9話

 縁楔――。

 彼とは初めて会った数年前と比べれば仲良くなったし、それほどまで悪いやつだとは思わないが、千里にはなぜだかわからないが、ばれたらそれこそ裁判になれば確実に負けてしまうようなものを隠している気がしていた。席で難しい顔をして、ながらそんなことを考えていると、ふと影がかかり上を見上げると声をかけようかかけまいか迷っているような顔をした伊織の姿が目に入る。そんな伊織に対して千里は声をかけた。

「伊織どうした?」

「えっ?!」

 千里が声をかけると伊織はびっくりしたような声を出しながら肩を揺らした。そしてようやく伊織と目が合うと鳩が豆鉄砲食らったような顔と目が合う。その顔を見ると千里は目を細めると、驚いている伊織に対して不思議そうに口を開いた。

「何ハトが豆鉄砲食らったような顔してんだよ……。伊織?」

「あ……、ごめんね。ちょっとびっくりして。珍しく千里考え事してたからさ。ねぇ千里、今日の放課後って空いてる?」

「いや、別にいいけどさ、謝らなくて。空いてるよー。伊織どうしたの?」

「うんとね、今日識が帰ってくるんだけど、折角だし、千里と識と僕で父様に稽古つけてもらったらどうかなって思ったんだけど、ダメかな?」

「あー……、うん。別に俺はいつでも大丈夫だよ。……そろそろ射水産にも挨拶しないとなって思ってたからさ。じゃあ放課後伊織のクラスまで迎えに行くわ」

 伊織は千里からの質問に対して、はっとしたように口を開き、今日の予定を尋ねた。空いてる、と告げると、一緒に稽古しないか、と言う提案をだした。千里は少し今日のこの後の予定を思い出しながら、口を開いた後に今日は特に予定が無いことを思い出すと、相づちを打った後に大丈夫だということを告げながら頬杖をついた。

 千里の返事に伊織はわかった―、と言いながら教室から出ていく。これを伝えるためだけにわざわざここに来てくれたのかと思うと、伊織の気遣いがわかり苦笑をこぼす。如一だったら放課後にいきなり訪ねてきたかと思えばこちらの予定や都合なんかを全て無視して無理やり連れていかれるだろう。お陰で何回かその日予定していた事が終わらなかったり、反故になってしまったこともある。そんなことにすっかり慣れてしまっていた千里は伊織のその心遣いは嬉しくもあり、申し訳なく感じる。まぁ、そう感じるのは如意地が強引に連れて行かれるのに慣れてしまったと言うだけなので、正直名は無し、如一の無神経さが痛いほどに伝わってきただけだった。ま正直な話如一にも見習ってほしいところがある。というより本気で伊織の爪の垢を煎じて飲ませたいほどだ。まぁだいたい如一が連れ去るときは大抵の場合、千里自身が危ないときのみなのだが。

 それでもやはりいきなり連れ去られるのだけは勘弁してほしいものだ。伊織を見習え、と声を大にして叫びたい衝動に駆られる。だがそんなことを言えば恐らくいや、確実に自分が痛い目に合うのは目に見えていたし、最悪「暫く耐久レスリング大会な☆」とか言われ、どこかに連れて行かれるのは分かっていたので、あえては言わないが、ひそかに思うのは勝手だろうし、何よりも口にしなきゃいいだけの話だ。

 そんなことを考えながらぼんやりと残りの昼休みを過ごしていると不意に見覚えのある緑色のカーディガンが見え、視線をあげると口元を猫のようにして目を細めて笑う幼馴染みの顔が目に入った。

「千里ちゃん、今日も一緒に帰る?」

「あー……、ごめん蒼、言い忘れてたね。今日は伊織の家に稽古しに行くから一緒には帰れないなぁ。多分……いや、絶対泊りがけになると思うからさ……。あぁ、そうだ。今度蒼も伊織に頼んでみたら?多分快く引き受けてくれると思うよ。それに蒼は剣道部のエースだからね。伊織も喜ぶと思うんだ」

 千里と目が合うとそのまま首を傾げながら質問を投げかけた。質問を千里は聞くと、あー、と少しだけ口を開いてから手をふらふらと振りながら謝罪を入れた。その後に蒼も頼んでみたら、と言うアドバイスを入れる。そのアドバイスを聞いた蒼は少しだけ恥ずかしそうにしながら、笑った。

「そうかな、じゃあ今度相談してみるよ。ありがと、千里ちゃん」

「いえいえ。大切な幼馴染兼過保護な幼馴染の恋路ですからね、応援しますよ、娘として」

 からかうようにそう口にすると少し恥ずかしそうに頬を赤く染めながら「ちょっと千里ちゃんっ!」と声を出す。普通にこうしていれば普通にどこにでもいる男子高校生らしくて何も問題はないのだが、この男を怒らせると後がめんどくさいのを誰よりも知っている。彼を怒らせるようなことをすれば最初は笑顔で対応してくれるが、後でかなり怒られるだろう。このことに関しては怒っていないようで内心ほっとしながら、とりあえず千里は話をすり替えるかのように、口を開く。

「まぁともかく、俺はお前を応援今のところはしてやるから、がんばれよ」

「今のところなの!?……娘が可愛くない」

「待て俺はいつからお前の娘になった」

「いつものことでしょ。というかそもそも千里ちゃんが言い始めたことでしょうよ……」

 どうやら話のすり替えには成功したようで、いつの間にかいつもの話の戻っていた。授業開始を知らせるチャイムが鳴ると蒼は自分のクラスへと戻っていく。

 暫くすると耳に赤ペンを引っかけ、競馬新聞を持ったジャージ姿の八恵が顔を出し、何食わぬ顔で授業を進める。千里も黒板へと目を向けて一応授業を受けているふりを続ける。

 先ほどの休み時間は思わぬ来客で思考の邪魔をされたのでこの時間は心置きなく考え事に没頭できるといっても過言ではない。早速先ほど考えていたことの続きを思い出し、頭のそこから考え事を始める。やはり千里からすると縁楔はやばそうな雰囲気を漂わせていた。まとっている空気はなんとなく蒼と少し似ているが、何かが違った。彼も彼で若干危ない男だが、それよりもはるかに危なそうだった。本人に聞いたところでごまかされやはりあいつの本性を暴くなら追跡しかなさそうだ。

「うーん……怪しいってだけで流石に本職を全うするためとはいえ、こういうことするのは気が引けるんだけどなぁ……」

 千里はそんな風にぽつりと呟いてから、深い溜息を吐くのだった。持っていた教科書を机の上に投げると、空を仰いだ。

 その後の授業は全く身に入らない気がしていたので、早々に教室を抜け出すと屋上に向かう。そのまま授業が終わるまで屋上で仮眠を取った。授業が終わると同時に教師つん戻り、HRを受けた後に隣のクラスに伊織を迎えに行き、翔太をからかいながら伊織の家へと向かう。

 駅で翔太とも別れ、滅多に乗る機会が少ないバスに揺られること数十分間。昔と変わらない場所で、昔と変わらない佇まいでそこに立っていた日本昔ながらのかなり立派な家が目に入る。久しぶりなのもあり、申し訳ない気分になり、少しだけ背筋は伸ばしてはいるものの、おずおずと伊織の後に敷居をまたいだ。

「お邪魔しまーす……」

「ただいまー、父様。千里連れてきたよ」

「お帰り、伊織。識はもう帰ってきてるよ。……千歳さん所の娘さんだね?ずいぶん大きくなったね」

「お久しぶりです。すいません、いきなり来なくなったりして……いきなり来たりしてホントすんません」

「伊織ねぇちゃんお帰りー!……あ、千里さんも来てたんだね」

 千里が挨拶しながら入っていくと、射水は一度驚いたように目を丸くしてから目を細めてにっこりと笑いながら懐かしげに口を開いた。申し訳なさそうにしながら謝罪を入れると、そこにタイミング良く現れたのは伊織の弟、橘識だ。

 橘識――。橘伊織の弟で結構重度なシスコンな子だ。いち早く伊織が帰ってきたことに気が付くと飛びつきながら出迎えてくる。識は千里を見るなり一瞬顔釜f祖になった後に前と変わらずに挨拶を返した。それも懐かしいと思いながらも相変わらず仲の良い兄弟だ、と思う反面、羨ましい限りだった。

 千里にはもう家族がいない。なので騒がしくとも仲のいい家族を見るのは羨ましかった。妬ましくも思った。そんなわき上がってきた感情を持つことが嫌で軽く頭を振ってから仲良し気に話している二人のことを見つめる。

「ほら識。僕は母様に挨拶しないとだから一回離れよ」

「むー……。じゃあ俺も一緒に母様に挨拶する。まだ、できてないから。伊織ねぇちゃんとしようと思ってたし」

「もー、仕方がないなぁ」

 伊織が「母様に挨拶しなきゃ」と言って家に入ると、その後を追うように識も入って行ってしまった。その様子に呆然としていると射水が苦笑交じりに千里に声をかける。

「恥ずかしいところをお見せしたね……。あぁ、どうぞ上がってこちらに」

「いえ、大丈夫ですよ。あ、お邪魔します」

 千里が橘家に上がり、居間に通されると、ほんの少しの違和感が生じた。いや、この家に来たときからずっと違和感は感じていたのだ。そう、伊織の母親である詩織が見えない。幼い頃の記憶の片隅に残っている厳しい稽古の後に優しくしてくれた、あの人の姿が。しかし、この時間なら主婦特有の面倒なものに付き合せれているのだと考えるのが妥当だ。千里も何度かそういうのに付き合わされたことがある。もちろん愛想笑いですべてをやり過ごしているのだが。詩織はもういないのではないかという最悪のことを考えてしまった千里は自分が嫌いになる。¨最低だ、俺¨そう思いながら居間で待っていると不意に目のまえに少し乱雑にお茶が差し出される。

「ちょっと識!」

「だって千里さんずっと難しい顔してるんだもん。考え事しててもいいけど、難しそうな顔しないでよ。伝染するでしょ」

 目のまえに差し出されたお茶を受け取りながら、伊織たちの話に耳を傾ける。どうやら夕食の話しのようで、大人数でも問題のなさそうなカレーという案が出た。しかし、自分がいるからと言って会わせて貰うのも気が引ける。いつも通りでいい、と告げると気にしなくてもいい、と言われ言い返す余地がなくなる。

「そうだ、夕飯どうしようか。識、何食べたい?」

「うーん、カレーかなぁ。千里さんもいるしね」

「あー、別に俺に気を使わなくても……いつも通りでいいのに」

「千里は気にしなくていいんだよ。それに、父様の稽古は食べないと倒れちゃうからね。じゃあ買い物に行こうか……あ、でも食べ過ぎも気をつけて。吐くから」

 申し訳ないと千里が思いながら座っていると、買い物に行くと言うことで二人は射水のもとへと歩いていく。千里もそれについていきながら、羨望の思いや嫉妬の念は膨らんでいった。今でも千里の父と母を殺した運転手の再調査は行われていない。その上、証拠不十分だとと言うことで、父と母のことを見捨てた医師に関しても何もできていない。そのせいもあってか、余計に羨ましかった。如一みたいに親に嫌われているのはあまりうれしくはないが家族がいるだけでもとても羨ましかった。何よりもうらやましいのは仲がいい家族なのだが。

 しかし、そんな千里の思いが消えるような踏み滲まれるような思いをするまであと二時間。

 夕飯の時間になっても詩織は一向に姿を現さなかった。千里がそれに関しては疑問に思いつつも口に出せないでいた。いや、出せずにいたが正しかった。その疑問を口にしてしまったら知りたくないような事実を知ってしまうような気がしたからだ。伊織とも、今までのような関係になれなくなるような気がしたから。ただでさえ、伊織はどこか千里を避けているような気がするから、もう二度と話せなくなるような気がした。

 夕食後、織と二人きりになった千里は沈黙が辛かった。こういう時話題の引き出しが少ないことを嘆くことしかできないのが心の奥底から悔やんだ。今までコミュニケーションをサボってきた罰なのか、友すら思う。罰だとしても今から人と関わるなんて反吐が出そうだが。なんとか振り絞るように出した話題は──────────、やはりもっぱら武道の話だった。我ながら自分の小学生並みのコミュニケーション能力だ、と言うことが痛感して分かった。

「識君は……さ、何が得意なの?ほら、伊織は何でもできるけど、特化してるのは薙刀だろ?だから識君は何やってるのかなぁって」

「俺は弓道だよ。その次に薙刀で、三番目ぐらいに剣道」

「さすがだね、すごいや……。俺は逆に剣道しかできないからなぁ」

「へー……」

 小学生のような会話にも識は付き合ってくれたが、その質問に対しての答えもすごく単調。会話もすぐに尽きてしまう。こんな時の頼りの綱である伊織はなぜかその場にはいなくて再び居間には重たい沈黙が広がっていた。沈黙に耐えきれなかった千里は、何か話題を探すもまったく浮かばない。

 出してはいけない話題はわかっていた。恐らくこの子も、基本的に伊織の近くにいる男の名前だけは出さないのが正しいだろう。

「あー……」

「どうかしたの」

 苦し紛れに出した声はしっかりと識の耳の届いていたらしくその続きをせかされる。まったくこの先なんて考えていなかった千里は少し困りながらも口を開く。

「ええっと、その……なんつか、うーんと……そう、織君は将来とか決まってんのかなーって思って」

 苦しすぎるにもほどがあり、千里は冷や汗が止まらなかった。本当に自分の人と会話が苦手なのかと疑いたくなる程度には、本当に会話に脈略もなかった。それも幼稚園児か何かに聞くような質問の仕方だった。識もこいつ、コミュ障かよ、めんどくせぇな、なんて思いながら苦し紛れに出した問いに対して識は少しだけ冷めていて、怒りをにじませた声で答えた。

「……。別に何でもいいけど、警察だけはなりたくない」

「え……なん……で……?」

 ”警察”。その言葉を識は強調しながら、目を逸らした。千里は彼の態度に息を飲み、目を見開いた。。千里は警視総監だったが、そのことを知る人だって学校内はおろか近所の人ですらでは限られていて、それこそ伊織は知らないはずなので、どこから情報が漏れたのかと不安に駆られる。ふとしたときにバレた翔太か?それとも幼馴染みだから知っている蒼か?でも、こいつらはばらさないって信じている、じゃあ、誰――?そんなことを考えながら、部下の顔が頭に浮かんだ。

 そもそもの話、自分の部下が悪く言われているのを聞くと、なぜ?という疑問が浮かんでくる。その疑問はつい口からこぼれる。その言葉を聞いてか、聞かずか識は立ち上がると千里についてくるように言うと、居間から出ていき、千里に現実というものを見せつけた。

「二年前の大きな事件、多分千里さんも覚えてると思う。その事件の最終被害者だったんだ。遺体の一部はまだ見つかってない。警察に再捜査のお願いもしたよ。だけど偉い人がいないからって、俺が子供だからって、"子供の戯れ言に付き合ってられるほど俺たち警察も暇じゃないんだよ、坊や”って言われて断られたんだ」

「そんな……」

 悔しそうに識は唇を噛み締め、拳を強くそう言っている式の姿を見て、自分の部下に、そして母がいないと何もできない無能に腹が立った。なんで、という感情よりも、助けたい。そんな感情が先に生まれていた。────俺がやらなきゃ。ほかに誰がやるというのだろうか。そんな感情を持ち合わせながらしっかりと前を見据えると、小さくつぶやくように口を開く。「大丈夫、必ず見つけて事件を終わらせる」と。

 まずは目の前にあること、稽古を終わらせなくては。そう決意したところで伊織が千里と識のことを迎えに来た。そして稽古が始まったのだった。

 千里の今回の成果としては散々だった。そもそもほかのことを考えていたので当たり前と言ったら当たり前だ。伊織には千里らしくないといわれる始末で、明日は集中して取り組もうと決意をする。湯あみも終わりあとは寝るだけ、という時に千里と伊織は少しだけ話をしていた。話がひと段落ついて静寂に包まれたとき。ふいに千里は口が開く。いや、ぽつりとこぼした、のほうが正しいのかもしれない。その声は広すぎる部屋では寂し気で、静かな広間では寂し気に響いた。

「詩織さんのこと……。識君から……全部聞いたよ」

「そっか……」

「……もし、さ。今からその事件について納得に行かない警察のお偉いさんがその操作をするって言ったら、伊織はうれしい?」

 千里のその声は震えていた。伊織には聞かれる理由がわからなかったが、それでも千里の震え交じりの声に真剣に答えるべきだと思った伊織はほんの少し悩んでから、間をあけて口を開く。寂しげに笑いながら。

「……うん、嬉しいよ、でも、そんなのは無理だよね……。だって警察は無能だし、高額な給料もらうだけもらって楽してるような人だもん。それにこの町のお偉いさんがいないしね……」

 千里は伊織の言葉に唇を噛み締めながら耳を傾ける。自分が、許せなかった。こんな部下がいたことに気が付けなかったことに、こんな風に警察に傷つけ、荒れた市民がいたことに。

「もう昔のことだから話すけど、実はね僕、死のうとしてたんだあの頃」

「は……?」

 伊織の言うあの頃とはつまり伊織の秘密、知ってる人のほうが少ないとされている秘密の一つで、伊織は少し前、荒んでいた時期があった。別名『巴』と言われた彼女は周辺のヤンキーの中でも一番強かった。千里は彼女のことを知っていた、というのも千里もほんのちょっと前まではこの辺の地域の中でも2番目ぐらいに強いほうのヤンキーだったので、直接対決をしたことはないが、二人とも一匹狼だったのでそれなりに有名だった。

 千里のなんで、という顔に伊織は苦笑をこぼしながら、口を開く。

「いろいろ動機が重なりすぎちゃって。まぁ、なんでか知らないけど翔太と楔にバレてさ、すげぇ泣きながら怒られた。あそこまでマジ泣きしながら怒られたし、何よりもその時の楔は怖くて、こんなに心配かけたなら、もう死ねないなって思ってさ」

 千里はその話を聞いて絶句をしていた。なにも、言えなかった。思うことはたくさんあったが、それを言葉にすることはないまま時間だけが過ぎていく。沈黙に耐えられなくなった伊織は慌てて口を開く。

「ほら、明日も早いんだから早く寝よ。お休み、千里」

「あ……、おう」

 伊織はこれ以上聞かれたくない、とでも言いたげで、これ以上の質問は受け付けないと決め込んだのか若干ごまかすように部屋を出ていくと広間に千里は一人残されていた。死のうとしていた、その事実を聞いた千里は唇を噛み締める。悔しかった。少なくとも原因の一つは警察だろうし、自己嫌悪もあるだろう。口の中で血の味がしたことでようやく強く噛みすぎていたことに気がつき、一気に緩め息を吐いてから手を頭に置いた。そしてそのまま部屋に敷かれていた布団

「とりあえず……下調べだけでもしておこうかな……」

 広間に千里の小さなつぶやきは吸い込まれるように消えていくのだった。

 四日後。千里はひとり家でぼんやりとしながら昨日の出来事について思考を巡らせながらメールを打ち始める。それは昨日のこと。千里は二年前の事件の連続殺人事件のあらましを調べた、その捜査に煮詰まっていたので散歩もかねての遠めのコンビニを訪れていた。その帰りだったのだ。楔も楔で予想だにしていなかったのだ。あの時はあの頃の伊織のことを考えていた。死のうとしていた時のこと。少なくとも止められててよかったと思っている。千里だって信じたくはなかった。あの楔があんな一面を隠しているとは思わなかった。いや、半分気がついていたのだ。それでもあそこまでだとは千里も思いもしなかっただけなのだ。

『伊織ちゃんホントかわいいよなぁ、ホントあの時の伊織ちゃん死ななくてよかった……。にしても本当太田邪魔なんだよなぁ……。何なの、あいつ。四肢引きちぎって町内一周でもしてやりたいわ……』

『へー……。なんか隠してると思ったらこんな一面を隠していたとは、ね。俺様びっくりー。……さて縁楔、一体どういうことなのか説明してもらおうか』

『な、何のことか僕わからないなぁ……。ち、千里ちゃん、何言ってるのかわかんないよ。ひ、人違いじゃないかなぁ。そ、それにぃ千里ちゃんのほうこそど、どうしたの??その格好……』

『おっと……ごまかしは聞かないぜ、縁楔。悪いが俺はこの目と耳でちゃんと聞いたからね。……それに橘伊織のストーカーねぇ?ははっ、これがばれたらお前はどうなるだろうね?……痛いところを突くねぇ、まぁこの際バレたなエア¥ラ仕方が無い。俺のことは説明は長くなるし、あとでメールをするよ』

『っち……、おまえ、これ一言でもこのことを他言してみろよ。お前に明日の太陽はないからな。……で、いつから気が付いていた?』

『おーおー、怖い怖い。お前が言うとシャレにならなさそうだな。わかった、このことはお互いに他言無用だ。それも順を追って連絡を入れるよ。君は少し急ぎすぎだ』

『っち……。それでいい。てか、お前そのしゃべり方、うざい……』

『仕方が無い泥、仕事モードなのだから。まぁ、改めて自己紹介させていただくよ、メールで。悪いがこの場であんたと話してる暇、今はないからね』

 それがつい昨日、起こったことだった。まさか自分の秘密まであの男にバレることになるとは思わなかったが……。それでも、心のどこか、楔のことを見過ごしてしまう自分がいることに一番驚いていたのだった。

「はー……、俺なんであんな奴のこと見過ごしてんのかな……」

 千里は一度楔の質問に答えるためにメールの文章を確認をする。先ほどから打っていたのはこのメールの内容だった。千里は打ち間違いや、変換ミス、脱字がないかの念入りな確認を終わらせてから、スマホをベッドへと投げる。投げられたスマホは枕に落ちると、少しづつ沈んでいくのだった。


 うかつだった。楔はそう思いながら、頭を抱える。ろくに周りも見ないで素に戻ってしまったのだ。いつもなら犯さない失態を犯してしまったのはやはり、あの頃――――伊織が死のうとしていたときのことを思い出してしまったからだろうか。それから最近突如現れた幼馴染みの存在。シィ宇敷、これだけの条件がそろっていてストレスもたまっているわけで。そんなの、裏を出すな、と言う方がちゃんちゃらおかしい。

 この辺まで来れば誰も居ない土楼と思って吐き出した不満。

 しかし、その油断が楔にとって最悪の事態が引き起こる。千紗tにバレてしまう、と言う最悪の事態が。彼女から届いたメール。やけに簡素で用件だけ、事実だけを伝えられたメール。ソレを読むと頭が痛くなる。面倒な人にバレてしまった。そう思うことで精一杯なほど簡素なものだった。正直、千里が楔に対して与えた情報は、最初は自己紹介から入り”この春からこの街の警視総監をやっている"と言うことと"お前のことも黙っててやるから、俺のこともだまって居て欲しい。このことはお互いに他言無用”という内容が、もっと簡潔に記されていた。

「……変なやつ」

 数秒で読み終えたメール。楔はその内容を読むと不思議得そうにし、故知露も簡素に返すのだった。

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