3-37

 

 天井から煌々と明かりがともり、高い天井とかつての装置らしきものが乱雑に置かれた実験場らしき場所の様相があった。

 大広間に聞こえるほどの男の声が響きわたる。

「遅かったな。ハリー、メモリーチップを取り返しに来ると踏んでいたが、待ちくたびれたぜ」

「サム……」

 そこに佇んでいたのは、メモリーチップを奪ったかつての仲間サム・ポンドであった。後ろには奇妙なフルフェイスのマスクを付けた人間と、数人の部下と見られる男がこちらを睨みつけている。

 サムの表情に怯えている眼はなく、気丈に満ち落ち着いている。旧変電所で見た顔とは別人であった。後ろからサムの横に来た奇妙なフルフェイス姿の男が、恐れをまったく知らない様子で堂々と腕組みをした。顔をすっぽりと覆い、腰には拳銃の入ったベルトがみえた。頭から首まで覆い被さっていることから男か女かも判別できない人間であった。

「サム? 本当にサムなのか?」

「おい、おい、オレの顔を忘れちまったわけじゃあないだろ」

 鋭い目つきにサムがハリーを睨みつける。懐からメモリーチップを取り出した。手で弄んでいる。

「それは……」

 サムの様子は素直に渡す顔ではない。

「このメモリーチップ、もうオレには必要ない! せいぜい苦労してタワーとやらを探すこったな」

「何をする気だ! サム」

 サムがメモリーチップを指で弾き高々とハリーの方へ放り投げた。放物線を描き落下するかにみえたチップが瞬間、フェイスマスクの男が銃を構え、発砲する。

「や、やめろっ!」

 チップに当たり粉々に砕け散った。

「なんてことを……」


(唯一の手がかりが……)


 ハリーは愕然とした。彼の絶望感に満ちた状況で、サムが瞳孔を開き狂った目つきで歓喜した。

「いいぞ! その顔だ。絶望的にあふれた。期待感を完全に断たれた顔つきだ」

「狂ってる!! あんた、本当にサムなのか?!」

 ハリーの横で見ていたリンが叫んだ。

「もう、アイツはあの時のサムじゃない」

 俯きながらいった。

 彼の後ろにいた中年の男が、サムの顔を見つめている。

「サム軍曹。その顔はどうやらにやられ、制御ができなくなったようだな」


(くすり……?)


 低くしわの入った声がサムに向けられた。話し始めたのは、ホイッスルであった。

「そ、その声は?」

 とたんに自信に満ちていた顔つきが、怯えの顔へと変化する。

「久しぶりだな。まさか上官の声を聞き間違えることはないだろ」

 ハリーよりも前に出てくるとホイッスルは強い口調でサムに近づく。

「う、うるさい! お、オレはお前よりもえらくなったんだ!」

 動揺し狼狽えをみせる。見栄を張った強気の発言でサムはいきがった。

「ほぉ、キャンキャン騒ぐ子供の心が変わらないところをみると、理性はまだあるようだな。えらくなった報酬が、自分を強くするという薬を得ることだったのか?」

 挑発の眼差しをホイッスルは繰り返す。

「だ、だまれっ! あんたに何が分かるっていうんだ! ウォルターと苦しい思いをして訓練を重ねてきた日々に、あんたは親でもないオレに命令だけだっただろ!」

 ホイッスルは黙り込んでしまう。彼の代わりにロックが、

「サム、お前は勘違いしているんだ。お前の若さのあるうちに心の強さを鍛える必要があったから、敢えて厳しい接し方をしたんだ!」

 と大声で訴えかけた。

「何を言われようがオレは、ロック博士の薬が必要なんだ!」

「フン、薬で頭がイカれたか? お前の施された薬は、まやかしにすぎないんだ!」

 憤怒のまでにホイッスルは興奮している。

「あれほどには手を出すな、となんども警告したはずだ!」

 何を決心したか、彼は拳を握りしめうつむく。


 刹那、横から突然ソバットがホイッスルの顔めがけ炸裂する。彼は瞬時に判断し、両腕でガードする。だが、衝撃で態勢を崩されよろけてしまう。仕掛けたのはフェイスマスクの人物であった。

「ホイッスルさん!」

 ハリーは叫んだ。

「それ以上の侮辱ぶじょくは、この俺が許さん!」

 フルフェイスの男と見られる低い声がホイッスルに浴びせられる。態勢を立て直すもホイッスルは、ニヤリとほくそ笑んだ。

「その蹴りの強さは、やはりウォルターか……」

「老いぼれに応える義理はない」

 低くこもった声が響いてくる。半身の構えからマスク姿の男は、足の長さを生かし上段蹴り、中段蹴り、下段蹴りと連続攻撃をしてくる。まるで、次の蹴りが見えるかのようにホイッスルは、いとも容易くかわした。

「大きく出たもんだ! 上官を老いぼれ扱いとは見くびられたものだなぁ。体術を教えたのはこのオレだってことを忘れたわけじゃあるまい」

「減らず口がっ!」

 次の蹴りに身をよじらせホイッスルは、肘鉄を喰らわし風圧でフェイスマスクを脱がした。

「……!!」

 出てきた顔にその場にいた者たちはおどろいた。明かりの影の中で、フェイスマスクの男の口もとが不気味にほほ笑んでいる。

「どういうことだ!?」

 最初に驚きの声を上げたのはロウであった。

「おまえ……」

 冷静に身構えホイッスルが言った。

「命拾いしたな老ぼれ。勝負は一時的におあずけのようだ」

 サムたちは、素早く後方にみえるガス管の足場を利用し飛び上がった。

「待てっ!」

 サムの声と同時に複数の足音がとびらの奥から響いてくる。



 突如、扉の奥から数人の兵士とともに凛々しい姿の若い女性がなだれ込んでくる。ハリーたちの前に立ちはだかった。後に続き四十代半ばとみられる男があらわれた。

「イプシロンシェルター管理局の者だ! 全員その場で動くな!」

 いきなりの大声にホイッスルがその場で硬直した。その隙を見逃さずにいたサムとフェイスマスクの男は、陰に身をひそめどこかへといってしまう。

 大声の主はブロンズヘアの女性であった。凛とした顔立ちと勇ましい立ち振る舞いに、誰もが見惚れるほどの美貌があり、荒々しい響きの透きとおった声である。

 女性がひとりの男に近づき、

「連絡を受けて駆けつけた。フレデリック、急病人というのはどこか?」

 フレデリックが親指を立て、向こうだ、と示すようにキャサリンを見る。若い女性が一瞬、何かにきづき彼女の顔を細部までみつめた。

「この者が?」

「本名はキャサリン・シェーミットだ! 早いところ手当をお願いする」

 女性がフレデリックに再度振り返った。

「キャサリン……? そうか、この子が」

 すこし俯くと優しい口調で顔を曇らせた。

「どうかしたか?」

 訝しくフレデリックが若い女性に訊ねた。

「いや、何でもない。フレデリック、後で診療所まで顔を出してくれ! 詳しく事情を聞きたい」

 低い口調に置き換わりこたえた。

「診療所?」

 ハリーが低く呟いた。 

「了解だ!」

 フレデリックが深々と頷いた。

 兵士たちがキャサリンを携帯型の担架に乗せ去っていった。

 ブロンズヘアの女性が上司らしき中年の男と話し込む。女性はまるで任務を終えたように去っていった。男は振り返りロウに近づいてくる。

「ロウ、久しぶりだな。まさか、こんな所で再会するとは」

「ああ、まったくだ!」

 ハリーとリンが怪訝な顔で中年の男性を見つめていた。

「ロウさんの知り合いなんですか?」

「おう、そうだ。紹介しておこう。ハリーは何度か旅をしているが、コイツに会うのは初めてだよな」

「ツェルマット・ガスターミュだ!」

 ロウが手を彼の肩に乗せた。

「コイツは私と同期の軍人上がりなんだ。イプシロンのことなら何でも知っている」

「ハイリン・ヴェルノです」

「リン・シライといいます」

 納得の表情でガスターミュは、ハリーの顔をみつめた。

「ふむ、ヴェルノ博士に顔立ちがそっくりだ」

「父をご存じなんですか?」

「もちろんだとも。もう十年以上も昔のことだが、あの顔つきと話し声は耳に残っているよ」

「ヴェルノ博士はこのシェルターにどのくらい滞在していましたか?」

「私が憶えている限りでは一週間ほどだったと思うが、ほぉ、君は?」

 ガスターミュが彼女の眼と顔の輪郭をみとれた。

「東洋人か?」

「あ、はい」

「ここ数年、東洋人と会う機会がなかったのだ。先代の噂だと気象タワーの建築技術に駆り出され、それっきり帰ってこないという話を聞いていたものだからな」

「技術者集めに?」

「ああ、詳しい話はあとで。今はこの地下通路を抜けてしまおう」

「そうだな」

 実験場をあとにしたハリーたちは、地下通路の出入り口からイプシロンシェルターに到達した。


                    38へつづく

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