第二話 傍観者

 ゲーム内の個室。

 淡く発光する仮想キーボードに指を躍らせ、彼は新たな記事を更新していく。


 二〇三五年、六月。

 VR・AR技術の発展と普及により社会の形も変化しつつある日本で、とあるVRゲームが人気を集めていた。


 フルダイブ型VRMMOロボットアクションゲーム――『インターステラ』。


 日本発のこのタイトルは、自由度の高さと膨大なコンテンツ、そしてなによりもアバターデザインのシステムを特徴としている。

 付属の3Dモデル作成ソフトにより「トラバース」と呼ばれるロボットを自由にデザインできるこのゲームは、多くのロボットファンの心を掴んだ。


 そんなゲームに夢を見た少年が、ここに一人。


 西郷隆則、十六歳。


 彼はゲーム内webニュースサイト『スクラップStストリート.』を運営する、情報民だ。

 情報民とは、ゲーム内で情報のやりとりをメインとするロールプレイのことで、彼が情報民を続けておよそ一年たつ。


「このぐらいでいいかな……」


 最後の記事を書き終え、西郷は身体アバターを宙に浮かせ横になる。

 はた目からは空中浮遊してるように見えるだろうがそれもそのはず、いま西郷の個室は無重力空間に設定されているのだ。仮想空間だからこその芸当である。

 西郷は五分ほど思考を停止して宙を漂ったあと、執筆したばかりの記事に目を通す。


 インターステラ情報発信webニュース『スクラップSt.』。

 本日の更新:五件。


【世界大会】

 インターステラ2周年記念世界大会まで二週間!

 初代世界王者は誰だ!

 本選出場選手まとめ。


【VRアイドル】

 VRアイドル戦争勃発!?

 賊民アイドルことゾイちゃんが、言ノ葉テルに手袋を叩きつける!

 有識者は「好意の裏返し」と分析するが……!?


【国際問題】

 海外ギルドLeviathanリヴァイアサン遠征PK問題に朗報!

 イズル師団、国際治安機構日本支部、豆腐こんにゃく同盟が立ち上がる!

 遠征PKに終止符か……!?


【噂・都市伝説】

 インターステラは、人類が地球を発見するまでの物語だった!?

 散りばめられた謎と伏線を考察!


【噂・都市伝説】

 インターステラは軍事訓練シュミレーションゲームだった!?

 ささやかれる陰謀論を徹底検証!



「ああー、でもアクセスも収入も大して増えないんだよなぁ」


 自分の記事を読みながら、西郷は嘆く。

 スクラップSt.のようなゲーム内ニュースサイトやブログは、一般的にゲーム内資金を支払うことで購読可能だ。

 情報民はこういった情報の売買で利益を得るのだが、西郷レベルではトラバースの修理代が関の山であった。


 記事を眺める西郷の目が、ある一点で止まる。

 彼が見つめるのは「世界大会」という四文字。


「世界大会に、遠征PKの討伐隊――みんなすごいな……」


 西郷はインターステラにおいて最古参にあたるプレイヤーだった。

 かつては率先して最前線コンテンツに挑戦して戦果を上げ、ギルドマスターを務めた経験まであった。


 しかし、上を目指せば誰しも壁にぶつかる。

 乗り越え続けた者だけが頂を望める。

 脱落者にそれは叶わない。

 西郷は、壁に屈した人間だった。


 蘇るのは昔日のギルド戦争。

 彼の作戦がことごとく裏目に出た。

 ギルドメンバーみんなで六か月かけて建造した機動要塞を、たった一度の戦闘で失った。


 かつての仲間への罪悪感と、羞恥心。

 そしてなによりも胸を抉るのは、自分を慕ってくれていたはずの後輩が発した一言。


「できないなら、しないでくださいよ――」


 この言葉が西郷を放さない、許さない。

 そうして挫折し、脱落し、今では挑戦し続ける人々を取材する側に回った。

 壁を乗り越え打ち壊しながら頂を目指す彼らを、忸怩じくじたる思いで見守るだけの日々。


 胸の残火は不快に揺らぐ。

 完全に燃え尽きることも、逆に大きくなりすぎた炎に身を焦がすこともできず、わだかまりだけが積もる。


 だが、それでも耐えるしかないのだ。


「……俺には、できない」


 幾度となく繰り返した「確認」だ。


(俺の夢を成し遂げるのは、他の誰かだった)


「ただ、それだけなんだ」



 記事をまとめてアップロードした後、ゲームからログアウトする。

 ゲームを続ける気分にはなれなかった。


 カプセル型VRデバイスARDアルドから起き上がれば、視界には親しみ慣れた自分の部屋。

 ARデバイスの使用を前提とした、白くまっさらな個室。

 窓の外は暗い。

 チョーカー型ARデバイスADDアッドで確認すると、すでに夜の七時を回っていた。メッセージが何通も届いている。


 ARDとは「Alternative Reality Device」の略で、この時代のVRデバイスの総称として定着している。

 ADDもまた「Augmented Depiction Device」の略で、ARデバイス全般を指す際に用いられる。


「飯、用意しないと」


 そのつぶやきを待っていたように、ADDにボイスチャットの申請が届く。

 視界内に了承/拒否の選択肢が出現、西郷は了承をタップする。


『あ、つながった。たー、当番忘れてませんかー』


 通話相手は、わけあって西郷家で引き取り一緒に暮らしている義妹のエルだった。

 ちなみに「たー」とは隆則の愛称である。


「すまん、今からやる」

『ADDからの通知切ってるでしょ』

「記事書くときは集中したいんだよ」


 八方美人気味な西郷はゲーム内外に知人が多く、そのせいで通知地獄に陥っているのだった。

 もっとも交友関係の広さがそのままスクラップSt.の運営に活かされている面もあるため、八方美人の功罪といえる。


『スズメノナミダSt.がなんだって?』

「お、おまえな、言っていいことと、悪いことがあるんだぞっ」


 エルに揶揄にされた通り、西郷の情報民としての収入は雀の涙ほどしかない。

 一時間も狩りをすれば一日分の購読料を稼げてしまうという残酷な真実に打ちのめされ、西郷が枕を濡らした夜は数知れない。


「でも雀通りっていいな、雀がいっぱいいるんだろ」

『……たしかに、かわいい』


 かわいいものに弱い義妹だった。


『あそうだ、たー聞いて聞いて、すごいよ』

「どうした」

『そっち行って話す』

「ふーん」


 通話が切れて間もなく扉がノックされ、返事を待つことなくドアが開けられる。

 現れたのは昨今では珍しい天然のブロンドヘアーを持つ妹だった。


「あのさ、インターステラ今度世界大会やるじゃん」

「うんうん」

「そのイメージキャラクター、私になった」

「へー…………は?」


 エルこと西郷エルシーラは中学生にしてVRアイドル活動をしており、新進気鋭のVRアイドル言ノ葉テルとして人気を集めているのだった。


「なんか急遽オファーきて? 本来予定してた人が問題起こしちゃったらしくて?」

「お鉢が回ってきたと」

「そうなんだなー、困ったなー!」


 自分のほっぺに掌を当て、ふりふり揺れながらニヤけるエル。

 余裕で兄をぶっちぎっていく妹に、西郷は世界の無情さを覗き見た。


「……今晩のおかずさ、兄の姿煮でもいいかな?」

「は? いらない」

「煮込まれたい気分なんだよ……」

「バカいってないでハイ動く!」


 その晩、西郷家の食卓は涙の味がしたという。

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