第3章

 クラスの委員決めが行われ、私は二人いる書記委員の一人に選ばれた。

 小学時代には私も、少々調子づいていた時期もあり、何度か学級委員長に自ら立候補したりして、そして実際にそれに選ばれたりもしたようなこともあった。だが、中学に上がってからは、自分からはあまり目立たない方がいいのかもしれない、などとも考えて、中一のときは結局、役割としても影が薄く、何となく残り物的な印象の美化委員に収まって、その一年を当たり障りなく過ごすのに専心していた。

 それでもなぜか私はきまって、中学生になってからでも例えば、席替えごとにその周辺の生徒でひとまとまりになる班の班長をさせられる、などということにもなったのだった。

 適役だよ、真面目そうだし、などとそのたびに周りから言われ、そのように評するほど、私の何を知っているというのだ?と思いつつ、正直私も内心まんざらでもなかった。しかし反面、要はただ単に面倒を押しつけられているだけだ、というのも承知していた。だからどこかで、「してやっている」という雰囲気が出てしまったのかもしれない。そんなこともあってか、一年の一学期のときの班では小さなもめごともあった。

 私は、他の小学校出身のクラスメイトとのコミュニケーションに、少しギャップを感じている側面があった。そのときも小学時代からのノリで、ややボディタッチを多めに彼らと接していると、相手に露骨にイヤな顔をされ、妙に大人びた低いトーンで拒絶されることが何度かあった。そんなとき、どうも彼らとは何かカルチャーが違うようだ、というように私には思えたものだった。その正体はそのときの私にはうまく把握できなかったのだが、しかしそれもまた、彼らの隠された心というものの表れであるような気が、私にはしていた。

 そんなこともあり、私はよりいっそう、そのような目立つ立場に対して腰が引けるようになっていた。とにかくなるべく大人しくしていようと、この学年でも心に誓っていたのだが、往々にしてそういう役回りは、そうした「一見大人しく見える」ような者に回ってくるものだ。はたして私は、他の生徒からの推薦(あるいは、押しつけ?)を受けたあげくに、とうとう書記委員にさせられてしまったわけだった。


 もう一人の書記は、丸顔でどこかおっとりしたところのある女子だった。彼女もやはりクラスメイトの推薦で書記委員に任ぜられたのだが、その理由は明白だった。彼女は書道の段持ちなのだ。

 一応は正副委員長と共に、クラスの役員待遇の立場であり、ゆえに生徒会の会議などにも出席したりする業務もあったが、書記の主な仕事はその名の通りに、何よりもまずは字を書くことだった。

 私は、正直言って大して字がうまくない。だから、黒板や壁貼り掲示物などに文字を書くとき、どうしても彼女のそれに比べて見劣りがして、自分自身としてとても恥ずかしい思いをした。どうせこんなことになるなら、いっそ正副委員長のどっちかにでもなればよかった、と私は何度も後悔した。

 そんな私に配慮してくれたのかどうか、次第にそういった表に出すようなものについては、もう一人の書記である彼女が担当してくれるようになり、私は主にノートにメモをとる役割になっていった。


 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇


 五月下旬に校内体育祭が行われるため、私たちのクラスでも放課後などの空き時間に、各々の競技の練習をすることになった。

 体育祭とはいっても、小学校のときの運動会のように、父兄や来賓を大勢呼んで、賑々しく開催されるようなものでもない。平日に、クラス対抗のバレーボールやらリレーやら100m走などをチョロチョロッとやる程度の、お定まりでおざなりのプログラムだ。騎馬戦もなければ組体操もない。応援合戦もないし、入場行進さえやらない。ただただ授業でやっていることをまとめてやるだけ、といった感じだった。

 そんなわけで、そもそもそれほど盛り上がらない行事である上に、私たちのクラスは加えて、どこかしらまとまりも意欲も欠いており、そういった練習などへの集まりは常に散々なものだった。部活に入っている者は仕方ないとしても、そうでない者らも素知らぬふりをして、あるいはもはや堂々と、練習参加者に一瞥をくれることもなく下校していった。

 クラス役員であり、放課後にさしたる用事もない帰宅部でもあった私は、体育祭実行委員も含めたメンバーらと共に、ほぼ毎日そういった練習に出てはいた。また立場上、他のクラスメイトたちにも一応は、練習への参加を呼びかけてはいたのだが、しかしそんな私たち自身がそもそも、どうにもやる気になれないでいた。こんなの意味あるの?と言う者さえいたが、それには私も全く同意見だった。

 担任も時には練習に加わってきたが、もとより文科系の彼女に何か指導力があるわけもなく、妙にニコニコしながら、数少ない参加者とのんびりランニングしてみたり、OLの昼休みのお遊びにもならないようなバレーのラリーを繰り返すくらいのものだった。結果を目指すノウハウも何もないところに、モチベーションなど生まれようもないのだ。

 そういう私たち生徒の空気に気づくこともない担任は、朝のホームルームなどでは、わざとらしくちょっと困り顔を作ってみせて、練習参加率の低さに苦言を呈してみたとしても、午後になって三々五々帰宅していく生徒たちを特に引き留めるわけでもなく、残った私たちに、さあ練習しましょ、などと、自らの積極性を誇示するように私たちを促すのだった。私たちは呆れる気にもならず、それでこの人の気が済むなら、と、ダラダラその後についていくばかりだった。


 体育祭当日、私たちのクラスの成績は案の定ひどいものだった。

 クラス対抗の混合バレーボールでは1勝4敗、それでも最下位でなかったのが不思議なのだが、リレーはさすがに大きく差をつけられビリとなった。

 私自身は個人競技として100m走に出場し、しかしその組の3位に終わった。実は短距離走については小学時代から何となく得意にしていたのだけれど、そのような取り立てて言うほどでもない結果に、自分自身としても少し鼻白む思いがした。

 そうこうして全ての競技が終わり、教室へと移動する私のクラスの生徒たちの動きは、いつにも増して緩慢だった。

 私たちクラス役員は、もっと素早く行動するように、と彼らを促したが、そのだるそうな態度に何も変化をもたらすことはなかった。

 私は少しじれったくなり、近くにいた男子の肩を叩き、やや強い口調で言うと、彼は私を振り返って睨みつけ、殴ることはないじゃないか、と抗議してきた。事態に気づいたその周囲の生徒も振り向いて、私のことを冷ややかな目で見た。そんな彼らは皆、私と違う小学校出身の者たちだった。私は、やってしまった、という思いに胸を衝かれて、小さな声で、ごめん、と謝罪した。彼はフンと顔を背け、気怠そうな足取りのまま前へと進んだ。私はそれきり黙って、彼ら以上に重い動きで、彼らの後についていった。

 教室に戻ると、その日の結果についての反省会となった。

 担任は、自らのクラスの成績に大いに不満であるらしく、まるで拗ねた中学生のように機嫌を損ねている様子だった。自分では何も手を打たなかったくせにいい気なものだ、と私は思った。一方、生徒たちの方からは何の意見も出なかった。出るわけもない。何を言っても後の祭りだ。そもそも反省するほどの何をしたというのか?

 そんな風に白けた雰囲気のまま、この日は解散となった。結局、私自身としても、まるで報われない疲労感と、後味の悪さだけが残っただけの一日だった。また、私たちのクラスのありようを象徴するような意味合いにおいても、別に覚えていたくもないのだが、今も忘れずにいる日の一つとなっている。


(つづく)

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る