第8話戦場。そして帰還。

 わたしは今、砂漠のど真ん中にいる。

 体中、砂だらけだ。

 靴の中、制服の下、下着の下、髪の毛の中、目の中、口の中。ありとあらゆる場所に砂が入り込んでくる。

 一度、後方のバンガジに休暇で下がったとき、部下のジョリオはホテルの浴槽のお湯を3度も替えながら「うっへえ。まだ浴槽の底に砂場ができるぜ」と言ったぐらいだ。


 ここはバンガジから270キロも離れた場所。

 生きてバンガジで浴槽に身体を沈めることができるかどうかの保障はどこにもない。


 わたしの属する部隊は敗走中で、すぐ後ろをエルフランド軍の戦車が迫ってきている。

 わたしたちはザールラント軍のように8輪駆動車もなければハーフトラックも持っていない。

 砂漠は寒暖差が激しい。夜間、疲れた体に鞭打ち凍えながら歩いてバンガジを目指している。


 一年前、わたしはサルヴァトーレに助けを求めに行った。

 サルヴァトーレは鷹揚に頷いた。

「簡単ですよ。お嬢様。彼女たちに安全な隠れ家を用意し、信用できる部下をつけましょう。彼女たちに何びとたりとも指一本触れさせませんよ」

「そうではないのです。サルヴァトーレさん。彼女たちは自分の身は自分で守ります。たとえ守れなくても後悔する人たちではありません。皆一人前なのです。わたしが欲しいのは情報なのです。誰と戦っているのか?どうやって戦えばよいのか?そのための情報が欲しいのです」

「お嬢様自身もお嬢様のご友人の方々もなぜ皆、茨の途を進もうとするのでしょうか?時には全面的に頼ってもらいたいものですね。

 ところで、お嬢様がたの敵はこの国の秘密警察の親ザールラント派です。そして、そのザールラント派の隠れた親玉にジャコモ・プッチーニという奴がいます。コイツが例の悲恋物語の恋人でもとジョバンニ・ガブリエリというのだそうです」


 わたしはドメニコ憲兵少佐に話を聞き、ジョバンニがジャコモと入れ替わっていることをすでに知っていた。


 サルヴァトーレはわたしに忠告した。

「お嬢様は過去に何度もザールラントの連中に煮え湯を飲ませています。特にポロニア人のことについては連中にとって許し難いことでしょうな。連中はまもなくラーラに乗り込んできますよ。

 今回のことはザールラントの走狗である秘密警察が目ざわりなお嬢様と彼らからすると裏切り者のマリーア・アンドロニーコとを一緒に葬り去りたかったからなのでしょうな。

 情報が漏れたのは大評議会のメンバーの中に隠れた親ザールラント派がいるからでしょう」


 わたしはこうして国内の親ザールラント派に睨まれ、色々あった挙句、くたばりやすいようにと左遷され砂漠の戦場にいるのだ。


 +


 エーコが引きずりおろされてから、ザールラント人はメラリア人の欲しがらない大量の武器と軍事顧問団を送り込んできた。そして、メラリア人に戦えと迫った。

 ヴィットリオ国王はのらりくらりとザールラントの要求を躱していたが、国内の親ザールラント派が騒ぎ出しガス抜きのために適当に戦線をつくらなければならなかった。それがメラリアの最南端の東側から海を越えたところ、エルフランドの植民地との間にある砂漠であった。

 ほとんど遊牧民しかおらず人口密度の極めて薄いところで、かつ何らかの地下資源が眠っているわけでもないからよもや大規模な戦闘が行われるとは誰も考えもしなかった。

 バンガジまでは鉄道がきており、港まであったことから最前線の補給基地となっていた。

 もともとメラリア人に戦意はない。燃料不足を理由にメラリア軍はそこから一歩も動こうとはしなかった。


 しかし、ザールラントの総統直々に任命されたエーリッヒ・ケストナー将軍が乗り込んできてから事態は一変した。

 ラーラで彼はメラリア軍参謀本部の面々を前に地図を指さしながら「どうしてもカイナ砂漠を横断してハイファを占領しなければいかん。ハイファさえ占領すれば永久にエルフどもを南海から追っ払うことができる」と大獅子吼した。

 参謀たちが青ざめて抗弁したが、彼は「なに?燃料不足の上に戦車も飛行機もない?問題ない。十分戦車も飛行機も持っている軍団を私みずからが率いて出陣するからな」と退けてしまった。

 この将軍は狂っているくせにやたらと精密な計画を立ててそれを完璧に実行できる典型的なドワーフの軍人だった。つまり、有能すぎて無茶をやりたがる軍人だったのだ。


 ザールラントとの共同の大本営の決定でバンガジに駐屯していたメラリア軍の多くが転出させられ、代わりに全軍から筋金入りの全体主義者などが選出されて交代要員として送り込まれた。わたしもその一人である。


 エーリッヒ将軍が勇躍して軍団を率いてバンガジから砂漠を横断しはじめると、エルフランド軍も進出してきた。

 砂漠では戦車を中心とした機動戦がすべてだ。土地の占領はあまり意味がない。いかに相手の意表を突いて主力に痛打をあびせるかで勝敗が決まる。

 エーリッヒ将軍はやはり有能だった。エルフが小出しに戦車隊を使えば集中して撃破していくわ、エルフの戦車の大集団が襲いかかってきても有利な地点に対戦車砲陣地を置いて自滅させ逆に自ら機甲師団を指揮して追撃した。

 おかげでメラリア軍まで士気があがった。ドワーフの狂気がダークエルフにも感染しはじめたのだ。


 わたしもこの戦闘で初陣をかざった。

 エルフランド軍の戦車隊が側面攻撃をかけてきたので、わたしのいる部隊が阻止するよう命じられたのだ。

 なに。わたしは何もすることがなかった。ただ塹壕を掘ってその中から眺めていただけだった。

 昼、エルフの戦車隊が攻撃をかけてきた。

 砂漠では蜃気楼その他熱気で視界が揺らめく中、あまり性能のよいとはいえない照準器を操作してお互い大砲を撃ち合う。

 エルフの戦車には走りながら撃つという癖があり、なかなかこちらに当たらない。そのうえ榴弾を備えていないのでわたしたち歩兵や砲兵を傷つけることができなかった。ダークエルフ側の連隊の歩兵砲と対戦車砲だけでエルフの襲撃を完全に撃退できた。

 ただし、事件が起こった。

 エルフの戦車が撃退されているのを眺めていたわたしを背後から撃とうとした少尉がいたのだ。

 少尉がルガーのスライドを引き構えようとした瞬間、部下のミレッタ上級曹長が少尉の頭に銃口を突きつけてくれたおかげでわたしは死なずに済んだ。

 少尉は親ザールラント派だった。有能なドワーフの将軍のおかげで味方の士気があがったのを好機ととらえたのであろう。

 もちろんギャンギャン喚く彼をボコったのは言うまでもない。

 その後、彼は軍法会議に立たされることなく病気療養のためと称して後方に送られていった。


 +


 戦場での生活ぶりについて少しだけ語ろう。

 ドワーフたちはダークエルフが砂漠でパスタを茹でるとか根も葉もないことを言って嘲笑ったが、そんなことはない。メラリアの兵士はみんな不味いビスケットと缶詰で我慢していた。ただ士官連中には貴族出身者が多く自弁で大量の食料品を携行していた。彼らは兵士の見ている前でもおおっぴらにワインを飲んでごちそうを食べた。


 ドワーフも士官たちもメラリアの兵士にはなにもやらなかった。だから、メラリアの兵士にとって水は非常に貴重だった……。


 +


 話を戦況に戻すならば、その後もエーリッヒ将軍の軍団は快進撃を続けた。

 しかし、ハイファの30キロ手前まで来て停滞してしまう。

 補給が続かないのである。しかも、戦い続けてきた軍団の状態は酷いものだった。

 昼間の熱気。砂嵐。夜間の急激な温度の下がりっぷり。

 人員だけでなく機械類も砂にやられた。

 戦車の大半は傷物だった。それを現地で修理班が応急で修理し、逃げるエルフランド軍から鹵獲した車両まで使った。

 他方、エルフランド軍は、意地悪くパラシュートやグライダーを使ってコマンド部隊を送り込みこちらの補給線を脅かした。彼らは反撃するだけの物資の集積をハイファで待っていた。


 その後、やはりエルフランド軍の反撃ははじまり、エーリッヒ将軍の軍団は痛打されて撤退を余儀なくされた。

 彼の撤退戦も見事だったが、わたしのいる部隊はバンガジからはるか270キロ離れたところで彼に見捨てられた。


 +


 わたしのいる連隊では戦死、戦傷、逃亡、捕虜、病気で3分の2の人員を失った。

 つまり1個大隊になってしまった。

 連隊長は病気。その副官は戦死。参謀も戦死。大隊長も2名戦死。残りの1名は捕虜になっている。

 わたしを除く中隊長も多くが戦死もしくは戦傷を負った。連隊長以下傷病者は残ってる車両のほとんどでバンガジへ向けて出発した。

 後事を託されたわたしとウンベルト・ジョルダーノ大尉は相談して士官たちの携行していた食料その他を兵士たちに分け与えた。

 兵士一人あたま、ビスケット缶10個、缶詰11個、玉ねぎやレモンその他の果実9個、ワインの瓶2本、水入り水筒2本。

 そこで、わたしは兵士たちに告げるべきことを告げた。

「分かっていると思うが、わたしたちはバンガジまで270キロ歩かなければならない。

 うまくいって7日。下手をすれば10日以上かかる。

 今分けた食料を持ってさらに小銃、弾薬、背嚢、飯盒、毛布その他諸々を携帯すると30キロ以上の重さになるし嵩が高い。

 持ちきれないものは捨てろ。命がかかっているんだから自分で調整しろ。夜が明けきらないうちにできるだけバンガジに向けて進め。地雷の位置を知っているウンベルト・ジョルダーノ大尉が先導してくれる。

 それから、エルフランド軍の捕虜になりたい奴がいたらそれでも構わない。お前たちは十分戦った上見捨てられたのだ。敵前逃亡とはみなさない。ただし、バンガジへ向かう連中の迷惑にならないよう別の方角に歩け。

 あと、わたしはちょっとした作業をする。疲れるうえ危険だ。奇特な奴は手伝ってくれ」


 わたしも自身の身の振り方を考えていた。

 捕虜になるのが一番楽だ。しかし、わたしはラーラに戻りたい。だから、バンガジまでなんとか逃げ延びなければならない。


 兵士たちを見ていると、ジュリオが荷物から香水の瓶やら色とりどりの絹の布などを捨てていた。砂漠に女はいないはずだ。何を考えていたのだろうか?


 無線傍受と夕方の偵察で近くにエルフランドの偵察部隊がいることは知っていた。

 わたしはたった1台残っていた運搬トラックの燃料の大半をジョルダーノ大尉についていく水タンク車に詰め替えさせた。

 ボロのトラックは10キロ程走ればいいのだ。わたしのもとにはもとわたしが率いていた中隊の生き残りが集まってきた。


「何するんですか?大尉殿」

「敵の偵察部隊を襲撃する。死にたくない奴はジョルダーノ大尉について行け」


 誰も離れようとはしなかった。仕方がない。


 トラックに遺棄する予定だった重機関銃やら弾薬、それに地雷を積んで、迂回して敵の偵察部隊に近づいた。

 敵は一応歩哨は立てていたものの、夜襲の警戒はしていなかった。

 闇夜にまぎれてわたしたちは周囲の3地点に重機関銃を設置した。そのほか擲弾筒もありったけ並べた。それから、近くまでトラックを音を立てないよう人力で押して行き、地雷やら信管つきの爆薬を積み込んだ。


 よし、準備は整った。

 無人のトラックを敵のテントを張っているところ目指して突入させる。

 敵の歩哨がエンジン音に気づくが遅すぎる。

 わたしたちは周りから重機関銃、擲弾筒で攻撃をかけた。曳光弾で重機関銃の位置が知れるが構わない。


 トラックはテントを通り過ぎて敵のブレンガンキャリアー1台にぶち当たって大爆発した。


 くっそう!うまくいかない。


 敵は大混乱となった。わたしはひとしきり攻撃してから止め、敵に降伏を勧告した。


 反応がない。それでもわたしは大声で降伏を勧告しながら敵に近づいて行った。

 周りからうめき声が聞こえる。

 ついてきた部下に懐中電灯をつけさせ、片っ端から震えている敵兵の武器を取り上げさせた。


 ついにエルフの将校を発見し、「部下の命が惜しかったら降伏しろ」とわたしは短機関銃を突きつけた。

 腹部を撃たれたらしい彼は黙ってこうもり傘をわたしに渡した。


 わたしたちは降伏した敵兵に2日分の水と医薬品を残してすべて奪い去り、夜が明けきらぬうちに去った。

 仕方がない。言い訳はしない。わたしは強盗で人殺しだ。


 鹵獲した車両を走らせ、わたしたちはジョルダーノ大尉たちに追いついた。

 敵は30両以上の車両を持っていたが、主にトラックの爆発で半分以上破壊してしまった。

 わたしはジョルダーノ大尉と相談して全員の荷物を14両の車両に積んだうえ中隊ごとに乗車させることにした。あとは歩きだ。


 +


 3日後、わたしたちはジョルダーノ大尉の案内で敵にも味方にもあまり知られていないオアシスへとたどり着いた。

 以前からジョルダーノ大尉は自ら偵察隊を率いて砂漠を探索して回っていたのだ。当然地理に詳しい。

 一昨日、バンガジ方面で味方を襲撃した帰りらしい敵の戦闘機を見かけただけで、あれから敵との遭遇はなかった。


「このオアシスは現地の遊牧民が大切にしているところだ。私たちは歓迎されていない」


 ジョルダーノ大尉の説明通り、オアシスには原住民の宗教施設らしい丸屋根の建物が建っていた。


「遊牧民にとって外の人間は敵か友かに分けられる。彼らは敵には容赦しない。当然、私たちは彼らの敵であり、昼間に彼らが襲撃してこないのは私たちは人数が多く武装しているからだ。

 夜間、たとえ歩哨をたてようと彼らは襲ってくる。長居はできない。水を積み込んだらさっさと退散すべきだ」


 わたしがジョルダーノ大尉の説明を聞いていると、曹長が敵のニュースを傍受したと報告しに来た。

 バンガジの東方140キロの地点で味方の殿をつとめていたトーマ将軍が捕まったようだ。

 敵は丁度わたしたちと並走状態にあるらしい。敵の戦車隊と遭遇すればわたしたちはたぶん全滅だろう。


 わたしたちは慌てて出発した。敵より一歩でも早くバンガジにたどり着かなければならない。


 +


 しかし、間に合わなかった。

 2日後、バンガジ郊外で敵の戦車隊と遭遇してしまう。

 攻撃を受け、多数の者が死傷した。わたしもその一人だ。ミレッタ上級曹長とジュリオとが助けてくれたおかげでなんとか逃げ延びることができた。

 その後、ジョルダーノ大尉の先導でわたしたちは地雷原を抜けバンガジを守備している味方の砲兵の援護のもとに入り、遂にバンガジに入城できた。

 大隊は3分の2に減っていた……。


 +


 3日経った。わたしは味方の守備隊と敵が大砲を撃ち合う音を聞きつつ病院のベットで横たわっている。

 敵の主力がとうとうバンガジまで来てしまい、わたしたちは包囲されようとしていた。

 海は敵の潜水艦と飛行艇が獲物を求めて嗅ぎ回っており、港からは一隻の船舶も出せないでいた。

 さらに敵は郊外を押さえ、鉄道も不通である。

 飛行場ではドワーフの傷病兵たちが離陸していく輸送機に向かって泣き叫んでいた。


 とうとうラーラには帰れなかったなと考えていると、腕章を巻いた白いスーツの男がわたしのベットに近づいてきた。

「マリアカリア・ボスコーノ大尉ですな?」

 男は乾いた声で確認して脇の下からルガーを取り出した。

「……秘密警察か。ご苦労なことだな。お前はどうやって落ち延びる?」

「要らぬ心配だ。し」

 男は皆まで言うことができずにミレッタ上級曹長に意識を刈り取られた。男は彼女に後ろから首と拳銃を持つ腕を同時に締め上げられたのだ。


「大尉殿。ラーラへ帰りたいんでしょ。俺たちがつれてきますよ」

 ジュリオが言った。

「包囲されているのにどうやるんだ?」

 わたしはジュリオが奴らしくなくまともなことを言うのに驚きつつも聞き返す。

「掻払った敵のハンバー軽偵察車に乗って。必要なものは積み込んでありますよ。あとジョルダーノ大尉も一緒です。

 俺にはラーラに恋人がいるんですよ。早く帰ってやらないと可哀想でしょ」


 顔を洗っていないせいか砂漠の砂にやられたせいかジュリオの顔はところどころ皮がめくれていた。


 +


 ジョルダーノ大尉のおかげで敵をやり過ごし、次のアラゲイまでわたしたちは無事に着くことができた。

 到着した日、わたしを除く3人は冷えたシャンペンを両手に抱えて長時間浴槽に浸かっていたそうだ。彼らはバンガジでそれをやりたかったができずじまいだったらしい。

 わたしはシャンペンも飲めず、臭い身体のまま病院のベットに横たわった。無論、翌日には傷にさわりの無い程度で若い看護婦が身体を拭いてくれたのだが。


 結局、それから1ヶ月後、わたしはラーラへと帰ってきた。


 +


 軍医となったゲルトルートはロレーヌの前線に送られ、そこの野戦病院で傷ついた兵士や捕虜たちの治療にあたった。

 傷ついた者たちは後から後から送られてくる。ゲルトルートはほとんど休むこともせず、ぶっ通しでメスを使った。それでも患者はいなくならない。


 ゲルトルートはザールラントの鉄鋼王の娘であり、実家は親衛隊の幹部と親しかった。彼女は軍医にならずとも実家で贅沢な暮らしをしていてよかった。

 彼女が軍医になったとき、周りは国家に忠誠を誓う立派な態度だと評価した。

 しかし、彼女としては国家社会主義労働者党の影響が及びにくい陸軍に国内亡命するつもりだった。

 それに医者としての務めも果たせる、と強引に自らを納得させてのものだった。


 或とき彼女が野戦病院でいつものごとくメスを使っていると、親衛隊の将校が捕虜などほっておいて自分たちを治療しろと言い始めた。

 ゲルトルートは怒り狂った。

 「ここはわたしの戦場。ここのルールはわたしが決めるわ。死にかけてて治療の緊急度の高い者が最優先よ。かすり傷を負ったぐらいでグダグダ言うな!」


 ゲルトルートは親衛隊の将校を侮辱したとして最前線へと送られた。


 彼女はそこでも患者のために懸命に働いた。

 しかし、ある日、負傷者を収容しながら救急車で移動中、パルチザンの襲撃に遭い、以降、彼女は行方不明となってしまう。


 +


 その頃、大公女アルミとタイナは記録ニュースの映像を撮るためエルフランドの大森林地帯を抜けザールラント側に大きく突出した前線にいた。


 彼女たちが前に女王陛下の譴責を食らいメラリア王国に追放されていたのは、彼女たちがシネマに夢中になり反戦映画やエルフ社会の矛盾を暴く映画の作成者たちに資金提供したからであった。映画製作者には昔からポロニア人が多かった。

 映画作成者たちから彼女たちは映像の持つ人々に対する影響の強さについて説明を受けた。

 偽物でもフィルムを通せば本物らしく見える。それは事実ばかりか思想も同じ。現にザールラントでは盛んにプロパガンダ映画が作られているよ、と。


 彼女たちは考えた。

 人を洗脳するような映画はゴメンだけど、人があまり考えていないことへ注意を喚起する映画は重要なのではないのかしら。


 エルフランドへ帰ってきた彼女たちはまだフィルムへの執着を捨てきれていなかった。

 彼女たちは前線で記録フィルムを撮ってきて人々に見せれば、人々が戦争でなにが行われているのかを考える切欠になるのではないかと考えはじめた。

 そこで、兄上のエーロ伯爵やその他の知り合いの高位のエルフたちを説得して、前線に赴く軍人の映像記録班に新聞社の記者やカメラマンたちと一緒に潜り込んだ。


 復活した侯爵令嬢のエッラなどは彼女たちを白い目で見ていたが、彼女たちにはどうでもいいことだった。

 エッラがまた兄上のエーロ伯爵に近づいて嫌な思いをさせるのを止めたいけれども、彼女たちにはそれをするだけの力はなかった。


 +


 大公女たちのいた前線は激戦となった。

 突出部を切断して包囲しようとザールラント側が持てるすべての力を注ぎ込んで攻めてきたのだ。

 空では何百何千の航空機が自軍を勝たせようと躍起になって争った。地上では何千という大砲が火を吹き、人や物を吹き飛ばしあった。ゴロゴロと何百という戦車の大群が激突し、砲塔や乗員の死体が散らばった。


 結局、ザールラント側は突出部分を少しばかり凹ましたただけで、戦車や自走砲などのすべての重火器と十何万人の兵士を失っただけで終わった。これ以降、ザールラントは大きな作戦を起こせなくなる。


 さすがに彼女たちは砲撃中や交戦中にフィルムを撮ることができなかったが、終わった直後から精力的に戦跡を駆け巡り臭いをものともせず死体や破壊された戦車や兵器を撮しまくった。


 死んだ若い兵士の顔。まだ肉片のついている戦車のキャタピラ。死体の側で煙草を吸っている兵士。


 後日、彼女たちの撮ったフィルムは残虐すぎるとの理由で検閲に通らなかった。実際起こったことの何万分の一も彼女たちは撮ったのではなかったのだが……。


 +


 同じ頃、カティは女性にも参政権を認めるよう普通選挙の運動をはじめていた。

 社会を変えたいのならば自分たちの代表者を議会に送り込めばいい。

 戦時下になってエルフの男が戦場に引っ張られエルフの女性が銃後で男にかわり職場進出を果たしている。カティと同じく今までの生活に息苦しさを感じてきた女性が多くいるはず。

 彼女たちが賛同してくれるものと期待してカティは行動を開始したのだった。


 運動中、カティの演説はしばしば見学のエルフの男たちから野次られた。

 女性に参政権など彼らにとってはお笑い種でしかなかった。

 彼らには従来通りの蔑視しかできない。演説する彼女たちを見ても自己顕示欲のつよい女性か自分がなんでも出来ると考えている夢想家くらいにしか思えなかった。

 頭に血が昇りやすいカティは演説を続けるためそれらの野次を無理やり耐えなくてはならず、きつい思いをすることとなった。

 カティは演説中に幾度となく絶句した。


 カティの運動は戦時下だからという理由で内務省に押さえつけられてしまうが、この運動は種火として残り、戦後に普通選挙を実現させることになる。


 +


 戦局が動き出した。

 ザールラントの空の覇権争いにようやく決着がついた。エルフランドが設計の優れていた今までの機体に強力なエンジンを載せることで圧倒的な強さを誇る戦闘機に仕立てあげ大量に投入してきたのだ。このため、ザールラントの誇る新鋭機も呆気なく蹴散らされてしまった。

 すると、今度はエルフランドが容赦なく都市に対して爆撃を開始し始めた。

 毎日何百何千という爆撃機が飛行場、工業地帯、港湾、駐屯地、道路、鉄橋、駅舎、列車、官舎、議事堂、都心の商業地区、果ては人の住宅密集地まで何万トンもの爆弾を落としていった。

 ザールラントの諸都市がガレキの山になるのも時間の問題となってきた。

 地上では大森林地帯を抜けてエルフランドから次々と大兵力がザールラントへ侵入を開始し出した。

 村でも町でも戦闘の音が絶え間ない。エルフランドの戦車隊がいたるところで道路や橋を押し渡ろうとして、ザールラントの若い兵士と血なまぐさい戦闘を繰り広げていた。

 ザールラントは防衛のための戦力をひねり出そうとロレーヌに展開していた部隊を急いで引き上げさせたが、それも急速に消耗されていった。


 +


 他方、砂漠を越えてバンガジに長らくとどまっていたエルフランド軍もようやく海を越えメラリア王国南部へ侵入しはじめた。

 ヴィットリオ国王は南部の自国の部隊に対し密かにエルフランド軍との戦闘を避けるように指示を出し、かつトニ・ニエミネンを通じ駐留するザールラント軍の情報をエルフランド側に流し続けた。

 おかげでエルフランド軍はさしたる抵抗を受けることなくスムーズに南部を進撃し占領していった。


 だが、この国王の奇策に対してサルヴァトーレは憤慨した。

 このままでは今の国王の体制は崩れない。せっかくエルフランド軍が国内に入ってきたのにマフィアの復活は夢物語になってしまいそうなのだ。

 そこで、サルヴァトーレは効果のほどは余り期待できそうにないがとにかく行動を起こすことにした。

 サルヴァトーレはまず、南部に潜伏するマフィアたちにエルフランド軍に積極的に協力するよう指示を出した。そして次に、エルフランド軍が手をつける前に憲兵隊の屯所や刑務所、秘密警察の収容施設を襲い、中の囚人たちを政治犯か否かにかかわりなく解放して市中に放てと命じた。殺人犯も強盗も性犯罪者も残らずに。

 憲兵隊も警察もマフィアたちの襲撃に抵抗したが、それでも解放される監獄施設が少なくなかった。 

 エルフランド軍も国王もサルヴァトーレの意図に気づき慌てて監獄施設を押さえにかかったが遅かった。かなり多くの犯罪者が野に放たれた後だったのだ。


 国王はサルヴァトーレから手痛いしっぺ返しを食らったものの、今はそれどころではなかった。

 彼には時機を間違えないようにザールラントとの軍事同盟を破棄し中立宣言を出す責務があった。それはもう秒読み開始の段階であった。


 しかし、サルヴァトーレの他にも国王の行動に反対し阻止すべく動き出した集団がいた。

 親ザールラント派の全体主義者たちはザールラント側に国王の計画についての情報を流しクーデターの助力を請うていた。


 +


 わたしはラーラに戻って勲章を受けた。

 敗戦の後の大盤振る舞いだ。

 ミレッタ上級曹長も戦功章と殊勲従軍章を受けた。なぜかジュリオも殊勲従軍章を受けた。理由は傷ついたわたしを助けたからだそうだ。


 帰還してわたしは身分を情報局3課の情報将校に戻してもらった。


 その翌日、わたしは憲兵隊本部のドメニコ憲兵少佐に会い、それから対決しにサルヴァトーレのもとへと赴いた。


 +


 わたしはいつものように古書店の2階に通された。今日はわたしの部下であるミレッタ上級曹長もジュリオ上等兵も一緒だ。

 わたしとサルヴァトーレは奥の丸テーブルを囲み、ジュゼッペはいつもの白いお仕着せではなくちゃんとした青いスーツを着て側に控えていた。

 わたしの部下たちはわたしの後ろに立っている。

 わたしが震える左手でエスプレッソの入ったカップを皿ごと引き寄せていると、サルヴァトーレから声がかかった。

「おや。お嬢様。戦場でおケガをなさったのですな。いやはや危ないことだ」

「敵の7・7ミリ機銃に肩と脇腹をやられまして。左腕は以前ほど上手く動かせなくなりました。でも、うしろの2人のおかげで命を拾いましたわ。何度もね」

「それはどう言ったらいいものか。とにかく命があってようございましたね。お嬢様」

「ええ。サルヴァトーレさん」


 手が震えるのは何もケガのせいばかりではない。未だに目の前の紳士が怖いのだ。

 情けないことに。

 アンヌよ。ゲルトルートよ。わたしに力を貸しておくれ。わたしも一人前の女になりたい。


「で、私を逮捕しに来たのですな。お嬢様」


 ハッ。なんのことはない。さすがはドン・チッチ。気づいて当然か。


「いいえ。わたしには逮捕権はありません。あなたを説得し、憲兵隊に連れていくだけです」


 サルヴァトーレが口を開く前にジュゼッペが口を挟んできた。義理堅い。


「お嬢様。冗談はほどほどに。サルヴァトーレ氏もこのジュゼッペ爺もお嬢様が大好きなんですよ」

「今まで可愛がってもらったことには感謝しているわ。わたしも2人が大好きよ。

 でも、わたしはマフィアに飲み込まれる訳にはいかないの」

「今なら引き返せますよ。お嬢様。

 ジュゼッペ爺にお嬢様の名前のうえに印を付けさせないでくださいな。お嬢様には大きな借りがあるんだ。年寄りに気の進まないことをやらせないでください」

「やりたければやればいいわ。

 砂漠で散々考えたの。このまま死んでは後悔が残る。今までのわたしはただ怯えていただけ。そして、賢しげにマフィアと対等になって抵抗しようとかを夢想していた。そんなのではダメなのよ」

 わたしはジュゼッペではなくサルヴァトーレを見据えて言い切った。

「わたしはマフィアを拒絶する。これだけ言うために19年かかった。もういい」

「わたしにも質問させてください。お嬢様。何がお気に召さなかったのですか?」

 サルヴァトーレは愛娘に突然反旗を翻されて困った父親のような顔をした。実際、わたしの父親のような存在だ。生まれた時から側で優しく見守ってくれていた。

「あなただって、若い頃は何度かマフィアから離れようと思ったことがあるはずよ。マフィアは人の弱いところに吸い付くダニ。マフィア以外の人間の心を弱くさせ縛り続ける疫病。こんな疫病にとりつかれたら国中がダメになる」

「お嬢様。コーサ・ノストラのことばかり悪くおっしゃるが、お嬢様の同情する民衆とやらは清くか弱い生き物なのですかな。私にはそうは見えない。彼らが別に温和でも善人でもありませんよ。ただただ弱いもの虐めをする機会に恵まれていないだけだ。私たちと何も変わりませんよ。もしかすると私たちの方が大人しいかもしれませんねえ。礼儀は守るし。伊達に尊敬すべき男たちとも言われていませんから」

「誰が温和で善人かの話をしているのではないのですよ。それは個人の問題よ。

 わたしは、マフィアは存在自体が人間の心を腐らせることを言っているの。

 マフィアが弱きを助け強きをくじく?そんなのは嘘。あなたたちはどうやって金を稼ぐの?今までどうやって金を稼いできたの?金持ちたちの欲望の手助けをして金持ちたちと苛め倒した貧乏人の両方から金をむしり取ってきたのではないのですか?

 所詮あなたがたは人の欲望と恐怖を操って生き血をすする害虫でしかない。そして、生き血をすすり続けるため常に欲望への誘惑と恐怖のさらなる更新を続ける。そうして人間を堕落させ、あなた方の餌という地位に貶めていく。

 聡明なあなたなら気づいていたはずよ」

「お嬢様。あなたの言うようにマフィアは害虫かもしれない。でも、汚れ役だって世の中にいていいはずだ。需要があるんですからな。

 わたしは昔からお嬢様に希望を託していた。お嬢様の性質はコーサ・ノストラにふさわしい。形式的な飾りさえ立てればわたしの実質的な跡目はお嬢様が継げるのです。マフィアのあり方が気に食わなければわたしの跡を継いでご自分で変えていかれればいい」

「先ほど言ったようにわたしはマフィアに飲み込まれたくない。自分から地獄に落ちて地獄の掃除ができる程うぬぼれてもいない。わたしはマフィアを拒否する」

「お嬢様。私は悲しい。実に悲しい。決別の時ですかな、それとも……」


 ジュゼッペが反応する前にミレッタ上級曹長がベレッタを抜いて狙いをつけていた。

「魂消た。いい番犬をお持ちだ」

「ミレッタ上級曹長を舐めるな。彼女はわたしの戦友だ」

「ジュゼッペ。よしときなさい。下は憲兵で一杯のはず。さて。大人しく憲兵さんのところへ行きましょうか」


 こうして最後のドンと呼ばれたサルヴァトーレ・シャッリーノも憲兵隊に逮捕されることになった。

 しかし、サルヴァトーレは以前から緊急時の代行者を指名していたため組織の動揺はほとんどなく、相変わらずマフィアは力を持ち続けた。サルヴァトーレは獄中にあっても外と連絡をとり指示を出し続けることができたのだ。

 そして、本来ならドン・チッチを指した人間としてわたしのもとに腐るほど刺客が送られてもおかしくなかったが、サルヴァトーレもジュゼッペもそうすることを頑なに許さなかった。



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