神刀人鬼 少年編

神取直樹

プロローグ

神は謳う。我らこそがこの世で最も尊い存在だと。

刀は語る。我が身は削る為だけのものではないと。

人は叫ぶ。例え全てを奪われても、我らは立ち上がると。

鬼は乞う。我々に神の血を、我々に人の魂を、我々に戦うため刀を、と。




 現、夢、昼間の夢の中に、一人、少年を見る。それは鴉のような黒さを持った人影で、と同じくらいの年に見えた。目を凝らせばすぐに、それが短い黒髪と、黒い着物を着込んだ存在であるともわかる。上品そうな立ち姿は、背しか見えず、何をしているのかはわからない。

 彼が立つのは、木造建築、木の板で締め切られた真っ暗な場所。少年と自分の目線の先には一枚の絵が飾られていて、それは所謂日本画というものである。その絵は六芒星を頂点に、美しい女性が描かれている。直感で、それが天女というようなものであると理解する。女性は手を縛られ、星から垂れる一本の紐に吊るされている。目は虚ろ、死しているのか、廃人と化しているようにも見える。その女性だけが白く、黒い周りの色で、輪郭はぼんやりと見えた。

 少年はその絵を見つめているのだろう。ただ、立ち尽くしているようにも見える。少し血色の良い白い肌が、少年の生を際立たせる。


 ふと、少年が顔を拭うように手を動かした。その行動には、先程までの上品さはなく、何処か獣染みている。ふらりと、覚束ない足を動かす。ぽきりと折れてしまいそうな、か細い四肢が、白く黒の隙間から見えた。

 着物の黒と、皮膚の白の間に、赤を見る。それは襦袢の色、そして、こびり付いた体液の色。

 少年が手に持つのは、少年と同じような子供の腕で、肘から本体は伸びていない。黒の着物で隠された、鉄錆の腐臭の塊が、彼の足元にあった。それがあるのが、彼の足元だけではないと、暫くして気づく。

 この部屋の床は、木造ではない。冷たく凍えた、血の流れ切った、強烈な腐臭を撒く、虚ろな人形。人形と認識したのは、一種の防衛本能だった。よくよく見てみれば、それは、やはり、人間の死体である。自分はそれの上に立たず、少しだけことで、死体の存在に気付くのが遅れたらしい。

 ウッと息を飲んで、吐き気を堪えた。前に立つ少年は、こちらを認識していない。きっとこれは夢だと、自覚の前に言い聞かせる。

 目の前の少年は一人、前の絵に倒れ込むように触れる。手の血液が、画にこびり付く。


「いつまでだ」


 少年の声は、少女にも、男にも聞こえる、甲高いそれであった。ただ、それは疲労と咆哮を交えて、死する手前の獣にも思えた。


「いつまで俺に無間地獄を与えるんだ」


 慟哭の交えが、その部屋に響いた。床の肉が音を吸収する。それでも、十分に訴えられている。


「俺はいつまでここに居ればいいんだ。いつまでここに閉じ込める気なんだ」


 画に縋り、血を広げた。


「終わらせるならお前が一瞬で消せばいいだろう。何故しない」


 少年は叫ぶ。爪を立てて、画を汚し、壊し逝く。


「もう嫌だ、もう終わりたい。もう、俺は次に行きたい」


 嗚咽と滴の垂れる音が、歌を鳴くようであった。


「俺はもう、俺を食べたくなんかない。一人で生まれたい。一人になって、他の奴らみたいに育って、仕事をして、遊んで、家族を作って、新しい次の世代に任せてしまいたい」


 ふと、少年の足元にあった死体を見る。頭の部分の布が、少年の足で外れていた。

 その死体は、少年とそっくりの髪型に、雰囲気を持ち、画の女のような、虚ろな瞳を持つ。瞳の色は、うっすらと、赤い色に見えた。それが暗闇の中で血液の反射が映り込んだのでなければ、それはきっと、血の色の瞳なのだろう。やはり自分と同い年程度の肉付きで、背は、その死体の長さから、目の前の少年と同じであろうと推測できる。口元からは、どす黒い滴が垂れている。


「俺は一人だ。俺は俺だ。神でもなく、刀でもなく、人でもなく、鬼でもない。存在を持たない俺だ。無理矢理括るな。王でもない。あんなバケモノなわけがあるか」


 へたり込んで、少年は最後の叫びを乞うた。


「お願いだから、次は、次は絶対に、俺を俺として産んでくれ、母様」


 突然、自分の足元の、丸い何かが蠢いた。それは赤い瞳を持った、幾つもの頭。全てが少年で、黒い髪である。全てが同じ顔をしている。自らを的確に刺す目線が、背に冷めた針金が通るように、精神を蝕む。

 画の方を見ると、崩れ落ちた少年を包むように、画の裏から布が湧き出ていた。それがゆりかごのようになって、虚ろに画を背にして座る少年を包みだす。蚕の繭にも見える。蝶の蛹にも見える。この異質な夢の中で、とても美しく見えた。


一夜いちや君! 待って! 生まれたところで! 君は!」


 思わず、その繭に向かって声を上げる。その意思は、自分では理解できなかった。

 しかし、その声に反応した少年は、目を開く。ちらりと見えた少年の瞳は、赤く、透き通って、瞼に隠された。布の一枚が、こちらに向かう。

 ――――ずぶり、と、白い布は、夢見の主、稲荷山いなりやまりょうを突き刺す。ぐらりと目の前が揺れる。揺さぶられるのは、脳。


 目の前に重なるのは、明るい病室のような自分の部屋。耳に被さるのは、電子的な目覚まし時計の音。

 真冬の日曜日、羚は、実に穏やかに目を覚ました。見た夢に、現実の感情が動くことは無かった。

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