17 合格発表
合格発表の日は彼女と一緒に行動するのが怖くて、あえて一人で見に行った。
無造作に立てられたボードの前で人混みができていた。何人もの男子生徒が鼻を啜りながら、私の側を無言で通っていく。叫び声が時々聞こえた。それは喜びからなのか、絶望からなのか。
私も、保険として私立大学を受けているけれど。
「彼女のためには受かるしかない、よね」
自分に言い聞かせた。声が、いや、全身が震えている。
携帯を取り出すと、彼女からメッセージが来ていると気づく。もしここで合格の報告をされて、自分だけが受かっていなかったら、きっと一生忘れられないほどダメージを与えられてしまう。そっと携帯を閉じた。見るのが怖い、でもいずれには向き合わなければいけない。
誰にでも分かるような簡単なことなのに、合格発表の掲示板に向かう足が動くことに怯えている。
歩けよ、早く。
ぐっと唾を飲み込んで、拳を握る。ようやく白く無機質な張り紙の前に到達した。私は受験票を慎重に取り出して、数字の羅列を照らし合わせた。
こういうときばかりは見つけられないものだと思っていたが、意外とあっけなく同じ番号を発見する。
体が硬直した。そして一気に柔らかくなった。解けた緊張感と躍る心に任せて、すぐさま携帯をオンにして彼女のメッセージを見る。
――合格したよ。
予想通りの文章に安堵を覚えて、ところどころ文字を打ち間違えながら勢いで書いたメッセージを送る。それだけでは物足りず、彼女の電話番号を入力して携帯を耳に当てた。すぐに繋がった。
「これで君と一緒に暮らせるよ」
思ったことがそのままこぼれていく。
――ほんとっ?
彼女の声が電話越しに聞こえたとたん、冬日に凍りついた体を融かすほどに熱いものがポロポロと目頭から溢れ出した。
「うん、本当……」
不本意に出てくる掠れた涙声ばかりが先走ってしまい、伝えようとした言葉がとろとろになって喉につっかえる。これほど本来の自分をさらけ出せるのは彼女しかいない。でも、かっこ悪い本当の自分は見せたくない。
袖で顔をゴシゴシ拭いて、努めて普段通りの声を出そうとした。
「ごめん、今日はちょっとかっこ悪いとこ見せてしまいそう」
――そんなの気にしないで。それより、これからの手続きを忘れちゃダメだよ。
私とは真逆で、彼女は落ち着いた声で私に注意する。目の前には誰もいないのに、何度も首を縦に振った。それほど自分には余裕がなくて、勢いに任せて行動をするしかないくらいに放心状態になっていた。
入学の手続きを終わらせたあと、泣きじゃくっていた母に同棲の話を持ち出すと、予想通りすぐに了承してくれた。あっさりと家を出ることを認められたのはとても嬉しかったが、自分に掛けられてきた期待が愛とは別物であると再認識する。
まあ、もういいじゃないか。私はようやく本当になりたい自分になれるのだから。
はやる気持ちで電車に乗って、彼女の家に向かった。
青いビル。彼女はもうすぐここから引っ越さなくてはならない。ここを記憶に刻み込むという意味でも、今日はどうしても彼女と共に過ごしたかった。
「来てくれたんだね」
玄関に座って私を待っていた彼女は、にっこりと微笑んだ。その笑顔を見ると、再び涙が溢れ出てしまいそうになる。ドアを閉めるやいなや、彼女の腕の中に飛びついた。否応なしに唇を重ねる。細い肩が息苦しそうに震えている、愛おしい。もっと深くまで探りたい。彼女の素肌は、触れるとマシュマロのように凹んで指を受け入れるのに、手を離したたんに元に戻る。噛みつきたいくらいに綺麗だ。
私の首に手を回して、彼女は自分からもキスを求めてくるようになった。勢いに任せて舌を絡めていくと、彼女は床にすっかりと横たわって、真上の私が床に手をつく体勢になる。彼女の頬は紅潮していて、続きを誘うように妖美な目つきで見つめてくる。それなのに、口づけで途切れ途切れになった声で、
「ねぇ、まずはお風呂に入ってから」
と言葉では制止してくる。
「だったら一緒に入る」
「それは、恥ずかしいから」
「今日だけは許してよ」
彼女の腰に腕を回して抱き上げ、そのままシャワールームに運んでいく。お姫様抱っこに驚いた表情だが、びっくりする暇も与えずにキスの雨を降らせる。
しなやかな身体が私の胸に張りつき、艷やかな黒糸は私の腕から流れ落ちる。酔いしびれたような瞳は、視点が定まらずに切なげに揺れている。
世界にはこんなに綺麗な少女がいる。そしてまさに今、私は世界からこの子を掻っ攫って自分の色に染めようとしている。
口元がにやけた。彼女はずっと私のものであるべきだ。
シンプルながらも上品なシャワールームに到着すると、注意深く彼女を床に下ろした。立とうとしてもふらふらしてしまうようなので、背後から抱き締めて支える。
「狼みたい」
鏡に映る私の姿に向かって、蕩けた顔で冗談を言う彼女。その耳元に囁いた。
「じゃあ食べちゃうよ」
「ばか」
こういうときに限って口が悪い。おそらく、表情を見るだけでどうしてほしいか分かるから、思い切って普段取らないような態度を取るのだろう。
「触ってもいい?」
慣例行事の問い掛けに、彼女はピッチの若干外れた甘い声音でぶっきらぼうに返した。
「聞くのが遅いよ」
春になり、彼女と共に新居を見に行った。
T大から何駅か離れた場所にあるそこは同じガラス張りの青いビルで、今度は最上階と来た。二つの部屋にリビング、ダイニング、しかもどのスペースも広い。今年で大学の新入生となる私たちはもちろん、年収がある程度高くなければ、社会人でさえこの場所で暮らすのにふさわしくないだろう。
「これからここに住むんだな」
ドアを開けて、玄関に足を踏み入れてみる。基本的な構造は彼女の元の家と一緒で、リビングの壁一面がガラス窓になっている点も同じ。しかし、新居の眺めは前に比べて遥かに壮観だ。ここが展望台ではないのかと勘違いしそうになる。町全体を見渡すことができるだけでなく、遠くにあるはずの海もが見えるのだ。
これほどの豪邸にタダで住ませてもらうのは悪い。反射的に彼女に頭を下げた。
「どうしたの?」
「ごめん、せめて光熱費とか食費とかは私が払う!」
手を合わせて必死に訴えたはずなのに、彼女はおかしそうに吹き出した。
「そんな、私があなたと一緒にいたいだけだよ。でもそうね、言い出したら折れないんだから、そこは払ってもらうことにしようかな?」
「そうさせて」
「じゃあ荷造りも手伝ってね。ピアノ以外は持ってこれるから」
彼女は楽しそうにすっからかんのリビングを見回して言う。家の構造が大体同じだから、ピアノを置くスペースはあるはずだ。それでも持ってこない理由はあるだろう。彼女が自分から言わない限り、私が聞くような真似はしないが。
二人で窓辺に立って町を眺めた。きらきらとした太陽の光が、白い建物たちを明るく映し出す。
「私はずっと君のことを好きでいるよ」
静かに笑い掛けると、彼女は不意打ちを食らったかのように目をぱちぱちさせてから、なぜか寂しそうな笑顔を私に返した。その後、目を逸らし、視線を町に落としたまま動かない。
家族と縁を切ったことで、彼女は解き放たれたのではないか。
どうして幸せいっぱいの今、そんな寂しそうな顔をするんだ。T大に受かって、これから一緒に新しい生活を送ろうとしている今に。
私が彼女を幸せにする。これが私の本心からの夢、他人からの期待ではない本当の夢だ。叶えるためには、彼女が未だに引きずっている過去を、キレイに拭い取らなくてはいけない。
私なら何が起きても彼女を愛し続けられる。
私とはそういうものなんだと、定義づけてまで、彼女のことが好きなのだ。
「寂しい?」
試しに彼女に質問した。私を見ないまま、頭を振る。
「違うの。あなたのせいじゃない。私は平気だよ」
とても平気そうには見えないのに、彼女はそう言ったあと、俯いて黙り込んだ。
どう彼女を慰めればよいのか、途方に暮れる。その寂しさを払拭できるならば、私は何でもしてあげる。
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