忘却された懐古の魔術

 屍女帝しじょていによる海上都市侵略が始まった時、剛修羅ごうしゅらと共にいた重複者じゅうふくしゃは都市の最果てから屍女帝の姿を捉えていた。

 人の人格を奪い、与える魔導兵器たる重複者の目には、屍女帝の魂とも呼べる魔力の根源が汚染されているのが見えており、近付くべきではないと理解した上で剛修羅に距離を取らせていた。

 剛修羅だけならまだしも、魔術による戦闘がほとんど出来ない重複者では、彼女の魔術には敵わない。

 自分だけが彼女の魔術の圏外にいても、いずれ追い付かれるか、他の参加者に追われて捕まるか。とにかく、剛修羅から離れてメリットなどなかったし、仮に自分だけでどうにか出来たとしても、剛修羅から離れたいなどと思わなかった。

「……行かないで。私を、一人にしないで」

 ずっと先の屍女帝に対して唸り、今にも向かおうとしている剛修羅の肩に乗り、髪の毛を引っ張って強引に押さえ込む。

 だが実際に貧弱な自分の膂力で押さえられているわけでもなし、いつまで素直に言う事を聞いていてくれるのか。

 重複者の中にある多くの人格の中、彼女自身の感情が恐れ、寂しがり、必死に剛修羅の髪を引いていることに、彼女自身が気付いていなかった。

「ああ……! あぁ、酷い! なんて酷い! 我が汝らの身を清めようと言うに! 汝らを浄化してやろうと言うに! 何故抗う! 何故抵抗する! 痛い、痛い、痛い!!!」

 痛いとは言うが、実際に痛覚は通っていないだろう。

 もしも痛覚が通っていれば、今の一撃で数百の屍の痛覚を一挙に共有し、ショック死さえしているはずだ。少なくとも、流暢に喋れるような状況ではない。

 屍の集合体である柱の回復と再生が驚異的に速いのだが、それでも一瞬に凝縮された痛みが意識くらいは刈り取れるはずだ。

「参ったな……俺の聖槍を受けてすぐさま再生されるとは」

「天界の聖槍、銃天使じゅうてんし様でもお手上げですか。今の一撃が、最大火力、ですか?」

 燃え上がらせた炎を凍らせ、作り上げた氷の階段を登って銃天使の側へと駆け寄った白雪姫しらゆきひめは剣を抜く。銃天使は魔弾を装填しながら、修復されていく穴を見て、小さく舌打ちしながら後頭部を掻いた。

「火力は抑えた。あれ以上は、周囲への被害が大き過ぎる。撃つにしても、もっと人がいなくなるか、あれを人けのない場所に誘導しねぇと。あれはもはや、無限再生を繰り返す怪物と何ら変わらねぇ。一撃で全部燃やし尽くすくらいの火力を出さなきゃならねぇ、が……」

「火力を出そうにも、周囲に人が多くて邪魔、というわけですか……では、避難誘導を早めて貰って――」

「――なるほど。そういう感じか」

 地下の中央ゴミ処理場近くの通路の陰で、両天使りょうてんしを抱きかかえて介抱する召喚士しょうかんしは、地上の会話を盗聴してほくそ笑む。

 いち早く地下の異変に気付いて向かった両天使を心配し、追いかけて来た召喚士は彼女を保護し、屍女帝が地上へと意識を向けるまで逃げ惑い、ようやく落ち着いたところだった。

 屍女帝を止めようと戦って負傷し、血塗れの両天使は召喚士の中で虫の息を繰り返す。

 同時、痛みを感じて流れた涙を掬い取った召喚士の指先に滴る涙が光を帯びて両天使の胸の中へと帰ると、瞬く間に傷が完治。虫の息だった呼吸も安定し、重かった目蓋がゆっくりと持ち上がった。

「……申し訳、ございません。召喚士様」

「いやいや、よくやってくれたよ。最悪の事態こそ免れられなかったものの、絶対悪ぜったいあくなんて事象改変の具象化みたいな奴が相手じゃあ、仕方ないさ。それに、君が気付いて駆けつけてくれたお陰で、僕にとっての最悪は免れた。重畳さ、重畳」

「しか、し……」

「大丈夫だよ。ただ、眠る前にもう一仕事して欲しい。頼まれてくれるかい?」

「仰せの……通りに」

 召喚士の腕の中、両天使は両腕を精一杯伸ばす。

 するとどこからか風を切る音が聞こえて来て、両天使は両腕を斬り飛ばされた――と、思い込んだ。天井に向け、伸ばした腕は未だ伸ばされており、魔術もしっかりと発動した。

 一度事を終わらせると、心臓がバクバクと早鐘を打つのが耳の奥から聞こえて来て、落ち着いたばかりの呼吸が乱れて一挙に疲労していくのを感じながら、目の端に捉えられる気配に視線を配る。

 そこには血に濡れた刀剣を持って首を傾げる絶対悪と、剣撃を打ち払った召喚獣の姿があって、ギリギリ間に合わなかった分だけの血を腕から流す召喚士の姿も、確認出来た。

「召喚士、様……」

「大丈夫。君は、今君がやるべき事をしてくれ。頼んだよ」

「……はい」

 手を伸ばし、再度魔術を行使する。

 ケタケタと不敵に笑う絶対悪の声が聞こえ、交戦する剣戟音が聞こえたが、薄くなりつつある意識を魔術にのみ集中し、全魔力を集約。五分ほどで、成すべきことをすべて成し終えた。

「あぁあぁ、完成させたか。最悪だ。なんて最悪な展開。しかし私は絶対悪。私にとって都合のいい結末などあり得ない。故に、この展開は私にとって順調かつ順当と言える。そう、故に私は絶対悪」

「あぁ、知っているさ。しかし予想以上の事をしてくれたね。まさかあの屍女帝をそそのかして、海上都市国家全土を侵略させるだなんて。残った廃土から玉座を探し当てれば、めでたくゴールイン。君の勝ちという、僕らにとって最悪の展開が待っているわけだ」

「それもまた、私のせいだと認めざるを得ない。何せ私は絶対悪。この世の悪性にして絶対的な邪悪。悪の字がつくすべての根源。君達にとっての最悪さえも、私によるものならば、納得だろう?」

「あぁ、納得だね。だが残念。今回ばかりは、僕が想定する最悪の事態だけは無事、免れたみたいだ。事態は、君にとっての最悪へと、転がり始める」

 終始ケタケタと、不適に笑っていた絶対悪の笑顔がここで崩れる。

 自分の魔術の正体がバレていたことがそこまで驚きだったのか、初めて表情が曇って刀の切っ先が下を向いた。

「屍女帝の断言オ・イスシリモスと同じ、歴史に忘却された懐古の魔術だね。懐古魔術ロストスペル凶運アンティストロフィ・ミラス。発現者は必ず不幸に見舞われるとして失われた魔術。まさかそれを一つの概念として集め、神に近しい信仰対象にしようだなんて考える人がいたとは、思わなかったよ」

「……最悪だ。なんて最悪。まさか私の正体に気付かれるだなんて……あなたほど頭の回る天使がこの戦いに裁定者として出向いてきた時点で、詰んでいたも同然だったわけ、か」

「だが運が良かったね。僕はあくまで裁定者だ。僕が直接君に手を下すことはない。他の参加者達も、今頃君がけしかけた屍女帝と戦うのに忙しいだろう。無限再生を繰り返す不死の塔。本当、厄介なことをしてくれた」

「今生き残っている参加者達に、あれを倒せるだけの力はあるのかな?」

「力だけならあるさ。ただし、環境が良くない。白雪姫と銃天使が、周辺の人間を巻き込んで攻撃するような性格でないことはわかっている。他の面々では、あれを一挙に焼き払えるだけの火力が足りない。史上初の有人戦場と言うのが、彼らにとって大きな枷になっている」

「ならば――」

「そう、最悪だ。しかし最悪以上の災厄となってしまった以上、裁定者の僕が動かないわけにはいかない。すでに屍女帝は災害として認定し、仮に参加者全員が打ち倒されることがあったとしても、天界が動く運びになった。それに、彼女は彼らで充分倒せる。少し、時間が掛かるようだがね」

「なん、と……? なんだと……?」

 充分に対応出来る、の一言が余程驚愕的だったらしい。

 言動すべての終結が最悪の絶対悪としては、用意した怪物が齎す結果が最悪でないのは名の穢れなのかもしれない。

 それこそ、だから自分は絶対悪なのだと返せそうなものを、歯切れも悪く、完全に動揺を隠しきれていなかった。

「彼女が骸皇帝がいこうていの右腕として真に機能するようなら、そもそも君如きにけしかけられたりしなかっただろう。この状況そのものが、彼女を対処可能な怪物だと紐付けていると言ってもいい。真の最悪を呼びたかったなら、熾天使してんしにでも声を掛ければ良かったね。まぁ、出来なかっただろうけれど」

「な、ぁ……」

 今までの不適な笑みはどこへやら。臆したかのような同様の仕方。

 しかし彼女が不安に感じるも当然。魔術が揺らぐも当然。そうして簡単に揺らぐ不安定な魔術だったからこそ、凶運という魔術は忘れ去られ、懐古魔術ロストスペルと成り果てたのだから。

「悪の権化が、最悪の結果を招くことが出来なかった。結果、役目を果たせなかった因果が君に返ってくる。今まで君は、誰かしらにとって最悪の結果を招いてきた。それらが今、逆転するんだ。因果応報……さて君には、何が返ってくるのかな」

「最悪だ――!」

 召喚獣の脇を通り抜け、召喚士と両天使を一刀両断せんと刀を振るう。

 しかし刀は二人の虚像をすり抜け、霧の幻影を斬り裂くに留まり、召喚獣は役目を終えたと消え去って、完全に逃がしてしまった。

 絶対悪の虚無の咆哮が響き渡った頃、地上では両天使の魔術が発動していた。

 人命を上位に、信仰を下位に。人命救出の際に邪魔になっている信仰対象の違いと、信仰心の厚さとを、人命の優先度より下に置く。

 信仰心が何よりもの原動力である三神王都さがみおうとの住人にとって、信仰心より上位に置かれたものは何にも劣らず変わらない原動力となる。

 結果、両天使の魔術によって信仰心より人命が価値観の上位に置かれた国家の人々が、一時的とはいえ、信仰の対象も教会も関係なく、国内全員が人命を優先して動き始めた。

「銃天使さん!」

「あぁ、わかってる。今回の裁定者さいていしゃは、地上の人間に対して豪く寛大じゃあねぇの。声が聞こえて誰かはわかってたが、ここまでしてくれるたぁ思ってなかった。助かるぜ」

 銃天使の銃撃が足元の集団を射抜き、白雪姫の炎が凍って、自分達より先を行こうとする集団を閉じ込める。

 更に遠回りしようとする集団には、龍巫女りゅうみこの体を借りた海神わだつみの放つ矢が襲い掛かり、四肢を地面に縫い留められた。いくら再生しようとも、抜け出せる膂力を発揮できなければ意味はない。

 その隙に人々は互いに助け合い、抜け道を見つけ出して近くの大型の建物を見つけ出して避難していた。余りの人民の動きの変貌に、海神も龍巫女も驚きを禁じ得ない。

『先程の魔術の影響と思われるが、ここまで人心を書き換えられるものなのか』

「それだけの方が裁定者として来ている、という事でしょう。熾天使と呼ばれていたかの天使のような使い手が、まだまだ天界にはいるという事です」

『フム……』

 あのような化け物と対峙出来るような存在が、それほどいると言うのか。天界という場所は。

 知識としてしか知らない場所への好奇心。もしくは、未だ底が見えない空の上にあるという国に対しての恐怖心。

 組織に作られた、ただの意識ある魔術たる海神には、天界の脅威を正確に知れる計りがない。

 故にこの先戦うことになるやもしれない銃天使や、戦うことになるだろう熾天使の存在に対して、海神の作られた生存本能が警戒心を最高位に上げて睨みを利かせていた。

 が、今は屍女帝だ。

 矢筈を引っ掛け、一挙に三発。穿たれた屍の兵団が舞い上がり、高々と揚がった水飛沫が青い炎に包まれて、一瞬で氷結。一つの氷柱に三〇近い数が閉じ込められ、動きを封じる。

『囚われの姫君よ。このまま奴らの足止めに徹底するのはいいが、いつまでやればいい』

「そうですね……万全な状態で迎え討ちたいので、二十分――」

「そこまでは俺達が持たねぇ。十分だ。十分間、こいつらを足止めしろ。そうすれば、俺がヤる!」

「わかりました! 龍巫女さん! 十分! 十分足止めをお願いします!」

「わ、わかりました……!」

 何故彼らは、一切臆さず立ち向かえるのだ。

 ましてや、白雪姫は十一年囚われの身だった。にも関わらず、世間の広さにも臆さず飛び込み、対等に肩を並べて戦えているのは一体何故なのか。

 魔術の学園で多くを学び、数々の魔術に触れて来たからこそ、屍女帝の恐ろしさは十二分にわかる。わからなければ、もっと怖いはずではないのか。

 わからない。

 魔術の規模や戦闘能力では、銃天使や屍女帝の方が遥かに優れていると言うのに、龍巫女は海神のすぐ側に在りながら、白雪姫を恐れていた。

 魔術の正体もわからなければ、気持ちの在り方から何まで一切わからない。正体不明な白雪姫という存在自体に、臆していた。

 そんなことに気付くことなく、白雪姫は剣を振るい、屍女帝と対峙する。

「ふははははは……! 酷い酷い酷い! 痛い痛い痛い! 我が、私が終わらせてやると言うのに……妾のお陰で、あのお方のせいで、終われると言うに……!!!」

「終わりません! まだ、私達は始まったばかりですから!」

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