095 退魔腕2-3
2
ヨシカゲが学校に行っている間、リサは屋敷の掃除や食料の買い出し、愛車の洗車など実に様々な家事雑事をこなしている。これで報酬をもらっていないのだから、誰もが羨む素晴らしいメイドだ。
だがこの日のリサは屋敷に一人で残っているわけではなかった。
「失礼します」
そう言って、客間に入る。ソファには一人のオカマが座っている。ソファに座るオカマの名前は霊光ビビ。リサが入ってきたのを見るとにっこりと笑った。
ビビは長い足を組んで、優雅にティータイムを楽しんでいる。異様に長い右腕でティーカップを器用に持っているが、本人は何の苦もなさそうである。
「ビビさん、どうぞ。お茶請けです」
「あらん、ありがとう」
「なにか不都合はありませんか?」
あるわけがない、とリサ自身も思いながら一応は聞いておく。
「まったくないわ。朝ごはんは絶品だったし、さっき借りたお風呂だって広くて掃除が行き届いてるし。夜寝るベッドもふかふかだったわ。それにこの紅茶も――美味しいわ」
「それはインスタントですけどね」
「でも美味しいわ」
リサは掃除の続きをしようとペコリと頭を下げて部屋を出ていこうとする。こう屋敷の部屋数が多いと毎日掃除をしていても追いつかないくらいなのだ。ほとんどの部屋は使われていないが、それでも塵芥は不思議と溜まっていく。いや、むしろ使われない部屋の方がホコリの積もりは早い。
「ちょっと、リサちゃん」
「はい、なんでしょう」
しかし、部屋を出ていこうとするリサのことを、ビビが止めた。
「ヨシカゲちゃんはどこに行ったの?」
「学校、ですが」
何を言っているんでしょうか、この人は。リサはちょっと感じていたが、こんな怪異と戦うような仕事をしているような人間たちは、どこか常識から外れている。だから日常生活という面では不安になるような人間が多い。
「あらん、ヨシカゲちゃんってまだ学校に行ってたの? 何年生?」
「高校2年生です。来月にはもう3年生ですよ」
「ふうん、じゃあ進路とか考える時期かしら。何か聞いてる?」
「いいえ、まったく」
けれど大学には行かないのだろうな、とは思っていた。ヨシカゲは学校に行くのが嫌いそうだし、家で勉強をしている姿も見たことがない。そもそもこの腑卵町には大学なんてものはない。
「そういえば弟も高校生だったかしら……」
「そういうの、覚えてないものなんですか?」
「ふふん、ちょっと時間の感覚が狂ってるのよ。実はここいくらか、長い間異界の中に閉じ込められててね。正直自分が何歳なのかもよく分からないわ」
「それは難儀しましたね」
異界の中には現実の世界と時間の流れが違うことが多々ある。だから時々、ちょっと中にいたつもりでも出れてくればこうして浦島太郎のようになっていることがあるのだ。幸いなことにリサはまだその経験がないが。
「そうねえ、ちょっとこの屋敷で休憩したら次は弟のところにでも行きましょうか」
その「ちょっと」という言葉はなにも一時間や二時間ではないだろう。
この雰囲気だとビビは数日間この屋敷にいるつもりらしい。リサとしては人が多ければ賑やかで楽しいのだが、ヨシカゲは嫌がるかも知れないと思った。
「弟さんがいるんですか? その人も退魔師なんですか?」
「いいえ、弟は普通の一般人だわ」
「そもそも退魔師ってどれくらい居るんですか。あの、こんな事を聞いて良いのか分からませんが、ご主人様とビビさんは親戚なんですか?」
「遠縁のね。そこらへんの事情は何も知らないわけ? まあヨシカゲちゃんもわざわざ説明をする必要はないと思ってるんでしょうけど」
「ご主人様は説明の必要なことすら説明しません」
「あら、そうなの? そうねえ……知りたい?」
「はい」と、リサは答える。
自分はヨシカゲのことを何も知らないのだという自覚があった。そろそろ一緒に暮らし始めて5ヶ月。5ヶ月といえば2クールのアニメでも終盤戦に入るような時間だ。だというのに、リサはヨシカゲのことをほとんどなにも知らないのだ。
「退魔の家系はもともと一つの家から始まったわ。欠史院。それを本家として南北朝時代に分家したと言われるのが麻倉よ」
「ご主人様の名字ですね」
「ええ。そして同時に分家した御嶽。現在ではこの3家を御三家なんて言い方をするんだけど、まあどれも一筋縄じゃあいかない連中ばっかりよ」
「あれ、でもビビさんは? 霊光じゃあ――」
ビビはまあ座りなさいよ、とリサを向かいのソファにうながした。いつもは着席しないリサだったが、話が長くなりそうだったのでこのときは腰を下ろした。
「霊光は御嶽からさらに分家した家系よ。退魔師は時代に合わせて分家を繰り返して、日の本中に散っていったの。現在家系として知られているのは御三家である
「そうなんですか」
だが、たしかにヨシカゲはこの町の人間ならばほぼ無条件で助けるが、それ以外となるとすぐに渋ったり、断ったりする。この短期間の間でリサはそれを何度も見てきた。
「もっとも孤狗だけはオススメしないけど」
「別に依頼なんてしませんよ」
「そうね、貴女にはヨシカゲちゃんがいるし。あの子、身内にはめっぽう甘いでしょ?」
「そうでしょうか?」
と、言いながらもリサは確かにその通りであると思っていた。身内というのはこの場合腑卵町に住む人々全員を指すのだろう。
「私たち分家には高尚なこだわりなんてまったくないわ。お金さえもらえば何でもやる。私の場合はもう退魔師じゃなくて何でも屋って名乗ってるわね」
「何でも屋」
「そう。『退魔腕』って言えばまあ、この業界じゃあ最近やっと名前が知れてきたわ。これまで二つ名なんてなかったんだけどね、これの――」そう言って、ビビは右手を上げてみせた。「おかげでやっとこさ箔が付いたわ」
「それは良かったですね」
「おかげでここ数ヶ月は仕事ばっかりよ。今日は久しぶりに羽根を伸ばしてるわ」
「ごゆっくりしていって下さい」
「そうね。とりあえずは当分ゆっくりしていくわ」
退魔師の家系というのはリサも初耳だった。
しかしそんな家系があるというのにヨシカゲの二つ名だけが「退魔師」なのだ。彼はその家系の中でも特別な存在なのだろうか。
けど、それはヨシカゲの預かり知らぬところで他人から聞き出すのは、ヨシカゲに悪い気がした。もしかしたら退魔師関係のことは言いたくなくて黙っていたのかもしれないからだ。
「とは言えねえ、いつまでゆっくりできるかしら……」
「何か心配事でも?」
「どうも最近、周りがきな臭いよのよね。ヨシカゲちゃんにも注意しておかなくちゃいけないと思ってるんだけど、あの子は私の話を聞かないから」
「私の話も聞きませんよ」
「まったく、ワガママに育っちゃったわ」
育った、という言葉にはどこか違和感がある。
親はなくとも子は育つという言葉があるが、ヨシカゲはそれなのだろうか? リサが知る限りヨシカゲの両親はすでに他界している。どちらもリサにとって面識はないのだが、母親の顔だけはよく知っていた。なにせこの屋敷にはその女性の絵があるのだ。階段の踊り場にある大きな絵画。そこに描かれた天使のような女性こそ、ヨシカゲの母親なのだ。
自分の絵を自分の家に飾るなんて妙なセンスだが、リサはそのセンスが嫌いではなかった。なんだかお姫様みたいで、むしろリサもやってみたいくらいだった。
「あの、ビビさん。一つだけ聞いてもいいですか?」
「なに?」
「ご主人様のお母様ってどんな人でしたか。あ、無理に言わなくてもいいんです。ただちょっと気になって……でもご主人様には直接聞けないし」
「ああ、そうね。好きな人のご両親って気になるわよね」
リサはちょっと顔を赤くした。色白なので赤面するとすぐに分かるのだ。
「そ、そういうんじゃありません」
ビビは朗らかに笑う。
そして、呟くように言った。
「奇麗な人だった……とってもね。優しくて。うん、美しい人だった」
きっとそうだろうと思っていたのだ。
だってあのヨシカゲの母親なのだから。
「私なんかは親戚のおばちゃんって言うよりもお姉さんって感じに思っててね。親戚で集まったらよくお話を聞いてもらったりしたの」
「退魔師の人たちで集まることってあるんですか」
「あるわよ、定期的にね。何年かに一回だけど。それでね、知っての通り不老不死のイースターエッグを持っていたの。先天的なものらしくて、どういう能力だとか名前も付いてなかったんだけど、本人はもう300年くらい生きてるって言ってたかしら。それなのに本当に若々しくてね、やっぱりお姉さんだったわ」
「あの、聞いておいてあれなんですが、やっぱりご主人様のいないところでこんな話をするのはマズイですかね?」
「そうねえ。まあでもヨシカゲちゃんはそんな事気にしないと思うわ。でも貴女が気にするなら、そうだわ。私とヨシカゲちゃんのお母さんについては一つ面白いエピソードがあるの。それを話してあげるわ」
「それでしたら。はい、お願いします」
「あれはね――私がまだ14歳の時よ」
そういって、ビビは語りはじめた。
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