第3話 必要なこと
「八雲、これあげる」
「何これ?」
「ブックカバー」
「いらない」
「全体的にパステルカラーの生地で、リボンも付いてるし、この辺のレース使いもなかなかのもんだろ」
「こんなに派手なブックカバー使えない」
「ほら、最近借りてる単行本のシェイクスピアにもぴったりだ。やばい天才だな、俺。八雲がこのデコデコブックカバーつけて本読んでいたら、周りの女の子も話しかけやすいだろ」
「心配無用」
「とにかく使って。これを使ってたら俺の事もいつでも思い出せ」
「図書館行ってくる」
ツミキの話を断ち切り、八雲はブックカバーを手にして去る。
(周りの女子も話しかけやすい、、か)
八雲はいつも本を読んでいる。友達は小学・中学からの付き合いで、八雲の本好きを受け入れている。だから、八雲が本を読んでいるときには話しかけてこない。高校生になって新しい友達ができないでいた。それでも構わないと思っていた。しかし、本をいつも読んでて話しかけずらい、と言った女子生徒がいると人伝てに聞かされていた。不覚にもツミキにその話をしてしまった。
旧館に入ると、古びた紙の匂いが気持ちを落ち着かせてくれる。八雲は手にしたデコデコブックカバーを見る。またご機嫌を取ろうとしたツミキの心情を探る。
話しかけづらいの件は、もう数か月前のことだから、関係ないだろう。口論をするのは昔っから。だが、ツミキは八雲の機嫌を損ねたと思うと、必ず何か貢物をする。いつも通りの自分ではなかったのか、もしかして先輩と付き合ってるのがバレたのかと思うと焦る。だが、バレてたらこんなもんじゃ済まないはず。バレてはいないが、八雲の変化にツミキが気づいたという事だ。八雲は言葉と態度をより精密にしないとと思いながら、外国文学の棚に進んだ。
「八雲」
「脇山先輩、来てたんですね」
「そろそろ奏って呼び捨てにしてもらっても構わないんだけど」
「先輩こそ、北条って呼んでください」
「名前は恥ずかしい?」
「距離を保つのに必死なだけです」
「旧館にいるときくらい、僕のお願いきいてよ」
「だから、やっぱりこいう関係やめません?先輩だってもっとオープンに付き合える女性がいいでしょ?」
「この間も言ったけど、僕、八雲が好きなの」
「だけど私の言うこと聞いて旧館だけの付き合いって、それって先輩にとって楽しいこととは思えません」
「じゃあさ、僕から追加の条件付けさせて」
奏が、一歩前に進んだ。ふたりの距離が少し縮まる。また、一歩進む。奏でと八雲との距離は、もう距離と呼べるほどのものではなくなった。奏の右手が真下を向いている八雲のあごを上げる。八雲は、どんな顔をしていいのかわからない。ただ赤面する。奏が次何をするのか、想像したくない。
*
「八雲」
「はっ、はぃ」
「僕さ、旧館以外でもずっと八雲の事考えてるよ。だからさ、僕たちの関係って旧館だけじゃないんだよ。心配しなくていい」
奏が熱っぽい顔をしている。八雲は体の中にマグマが巡って、頭のてっぺんから煙を出している。
「確かに旧館以外のところでも会いたいし、話もしたい。だけどそれが八雲の望みじゃないなら、僕はそれでいいんだ」
「でも、、、」
「でもは無し。だから追加条件」
こつん、と、八雲のおでこに何かが当たった。八雲は状況が把握できないでいた。
「これ、芥川龍之介」
あまりに近くて分からなかったが、奏でが左手に持っているものを注意深く見ると、単行本の『羅生門』がそこにあった。やっぱり状況が把握できない。
「私、日本文学読んでなくて」
「わかってる」
「じゃ、何で?」
「今度から、僕の指定する本を1冊借りてよ。読まなくてもいいから」
「はあ」
「その本が僕の分身だよ。これでいつだって君と僕は一緒にいられるわけだ」
「それが追加条件ですか?」
「もっと何かしたかった?」
奏の顔がさらに近くになる。八雲の中のマグマはもう今にも噴火しそうになっていた。
「わかりましたっ」
八雲は奏の上半身に両手を当てて離れる。奏の笑顔に足がすくむ。これ以上は許容範囲を超える。八雲は奏から本を受け取る。奏の指と八雲の指が重なる。八雲の表面張力が崩壊しそうだった。奏は相変わらず笑っている。
「八雲」
「はいっ」
「昼休み、終わるよ」
そう言われてあわてて教室にもどる。席について教科書を出す。図書館で借りた本がまだ教科書の下敷きになっていた。奏の分身、『羅生門』がいる。交際と呼べるのかわからない状態だった関係が、ひとつ進展して八雲は浮かれていた。奏の言葉にも救われた。ずっと自分のことを考えてくれてる。素直にうれしかった。
放課後になって、帰り支度をしていた八雲の教室に、ツミキが来た。
(今度は何だ)
八雲は警戒する。ツミキの言動にも、自分の言動にも。
「ブックカバー使ってみた?」
「あっ!」
そういえば、昼休みに受け取って、旧館に行って、それからどうしたのか覚えていない。しかし、どう考えても旧館に落としたんだろう。
「旧館に忘れた」
「落としたのーー?」
「そいうわけじゃない」
「じゃ、取りに行こうよ」
「ひとりで行く」
「帰りなんだし、このまま一緒に行こうよ」
「ひとりで行く。カバン持ってろ」
八雲は自分のカバンをツミキの顔に押し付けて、マフラーを首に巻きながら、急いで旧館に走った。外国文学の棚に近づくと、そこには似つかわしくない、デコデコブックカバーが棚の上に置いてあった。無くしていなくてホッとする。また急いで教室にもどる。教室から明るい会話が聞こえてくる。数人の女子生徒に、ツミキが捕まっていた。ツミキが八雲に気付く。
「じゃー、俺はこれで。バイバイ」
ツミキが八雲のカバンと自分のカバンを持って、教室に入れないでいた八雲に近づいてきた。そしてツミキに追い立てられるように、学校を後にした。
「もっと話したかったんじゃないかな、あの子達」
「しらないよ。俺、八雲と一緒にいる方が楽しいもん」
「そればっかり」
「俺はいつでもお嫁さんになる覚悟はできてるよ」
「やめて」
「今日さ―、11月22日だ」
「だから」
「いい夫婦の日だっ!!!」
「かんけーない」
「関係あるよ」
(あれ?)
八雲はいつの間にか空を見上げていた。ツミキの顔が見えない。なんだかあったかい。ツミキの顔を探す。自分の左肩の上にうずくまっていた。そしてツミキでの両腕が、八雲の背中を覆っていた。
(これって抱きしめられてる?)
八雲は突き放すこともできずに、そのまま立ち尽くした。ツミキは動かない。初冬の空気がふたりを囲む。それは優しさなんかじゃなく、叫び声のように突き刺さった。
つづく
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