第3話 茜 その3.運命

 スロ太に「お迎え」が来た。この世界に、元々、スロ太なんか存在しなかったみたいに、さっぱりと、あとかたもなく、消えてしまった。


 茜がこの星の生き物に「お迎え」が来るのを見たのは、これが、初めてだった。 この星では、自然の生命は、ある日フッと現れ、別の日にパッと消える。人間は赤ん坊で、ほかの生き物は成長した姿で、この世界に登場し、与えられた寿命を生きて、去っていく。

 人間の平均寿命は、大体、70歳くらいだ。この地上から消滅することを、人間たちは、「お迎え」が来ると、言っている。


 茜たち、遺伝子改造クローン人間は、全員、50歳で活動停止するように設計されている。しかし、自然の生き物と違って、消滅はしない。地球の人間のように、息が止まり、死後硬直が始まり、放置しておくと腐敗する。

 だから、クローン人間の死体は、「日本昔話成立支援機構」のスタッフが凍結粉砕し、農家に粉末肥料として提供する。


 スロ太に「お迎え」が来たことをようやく納得できた茜は、突然、強烈な不安に襲われた。茜が「くすのきの里」を出た時、春さんは50歳くらいだったはずだ。春さんも、今は、いつ「お迎え」が来てもおかしくない年齢なのだ。


 茜は、春さんがいる本部棟めざして、駆け出した。走って、走って、息が荒くなり、心臓が胸をつきやぶって飛び出しそうになる。脚がもつれて、よろよろした。それでも、茜は、走りつづけた。止まるのが怖かった。止まったら、春さんが消えてしまう気がした。


 茜は教員室のドアに体当たりして、中に飛び込んだ。「あら、どうしたの?」春さんの優しい声が奥から聞こえてきた。しかし、声だけでは安心できない。茜は、春さんに駆け寄り、腕、肩、胴体をさすって、そこに、春さんの肉体が確かに存在することを確かめた。


 「茜ちゃん、どうしたの?」と春さんが、目を丸くする。「スロ太が・・・」と答えようとして、声が詰まった。目に熱いものがあふれ、ボロボロと、こぼれ始める。私、どうしちゃったの?三歳の子どもじゃあるまいし、恥ずかしい!

 そんな茜を、春さんは胸に抱き寄せ、背中をなでながら「そうか、スロ太に『お迎え』が来たのね」と、慰めるように言ってくれた。茜が答えようとしてしゃくり上げると、春さんは、茜をぎゅっと抱きしめ、「いいのよ、泣いて。茜ちゃんは、スロ太の一番の友達だったんだから、スロ太のためにも、泣いてあげて」と、茜の涙を受け容れてくれた。


 その時、ここ数年間、グラつき続けていた、「日本昔話成立支援機構・登録番号1989番」という茜の存在枠組みが、バキバキと折れ、完全に崩れた。茜は、春さんの胸に身体を溶け込ませるようにして、大声で泣いた。


 どのくらい泣いただろう?茜は、椅子に座っていて、目の前のテーブルでは、ココアが湯気を立てていた。ココアは、子ども時代の茜の大好物だった。

「今夜は、夏さん、海さんと一緒に晩御飯を食べましょう」春さんがテーブルの向かい側に腰を降ろして、微笑んだ。夏さん、海さん・・・懐かしい名前。夏さん、海さんも、茜たちクローン人間に、自分達と同じ人間として、接してくれマザーたちだった。二人も、春さんと同じくらいの年齢だ。


 春さん、夏さん、海さんとの夕食では、昔話がはずみ、茜は、子ども時代に戻った気持で、すっかり心をほぐし、楽しむことができた。ずい分、久しぶりに笑った。


 しかし、来客者用ベッドに横になると、急に心が曇ってきた。心が、また、スロ太の死に戻っていく。

 

 地球では、生き物は、大昔から続く命の流れの中から現れ、命が尽きると土に還る。多くの人は、寿命が近づくと病に侵され、苦しみながら死んでいく。不安と恐怖と苦痛に満ちた死。辛くて、怖くて、痛い死に方。

 その代わり、地球の人たちは、自分の世界と長い時間をかけて別れることができる。運が良ければ、連れ合いや子どもたちに見送られて死ねるかもしれない・・・


 この星の人たちも、歳をとると、そろそろ「お迎え」が来るだろうと怖がる(と思う)。でも、本当の別れは突然で、親しい人に「サヨナラ」を言う時間もない。


 私たち、クローン人間は、50歳の誕生日の朝8時ぴったりに活動が止まり、意識が消えることを知っている。知っていて、その瞬間を待つ。これは、恐怖だ。


 地球人の死、この星で自然に現れた人たちの死、そして、私たちクローン人間の死。どれにも、それなりの恐怖があり、どれが楽だなんて、言えない。


 しかし、一つだけ、確かなことがある。どちらの世界でも、命を与えられたものは、ひたすら死に向かって生きていく。それが、生きものの運命なのだとしたら、それは、とても、とても、残酷な運命だ。


 その夜、茜は、眠れぬままに、命あるものが負わされた残酷な運命について、考え続けた。

 白々と夜が明ける頃、茜の中に、ひとつの決心が生まれていた。





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