第四話 イーロン

イーロン――――――技術の粋を集めて人工的に生み出された人間。遺伝子操作によって、脳を含めた身体能力を向上により、国家、及び社会の発展の為に存在する子供達。


 日本においては1990年代半ばから論議が交わされ、行政や民間の団体によって対応が継続された(少子化問題)。

 しかし21世紀の4分の1が経過した2025年においても、抜本的な改革に取り組むことが出来ていなかった。

 過去から幾度も繰り返されて来たその場凌ぎの本質を見誤った対応、もしくは問題の先延ばし体質の弊害により、専門家が指摘して来た少子化問題によって引き起こされる(消滅都市)の危険性が、予測よりも10年近く早い2030年にはいよいよ現実的な脅威となり日本に影を落とし始めていた。


 一方、自然出産増への後押しだけでは、出生数増へ転じるまでに非常に長い時間が掛かってしまう事から、同時に人工的に出産数を増やしていく技術も研究された。

 その過程で、母体を必要とせず新生児を生み出す方法と、誕生前の遺伝子操作によって生れ出る子供の能力を操作する技術の開発に成功。

 それを《イーロンプロジェクト》と名付けたが、政府は世論の反発を恐れ、長期に渡り研究成果の公表は隠匿された。


 だが、開発途上国の復興支援決定がなされた段階で、成人に成長していた第1世代イーロンの存在を公にし、その知力と補助AIオペレーション型汎用作業ロボット技術をPKOの目玉として派遣した。

 この背景には、人道的見地に加え、日本の優れた技術力を世界に披露し、将来的な国益に繋げるという政府の皮算用もあったのだが、事実、イーロンとロボットの活躍は目覚ましく、派遣先はもちろん世界からも一時的に大きく称賛されたのだった。


 しかし、特定の国だけが力を蓄える事を、脅威と考える者たちも居た――――


          ※ ※ ※


 誕生したイーロンは、生後6か月を経過すると、人間性の形成、情操教育の重要性などを鑑み政府が選択した里親の元へ預けられた。

 里親はプロジェクトに協力する軍属、科学者、民間であっても、高度な教育を受けた両親等が中心となり、高等教育を卒業するまでの期間イーロンを養育した。

 イーロンは、高校課程の履修が終了するまで、居住エリアの子供達が通う一般の学校へ通う事を義務付けられていたが、一般生徒とは受講する内容が大きく異なっていた。


「間に合ったぁ! ぎりぎりだったねお兄ちゃん」


「いや、俺は別に心配してなかったけどな」


「もー! じゃ、明日から結花先に行っちゃうからね!」


「あ、いや……ごめん。それは許して。学校の重要なお知らせとか、ゆうーが居ないと全然わからん」


「ふふーん。わかればよろしい」


 祥吾と結花は校門前の専用停止エリアでコミュータから降り、他愛もないやり取りを交わしながら、他の生徒達と一緒に小振りな校舎へ向かった。


「で、親父、何だって? 何か断り切れてなかったみたいだけど?」


「えっ……? あ、あー、放課後すぐじゃなくても良いから、どうしても手伝ってほしいって……」


 少し焦り気味に結花が返すと、思い出したように、「ふーん。あ、ゆう、何か準備があるって言ってたよな?あれ、何の行事?聞いたかもしんないけど、忘れた。忘れちゃヤバいやつ?」と祥吾が大真面目に尋ねる。


「いっ……い、いや、ほ、ほら、あれだよ……えーと……あ、圭子おはよーっっ! じゃ、お兄ちゃん、またね!!」


「またね? って、教えて欲しいんですけど、結花さん?……行っちゃったよ」


 結花は祥吾を振り返らず、肩からいつもより多い荷物をぶら下げ、下駄箱へ走り去ってしまった。


          ※ ※ ※


 3年生の教室は校舎の3階にあり、2年生と1年生は2階を共有している。各学年とも一般生徒とイーロンの教室は隣同士となっているが、双方の雰囲気、環境は随分と違ったものだった。


 一般生徒は各学年でそれぞれ約30名在籍している。それに対してイーロンは各学年でばらつきがあり、1学年でおおよそ5名~10名ほどが在籍していた。

 基本的に、一般生徒とイーロンはクラスも受講内容も異なる。またイーロンは授業と授業の間も予習・復習に余念が無い為、トイレと昼食以外クラスから出ない生徒も多く、一般生徒との交流は極めて少なかった。


 差別とまではいかずとも、一般の生徒からイーロンに対しては《普通じゃない人間》との見方も少なくなく、一方で幼い時から出自に対して奇異な目を向けられ続けたイーロン達も、自ら壁を作ってしまう傾向にあった。


 祥吾は始業チャイムの3分前に教室に入る事ができたが、自分の席へ着く前に人壁に行く手を阻まれてしまう。


 「祥吾! 弓野さん、なんかあった??」


 「か、彼氏できたとか??」


 答えを聞くまでここは通さない勢いで、谷口健二と山中繁が祥吾に詰め寄る。健二と繁は祥吾と小学生からの幼馴染で、そして二人とも結花のファンであった。


 「はあ? んなもん自分らで直接聞けよな……」


 「いや、でもよお、やっぱ聞きにくいじゃん……」


 「隣のクラスじゃねえか」


 「だから、その隣が聞き難いんだろ? あいつら、俺らが近づくとあからさまに嫌な顔するし……俺ら、祥吾みたいに怖いもん知らずじゃないんだよなあ……」


 「怖かねえだろ。別に。で、なんで?」


 「だってタイツ履いてなかったじゃん!!」


 健二と繁は声を揃えて訴えた。祥吾は二人の気迫にやや押されながらも、「お前らもかよ・・・・・・」とあきれながら自分の席に着く。


 「お袋と同じ質問すんなよ、お前ら……なんかそういう気分なんだと」


 祥吾の答えに、二人は心底安心したらしく、「おお、そうか……焦ったじゃねえか」「弓野さんには、卒業まで純真無垢なままでいて欲しいからな!」「でもあれはあれで中々……」と、口々に勝手な事を言い始めた。


 「ほら。もう席戻れよ。先生来たぜ」


 「あ、やべ!」


 慌てて席へ戻る二人を目で追いながら、「卒業」という言葉を聞いても少しも喜んでいない自分の気持ちに戸惑い、祥吾は窓の外の灰色の空に感情の逃げ場を求めた。


 結花はイーロンであった。


 通常、イーロンの里親に選ばれた場合、里親がイーロンを選ぶ事は出来ず、国から割り当てられた子供を育てなければならない。

 しかし結花の場合は少々事情が異なり、人工受精後の遺伝子デザインの段階で父親の英明が関わり、誕生後も英明と里香が里親として引き取る事が予め決まっていた。

 本来は許可が下りない内容であったが、いつもの英明のごり押しによって、なし崩しで許可が下りた経緯があった。また、「育てるなら二人同時に」と、里香からの希望もあり、祥吾の誕生にタイミングを合わせて、結花誕生のスケジュールもプランしたのだった。 

 よって、祥吾と結花は血の繋がった兄妹ではなかったが、本人たちは物心が付いた頃からその事を理解していた。

 そして本当の兄妹と同じように遊び、時には喧嘩をしながら仲の良い兄妹として成長し、英明と里香も二人を分け隔てする事無く、自分たちの子供として愛情を注いで育てたのだった。


 イーロンは18歳になり高校を卒業すると、より専門的で特殊な知識、技能を習得する為に、例外なく里親の元を離れ、国が管理する機関へと戻る事を約束させられていた。

 

 これは一般の子供たちが親元を離れて大学に進学する等とは根本的に異なり、里親の役目が終了し国の財産を返却する、というものであった。

 イーロンは国の様々な機密事項にも関わっていく様になる為、里親の元を離れたイーロンは以後里親と顔を合わせる事は原則許されておらず、そういう意味では《今生の別れ》といっても差し支えなかった。

 

 名寄第一高校3年のイーロン10名も、3月の卒業後に上京し、以後は国の管理下で生活する事が決まっていた。

 そして結花も10名の内の1人として、例外なく里親の元を離れる事が決まっていたのだった……


 1時限目終了後早々、クラスメイトのイーロン達は復習と予習に余念のない中、結花は一般生徒の教室訪ねる為、自分の教室を出た。

 親友の榊圭子へ今日の事をあらためて相談に行く為だった。

 他のイーロン達からは、頻繁に一般クラスへ通う結花に対して、少なからず批判的な目が向けられがちだったが、結花は兄の祥吾が一般生徒という事もあり、イーロン以外の生徒と交流を持つことに関して全く意に介しておらず、誰とも屈託なく接していた。


 一方で校内テストはもちろん、全国のイーロンを交えた模試でもトップの成績を取る程の才女である事も加わり、一般生徒には男女を問わず結花のファンが大勢居たのだった。

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