囲碁 4


「お相手、ありがとうございました」

 真備は深々と礼をすると、喜ぶ素振りも見せずに立ち去ろうとする。しかし、案の定それを止める者がいた。

「待て」

 唐の役人の声がして、真備はぴたりと歩みを止める。振り返れば細身ながらも凛と背筋の伸びた役人がいた。彼は真備の背中を訝しむような瞳で見つめると、顎に手を当てて目を細める。

「碁石が消えるなどありえませんね。何か図ったのではないか? 真備殿」

 真備は「はて」と首を捻る。

「何も身に覚えはありませんが······」

「嘘をつけ。絶対に何かあるはずだ」

 役人は引く気がないらしい。ゆっくりと真備に近づくと、切れ長な瞳に怪しげな光を灯す。

「ここで我々を謀るということは皇帝陛下を謀ることにもなりますが、よいのかな?」

 疑いの色を滲ませると、彼は真備を脅しにかかった。名人はそれをただ無言で見つめているだけだった。

「何も後ろめたいことはありませんし、皇帝陛下を謀った覚えもありませんが」

 真備は真剣な顔で答える。彼の瞳には、嘘をついている時のような不可解な動きはなかった。しかし、唐側はまだ疑っているらしい。役人は信じきれないといいたげに息をつく。

 すると次の瞬間、彼は突然片手をあげた。何かを指図するかのような動きを見せたかと思うと、真備の背後から数名の大男が現れ、一斉に真備を取り囲んで動きを封じた。体格や装束からするに唐の武官であるようだった。真備はあっという間に腕を捕まれ身動きが出来なくなる。

「本当に何も知らぬのですな?」

 捕えられた真備の姿を見て、役人の目が愉快そうに光った。しかし武官が現れた時は内心驚いたものの、対する真備は平然としている。

「ええ。何も知りませんとも」

「ならば確かめさせて貰いましょうか」

 役人はくすりと笑みを漏らすと、続けて真備を取り囲んでいる武官に命じた。

「こいつの服を剥げ」

 一連の騒動を見物していた野次馬達が徐々に騒ぎ出した。この日本人を徹底的に捻り潰すつもりだとようやく気づいたらしい。それほどまでに役人の目は本気だった。

「服のどこかに碁石を隠し持っているはず。必ず見つけ出しなさい」

 彼は面白そうに真備から距離を置く。どうやら高みの見物でもする気らしい。

 しかし、当の真備は一切抵抗する素振りを見せなかった。それが不気味なのか、武官達はなかなか動こうとしない。

「何を躊躇っているのです? やりなさい」

 改めて指示をすると、武官達はやっとの事で真備の襟元や腰紐に手をかけた。真備は一斉に伸びてきた武官の手に顔を顰めながらも、指示を出した役人の様子を盗み見る。そこで彼の後ろに巨漢がいることに気がついた。男は役人の方をチラチラと伺いながらも、腕を組んで仁王立ちしている。

 あの役人はそこそこ身分が高いのか。一方で横にいる大男は腹もでかいが筋肉もある。恐らく武官だろう。

 彼らの顔をよく見ようと目を細めたのだが、次の瞬間、身体に衝撃が走って地面に崩れた。どうやら無理やり服を脱がそうとする武官達の押し合い圧し合いに巻き込まれて突き飛ばされたらしい。

 真備は初めて腕を伸ばして抵抗をみせた。今まで大人しくしていた分驚いたのか、武官達の力が緩む。

「待て。力ずくではどうにもなりますまい。自分でやるので一旦離れてくださいませぬか」

「ほう、その隙に碁石をまたどこかへと隠すおつもりか」

 真備はそちらを睨みつけた。そこではあの役人が優美な笑みを浮かべている。

 確かにそれはそれで不利かもしれないと反論するのをやめた。先ほどの言葉では疑いが強まるばかりだろう。

「分かりました。ならば彼らに任せましょう。しかしどちらにせよ碁石など出てきますまい」

「それはこちらが判断するところです。とりあえずお前はさっさと服を脱ぎなさい。話はそれからだ」

 真備は強く眉を寄せる。しかしもう抵抗する気はないようであった。

 真備が纏っていた服が次々と地面に投げ捨てられると、武官に出る幕を奪われ手持ち無沙汰になっていた文官達が表れる。服は彼らによって拾い上げられ、隅々まで調べ上げられた。

 しかし、いくら調べようとも心待ちにしていた黒い粒は出てこない。それどころか真備は何も持っておらず、手ぶらであったことが分かった。

「ほら、言ったでしょう。碁石など知りませぬ」

 真備は恨めしげな目で言葉を吐く。指導者らしき役人は悔しそうに怒りの表情を見せた。

「そんなわけなかろう。どこに隠した。お前が持っているはずですが」

 しかし真備は動じない。かの役人は舌打ちをすると、何か思いついたというように隣の巨漢に顔を近づけた。

「おい、あれを呼んでこい。どこに隠したのか占って貰おうぞ」

 言葉に口に出さずとも名を察したのか、唐式の礼をすると武官はどこかへと消えてゆく。しばらくして連れてきたのは腕の良さそうな占い師であった。

 彼は衣一枚の真備をじっと見つめると「ふむ。見えました」と目を細める。そして次の瞬間、周りをどよめかせるような衝撃的な一言を言い放った。

「石は彼の腹の中です」

 真備は思わず息を飲んだ。それは本当に微かな動揺であった。しかし小さな瞳の揺れを見逃さなかったのか、例の役人は勝ち誇ったような笑みを浮かべる。まるで獲物を捕らえた獣のような瞳だった。

「この男に下剤を飲ませなさい。何がなんでも真相を突き止めてやる」









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