第十八話 天文台に眠る鎧

 午後6時38分。


 結花は一面雪化粧の駐車場でコミュータから降り、天文台の入り口へ向かう。

 既に日は落ち、駐車場の街灯と入口のLEDライトが、異質な明るさを放っていた。


 昔から《なよろ市立天文台 きたすばる》として親しまれているこの施設は、プラネタリウムや観測望遠鏡のアップデートを繰り返しながら、今でも地元住民や観光客の人気スポットであり、日中はそれなりの入場者がある。


 父・英明の研究施設は、天文台の地下に設けられていた。

 アクセスは施設右手の観測室内に設置された専用エレベータと非常用の階段、それと施設左手のプラネタリウムに、地下の研究施設への資材搬入口があり、そちらは大型トラックもアクセス可能となっている。

 

 結花の到着した時間は、既に閉館となっていた為、天文台正面入り口脇の壁面に設置してある端末にパスコードを打ち込む必要があった。16桁のコードを打ち込むと、閉館時のみ作動する指紋と網膜認証の画面が開く。しかし、それだけではまだ中には入れない。

 最後に左右の壁からレーザースキャナーの光が瞬き、本人である事が確認できた後に、ドアのロックが外れる仕組みとなっていた。

 

 傍からは、「何を大袈裟な……」と見えるが、英明の研究内容にはそれだけの価値があった。


 結花は、いつもの手順をこなし、開錠された入口の自動ドアをくぐると、施設内右手へ進み、観測室のエレベータで地下へ下りる。

 地階に到着したエレベータの扉が開くと、無機質な壁が眼前に迫り、壁の右端に奥へ繋がる細い通路がある。奥に伸びている通路には、幾重もの曲がり角があり、その左右に部屋はらしきものは無く、一定間隔でセキュリティカメラが設置されているだけだった。

 

 とうの昔に覚えてしまった最後の角を曲がると、しばらくの間直線の通路が続いている先に、金庫室の様な銀色の武骨なドアが現れる。ここで、天文台の入り口と同じ認証を行い、初めて研究室の中へ入る事が出来る。


 地階にある研究室の大きさは、地表の天文台の敷地面積とは全く比例しておらず、南側は休暇村施設敷地、北側は駐車場奥の森まで広がっている。

 天井の高さはMPGを立たせても余裕がある作りだった。


 日中は、数人の助手(=近所のおばさん)が、英明の身の回りを世話する為に、研究室内へ入れるが、研究は基本的に英明一人で行っている。

 

「結花ちゃん!待ってたよ~!!」


 結花が研究室の分厚いドアを開けた途端、英明の声が響く。

 英明は祥吾の事を(祥吾くん)、結花の事を(結花ちゃん)、そして妻の里香を(里香ちゃん)と呼んでいる。外では、偏屈でかなりの変わり者として有名な天才科学者であったが、身内の者には大甘な父親なのであった。そして……


「忙しかったみたいなのに、いつも悪いね。学校の用事、大丈夫だった?」


 その外観は、髪型はドレッド(後ろでまとめてる)、同じくらいボリュームのある髭、ダメージジーンズにボロボロのエンジニアリングブーツ、フランネルのチェックシャツに、ビンテージのレザーベスト、リング多数にピアス。もちろん体躯は痩身……

 その第一印象は、控えめに言ってもアウトローロッカーのそれであったし、、とても天才科学者には見えなかった。


 しかし、それが里香の好みに合わせた結果である事は、公然の秘密であったが、英明はあくまでも自分の趣味と、周囲には言い張っていた。


「うん。もう終わったから。遅くなってゴメンね。」


「それより今日は? ディープラーニングの続き?」


 自分専用のデスクに荷物を置きながら、結花が尋ねる。デスクには複数のディスプレイが鎮座するだけだったが、デスクの奥には大型のサーバが幾つも見える。


「いや、そっちは父さんがやってる。各ハードウェアの組み立ても大体終わってるよ。」


 英明は奥のキッチンルームから、大きめのトレーを持ってくる。


「それよりも、結花ちゃん、お腹空いてるでしょ? 川田のおばちゃんに生姜焼き作っておいてもらったから、先に食べなさい。」


「えっ? 川田さんの豚生姜!? やったー!」


 英明からトレーを受け取った結花は、それをそのまま自分のデスクに置き、「いただきまーす!」と、おもむろに生姜焼きを口に運ぶ。食事もデスクで採るその姿は、(まるでベテラン科学者の域に入って来たな)、と英明は内心苦笑いする。


 結花は、小学校高学年あたりから、放課後や休日に父の研究を手伝い始めた。丁度、祥吾がMPGの訓練をスタートした時期とほぼ同じである。

 英明はイーロンである結花誕生にあたり、その遺伝子デザインに関与した一人だったが、その目的は自身の後継者育成にあった。


 基本的に外部の同業者は信用しないという、英明の考え方ではあったが、自分が積み重ねている研究は、次の世代に引き継がれていくべきであると、強い信念を持っていた。

 故に、是が非でも身内から弟子を育てたいと、イーロンの誕生に関わったのだった。


 結果、結花がイーロンの1人として生み出されたのだが、英明の思惑通り、デザインされた遺伝子とイーロンの高いIQが融合し、予想以上の成果が上がった。

 結花は、英明の研究を次々と理解し、今ではその研究全般において、英明とほぼ同等の見識を持つまでに至っていたのだった。


「じゃあ、ニューロアクセラレータ演算処理をもっと速くする?」


 美味しい、美味しいと食べながら、結花は口の中が空くと、英明に次々と質問を浴びせる。


「もっとゆっくり食べなさい……その辺は今のスペックで良いと思う。」「それよりも、もう少しで完成が見えている、AIにヒトの疑似脳ニューロン(脳神経)をエンコードさせて、更にデコードさせる為のプログラムを、何とか今晩中に完成と言えるレベルまで持っていきたいんだ。」


 英明は真剣な表情で結花に説明したが、研究の進捗を把握している結花は、さすがに箸を止め意見を口にした。


「今晩中?確かに殆ど完成は見えているけど……でも、今晩中は難しいと思うな。」


 英明が(今晩中)と口に出した時は、徹夜してでも完成させる、という意味と同義であったが、結花としてはそこまで性急に完成させる意図が分からなかった。


「そうだな……父さんとしても、結花ちゃんの言ってる事が正しいと思うよ。しかし、試さなくてはならない状況になるかも知れないんだよ。」


 結花のデスクの隣に腰を下ろすと、英明は話を続けた。


「父さんが半分趣味で作った電磁波レーダ知ってるよね? 名寄全域をほぼカバーできる奴。」


「うん。」


「知っての通り、父さん、あまり外に出ないから、ここで外の様子が分かれば、って思って軽いノリで作ったんだけど、その反応が、ここ1週間ちょっと変なんだよ。」


「どう変なの?」


「どこまで精度を上げるかでも見解は変わるんだけどね……レーダが道路上だけでなく、森や畑を指し示すエリアでも反応するんだ。まぁ、夏なら判るんだけど……冬のこの時期に、機械使って農作業する人なんて居ないだろ?」


「う~ん……確認はしたの?」


「ああ。気になったから、基地の方には何度か依頼したよ。でも、何もないですよ、って答えばかりだった。」


「じゃあ……」


 ”機械の誤作動なんじゃないの?”と、結花は言いかけたが、英明がモニター端末をかざして、結花の意見を遮った。


「誤作動はあり得ない。そこだけは自信がある。」「そして、1週間続いていた反応が、今日の午後突然消えたんだ。」


 英明のあまりに真剣な表情に、結花はそれ以上反論出来なかった。


「誤作動はあり得ない、を前提とした場合、これは意図的に探知されないようになったと考える方が正しい。」「そして、ここからは推測なんだが……」と、英明はモニターに視線を落して、説明を続けた。


「父さんは、自ら移動可能な、自律型の偵察機械が、ここら辺をうろついていると考えている。それも複数でかなりの数だろう。そしてそれは、周りから見ても違和感の無い何かだ。」


 ここまで聞いた結花の脳裏に、今朝のニュースと自宅近くでこちらをじっと見ていた野良犬を思い出した。


「お父さん……もしかして、野良犬……?」


「父さんも同じことを思ったよ。ただ、それを知ったのが今朝のお知らせだったから、調査をする時間は全くなかった……」


「でも、例えそうだとして、一体何の目的が……?」


 英明はモニターに落としていた視線を結花に戻す。


「少し長くなるけど、良いかい?」


「……うん。」


「結花ちゃんと、友達のイーロン達は、今の国際情勢を良く知っているね?」


「授業で色々教えられている……」


「イーロンの技術が仇になって、西と東両側から、良い様に踊らされて、秘密裏ではあったが、自衛隊を海外派兵してしまった……開発途上国の連中に拘束された、民間の邦人を救出に行くという大義はあったけどね……」


「お母さんも参加したんだよね……?」


「そう。里香ちゃんは、当時、特殊作戦群の一員だったから、一番に駆り出されたよ。」


「作戦は成功したが、開発途上国はこれを”侵略行為”と断罪した。その尻馬にに乗る形で、東側の大国連中も日本を糾弾。ま、この辺まではよくある話ではあるね。」


「うん。その辺りまでは聞いてる。だから日本は軍備強化をしなくちゃならなくなったって……」


 英明はモニターに落としていた視線を、結花へ据える。


「間違ってはいないけど、その先にもっと重要な背景があるんだ。結花ちゃん達は、4月に東京へ行ったらレクチャーされると思うけど……」


 唐突に出た”東京”という響きに、結花は自分には残された時間が少ない事実を、あらためて突き付けられた様な気がした。


「いつもだったら、ここで親の登場、アメリカのお出ましになった訳だけど、先方は日米原子力協定の破棄をちらつかせて、一度断られたイーロン技術の提供を迫ったんだ。」


「足元を見られたって訳だ。でも日本もここで頑張った。イーロン技術だけはどうしても提供できないと、アメリカの要求を再度突っぱねた。」


「それで……」


「それでどうなったかと言うと、あっさり協定は破棄されたよ。そして、在日米軍の撤退と日米安保の見直しが、あれよあれよと言う間に決まってしまったんだ……」


「じゃあ、日本の軍事力が上がって、アメリカ軍の駐留も必要なくなったから、っていう話は……」


「真実じゃ無いよ。先方は日本が干上がったあたりで、また助け舟でも出すつもりなんだろうけど……その助け舟に乗ったら、今度こそ全部持っていかれるだろうね。他の連中も、アメリカの傘が外された日本を、ここぞとばかりに非難し始めた。思惑は、日本を、連中の属国にでもしたい、ってとこかな。」


 ここまで聞いて、結花は、今は暗がりでここからは良く見えない研究室の奥に視線を移し、「だから……」と、呟いた。


「そう。今、日本の自衛隊の兵装は、アメリカの戦術データリンクと繋がっていない。全部自前でやらなくっちゃいけないんだ……誰も助けてくれないなら、自分たちで何とかしなくちゃならないだろ?」


「だから父さんは結花に手伝って貰ってこれを造った。本当は武力による威圧で’、現状を保ち続けるのは、父さんの主義から反するんだけど……このまま何もしなければ、日本は確実にじり貧になるからね。政府が対応する時間を稼ぐ意味でも、日本の力を外へ向けて明確に誇示する必要があると考えたんだ。」


 この研究施設で製造が進められているあの兵器は、あくまで次世代のアプローチコンセプトとして開発されていると理解していた結花は、それはどうやら間違っていたらしいと、この時初めて悟った。


「今、MPGの第二世代機が完成しつつあるけど、自衛隊はシェムカに頼り過ぎだ。昔ほど外の情報、特にアメリカからの情報が得難くなっているから、もしかしたら、外ではとっくにシェムカを上回る機体を配備しているかもしれないのに、後任の開発チームは、シェムカのマイナーチェンジばかり繰り返して、新型の開発に本腰を入れて来なかった……」


 英明はここまで話すと、立ち上がり、「そんな状況下に、この特殊な動きだ。」と言って、モニターを再度掲げる。


「この研究室の事も調べ上げている可能性がある。レーダの反応が仮に小型機器だとして、単独可動限界時間を逆算すると、恐らく1~2日以内に動力の限界を迎えるんじゃないかと検討を付けているんだ。」


「じゃあ……その間に、どこかが攻めて来るって事?」


 その間……僅か2日以内の事……

 結花は、その言葉の意味するを正確に理解しようと努めたが、その度に明日の事ばかり頭に浮かぶ。


「わからない。この程度の情報じゃあ、自衛隊も警戒してくれないからね。里香ちゃんには、出来る対応は準備しておくように伝えたんだけど……」


 里香が学校の格納庫に居た事を、今更ながら思い出し、「お母さん、学校に居たけど……まさか、学校も巻き込まれるの?」と、結花は不安げに問う。


「……ひとつだけ言えるとすれば、イーロンに関する事は、全て危険に晒される可能性がある。これは、大元の原因を考えれば明白だよ。」


「そんな……」


「だから……出来る限りの対策をするんだ。みんなを守る為にも、これを稼働させなくちゃならない。」


 イーロンとして教育を受けてきた結花にとって、取り乱したりするほど唐突な話ではなかったが、身近に起こりうる事として肉親から聞かされ、眼前に横たわる未知の可能性を秘めた兵器が、私たちを守る、そして敵を殺す道具になる……その様に考え始めると、自身も開発に携わった者として、果たして私は正しい事を行ったのか?これが原因で皆が傷つく事になるのではないか?と、今まで感じた事の無い重みに、自身の体が押し潰される様な感覚を覚えた。


          ※ ※ ※


 すっかり冷めてしまった生姜焼きを、心配げな表情で再び口へ運び始めた結花に、英明は何も言わず、研究室の奥へ進む。


 英明の研究施設には、様々な機器の他、MPGなら数機組み立て可能なパーツも保管されていた。もちろん、自身で開発した試作部品などを製作するAI制御の工作機械もある。


 大小様々な部品や機器の脇を抜け、研究室の中では一番広大なスペースに足を踏み入れた英明は、壁のパネルを操作し天井のライトを点灯させた。


 黄色と黒の縞模様の警戒色に縁どられたトレーラベッドが英明の目に入る。

 ベッドの上には、グレーの保護シートがほぼ全面に掛けられた、縦の長さが約10m程の大きな塊が載っていた。


 トレーラベッドの後部に回ると、ベッド中央部やその他の箇所が抉れ、そこから複数のノズルが突き出ている。

 その様は、さしずめ戦闘機のジェットエンジンノズルを彷彿させた。


 保護シートの合間からは、湾曲し艶消しの白に塗られた、本体の外装と思われる箇所が垣間見え、そこからは既に開発が中止となって久しい、スペースシャトルの類を連想させた。


 しかし、英明がトレーラベッドに上がり、保護シートの一部を剥がすと、そこにはスペースシャトルには決して装備される筈の無い、人間の手を模したマニピュレーターがあった。


 今、そのマニピュレーターは、各関節が緩く閉じられ、外側を覆っている流麗な白い装甲同士の隙間から、この塊の本性を具現化した様な、禍々しい鈍い光を放つガンメタリック色の内部骨格が覗いていた……

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