3-39(最終)

 


 窓からはサイロがみえる。建物がならぶ中心地からすこし離れた牧草地であった。時折、牛の鳴き声や馬のいななきが響いてきた。閑静な場所で、二十世紀初頭のアメリカの田舎町と思しき風景が広がっている。

 近くには三階建ての白い建物があった。個々に部屋が設けられ比較的大きい窓がある。数ある窓のうち、一箇所の窓のみが開け放たれていた。その開け放たれた部屋の簡素なベッドには、眠っているキャサリン・シェーミットがいた。部屋へとハリー、そしてリンの姿が入ってきた。空が暗い分、部屋の中はいくつかの照明に照らされている。

「気がついたのか? キャサリン」

 ゆっくりとまぶたを持ち上げ、キャサリンがハリー、リンの姿をみた。生まれ変わった赤ん坊の眼差しであった。すがすがしい顔である。

「ハリー……、リン」

 彼女がベッドで起き上がり目を覚ましたことに気づき、ハリーは突然彼女を強く抱きしめた。

「ハリー…………」

 ひとしおの沈黙が漂う。

「気がついてくれて、本当によかった」

 向き直り彼女を見つめた。

「助けてくれて、ありがとうな。

「ふふっ、こちらこそ」

 彼女も見つめ微笑んだ。

 わざとらしくリンは自分の存在があることを咳払いで示した。

「あー、んん、おっほん……、ボクもいることを忘れちゃいないかい? ハリー」

「ごめん、リン……つい……」

 ベッドから少し離れた。

「リンさん……」

「ま、ハリーの気持ちはわからないでもないけど……」

「それはそうと……」

 まぶしい照明に照らされ、キャサリンが自分のいる場所を訝しむ。ハリーに返答を求めつつ、リンにも一瞥した。

「ここって?」

 無理もないとばかりにハリーとリンが顔を見合わせた。

「俺らは、やっと地下通路を通り抜けることに成功したんだ」

「ホント? 本当なの?」

「ああ、フリージアのいるイプシロンシェルターに到達したんだよ!」

 屈託のない笑顔でハリーは応えた。

「ここは防衛局専用の診療所なんだ! 残念ながら、キャシーの言うには逢えてない。コンタクトを取るのに時間がかかるんだって」

 抑揚のない顔つきでリンがいった。

「そう……なんだ」

 うつむきキャサリンは残念な表情でつぶやいた。


「なぁ、キャサリン……」

 興味深くリンが訊いた。

「あのダメージを受けたあと、君は何時間も生死の境を彷徨さまよっていたと思うけど」

 おもむろに窓の方角に眼をむけた。穏やかな風が木々の葉を揺らす。遠くからは馬のいななきや牛の鳴き声が聞こえてきた。

「あたし……、意識が消える前に夢を見てた」

「……?」

 リンが問い返した。

「夢?」

「うん、子供の頃の夢だったの」

「へぇ、どんな?」

 リンが興味深そうな顔で訊いた。

「リンさんにも前、話したと思うけど、ハリーと雪の穴に落ちたって話したでしょ?」

「うん」

「その穴の中のはずなんだけど、ヴェイクや義父さん、アルファシェルターからハリーに会うまで支えてくれた人たちが、不思議と一人ひとり、目の前に現れたの。くじけちゃいけない、頑張れ、あきらめるなって」

「……」


(あの時のことか?)


 ハリーも驚いた表情をしている。よほど彼女の中で印象が強かったのだろう。

「あたし、夢の中で【諦めちゃいけない】って繰り返した。そのうちにフリージア義姉さんの顔が浮かんで、声が聴こえてきたように感じたの」

「へぇ、キャサリンのオネエサンに励まされたのか。よっぽど慕っているんだな。生還できたのは、君の絆の中にいる彼女のお陰かもな」

「あの雪の穴でのことはに必死だったからな」

 幼少期、ハリーはベータシェルターに滞在中、度胸試しにフリージアとキャサリンを巻き込み巨大な橋を渡ろうとした際に滑落した。穴の中に閉じ込められた彼にとって、エルシェが口癖のように叫んでいた【諦めてはいけない】というフレーズが耳に残っていたのだ。こんな形でキャサリンに伝わることになろうとは、と不思議な気持ちであった。

「ここに俺たちが来たことがわかれば、フリージアにはすぐにでも会えるさ!」

 リンを一瞥すると彼女も頷きを見せた。




「なあ、キャサリン」

 顔を見上げキャサリンがハリーの方に向き直る。

「ひとつ思い出してほしいことがあるんだ」

「? ……?」

 首をかたむけ訝しく見つめる。

「なにかしら?」

「俺が雪の中で倒れていた男を発見したときの日のことなんだけど」

「双眼鏡で男のひとを発見したときの?」

 ああ、と大きくハリーはうなずいた。

「俺が男の荷物の中から手紙を発見して、すぐにシェルターの中に行ってしまった後、荷物の中をキャサリンはみたか?」

 リンが傍らで聞き入るように腕組し、壁にもたれかかった。

「あの時、あたしが連絡したシェルターからの人たちとハリーが行ってしまって、それに続いてサムまで戻っていったから、心細くなっちゃって」

「それで?」

「遅れて、ダウヴィさんが監視塔に来たの」

「ダウヴィが……」

「多分、シェルターの中で入れ違いになったらしくて、あたしが『男のひとは運ばれていったわ』って言ったら、荷物の中身をテーブルの上に並べ始めていたわ」 

「キャサリンも荷物をみたんだね」

「ええ、食料とか寝袋とかいろいろ押し込められていたみたいで、全部は出せなかったの」

「出せなかった……?」

「むりやり入れたみたいで、荷物のサックを引き裂かないと取りだせないことが分かって、一旦シェルターに運ぶことになったの」

 壁に寄りかかっていたリンが返す。

「それで、サックを割いて全部取りだした」

「ええ、もちろん」

「そこにメモリーチップらしきものがなかったか? 」

「あったわ! すごく厳重になった灰色の耐冷ボックスで、ダウヴィに訊いたら科学者が重要な記憶を持ち歩くために作られた金庫のようなものだって」

「それで……?」

「それで、ダウヴィがどうやって開けたかわからないけど、プラスチックケースに入った二センチ四方のメモリーチップが二つ並んでいるのがあったわ」

 やはり二つか、とぼそりとつぶやいた。

「キャシー、もう一枚のメモリーチップはどうしたんだ? 俺が手渡されたのは一枚だけだったが」

「ダウヴィさんが持っているはずよ。聞いていないの? てっきりダウヴィさんから聞いているのかと」

 彼女の肩を両手で抑え、

「それだ、それだよ! あの時、どうして耐冷ボックスごと持ってこなかったんだい?」

「ハリー、ハリー、痛いったら」

 ごめん、ごめん、と謝りハリーはすぐに手をどけた。

「それが、耐冷ボックスを持っていこうとしたとき、ダウヴィがあとで説明するからとか言って、理由を教えてもらえなかったの」

「それじゃ、まだダウヴィが?」

「まだ、ダウヴィから受け取ってないの?」

「ああ、これからさ。ダウヴィに納得のいく説明を聞きに行く」

 ひとつの希望が見えてきたとハリーは確信した。だが、ダウヴィがなぜ耐冷ボックスを隠し続けていた謎がのこる。

「キャシー、ありがとう。俺の不注意からこんなことになってしまったけど、君のおかげで最悪を免れることができるかもしれない」

「まあ、君の不注意がいい結果に傾いたけど、今後は気をつけてくれよな」

 リンが鼻でわらい、キャサリンもつられてほほ笑んだ。


 アルファシェルターから旅立って三か月、イプシロンシェルターに滞在してから数日が経つ。滞在期間が短くなる中、ハリーはガスターミュからの連絡を待ち望んでいた。シェルターに滞在する間に、もう一つのメモリーチップのことをダウヴィに訊きたかったのだが、彼は地下通路に残してきたことに気づいた。

 厳重に隔離された電波塔に入るための手続きの報告を受けるためであった。電波塔までの区間は、入出許可がでにくいという話を聞かされる。管理区が、かつてのロシア領地であるためだった。

「おお、ハリー、おまえは運がいいな。いま、ガスターミュから連絡があった」

 部屋から廊下へ出ようと扉を開けたところで、ロウの明るいの声が聞こえてくる。

「やっと、電波塔への許可が下りたのですか?」

「ああ、外でガスターミュが待っている。やっと仕事が一段落ついたそうだ」

 ロウはリンの部屋にも声をかけた。だが、返事はなかった。しかたなく、彼の待つ外へとフレデリックとともに向かう。


 外にはすでにリンの姿があった。彼らの到着を待っていたようである。二言三言かわすとフレデリックに彼女が駆け寄っていく。

 ガスターミュがカードキーと携帯型酸素ボンベを手渡してくる。

「これから行くところは管理区ではいちばん空気が薄いところです。体調に応じて酸素を補給してください」

 電波塔までの区間にはセキュリティのためか武装した兵士が配置されている。

 しばらく進むと美しいまでの曲線に映える鉄塔が目の前にあらわれる。数十メートルの高さの上には直径十メートル級の巨大なアンテナが一基あり、その周りに小型のアンテナが並んで東の空を仰いでいた。

 たえず暗雲に覆われた東の果てにかすかながらも薄い小さい縦筋がみえた。細く小さい輪郭がハリーにしばらくの間立ち止まらせた。わずかな希望をみせていた。奮い起こされる情熱が彼の中で燃え上がった。

 ふたたび電波塔に向け歩き出す。

 入り口付近にはひとりの女性が立っていることにハリーは気が付いた。幼くして呼び起こした記憶とはかけ離れた凛々しくも、品のある顔つきと引き締まった体格を持ち合わせた美女だった。幼少期の顔の輪郭に彼はすぐフリージア・シェーミットだと判断した。


(キャサリン、フリージアに再会することができたよ)


 満面の笑みを浮かべた女性は、ハリーを見つめていた。

「ハリー、久しぶり」

 ハリーはその笑顔にしばらく酔いしれた。



    Snow Dystopia 第二部 完   第三部へつづく

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