073 悪魔2-6
そして、次に出たのは暗い空間だった。
「終点だな」
と、ヨシカゲが言う。
「え、ここが?」
「ああ、ここがこの異界の最奥。深層心理とでも言うべきか……」
暗い空間にはテレビやパソコン、ゲーム機や漫画本などが大量に浮かんでいる。花園は漫画のうちの一つを手に取る。
「あ、これ……」
「好きなのか?」
「ううん、ただこれのアニメに私、出たから」
いかにもストレスフリーな日常系アニメだ。花園はその中のヒロインの一人を演じた。ヒロインと言ってもヒーローは出ない。女だけの――まさに花園のようなアニメだった。
「そうか、アニメか」
ヨシカゲは興味がなさそうに歩き出す。
足元も見えないような暗い空間だったが、ところどころ電源のついたモニターがあるのだ。それを道しるべのようにしてヨシカゲは歩いていく。
だが、自分たちが道を歩いているかどうかも本当は分からないのだ。一寸先は闇なのだ。もしかしたら次の一歩で真っ逆さまに暗闇の中に落ちていくかもしれない。そんな恐怖を花園は持っているのに、ヨシカゲはまったく平気そうだ。
「アニメ、漫画、ゲーム。なあ、おかしいと思わないか?」
「え?」
「最初、俺はこの異界を創り出したのは、屋敷に住んでいた老人だと思っていた」
「そういう話だったわね」
「だが、どうも違う。老人の深層心理にこんな若者文化の漫画やゲームが存在するか?」ヨシカゲはそこら変に浮かんでいたスマートフォンを手にとった。「老人がスマホを使えるか?」
「それは……」
ヨシカゲがスマートフォンを放り投げる。先程まで浮いていたスマートフォンは自由落下を始め、闇の中に落ちていき、やがてどこか遠い場所に音を立てて落ちた。たぶん、ディスプレイは割れただろう。
「簡単な話なんだよ、この異界を創り出したのは老人じゃない。若者だ。そして、この異界には俺たちの他にもう一人、若者がいる。そう――この屋敷に入って行方不明になった中学生、松山カエデと言ったか? その男だ」
「でも、それが分かってどうするのよ?」
「つまり、俺はこの屋敷にその中学生を助けに来た。だが、その中学生はこの屋敷に捕らえられたのではなく、自ら進んでここに籠城しているわけだ」
「そうなの?」
「十中八九そうだ。だが、そうなると面倒な事になる」
「面倒って?」
「そもそも俺がここに中学生を助けに来たのは、人間が長く異界に居るとそいつは異界に取り込まれて人間ではなくなるからだ。異界の者となったそれはもはや生者でも死者でもない。
「え、ちょっと待ってよ。なら私も危ないんじゃないの?」
「今更だな。だから外で待っていろと最初に言っただろう」
「だってそんなの聞いてないもの!」
「知らない方が悪い」
「でも、まだそんなに時間は経ってないはずよね」
「それはどうかな。異界の中は外とは時間の進みが違うことがある。出た時に浦島太郎よろしく、信じられない程時間が経っていることもあるそうだ。まあ、俺はまだそこまでの経験はしたことがないがな。精々が一週間くらいだ」
「冗談じゃないわ! 私には仕事があるのよ!」
「そうか、諦めろ」
「バカな事言わないで! さっさとその中学生を見つけてここから出るわよ!」
「それが問題なんだ」
「なにがよ!」
「自らの意思でここにいる場合、俺がどれだけ説得しても出たがらないだろう。最悪、力づくというのもあるが……いかんせん俺は筋力には自信がない。斬るのは得意なのだがな」
「もう、使えないわね!」
「色男、金と力はなかりけり、とな」
「自分で言わない!」
「だが、一つだけ不思議なんだ。こういった異界を普通の人間が創れるはずがない。それができるのはイースターエッグだけだ……。わからないな」
光るモニターを頼りに歩いていく。たいていはアニメが映っている。ふと、花園は気がついた。自分はこのアニメたちを知っている。
「これ……私が出たやつばっかりだわ」
「そうなのか」
「ま、最近のアニメはほとんど出てるけどね、売れっ子だから」
「そうなのか」
「……」
じっとりとヨシカゲを見つめる。だがヨシカゲは視線を合わせようともしない。
こっちは本当に売れっ子なのだぞ、知っているからしたら土下座をしてでもサインを欲しがる程の、超人気声優なのだぞ、しかもアイドル的な人気なんだぞ。
――どうしてこの人は私になびかないのかしら?
不思議だし、こんな事って初めてだし、だからこそ気になっているのかもしれない。ヨシカゲの事が。
「ほら、これ私の声よ」
モニターの中には実際に音をだしているものもある。
「少しだけ声色が違うな」
興味を示してくれたことが嬉しくて、つい声が上ずってしまう。
「声優よ、色々な声が出せて当然でしょ」
やがてモニターがうず高く積み上げられた山が見えてきた。
そのモニターの山の中央に、男の子が一人体育座りをしている。とても悲しそうな顔でモニターを眺めている。映し出されているのは、花園が主役を務めるアニメだった。
「いたか」
「アニメ見てるわね」
「まったく、こんな場所に引きこもってやることがアニメ鑑賞とはな」
「引きこもりってこういう生活しているのかしら?」
「さあ、見たことないからな。町歩いてても見ないが、本当にいるのか?」
「だから引きこもってるんでしょ」
とにかく見つかったんならさっさと連れ帰りましょう、と花園は男の子――松山カエデに近づく。そしてその肩を叩く。
「ちょっと貴方、いつまでもこんな暗い場所にいないで帰るわよ!」
しかし松山カエデは返事をしない。
腹を立てた花園は地団駄を踏む。
「なによ、無視って! 感じ悪いわね!」
「おそらく本当に聞こえていないのだろうな。それどころか俺たちが来たのにも気がついていない。ふう、だから面倒なんだよ。異界に自分から入っているようなやつは」
「じゃあどうするのよ、このまま連れ帰るの? 引っ張ってでも」
「それは無理だ。俺たちにはこの異界から出る
「じゃあどうするのよ!」
「さて、どうするかね。一番簡単なのはこの異界の主であるこの男を殺す事だが」
「そ、それは酷すぎないかしら? それにほら、一応この子、私のファンみたいだし」見た限り、花園はそう感じた。「ファンは大切にしなくちゃ」
「ならサインの一つでもしてやれよ」
「それは駄目よ。私のサインってすごい価値のあるものなんだから」
「この高飛車女」
「なんと言われも結構です。で、他に方法はないの」
「あるぞ」
「じゃあそれにしましょうよ。で、その方法って」
「この異界の源、力の根源を殺す事さ」
ヨシカゲが肩を抜いた。それを八相に構える。火の構えとも呼ばれる型である。その格好はあたかもバットのスイングフォームである。
「力の源って?」
「お前の後ろにいるぜ」
「え――」
振り返る、とそこにはいつの間にか老人が立っている。青白い顔をした老人だ。その目は松山カエデと同じように悲しげである。
叫び声がした。花園は一瞬、その叫び声を誰が上げているのか分からなかった。しかしすぐに気がつく。自分だ。そんな事も分からないくらい刹那の間で叫びを上げていた。
「なになになに、誰!」
びっくりしすぎて語彙が貧弱になる。
「落ち着け、ただの亡霊だ」
「ただの亡霊ってなによ!」
花園はすぐさまヨシカゲの後ろに隠れる。心臓が早鐘を打っている。最初の墓地でも幽霊を見たが、こうしていきなり後ろに現れられるとまた格別に怖い。
「おい、ジイさん。あんたがこの男に力を貸しているな」
老人は無言で頷く。
「この異界の主はこの男だが、この異界を創ったのはあんただな、ジジイ。まったく、どこの世界も老人ってのはお節介なもんだ。さっさとあの世に行け、ババアが待ってるぞ」
そんな言い方ないじゃない、と花園が思っていると老人が口を開いた。
「わたしは……その子を助けたかった」
「助ける?」と、花園は思わず聞いてしまう。
「そうだ……そのために、ここを創った……」
「そういう事か」
「どういう事よ!」
一人納得するヨシカゲに花園は聞く。
「逆だったんだ。俺たちが入ってきたところこそが、この異界の出口。そしてここがスタート地点だ、そうだろう?」
「そうだ」
その言葉で花園も理解できた。
「つまり、この男の子のトラウマを解消して上げたかったって事?」
老人がまた頷く。どうやら正解だったようだ。
「だが、この男はここから動こうとはしなかった。暗いけれど、居心地の良いここで足を止めた。一歩も前に進めず、ただの一つも扉を開けることなく」
「……そうだ」
つまりこの異界は、松山カエデのトラウマ克服プログラムだったのだ。
墓場、白い犬、一人の食卓、そしてイジメ。
それらと対峙し、打ち勝つ。そして外に出ることによって松山カエデの問題は全て解決するはずだった。外の世界で、生きていけた。だが、それは誤算だったのだ。
「わたしは……間違えてしまった。もうどうしようもできない。退魔師さん、わたしを斬ってくれ……」
「言われずとも、そうするさ。とはいえそれは最終手段だ」ヨシカゲは刀を下ろし、腰の鞘へと納刀した。「ようするに、この男を立ち直らせれば良いんだろ」
ヨシカゲは体育座りをして我関せずとばかりにテレビを見ている松山カエデを蹴った。
転がった松山カエデは、緩慢な動作でまた元の位置へと戻った。
「立ち直らせることが……できるのか?」
老人は悲しげな目を松山カエデに向けた。
「知らん。そもそもどうしてジジイはこの男にそんな肩入れする」
松山カエデは自分の話題を出されているというのにモニターから目を話そうともしない。
「この子は……両親にも構ってもらえずアニメだけを見て生きてきたんだ、そんな子なんだ。わたしは本当は成仏しようとしていた。だがこの子がここに入ってきた……その時知ったんだ、この子の心の空っぽさを。可哀想だと思った。わたしには息子も、まして孫もいない。けれどなんだかこの子がそういう存在に見えたんだ……」
「だからあの世に行くのをやめてまで、こんな異界を創ったと」
「ああ、だがそれは失敗だった……だからわたしを……」
「あんたを斬るのは最後だと言っただろう。それに、それをしたらこの男は立ち直れず、あんたも未練がましく天国ではなく地獄に行くことになるかもしれん。それでは俺がこの町の住人を守ったとは言えん。あんたたちには幸せになってもらう」
その純粋な、曇りなき言葉。花園はその言葉がなんの躊躇も、そして微塵の嘘も含まれず発されたのを感じた。なんて高貴な人なのだろうか、とヨシカゲを思った。
「素敵……」
と、思わず言ってしまう。
だが、次の瞬間、ヨシカゲの行動に目を疑った。
ヨシカゲは松山カエデの胸ぐらを掴み上げて、無理やり立たせた。
「おい、今すぐここから出るぞ。それが嫌なら俺はこのジジイか、お前を斬る。これは脅しじゃない――いや、脅しだ。どうだ、お前は人が死ぬという責任感に絶えられるか? それともお前が死ぬか? 俺はどっちでも良い、お前が決めろ」
松山カエデの目がやっとヨシカゲに向いた。その目はうろたえている。初めてヨシカゲの言葉が聞こえたようだ。
「どちらも嫌ならここから出ろ」
「い、嫌だ」
とうとう松山カエデが喋った。想像よりも高い声だ。まだ声変わりも終えていないようだ。
「なぜだ」
「ぼ、僕はここにいる。ここは良い場所だ、イジメもない。ずっと好きなアニメが見ていられる。ここは楽しいんだ」
「こんな暗い場所が? 楽しい、本当にか?」
「ここが楽しいんだ!」
「なら一生ここに居ろ。冷たくなってな」
ヨシカゲは松山カエデを突き飛ばす。そして刀に手をかける。
「待って、待ってよ!」
思わず花園は割って入る。
「そこをどけ」
ヨシカゲは底冷えするような声で言い放つ。
「そんな言い方で立ち直れるわけないでしょ!」
「じゃあどうする。デッドオアライブ。生きるか死ぬかで選ばせてやってるんだ、温情とも言えるだろうさ。大抵のやつは生きる方を選ぶからな、嫌でもここから出る」
「でもそんなのって駄目よ!」
「じゃあどうするんだ、ジジイを殺すか?」
「それも駄目よ!」
ヨシカゲは顔をしかめた。どうしようもないとばかりに手をやれやれと手を挙げる。そしてため息を一つ。
「あれも駄目、これも駄目。どうしろっていうんだ」
「だから――私に任せて」
「お前に?」
花園は深呼吸をして、松山カエデの方を向く。松山カエデは険しい顔をして花園を睨む。だが、逆に花園は笑いかけた。
演技をする時、彼女はいつも笑顔だ。
「『こんな場所で、なにしてるの?』」
え、という顔をして松山カエデが花園を見る。
「もしかして……花園ミナ?」
ニッコリと笑う。
「『私と一緒に行きましょうよ、ね』」
そう言って、花園は手を差し出す。その手を、松山カエデはとろうとして、しかしやめた。
「『ここにいても、地獄よ。けれど逃げても地獄よ。なら前に進むしかないじゃない。その行く先が地獄でも、自分で選んだ地獄なら、それなら諦めがつくでしょう』」
「アリア・リロードランのアリアちゃんのセリフだ……」
松山カエデが感動したように言う。
「ええ、そうよ。アリア役の花園ミナです。どうぞよろしく」
それは、花園が演じたキャラクターの中でも代表的なアニメだった。
発行部数は300万部を超えるライトノベル、そのアニメのメインヒロイン。今年の夏には第二期も決まっている。前の冬には中継ぎ的に映画をやり、ゲームも出た。今やこの業界では知らないものはいない、モンスター級のタイトルである。
そして、花園が言ったのはヒロインであるアリアが主人公に発破をかけるシーンのセリフである。
「私はね、その通りだと思うのよ。どこまで行っても地獄なら、自分で決めましょうよ、その地獄くらい。こんな場所で足踏みしてちゃ駄目。そうでしょう?」
松山カエデは頷く。
ニッコリと花園は微笑んだ。
ふん、とヨシカゲが鼻を鳴らす。
「そんなので立ち直れるなら、最初からここにいるなよ」
「うるさい、黙っていて」
「すいませんね」
「ね、松山くん。ここから一緒に出ましょうか」
「……はい」
松山カエデは立ちあがった。
いつの間にか扉があった。
「さあ」と、花園が手を差し出す。
松山カエデはおずおずとその手をとると、照れくさそうに笑った。一生の思い出になるわね、と花園は心の中で思った。
「……そこを出れば、外ですよ」
老人が悲しそうな、けれど優しい声で言った。
「あんたも、さっさとこんな場所で地縛されてないで、あの世に行きな」
「……ええ、そうしますよ。退魔師さん」
「行き方は分かるか? 自分でできないなら俺がやってやるぞ」
「いいえ、なんとかなりましょう」
そうか、とヨシカゲは答えて、自分の手をポケットに突っ込んだ。そして彼は誰とも手を繋がらないまま、扉を出た。
花園たちはそれについていく。扉だけが残った。そしてその扉も、やがて閉まってしまったのだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます