第2話 「名護駐屯地」
日本は数年前、自衛隊初の防衛出動と実戦、そして殉職者という名の戦死者を出す周辺事態に直面した。その傷癒えぬ間にも日本を取り巻く安全保障環境は急速に変化し続けており、日本は安全保障体制の抜本的な改革を迫られ、憲法を始めとした各種有事関連法の変革を迎えることとなった。
極東アジアにおける米国の軍事的プレなゼンスが低下し、中国が拡張政策の下、海洋進出を進め、日本をはじめとする近隣諸国を脅かす今、日本は各種法整備を進め、自衛隊もまたその改編と増強が図られつつある。
特に現在、整備された自衛隊法では日本国外での災害、騒乱、その他の緊急事態に際し、在外邦人等の保護措置のための自衛隊の
過去の
しかし現在は法制の整備が行われ、自衛隊が当該輸送の危険を排除し、安全を確保できると認められれば、当該邦人の救出・輸送が可能となった。
また日本国外での救助や医療活動を速やかに実施するため、外務省が中核となった国際緊急援助隊が編成され、これに陸海空の三自衛隊も組み込まれている。
この指揮中枢は常備部隊となっており、主に陸自の防衛大臣直轄の中央即応集団がその中核を担っていた。野中の所属する水陸機動団はその中央即応集団とは別の指揮系統となる陸上総隊直轄部隊だが、中央即応集団隷下部隊同様、こうした緊急性の高い派遣に即応対処することになっている。またそういった真っ先に向かう部隊の後から現地入りする部隊は、陸自では半年ごとに各方面隊が持ち回りで派出する仕組みだ。この方式をとったのは、それでなくとも少ない人数で数多くの任務をこなしている状況であるから、海外展開用の大規模な実働部隊を常時待機させておくことは不可能だからだ。
日本唯一の水陸両用作戦専門部隊である日本版海兵隊とも言われる水陸機動団内に編成された野中の所属する偵察分遣隊は例に漏れず、この風雲急を告げるインドネシアへの派遣命令の予令が下達された。
偵察分遣隊は、編成・装備などは明らかにされていない。任務は水陸機動団偵察大隊と同様、水陸機動団のための情報収集が表向きだが、その実はその実態の掴めない曖昧な名称を隠れ蓑に、南西方面で予想されるグレーゾーン事態やテロ、
その偵察分遣隊に女性隊員でありながら所属する野中は、偵察分遣隊においては最大の火力を運用する火力誘導員と呼ばれる役職についている。
火力誘導員は陸自の野戦特科部隊の特科火力や海自の艦砲射撃などの砲撃や戦闘ヘリや空自の戦闘機による航空攻撃の支援や誘導、部隊に随伴してそれらの攻撃を要請する重要な役職だ。火力誘導員を養成する教育は陸自富士学校で行われているが、野中はこの教育を受けた上で、米国で
未だに女性自衛官のレンジャー教育参加は叶っていないが、野中は米国で特殊部隊による訓練を受けた火力誘導員としての能力を売りに、女性自衛官では本来所属できない偵察分遣隊の選抜に自らをねじ込み、見事に希望するその役職を得た。
ロードバイクに跨って官舎を後にした野中は、米海兵隊のキャンプ・シュワブのゲートに滑り込んだ。海兵隊の憲兵と駐留軍労働者の日本人警備員、そして陸上自衛隊の警衛隊員が重複して立つこのゲートは、陸上自衛隊名護駐屯地の営門でもあった。
警衛隊員に身分証を見せて入ると、野中は真っ直ぐ偵察分遣隊の隊舎に向かう。現在時刻は自衛隊流に言えば
ロードバイクに跨がり直そうとしたところで背後から走って来た横幅の広い軍用車が野中のすぐ前で停車した。ハマーやハンヴィーと呼ばれる米国の車両によく似たそれは、自衛隊の主力多用途車両である高機動車で、その助手席──自衛隊では車長席──には野中の上官である
剣崎は防衛大出身の三十一歳。偵察分遣隊の作戦部隊の現場指揮官であり、アメリカのフォートブラッグで特殊作戦を学んだ特殊作戦のプロでもある。もうひとことつけ加えるならば、野中が今まで出会った陸上自衛官の中で最も尊敬する男だった。
「お疲れ様です」
ロードバイクを全力で漕いできた野中が乱れた息を呑んで挙手の敬礼をすると剣崎はその鋭い目で野中を射抜き、言葉少なに「乗れ」と命じた。
薄刃のカミソリを隠し持っているかのような頭脳も情に流されない性格も野中にとっては理想の上官であった。
「はい」と野中も短く返事をして車体後部に回ると、後部に乗っていた隊員が中から観音開きのドアを開けて野中のロードバイクを引っ張り込み、野中も高機動車に乗り込んだ。
高機動車の運転席には同僚の
名護駐屯地は車で中を走らせても端から端まで行き来するのにはそれなりの時間がかかる広さだ。アメリカの作る物は車も施設も大きい。
「ずいぶん急いできたようだな」
正面を見据えたまま剣崎に声を掛けられ、野中は息を整える間もなく、返事をする羽目になる。
「非常呼集ですよ?それは急ぎますよ。それに私は準備しなくてはならない機材が多いので……」
火力誘導員はその命ともいえる無線機を始め、そのバッテリーや任務の都度付与される無線周波数や秘話機能の設定から、レーザーデジグネーターと呼ばれる航空攻撃をレーザー誘導する器材等、必要な装備が多い。
「インドネシアで空自の航空支援が受けられますかね?」
前を向いたまま〈オークリー〉のサングラスをかけた那智が肩を竦めた。
那智は野中と同年代で、水陸機動団では珍しい森林限界以上の標高の山岳戦に精通した第13普通科連隊出身で、役職は情報収集と偵察を担う情報陸曹だ。
「なんのための空母だ。海自はここぞとばかりに投入してくるはずだ。F-35Bの支援が受けられれば我々の荷物は少なくて済む」
剣崎は相変わらず横目に外を睨みながら言った。
海上自衛隊の護衛艦が改修され、固定翼機の運用能力を保持するようになって時間はそれほど経っていないが、その軍事的プレゼンスは大きく、南シナ海で周辺諸国を圧倒する中国に対抗するため、南シナ海沿岸諸国には引っ張りだこになっている。
搭載する戦闘機であるF-35Bの火力支援があればその分、携行する武器弾薬は少なくて済む。
「それでも私の荷物は四十キロオーバーですけどね」
野中が呟くと荷台に乗っていた見慣れない隊員が苦い顔をした。
「誰?」
「
そう名乗った男はあまり良い顔色ではなかった。緊張を飲み込もうとしている様子で、目が伏せがちだった。偵察分遣隊の部隊規模は未だに一個中隊程度に満たず、人員を常に欲していた。通常の一般部隊の人事異動の枠組みを超えて取得した人員なのだからそれなりの能力なのだろうと想像したが、緊張に吞まれそうになった司馬の顔からは優秀そうな雰囲気を感じれなかった。
「野中二曹。宜しく」
「宜しくお願いします」
高機動車が偵察分遣隊の隊舎の前に止まると剣崎はさっさと降りてしまった。那智もこの車で機材を運ぶらしく、司馬と共に鍵もかけたまま飛び出していく。野中もロードバイクを下ろして駐輪場に放り込むと、すぐさま自分の使用する資機材が収められた機材庫へ走った。
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