082 悪魔4-1
1
「はい、はい。そうですか。少々お待ち下さいませ」
リサが廊下にある電話で話しをしている。
二人暮らしの屋敷だ。小さな音でもよく聞こえる。リサはなにも
電話が保留された。リサが歩いてくる。スリッパの薄い音が近づいてくる。そして扉がノックされた。
「失礼します」
リサが室内に入った時、ハッカのような匂いがした。
「ご主人様、フラン様からお電話です」
「ババアから?」
「それ、言うと怒られますよ。とにかく早く出てくださいませ。国際電話ですので高く付きます」
「分かった」
国際電話――いったいどこからかけてきているのだろうか。
電話まで行って受話器をとる。「もしもし」
『うむ、妾じゃ!』
「知ってるよ。ところであんた今どこにいるんだ」
『フィウミチーノ空港じゃ』
「どこだそれ」
『ローマじゃ。まったく人使いのあらい坊やじゃて。バチカンに行っておったわ』
「ほう。それで、悪魔について分かったのか?」
『うむ、収穫は上々じゃ。今からフライトで夕方には腑卵町に帰れると思うからの。帰ってから話そう。今度の電話はただお主が起きておるかの確認じゃ』
「おかげさまで、昨日目が覚めたよ」
『うむ。つまりう首尾良く進んでおるのう。後は悪魔を倒すだけ。では切るぞ』
「おう」
『……』
電話が切られない。
『お主、妾に対して何かないのか? こう……感謝の言葉とか』
「うん? ああ、ババアありがとう」
『ババアというな!』
横に無言でいたリサが耳打ちする。「もっとこう、優しい言葉を送ってはどうでしょうか」
面倒だなあと思いながら受話器に向かって言う。
「ババア、愛してるぞ」
『な、なんじゃと! お主、大人をからかうのも大概にするんじゃ! んもうっ!』
なんとなく嬉しそうな声色だ。
「いや、リサが言えって……」
「私はそこまで言えとは申していません」
『バカ、死ね!』
電話はガチャ切りされた。
「なんで俺怒られたんだ?」
「ご主人様には一生分かりませんよ」
しかしこれで準備は整ったのである。
あとはフランと、そして花園の帰りを待つだけだ。
それにしても時間的に間に合うのだろうか? フランはいまローマに居ると言っていた。イタリアか……それがどこにあるのかヨシカゲも頭の中で地図を浮かべることができる。しかし行ったことは一度もない。
というよりもヨシカゲはこの腑卵町からほとんど出たことがないのだ。そりゃあ幼い頃は親に連れられて外に行ったこともあった。しかし親が死んでからは数えるほどしか腑卵町を出ていない。いつもこの町にいた。この町こそがヨシカゲの住処であり全てだった。
「なあ、リサ。ローマってどんなところだろうな」
ヨシカゲは電話の受話器を見つめる。
「ローマですか。オードリー・ヘップバーンがいる場所ですよ」
「バカ言え、それは映画の話だ」
「主人公役のグレゴリー・ペックが格好良いんですよね。憧れちゃいます」
「ふうん」
「……嫉妬しましたか?」
「まさか。でも俺はあの人が出る映画なら『白鯨』が好きだ」
というよりもヨシカゲはアメリカ文学がどこか好きだった。どうしてかは自分でも説明できない。だが、あの時代のアメリカ文学にほのかに香る富と名声の匂いが自分とは全く対局なものに思えて、眩しく見えるのだ。
自分とは違うものを見ていれば、それは面白い。
「自分とは違う自分になりたいとは思わないがな。でもどんな気持ちなのだろうか」
ヨシカゲには今の自分で手一杯だ。それすらも持て余しているかもしれない。こんどの悪魔との敗戦でそれがはっきりと分かった。もっと強くなるべきだ。そうしなければ腑卵町の人間を守れない。
「自分じゃない自分ですか。でしたら花園様に聞いてみたらいかがですか?」
「そういえばあいつの仕事はそれだったな」
声優。
自分の声で他人に笑顔を与える仕事。ヨシカゲには逆立ちしてもできない。もちろんだが。
「花園様、大丈夫ですかね」
「さあな。町に居ない間は俺には関係ない」
「またそんな事を言って」
リサの困ったような顔にヨシカゲはふんと鼻を鳴らした。
「大丈夫さ」
ヨシカゲは答えた。
「俺が、守る」
リサは頷く。ならば安心ですね、と。
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