衝鳥

以星 大悟(旧・咖喱家)

衝鳥

 ジョン・エドワーズの朝は何時もの様に顔を洗う事から始まった。

 洗面所で朝一番の冷たい水で顔を洗い髭を剃り、また顔を洗う。

 次は歯を磨き口を濯いで、顔の周りに僅かでも歯磨き粉が散っていたら不快に感じるのでやはりもう一度顔を洗って、何度も顔を洗うのがジョンの朝の日課だった。

 今日も同じ様に変わらぬ朝の変わらぬ所作。

 明日も同じ様に変わらぬ朝の変わらぬ所作。

 ただし今朝だけは違った。


「今日は妙に鳥が騒々しいな……」


 夜鷹の鳴き声に魘されて思う様に眠りに入れたなかったジョンはこの重い瞼に目を覚ませと言う為に早く朝一番の冷たい水で顔を洗いたいという衝動に襲われていた。

 それなのに外からは鳥のけたたましい囀りが眠り足りないジョンの頭の中で反響する。

 とても深い極まりなかった。

 ジョンは重い足取りで洗面台に辿り着くと、洗面台の横にある少し開いている窓を閉じて少しでも耳障りな囀りを遮断する。


「酷い朝だ、早く顔を洗って支度をしなければ……」


 ジョンは珍しく寝坊をしていた。

 生まれてこの方、常に予定を立てて予定通りに動くジョンにとって鳥の囀りは何よりの害悪だった。

 気持ち良い晴れ晴れとした朝の鳥の囀りはそれは心地良いというのに、寝坊したというのに眠り足りず外は曇り空の時の囀りは安い酒と下卑た音楽が鳴り響くクラブの様で我慢ならず、ジョンは普段とは違い乱暴に顔を洗う。

 勢いよく蛇口を捻った所為でジョンの服は水で濡れてしまい、ジョンの苛立ちをさらに大きくする。


「何やっているんだ俺は……はぁ…早く、歯を磨こう」

 

 何時もの様に顔を洗い、髭を剃って顔を洗う。

 そしてジョンはブラシをとって歯を磨こうとした時だった。

 バンッ!窓ガラスに何かぶつかる音が響いて横を向く、しかしそこには何もなかった。

 何だったんだ?とジョンは疑問に思いながら歯を再び磨き始める。

 バンッ!窓ガラスに何かがぶつかる音が響く。

 再び横を見るがそこには何もなかった。

 ボールがあったのなら割れている筈だ、と思ったジョンは深い溜息を吐きながら外へ出て何が当たったのか確認するが外には何も落ちていなかった。

 

「一体何なんだ?」


 ジョンは洗面台に戻って歯を磨く事を再開する。

 壁に掛けてある時計を見るとさっきまで多少は余裕のあった時間が全く余裕が無い事に気が付いて急いで歯を磨き始める。

 磨き終わり顔を洗って、そして用を足して軽い朝食を取ってから歯を磨いて顔を洗って。

 最初の中断以降は滞りなく進み、気分良くジョンは車に乗って職場へと向かった。



♦♦♦♦



「キョッキョッキョッキョッキョッキョッ」


 夜鷹の無く声が聞こえた。

 あの生き急ぐような早口がジョンは嫌いだった。

 幼い頃のジョンは何をするにしても一つ襲い少年だった。

 周囲から鈍間と言われ何時も急かされていた。

 フットボールをしたくとも鈍間だからと断られ、しまいには両親からも鈍間と急かれて生きて来た。

 だからジョンは急かす様に鳴く夜鷹が何よりも嫌いだった。


「キョッキョッキョッキョッキョッキョッ」

 

 夜鷹はそんなジョンの心境など知ってか知らずただ鳴き続けた。



♦♦♦♦



 ジョンは何時もの様に起きれなかった。

 とても頭が酷く重かった。

 付き合いで安いクラブに行ってブルームーンを勧められ粋がり無駄に強い酒を浴びる様に飲む同僚と、真面目に生きる事を自分から拒否したというのに環境の所為にする商売女が頭の中でタンゴを繰り広げ、翌日は酷い二日酔いに苦しんだ様な気分だった。

 それは働き始めた当初のジョンの働き始めた頃の質の悪い同僚との思い出だった。

 ジョンのまだ若い頃の思い出だった。

 記憶の片隅に追いやった苦い記憶だった。

 

「夜鷹の所為だ……」


 ジョンは億劫な気分で洗面台に向かう。

 早くしなければ水が温くなってしまう。

 ジョンは何時もの様に朝一番の冷たない水で顔を洗おうとした瞬間だった。

 バンッ!という窓に何かが当たる音が響く。

 ちょうど蛇口を開き一番冷たい水が流れた瞬間だった。

 眠り足りず思考がぼやけていたジョンは蛇口を捻って水を止める事を忘れて、流しっぱなしにしながら音の正体を探ろうと横を向く。

 しかしそこには何もいなかった。


「何だって言うんだ…あ!しまった……」


 そこでジョンは蛇口を開きっぱなしだった事に気が付いて慌てて閉めるが時すでに遅く、一番冷たい水も二番目に冷たい水も全て流し切り、ただただ不愉快な生温い水が我先に流れる様になっていた。

 ジョンはそれでも顔を洗わねば一日が始まらないと温くなった水で顔を洗う。

 まだ眠りたいと愚図る瞼も一瞬で物分かりを良くする冷たい水ではなかった所為かジョンの瞼は今も重く、次に髭を剃り顔を洗うがそれでもまだ瞼は愚図りまだ眠り足りないと主張して来る。

 ジョンは苛立ちを覚えながら歯を磨こうとした時、剃り残しがある事に気が付きブラシを元の位置に戻して再び髭を剃る。


 これで終わりだと顔を洗おうとした時だった。

 バンッ!という窓に何かが当たる音が響く。

 ジョンはどうせ振り向いても何も居ないのだろうと思い、そのまま顔を洗おうとすると「チュチュチュチュ」という何の鳴き声が聞こえて横を見る。

 そこには何もいなかった。

 雀か?とジョンは思いつつ顔を洗おうとする。

 またバンッ!という音が聞こえてジョンは横を向くがそこには何もいなかった。

 何が当たって来ているんだ?

 ジョンは確かめたくなり横を向きながら待ち構えるが何も来なかった。


「……馬鹿らし―――しまった!もうこんな時間だ!!」


 既に時間に一刻の猶予も無い事に気が付いたジョンは歯を磨く事を諦め朝食も取らず、顔も洗えずそのまま職場に向かう。

 ジョンは心の中で最悪な朝だと思った。



♦♦♦♦



「ジョン、酷い顔だぞ」

「マイケルか、ああそうだよ…今朝はとても酷い朝だったからね……」

 

 ジョンは同僚のマイケルに今朝起きた事を話すとマイケルは腹を抱えて笑い出す。


「お前、それは鳥の仕業だぞ」

「鳥?鳥が何で俺が顔を洗っている時に窓にぶつかるんだ?」

「偶然だよ、お前が顔を洗っている時にぶつかるんじゃなくて、ぶつかっている時にお前が顔を洗っているだけだ。気にし過ぎなんだよ、それとお前は顔を洗い過ぎだ」

「良いだろ、ずっとやって来た事だ。これからもするしきっと、生涯に渡ってやる」

「そうかよ、だけど自分が影でラクーンって呼ばれている事は気にしろよ」

「は?何だよそれ……」


 ジョンは仕事場でも何かあると顔を洗っていた。

 周りからはそれが病的に見えて影でラクーンと呼ばれる様になっていた。

 ジョンからしてみれば自分の身形に無頓着な周りの方が病的だと思っていた。

 カロリーやら健康やらを気にするのに自分の顔が綺麗かどうかは無頓着、そっちの方が病的だとジョンは思っていたがはっきりとは口にしなかった。

 前の職場でははっきりと言った所為で追われてしまったが故に本当に譲れない事以外は譲る。

 それがジョンの処世術だった。


「まあ、お前まで言わないでくれよ」

「言わねーさ、俺とお前の仲じゃねーか!」


 同じ時期に入社して何度も助け合って来た頼りになる同僚、マイケルの言葉にジョンは自分が過敏になり過ぎていたと自覚して明日からは何が起こっても気にせず顔を洗って気持ちの良い朝を迎えよう。

 ジョンはそう思って仕事に邁進した。



♦♦♦♦


「キョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッ」「キョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッ」「キョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッ」「キョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッ」「キョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッ」

 

 ジョンは夢を見ていた。

 最早、けたたましいでは言い表せない量の夜鷹の鳴き声。

 ジョンはただ悪い夢に魘されていた。

 それはジョンの幼い頃の一番辛い夢だった。

 両親はジョンが幼い内に離婚した。

 そうその夜も酷く夜鷹の鳴く夜だった。


「ふざけないで!貴方が先に浮気したんでしょ!これは仕返しよ!!」

「何度も言っているだろう、あれは浮気じゃないと!誤解だ、それに終わった話を持ち出して自分を正当化する気か!!」

「してないわよ!そもそも貴方が何時も何時も仕事の愚痴ばかりで私を苦しめて来たからでしょ!」

「そのおかげで屋根の下で眠れてるだろうが!それに飯だって、お前が勝手に俺の金で高いバッグを買ってるのも黙っていたやっただろうが!」

「すぐそれ!自分の都合が悪くなったらすぐそれ!ライルと大違いよ!」

「ライルって、お前、あいつと寝たのか!?」


 二人は言い合っていた。

 口汚く、お互いを罵り合っていた。

 愛し合って結婚したというのにこの頃の両親は些細な事で口論を始めていた。

 それを夜鷹は囃し立てるように「キョッキョッキョッキョッ」と鳴いていた。

 幼いジョンはただ耳を塞いでベッドの下で蹲っていた。

 幼いジョンには二人が怪物に見えていた。

 角が生え口が耳まで裂け、目はランタンの炎の様に赤く燃え、口からは火を吐いてお互いを鋭い爪で突き刺しながら揉み合っている様に見えて、幼いジョンはただベッドの下で蹲りながらそれが出て行き何時もの両親が戻って来るのを待ち望んでいた。

 早く化け物が出て行って、何時もの仲の良い両親が帰って来るのを幼いジョンは切望していた。


「うるさいクソ男!」

「何をする、やめ―――」


 パン、パン、パン、という乾いた音が響いて幼いジョンは何が起こったのか確かめようとベッドの下から出ようとした、すると誰かが二階に上がって来る音が聞こえてジョンは息を殺してベッドの下で蹲り続ける。


「ジョン?まだ眠ってる?」

「ねぇジョンどこにいるの?ねえジョン、ジョン、ジョン、ジョン、ジョン、ジョン、ジョン、ジョン、ジョン、ジョン、ジョン、ジョン!どこに行った!?」


 化け物は母の声で自分を読んでいる。

 そう思ったジョンは必死に息を殺して隠れ続ける。

 その間に化け物は部屋の中を歩き回りジョンを探す。

 するとベッドの前に辿り着いた化け物はゆっくりと屈んでベッドの下で蹲るジョンを見つける。

 隙間から自分を覗き込む母の姿をした化け物は優しく微笑む。


「ねえ、ジョン何で隠れているの?」

「ねえ、ジョン何で何も言わないの?」

「ねえ、ジョン何で震えているの?」

「ねえ、ジョン何で逃げようとするの?」

「ねえ、ジョン何で黙ったままなの?」

「おい、ジョン何か言えよ!」



♦♦♦♦



 夜鷹の鳴き声でジョンは殆ど眠れなかった。

 今日も朝の日課で洗面台に行くがその足取りは酷く儚げだった。

 顔には生気が宿っておらず何処か幽鬼の様な様相だった。

 肌は青白く血の気がどこかへ行ってしまい、目にははっきりと黒々しい隈が、目は真っ赤に充血して今にも眼球から血飛沫を上げそうで、歩く度にドタ、一歩進む毎にドタという音を立てている。

 洗面台に辿り着いたジョンは蛇口を開き顔を洗う為に水を出す。

 ゆっくりとそれを手で掬い勢い良く顔にブツケテ擦り付ける様に入念に執念深く、執拗に徹底的に顔を洗って行く。

 何度も何度も繰り返し顔を洗って髭を剃って顔を洗って、そして歯を磨いて顔を洗ってそして鏡に映る自分を見て引き攣った笑みを浮かべる。

 

「俺は、何でこんなに顔を洗う事に執着していたんだっけ?」


 ジョンはバンッ!という窓に何かが当たる音が聞こえて横を見る。

 窓には何も居なかった。

 ジョンはゆっくりと洗面台から離れて行く。

 壁掛けの時計は既に時間が大幅に過ぎている事をジョンに知らしているが今のジョンには見えていなかった。



♦♦♦♦



「お前、ジョンだよな?」

「そうだが……」

「その目の隈はどうした?酷過ぎるぞ」

「ああ……最近、夜鷹が五月蠅くて満足に眠れていないんだ………」

「眠れてないってお前……」


 マイケルは同僚の明らかな豹変ぶりに狼狽していた。

 仕事は真面目に例え同期や後輩が出世して行く中でも牛歩の歩みで着実に成果を上げて行き、先に行った者達が次々と落ち零れて行く中でも堅実に前に進んで行くジョンが、入社して初めてとなる遅刻をして現れた姿はほんの数週間前まで次期幹部と言われていた男とは思えない有様だった。


「俺の知り合いで精神科に勤務している奴がいる、紹介するから行ってこい」

「俺は別に何も……」

「何もない奴がそんな顔をするか!とにかくだ、出来るだけ早い内に行って来い」

「分かった、ありがとう」


 ジョンはマイケルの勧めで翌日、休暇を取ってマイケルの友人が働く病院に訪れていた。


「初めまして、ラッセルと言いますエドワーズさん」

「初めてまして……」


 まだ歳は若いのかジョンとは違い顔に皺一つなく何より活力に満ち溢れたラッセルはジョンを真っ直ぐ見つめて話を聞く。

 それはジョンの幼い頃の両親が離婚して父が失踪した話と、母が再婚した義父であるライルとのことだった。



♦♦♦♦



「鈍間の雀斑、さっさと顔を洗え!」

 

 ライルはジョンの顔を何より嫌っていた。

 父に似た顔立ちと雀斑の多い顔、何やら良く分からないが白人至上を掲げる宗教団体の幹部を務めるライルは父に似て肌が少し黄色いジョンをこれでもかと言うくらい邪険に扱った。

 日頃から顔を洗う事を強制する程に、理由はどうしてだったのかジョンは覚えていないが人種差別的な事ではなかったと記憶している。

 確か、義父の崇める宗教で信奉されている顔の無い神に由来する事だったと記憶しているが別に義父は頻繁に顔を洗ってはいなかった。


「おい鈍間の雀斑!遅い、早くしろ!」


 そして義父はジョンをこれでもかと言うくらい急かした。

 自分が周りより一歩遅い事を深く理解して優しく接してくれた実父とは違い、義父は常にその事に苛立ちジョンに辛く当たっていた。

 母はそんな義父を止める事はせず逆に賛同していた。


「ジョン、お母さんに恥をかかせて恥ずかしくないの?」


 決して暴力は振るわれない。

 ただ急かされる日々だった。

 そしてそうだった。

 それは突然、起こったのだった。


『さようならジョン、お母さんは丘に行って来るわ』


 ジョンが働き始めた頃に母から電話がありその言葉を残して義父と共に母は失踪した。

 丘とはどこなのか、ジョンには分からなかった。

 ただ集会に参加する際に決まって母は「丘に行って来る」と言って外出していた。

 ジョンは集会に行ったのかと思い気にしなかったが一か月後、義父と母が暮らす家の持ち主から家賃が滞納していると連絡が入りちゃんと支払う様に言おうと家に戻ると、義父と母の姿はなくただ崇拝していた顔の無い神の像が血で染まり酸化して黒く染まり近くで夜鷹が鳴いているだけだった。



♦♦♦♦



「分かりました、正直な所を言いますと寝不足で精神的に不安定になっているとしか言えません」

「そうですか……」


 ジョンの話を聞いたラッセルは最初は虚言を疑ったがその生々しい物言いから真実であることを悟ったが精神的な異常性は感じられなかった。

 一つ言える事は義父と母による精神的な虐待で顔を洗う事が出来ずに不安定になっていると判断した。

 PTSDの可能性はあるがまだ判断は出来なかった。


「エドワーズさん、今日は夜鷹の声が聞こえない様に音楽を聴きながら眠りましょう」

「はい、そうします……」


 ジョンはゆっくりと立ち上がって家に帰る。

 家に戻り買ったはいいが使う事無く放置していたCDプレイヤーを取り出す。

 帰り道で適当な商店で買った安眠効果のある音楽を夜鷹の声が聞こえない様に流す。

 窓は締め切る。

 蒸し返る様な夏の暑さはあるが少しでも開けていれば夜鷹の声が聞こえて来そうでジョンは窓を閉め切って音楽を流し眠りにつく。


 頭の中で延々と木霊して身に覚えのない、そう思える程に過去へと追いやった記憶を呼び覚ます夜鷹の鳴き声はジョンには届かず久しぶりにジョンは心地良い感覚に身を任せて深い、深い眠りの底へと落ちて行く。

 あと数センチ下りれば完全に夢すら見る事のない完全な無、意識が完全に途絶してから目覚めるまで一瞬の事の様に思える深い眠りに落ちる瞬間だった。

 それは静かに聞こえて来た。


『キョッキョッ』


 最初はただの空耳だとジョンは思った。

 窓を閉め切り音楽を鳴らしている。

 聞こえて来る筈はないのだ、ジョンはそう思ってもう一度底へと落ちようと心を無にする。


『キョッキョッ』


 それは確かに聞こえて来ていた。

 外からではなかった。

 まるで自分の内側から聞こえて来る様な感覚だった。

 ジョンは目を開けて音がする場所を探す。

 もしかしたら気付かぬ内に夜鷹が紛れ込んでいたのかもしれない。


「クソ、どこにいるんだ」


 ジョンは部屋を彷徨う。

 その間にも『キョッキョッキョッ』という夜鷹の鳴き声が小さく確かに聞こえて来る。


「クソ、どこにいるんだ」

 

 ベッドの下か?ジョンはそう思い先程まで自分が眠っていたベッドの下の隙間を覗き込むがそこには何も居なかった。

 どうなっているんだ?とジョンは疑問に思いながら部屋の中を歩き回るが一向に音の発生元を見つける事が出来なかった。

 その間にも『キョッキョッキョッ』と夜鷹は鳴き続ける。


「どこにいるんだ一体……」


 ジョンがそう呟いた時だった。


「ねえ、ジョンどこにいるの?」


 どこからか母に似た声が聞こえて来る。

 ジョンは声の方を振り向くがそこにはCDプレイヤーしかなかった。

 きっと寝不足で疲れている所為だ、だから幻聴何て聞こえて来るんだ。

 ジョンはそう思ってベッドに戻り眠り明日は休みをとってこの事をラッセルに伝えようと決める。

 中途半端に深い眠りに落ちそうになってから目を覚ました所為でジョンの目は覚めてしまっていた。

 もう一度、深い眠りにつくのは骨が折れそうだとジョンは思った。


「おい鈍間の雀斑!何している、早くしろ!」


 後ろを振り返りベッドに戻ろうした瞬間だった。

 義父の声が聞こえた。

 振り返るがそこにはCDプレイヤーしかなかった。


「まさか、な……」

 

 ジョンはCDプレイヤーに近付いて電源を切る。

 音楽は止まる。

 そして、夜鷹の鳴き声も止まる。


「ああ、クソ!どういう事だ」


 何でモーツァルトの曲が入ったCDから忌ま忌ましい夜鷹の鳴き声が聞こえて来たのか、ジョンは自分の精神が狂っていると思っていたら違っていた事に頭が混乱する。

 では、聞こえて来た義父と母の声は一体何だったのか?ジョンは疑問に思いながらCDを取り出そうと電源を入れる。

 すると再生ボタンも押していないのに急に曲が流れ始める。

 それは見る見るうち早回しになり、音楽がどんどん雑音に奇怪な音へと変化して行きそれに行きつく。


『キョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッ』


 夜鷹の鳴き声が部屋中に響き始める。

 息継ぎの無い鳴き声が響く。

 途切れる事のない鳴き声が響く。


「クソ!クソ!クソ!コンセントを抜いたのに!クソ!」


 ジョンは焦る。

 CDを取り出そうといくらボタンを押しても一向にCDは出て来ず、ならばと電源のボタンを押しても電源は落ちず最後の手段でコンセントから電源プラグを抜いたが声が今もCDプレイヤーから響き続ける。

 いやそれどころかさらに音量が大きくなる。


『キョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッ』


 ジョンは後ろによろめく。

 何が起こっているのか遂に頭が理解する事を諦めた。

 電源プラグを抜いても音は響き続ける。

 夜鷹の生き急ぐ様な、急かす様な、怪しい様な、不気味な様な、不快な様な、愉快な様な、奇妙な様な、異常な様な、雑音の様な、狂っている様な鳴き声がジョンのいる部屋の中で木霊して隅々まで反響する。


「ぁ…ぁ…ぁ…あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛!!」


 ジョンは近くにあった物を掴んでCDプレイヤーに叩きつける。

 それは重量があったおかげで容易くCDプレイヤーを粉砕する。

 これで壊れた。

 これでもう音は聞こえてこないジョンはそう思った。

 だが――――。


『キョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッ』


 鳴き声は途絶える事は無かった。


「何だよ!何で聞こえて来るんだよ!何でなんだよ!!ああああああああああああ!!」


 ジョンは発狂したかの様に叫び部屋から出ようとする。

 鍵など掛かっていないのにドアノブは全く微動だにしなかった。

 最初から回らない様に作れていたかの様に微動だにしなかった。


「クソ!クソ!クソ!クソ!クソ!クソ!クソォオオオオオオオオオお!」


 ジョンはドアを蹴りつけた何度も何度も、それこそ助走をつけて蹴りつけた。

 だがドアはビクともない。

 まるで最初からそこはドアの絵が描かれただけのコンクリートの壁の様にジョンが何度も蹴りつけてもビクともしなかった。


「クソ!グゾォ゛オ゛オ゛オ゛オ゛オ゛オ゛オ゛オ゛オ゛!!」


 ジョンは最早、自分が何をしているのか分からなかった。

 ただ、必死になって何かをしているだけだった。

 それでも夜鷹の声は鳴き響いていた。


『キョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッキョッ』



♦♦♦♦



 ジョンが目を覚ますと朝だった。

 時刻を見る。

 普段起きている時刻だった。

 最近は眠れず寝坊していた為か久しぶりに起きる何時もの朝の時間だった。


「俺は……一体………」


 昨晩の事はジョンは覚えていた。

 しかし他人事の様でソファーに座りながらドーナッツ片手にテレビを観ている時と同じ感覚だった。

 観ていたのがトークショーではなく頭のおかしな番組だった、その時と同じ感覚だった。

 ジョンは立ち上がり洗面台へと向かう。

 床に落ちている何か、重量のある物で破壊されたCDプレイヤーに目もくれず朝一番の冷たい清々しい水で顔を洗う為にジョンは洗面台へと急ぐ。


「ああ、気分が良い……」


 晴れ晴れとした気分にジョンは浸っていた。

 何日か、何週間か、何か月かぶりに顔を洗った気分だった。

 何時もの朝が始まる。

 ジョンがそう確信した時だった。

 バンッ!という窓に何かがぶつかる音が響いた。

 横を向き、窓を見る。

 そこには夜鷹が何度も何度も窓に向かって体当たりをしていた。


「………」


 ジョンは静かに洗面台を出る。

 玄関に置かれているバットを握って外へ出る。

 窓に今も狂った様に夜鷹が体当たりをしていた。

 ジョンが近づいて来ていも全く気にする素振りも見せずに一心不乱に体当たりをしていた。

 ジョンはバットを振り被る。


 グチャッ!という何かを質量のある物で叩き潰す音が何度も響く。

 グチャッ!グチャッ!と音が響く。

 そして。

 バンッ!という何かが何かが当たる音が響いた。

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