PAGE.298「少年が大人になった日」


 コーテナと別れ数時間後。ラチェットは裏山の丘の上にいた。

 

 ……コーテナはもういない。


 態度からしてコーテナを追いかける事はしないと思う。サイネリア達は数分の時間の制限をつけて、一度だけ独り身の自由を与えた。


 騎士達も彼の心情は理解していたからだ。


 遠く離れ過ぎない距離。サイネリア達は裏山の麓にて待機している。



「行っちまった、な」


 一人きり。誰も見ていない丘の上でラチェットは仮面を取る。


 ……そっと頬をつたう涙を拭いていた。

 笑顔で別れはした。しかし、ラチェットも寂しい想いを浮かべていた。


 しばらく、あの眩しい笑顔を見なくなる。少し寂しくなる。

 男が泣くわけにはいかない。そんな情けない姿は人前にだけは晒したくなかった。でも、やはりこの気持ちだけは正直になっておきたかった。


 必ず帰ってくることを信じる。

 そう言い聞かせ、まだ精神的にも子供なラチェットは涙を拭いていた。


(長い、旅になったよナ。ほんと)


 今までの事を振り返る。


 気が付けばこんな世界に迷い込んで、そこから流れるままにコーテナと出逢い、追われる身になる大騒動を起こした後に旅を始めて。


 そこから色々な仲間と出会った。

 何でも屋のスカル。不思議な少女アタリス。姉御肌なオボロ。そして、王都の学友達に騎士団の皆。


 コーテナは言った。ここまで沢山のつながりが出来たのはラチェットのおかげだと。

 ……当の本人も感謝している。


 コーテナの元気に背中を押され、コーテナの健気さに胸を惹かれ、自分も前に進んでみようと意識することが出来た。

 過去のように暗闇を何の目的もなく歩くわけではない……この手で未来を掴んでみせると意思を見せての前進。ここまで強くなれたのはコーテナのおかげだ。



 旅の事を思い出すと、また涙が溢れてしまう。


 ___涙脆い奴等だと馬鹿にしていたが、自分の事は言えない。

 ラチェットは何度も瞳に手を伸ばし、涙をぬぐう。



「寂しいかい?」

 ラチェットは瞳から手を離す。


 声だ。この場所に誰も連れてくるなと騎士団のメンツにはお願いしたはずだ。

 ラチェットは仮面をつけると、警戒を露にしたまま顔を上げる。


「……無理もないよね。かけがえのない、大事な相棒だったから」

 目の前にいるのは一人の少年。


「でも大丈夫。君たちは遠くない未来ですぐに会えるから」

 学園の制服を羽織ったオッドアイの少年。

 何処か詩人のような雰囲気で語り掛け、雰囲気的にも残念そうなオーラを浮かべる少年が両手を広げオペラのようにラチェットに語り掛ける。


「お前は確か……」

 この少年には見覚えがある。

 確か“コピオズム”という少年だ。アタリスの事を追いかけまわし、しつこくプロポーズをしていた変な少年だと聞かされている。

 

 アタリスの言う通り、この少年はとても変だ。


「……いや」


 しかし、変という表現は“違う方向”にある。


「お前は、誰ダ……?」

 以前会った時と何か雰囲気が違う。

 喋り方にはもっと特徴というか、いろいろな意味で濃厚な喋り方をしていたはずだった。しかし、その特徴とは逆に今度は透き通るように鮮明な喋り方をしている。


 まるで別人のようだ。

 ラチェットは使い物にならないはずの魔導書を手に少年を威嚇する。


「気づいたか。流石に警戒心が強いだけの事はある。でも心配しないで。僕は君の敵じゃない。この瞬間は味方であると思ってくれ」


 コピオズムの目が、左右非対称だった瞳が真っ白に染まっていく。


「……ッ!?」


 少年の体に変化が起き始める。


 羽織っていた学園の制服な真っ白い砂となって消えていき、元の髪型も塗料が外れていくように真っ白になっていく。少年の体に纏わりついていた白い砂がその場で舞い上がり、コピオズムの姿を変貌させていく。


 真っ白い髪。妖精のような真っ白い衣装。

 そして、精霊皇と全く同じ真っ白の翼。


「お前ハ……」

 見覚えがある。

 その姿は、何処かで見覚えがある。



 壁画。そして幻覚。

 ラチェットは何度かこの少年を目にしている。


「僕は、“ワタ・リヨ”」

 両手を広げ、少年は自身の名を名乗る。

「アルス・マグナの友。この世界の観察者さ」

 壁画に残されていた御伽噺の存在。

 世界に干渉せず、その世界の流れをただ一人傍観し続ける自由な神様だ。


「ワタリヨ、だト?」

 次元の影響を受けない伝説の存在。

 ラチェットは再び魔導書を構える。この世界では御伽噺の存在である神様の名前を口にする怪しい奴にそうそう警戒を解くわけはない。



「落ち着いておくれよ、ラチェット……いや」

 ワタリヨは口にする。



「風見奈知」


「!!」


 ラチェットは魔導書から手を離す。

 その表情は驚愕で引きつっている。


「どうして……」

 少年へ指を差し向ける。

「どうして、“俺の本当の名前”をッ……!?」

 彼が口にしたのは紛れもない。

 ラチェットの本当の名前。向こうの世界にいた時の名前である。


 それは一字一句間違えていない。この世界の人間にその名前を名乗ったことはなく、それは最愛の相棒であるコーテナにさえ話したことがなかったはずだ。

 なのになぜ、この男が知っているのか。口にしたこともない本当の名前を何故。


「言っただろう。僕は次元の概念を超える者。観察者ワタリヨだ。それ以上でもそれ以下でもない」

 

 本物のワタリヨである。

 この少年は嘘一つついていないと断言してみせた。


 ……証拠というには不完全ではある。

 だが、誰も知りえない事を口にしてみせた。信憑性はある。


「その観察者とやらが何の用ダ。現実に干渉はしないんだろウ?」

 そんな神様が何故直々にこんな場所へやってきたのか。

 世界に干渉しない。それといった影響を与えることも、この世界の未来を変えることもしない自由な観察者が何故この場所へ。


「僕は一つだけ、アルスマグナに頼まれている仕事がある。それは世界への関与が出来ない僕にでも出来る仕事なんだ」


 ワタリヨはラチェットの瞳を見つめる。


「この世界とは全く関係のない存在……その君に、“この世界の住民としての力”を与える事。アルスマグナの力を使って、“君を正式にこの世界の住民”にすることだ」


 使命を告げてくる。


「ただし、この世界の住民と言っても、その存在はやはりイレギュラー……この世界の人間で言う“精霊の立場”として、ね」

 突然の言葉。

「精霊、だと?」

 ラチェットは戸惑いを隠すことが出来ない。


「ああ、そうだ」


 ワタリヨは返事だけ返すと彼の元へ近寄ってくる。


「ごめんね。時間がないんだ……僕がここにいることも、そして“君の中にあるアルスマグナの魂”が完全に消えてなくなる前に、僕は君を精霊にしなくてはならない」

 片手が近寄ってくる。

 ラチェットの視界が遮られていく。


「今から君を精霊にする……その間に手短に話すよ。君がどうしてこの世界に連れてこられたのか、君は何をすべきなのかを……」


 聞きたいことは山ほどあった。

 だけど、それを答える間もなくワタリヨはラチェットに力を与えようとした。


 最初こそ、ラチェットは抵抗しようとした。

 だけど、突然現れたワタリヨの存在。世界から脅威が去ったはずだというのに、クロヌスへ迫る危機を避けようとしたアルスマグナの目的を果たそうとする人物。



 ラチェットは次第に抵抗をやめる。

 何故彼が現れたのか……その予感が胸に宿った。


 “戦争はやはり始まるのか……”

 その答えは自然と理解できている。


 この男はアルスマグナの力を少年に受け継がせるために現れた。

 その行動が意味することは恐らく、そういう事だ。


 遠くない未来に戦争は起きる。

 そして、それは逃れることは出来ない定めなのだと。


 


 儀式が、始まった。





 仮面と魔導書。

 二つの遺産が、アルスマグナの体に反応するかのように一人で動き出す。


 魔導書はラチェットの心臓の中へ。

 仮面はラチェットの目元で揺らめくと、その半分。アルスマグナの遺書ともいえる文脈の部分のみが砕け散り、残った半分がラチェットの右目と合体する。傷口も隠れるように吸い込まれていく。


 真っ白の髪の毛が微かに黒みを帯びていく。メッシュのように黒い大きなラインが現れる。


 体が軽くなる。かつて精霊皇と一つになった時と同じような感覚だ。

 今まで感じたことのない何かが、胸の奥ではじけている。


「頼んだよ」

 ワタリヨは儀式を終えると姿を消していく。


「“闇の精霊・ラチェット”」

 この世界の新たなる精霊。

 その名を託し、ワタリヨは再びこの世界から姿を消した。



「おい! 今の光はなんだ!?」

 怪しい光に気付いたサイネリア達が丘を登ってラチェットの元へ。

「……ん? ラチェット?」

 サイネリアは丘の上で佇む少年を前に言葉を失う。



 雰囲気が違う。

 そこにいるのは間違いなくラチェットだが……何処か別人のような雰囲気が漂う少年がそこにいる。


「おお?」

 ホウセンもその異変に気が付いている。

 そこにいるのは……まるで熟練の魔法使いのようだった。


「確認……」

 イベルもその姿に震えている。

「魔力……体の中に」

 心臓を指さした。

 彼の体の中から確かに魔力の鼓動を感じる……しかし、それは人間の魔法使いとしてのものではなく、魔族界に潜む種族のみが持つ邪悪な魔力とも異なるもの。



「……何ともナイ」

 ラチェットは静かに丘を降りていく。


「ただ、“俺が精霊になっただけダ”」

 

 背丈こそ変わらない。だけど、その言葉はいつもと比べて重みがある。





 少年は、どこか成長したような。

 大人になったような風貌を、騎士団に見せつけていた。

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