だけでそうして遊んでいたが、長い廊下を活用した遊び方を見つけたらしい。

両手に1台ずつ車を持ち、それぞれ同じくらい力を込めて引き寄せる。そして、同じタイミングで車から手を放すのだ。

そうする事で廊下が立派なレース場となり、1対1の競争をしている事になる。

こうして競い合い、より遠くに進んだ車が次の車と競う。というトーナメント方式だ。

第1回戦は左手に持っていた黒い車が勝った。

少年はゴールした黒い車の所まで駆けつけて拾い、スタートラインに戻っていく。

競争の行く末を見つめる顔は、楽しげながらも真剣にゴールを見据えていた。


 そうしているうちに、一番遠くへ進む車が決定した。お気に入りのパトカーだ。

少年は余程嬉しかったのだろう。優勝したパトカーを高々と掲げ、家中を走り回った。

上機嫌でリビングに行くと、母親がちょうどオーブンと向かい合っていた。

少年に気が付いた母親は、一言声をかける。

「もう少しで美味しいものが出来るから、ソファの所で遊んでなさい」

「はーい!」

少年の頭には、美味しい昼食が描かれていた。

そして、テレビの正面に置かれているソファの近くに座り、パトカーを床に走らせた。

今度は自分の手で押している。

時折り、床だけでなく空を飛ばして、楽しそうに遊んでいる。

 そろそろ廊下に置きっぱなしになっている車たちを取りに行こうと、少年が立ち上がろうとした時、白い皿を持った母親が来た。

「もう一つの方が先に出来ると思ってたけど、こっちを先にあげるわね」

そうしてローテーブルに皿とフォークが置かれた。

皿には香ばしく焼けたアップルパイが乗せられており、見事な艶まである。

甘いシナモンの香りが部屋を包み、

美味しそうなアップルパイを前にして、少年は笑顔を浮かべなかった。


「昨日は夕食を食べなかったでしょう?その分食べなきゃね」

と言って、母親はキッチンに戻っていった。

残された少年は悲しげにアップルパイを見つめる。

「食べなきゃ……いけないのかな」

「そうよ、早く殺して?」

「……」

「なんでわたしを殺さないの?」

少年はアップルパイから目を背け、車で遊び始めた。

 しかし、完全に無視する事はできないらしく、数分置きにアップルパイを見ている。

しばらく見つめ、すぐに顔を逸らす。と、いう事の繰り返しだ。

 そうしているうちにアップルパイはどんどん冷めていき、すっかり冷めた頃に母親がキッチンからやってきた。先程と同じく、白い皿を持って。

「あら、まだ食べてなかったの?」

それを聞いて、持ってこられたのは昼食ではないだろうという事に少年はすぐ気がついた。

「さぁ、ジャック。プリンよ」

と言って、アップルパイの横に置かれた。

その時、冷めきったアップルパイを見てこう言った。

「遊ぶのも良いけど、ちゃんと食べてくれないと……ママ、悲しいわ」

淋しそうな顔の母親を見て、少年も悲しくなった。大好きな母親を悲しませたくないからだ。

その場で泣きそうになったが、少年は涙を零さなかった。

母親の悲しそうな顔より恐れているものがあるからだ。

それは、ローテーブルに置かれたものたち。お菓子だ。

「あれ、アルフィーがすっかり冷たいじゃないか!」

「ジャックったら、私を殺さずにパトカーで遊んでるのよ。酷いわ、あんまりよ」

「それは酷い!早く彼女を殺してやれよな、ついでにオレもね」

そして少年は感情が爆発したように、突然叫び声に近い拒絶する言葉を発して頭を抱えた。

 突然の出来事に母親は驚き、少年に何と声掛けするか躊躇っていた。

苦しそうに呻きながら頭を抱える少年だが、程なくしてパタリと床に寝転んだ。

まるで糸が切れた人形のように、母親が大きな声で呼びかけても身動き一つとない。

母親は焦りつつも平静を装うと、電話に手を伸ばした。

素早く掛け慣れた番号を押し、受話器越しの応答を待った。

それからしばらくして、部屋には母親の不安そうな声だけが聞こえるようになる。

「どうしましょう、ジャックが!」

「あぁ、どうしたらいいの?」

「わからない、わからないのよ!」

「早く帰ってきて!」

などと言ってる内に電話は終わり、受話器を置いた母親は再び少年に寄り添う。

「どうして……なぜ……?」

眉間に寄せた皺を伸ばす様に、少年の額を優しく撫でる。

撫でながら、母親は小さく独り言を続ける。

断片的に聞こえたのは、”早く”と”まだ”という言葉だ。


 少年が眠りについて、数時間が経った頃。

親子は病院で医師の話を聞いていた。

少年はまだ目覚めてはいないが、現状のままで問題はないという事。そして、少年は強いストレスによって気絶したという事。

それを聞いた父親は母親を責めようとしたが、医師がそれを断じた。

 また同じ事が起こってしまわない為に、少年の自宅での様子を母親は詳しく医師に話した。

その話を聞いて、医師が幾つか質問をした。

最近、少年に変わった事はないか、周りの環境の変化はどうか、両親への態度はどうか、等だ。

それに対して、母親は”特に変わりありません”と答える。

”それなら大丈夫だろう”と、医師は原因は不明だが、少年が起きたら帰宅して良いと言った。

これを聞いて、両親は安堵の表情を浮かべる。

 しばらく話をしている間に、少年は目を覚ましたらしく、看護師が両親を呼びに来た。

そうして少年は、父親に抱えられて家へと帰っていった。


そして水曜日は終わった。

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