第2話 好きのフリ

昨日の模試の判定は良かった。前よりも。

机に伏せながら考える。

明日も、明後日も同じ日々が続くことが何よりも怖くて、何よりも苦しい。

十日後には十八歳になる。なんとなく生きてきて、気づけばもう十八だ。焦る歳ではないかもしれないけれど、やりたいことも、才能も、何もない空っぽのわたしに、素敵な人生など待っていないことくらいはわかる。

そういえば、もうすぐ一年記念日だ。ふと思う。携帯を取り出し、画面にお昼ご飯のふりかけの粒がついているのをみて、慌ててはらう。

なんかそういう、記念日とか、あんまり興味がないんだけどな。

香坂雅はそこそこモテて、やる気を出せば勉強もできるのにほどほどに手を抜いていて、まあ、そういう人間だ。去年の秋の遠足の帰りに、告白をされて、雰囲気に流されてなんとなくで付き合ってしまった。

わたしは多分、なんとなくが積み重なってできているんだろうな。

「瑞穂」

香坂くんがやってくる。

「来週のさ、木曜日さ、あいてる?」

「んー…わかんない」

父さんが帰ってくるかもしれないし。少し寄った眉間のシワが一瞬にしてほぐれる。それじゃあわかったら教えてよ。

うちは父さんが単身赴任していて、時々帰ってくる。もうすぐ任期が終わるから、有給の消化も兼ねて来週あたり帰ってくるとかこないとか話していたのをこっそり聞いた。

香坂くんはそのままわたしの前の席、吉田くんがいないからって居座り始める。

わたしは最初は割と気分が良かった。香坂雅という人間は、学校の中でもそこそこ有名だし、そこそこ見栄えもするし、女子にも結構人気がある。

だけどあるとき、香坂くんが吉田くんをバカにしたことから、わたしは香坂くんのことが好きじゃなくなった。言えないまま、もう半年が経つ。

こうやってずるずる、ずるずるいくのかな。

ふと思って泣きそうになる。思えば、デートだって勉強が忙しいから、ってそんなにしていない。それでも香坂くんは、わかった、なんて言ってくれる。

ちゃんとしなくちゃ、とは思うけれど怖くて言い出せない。だってこの人を逃したら、わたしはもうこんなに周りから羨ましがられる人なんて手に入る気がしない。

「でさー、あ、瑞穂、明日の小テストの勉強した?」

今回の範囲すごい難しいらしいよ。形のいい喉仏が言葉にあわせて動く。

そうなんだ、としか思い浮かばない自分も、それしか発言できない自分も、核心に触れられない自分も、だいきらい。

チャイムが鳴って、吉田くんが教室の入り口に姿を見せる。香坂くんは席を立って、またな、と言う。隣の席の西田さんは、次の授業の準備をしている。

なんでだろう。わたしはどこで間違えて、こんな人間になってしまったんだろう。

香坂くんに手を振って、わたしは携帯の電源を切り、次の授業の準備をする。

「ねえねえ、橋本さんって香坂くんと付き合ってるんだっけ」

ミーコちゃんがわたしに聞きにくる。うん、と言うとへええ、という顔をした。

「橋本さん、香坂くんのこと好きなの?」

どきりとした。見破られてるのか、なんだかはよくわからない。

「うん、好きだよ」

きゃあ〜〜!と顔を赤らめて声をあげる。ミーコちゃんはこういうところがあるから、クラスのみんなに可愛がられている。

「ねえ、今度、香坂くんに紹介してくれない」

橋本さんの裏話とか聞けるのかな?とワクワクしている。

「うーん、ミーコちゃんが可愛くお願いしてくれたらいいよ」

きゃあ〜〜!とまた声をあげたのを聞いて、わたしは満足して席に座る。


「ね、木曜日空いてるんだけど、その日しか空いてなくて、クラスの子も香坂くんに会いたがってるし、二部編成にしない?」

「二部?」

「うん」

来週の木曜日、父さんは帰ってこないみたいだよ、とお姉ちゃんに聞いて、わたしは香坂くんに提案をした。

「朝から夕方まで二人で遊んで、夜はその後も交えて三人でご飯食べるの」

「えーでも一年記念日だよ」

「うん、でもその子夜しか空いてないみたいで…」

これは本当。嘘をついてまで会わせたいかと言われたら微妙だから、本当のことしか言う気は無かった。最初から。だからミーコちゃんが夜しか空いてない〜〜!って言ったのも本当だと信じてる。

「そっか、じゃあ仕方ないな」

せっかくだから俺奮発しよーっと、なんてうきうきしているのを聞いたら申し訳なくなる。本当は、二人だけで一日を過ごすなんて無理だと思ったから、ミーコちゃんの話を思い出して、ミーコちゃんを誘っただけ。

別れる勇気がないなら、付き合ってはいけません。そういえばこんなことを、お姉ちゃんに借りた本で見た気がする。本当にそうだ。でもどうしようもない。わたしは多分、こうして生きていくんだろうな。

「じゃあ…駅に十一時でいい?」

「えっ十一時?」

「うん、色々朝からしてたらそんくらいだと遅れないと思って」

「そっか」

楽しみにしとこ、前遅刻したもんな。

前っていつだっけ。手を繋いだりするのかな。どうしよう、と思う。手を繋いだりしたら、思ってることが全てばれてしまいそうで、怖い。

今のわたしはもう、香坂くんの隣を歩く資格はない。


あ、香坂くんだ。

改札の手前で、改札の向こう側の柱にもたれかかってる香坂くんを見つけられるとは、さすがだな香坂くん。

わたしは今日こそ言わなくちゃ、という気持ちなわけではない。だってせっかくの一年記念日だから、ここは楽しまないと。

行き先は無難に動物園にしてあった。二人して動物がだいすきだからだ。

「瑞穂!」

「香坂くん、おはよう」

「ねえいつになったら呼び方変えてくれんの?」

うーん、そのうち?というと香坂くんは少しムッとしたけれど、何が嬉しくなったのか一人で顔をそらしてにやけはじめた。

「…どうしてにやけてるの」

「え、そのうちが存在するんだと思って嬉しくなって」

ちくり、と心に刺さった。じわじわと罪悪感が芽生え始めるのを、必死で抑えた。


「動物園、楽しかったねー」

「そうだな」

え、何。そのテンションの下がり方は、と思っていると、

「…手、繋がない?」

もう一年だし、今日一回も手繋いでないし、言い訳みたいに並べられる言葉に、もうわたしは心踊ることはない。

「えー…手汗かいてて恥ずかしいし、手汗かいてて恥ずかしいし」

二回も言わなくてよろしい。香坂くんがすこし怒った顔をする。まずい。

「俺のこと嫌いなら嫌いでそれでいいよ」

「えっそんなわけないよ!」

慌てて否定をする。だってわたしがここで肯定したら、一年記念日に振るなんて最低な女、なんて広まってしまう。

「なら、手、繋ぎたい」

ミーコちゃんとの待ち合わせ場所まで、なら。掠れた声で答えると、少し微笑んでこちらを向いた気がした。わたしはうつむいて、泣きそうになるのをこらえた。


「ミーコちゃんだ!」

手を振ると、可愛らしいミーコちゃんが手を振り返してくれる。

いいな、ああいう服が似合って。かわいいな。素直に心が思ってしまう。

「はじめまして、古島未唯子です〜〜!ミーコって呼んでください〜〜!」

ショート丈のピンクのファーコートに、白のニット、黒のスカート。どう考えてもわたしには似合わない服を、可愛いミーコちゃんは着こなしている。

ミーコちゃんは香坂くんのことが好きらしい。

さっきからやたらと香坂くんに話しかけていて、二人で盛り上がっていて、わたしは斜め後ろから眺めている。

共通の話題があって、それに従って親密度が上がるなんて簡単すぎるでしょう。単純すぎるでしょう。

香坂くんの背中に語りかけるけど、香坂くんはこちらを全く気にしていない。このままどこかに行ってもバレなさそう。

「瑞穂、ここでいい?」

「うん」

予約してくれたの、ありがとう。さらりと言えた。香坂くんがはにかむ。

「え、予約してくれたの?ありがとう!嬉しい〜〜」

ミーコちゃんがさらりと挟む。やっぱりわたしじゃ不似合いみたいだ。

ご飯は美味しかったし、ケーキのプレートには一年記念日のお祝いの文字もあって、幸せな気分だった。ミーコちゃんに写真を撮ってもらって、写りを確認した。そこは悪意がなくて、良かったと思う。

だけどやっぱり香坂くんとミーコちゃんは仲が良くて、帰り道もわたしは斜め後ろを歩いていた。

駅で改札を通り、わたしと香坂くんは反対方向だからと手を振って別れようとしたとき、ミーコちゃんは香坂くんと同じ駅らしい。

「一緒に帰ろ〜!じゃあね橋本さん!」

香坂くんの腕をとって去って行ってしまった。


翌朝、たくさんの人が木曜に祝日なんて入れやがってと恨んでいた水曜日とは一転していた。

朝からなぜか香坂くんからLINEがきた。

『話があります、放課後情報室の倉庫で』

人目につかないところと必死で考えを巡らせたことくらいはわかる。多分きっと、ミーコちゃんと付き合う、ということだろう。そうなればいいな、なんて少し思ってしまった。

「ごめん急に呼び出して」

「ううん、いいよ」

人目につかないように入ってきてほしい。なんでだろうと思った。

「昨日未…古島さんから聞いたんだけど」

「なに」

今、未唯子って言おうとしたでしょう。わたしは心でそっと嫉妬する。

「橋本は俺のこと好きじゃないって。好きなら手を繋ぐのに理由なんか要らないし、好きならもっと楽しそうに会話するし、って」

全部相談したのかな。香坂くんは好きがどんどんあがっていっているように感じていたのは、間違いだったのかな。怖くなる。

「確かにそうだなって思ったし、そんな状態で付き合わせるなんて俺にはできないし、だから、」

別れよう。その四文字が頭で鈍く響いた。

「わたしが香坂くんを好きだとしても、別れなきゃいけないの…」

「それは、てか、俺のこと嫌いだろ」

「理由を全部押し付けたらダメだよ、ミーコちゃんのこと好きになったんでしょ、だから彼女の存在が邪魔だからって!」

「なんでそんな風に言うんだよ」

未唯子はそんな悪い人間じゃないだろ。

香坂くんは、好きな人とかいいなと思った女子のことだけを下の名前で呼ぶ。どうでもいいと、苗字で呼ぶ。

いまさっき、わたしのことは苗字で呼んだよね。そんなその日知り合った人間の発言を信じるような男と付き合っていたなんて、ばかみたい。

「別れましょう、これはわたしから言ったことにして」

「なんでだよ」

「でないと有る事無い事言いふらすから」

わかったよ、じゃあなと言って去っていく。

ドアがぱたん、と快活な音を立ててしまった後、バン、と音を立てて開いた。

「あ、橋本さん」

「…吉田くん?」

ごめんなさい、と謝る吉田くんに、ごめん、わたしの方が悪いから、と言う。

「何か嫌なことでもあったの」

「ううん…」

わたしは多分、そんなに好きじゃなかったけど、好きだった。香坂くんは、好きのフリがうまかったんだな。

吉田くんが心配そうな目でこちらを見ているのをよそに、わたしは壁にもたれて、香坂くんの連絡先を消す。ミーコちゃんのLINEのBGMが、片想いの歌になっていることに気づいた時、画面に雫が落ちた。

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