暮れゆく世界のショートショート
谷下 希
No.01 黄昏の午後六時
「ずいぶんとおい所まで来てしまったんだね!」
男の子は額の汗を小さなこぶしで拭いながら、目を見開いておとうさんを見上げる。
なだらかな砂漠に、ふたりの影だけがまっすぐ伸びている。燃えるような琥珀の夕日が彼らを見守っていた。時おり風がくるぶしあたりを吹きすぎるが、砂塵をむやみに蹴散らしたりはしない。
それは穏やかな黄昏だった。
見渡すばかりの砂、砂、砂。
ふたりはぽつんと手をつないで、なんだか途方に暮れてしまうほど。
「いまは、何時なの。」
いやに大人ぶった口調で男の子がつぶやいた。おとうさんは面食らって、くたびれた革の腕時計を見やる。また足首を、くるくると風と砂が旋回して通り過ぎた。
「……六時だよ。ぴったり六時」
琥珀の太陽が、ふたりのくすんだ頬を照らす。
ふうん、と息子は言った。ふうん、ともう一回。
おとうさんは、なんだか心配になって男の子の手をあらためて握りなおす。さっきよりも強く握ったら、なぜか男の子は、反対に手の力をふっとゆるめた。
影が、ながくながく砂丘にのびていた。
「……もう、おとうさん、いいよ。旅はここまでだよ。」
吐息がひとつ落ちる。おとうさんの手が、わずかに震えた。
「この夕日が落ちるまでに、おかあさんをわすれるからね。もう少し、まっててね。」
風がおとうさんの伸びすぎた髪を浮かせて、落とした。
男の子はそのまま、食い入るように夕日を見つめる。
いまや視界の全てが黄金色に染まっていた。
風はあるのに、音がなかった。どうやら、砂丘がすべての音を地中深く埋め込んでしまったようだった。
とろりとろりと、琥珀の夕日もはるか地平線に潜っていく。
男の子の小さな手はもう、おとうさんの手を強く握り返さない。
とてつもなく泣き叫びたい気持ちで、おとうさんはやっと、いちばん大切なことを思い出した。
となりにいる小さな、黄金色の世界をにらむ息子を、なりふり構わずかき抱く。
夕日が蜜のように落ちていく。
世界が暗転するその直前で間にあった。
穏やかな風が、男の子の泣き声を、とおくとおくへ飛ばしていく。
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