第120話 岩斉保文と云う男④


「……なんか不味くないか?」


 誰が呟いたのか、その言葉を聞いて皆が同じことを考えていた。


 "ヤバイ"


 ……先程現れたのは、見間違いなどでは無く、弘瀬組の龍児だった。


 龍児の機嫌が悪いらしい事は、その場にいた誰もが感じていた。


 ――目は伏していて感情が読み取れなかった。しかし、龍児の醸し出す圧力は、その場に居た者をその場に縛り付けるほどのモノであった。


 通常時であれば、事務所に入って来た時点で、傍観するという事はあり得ない。

 しかし、相手が相手だ。


 事と次第によれば、組同士の戦争になる。


 手を出されたらやり返すのが当然だが……それよりも何よりも、そこに居た組員達は龍児の機嫌が悪そうだった事が、気になっていた。


 なぜ龍児の機嫌が悪いかは、そこに居た者達の内、数人の者しか知らなかったが……


 龍児の目的が何であれ、敵対組織の若頭が侵入して来たのだ。

 このまま何事も無く済む、という事はないだろう。


 結局、其々が思い思いに武器を握りしめ、戻って来るかも知れない"龍児"に備えた。



 ――約3分後。


 事務所のドアが開いた。


 ……工作員達からすれば、手っ取り早く拳銃で撃ち殺す――位したかったのだが、生憎ここの国は拳銃の取り締まりが厳しい。


 それに、工作員である自分達が警察に捕えられなどすれば、確実に組織の手の者に始末されるだろう。……警察組織にも、工作員は入り込んでいるのだ。


 龍児は、特に刃物類は持っていなかった。


 しかし、その右の拳には三つの太い指輪が、付けられている。

 ――拳のサポートだろう。


 開いたドアから中に入った龍児は、部屋をぐるりと見まわした。


 ――と、一番近くに居たずんぐりとした男が、抜身の日本刀で斬りかかった。


 斬りかかった男は、幼い頃から剣道を修めており、その腕前も確かなものだった。刀の扱いが組の中でも優れていた為、非常時に幹部所有である"日本刀"を使う事を許されていたのだ。


 男の刀が、龍児の頭を捉えるが――龍児は体を倒して避けた。日本刀を手にしている事を確認した時点で、最初の一刀を避ける事に神経を集中させていたのだ。


 刀を持った男は、床に触れ前に軌道を横に変えるが――右に踏み込んでいた龍児の、強烈な蹴り上げで動けなくなった。


 日本刀は床に刺さり……男は、股の間を両の手で押さえて悶絶している。


 その様子を見ていた組員達だったが ――龍児が倒れて片が付くかと期待していた―― 男が倒れたのを確認するやいなや、次々に襲い掛かった。


 襲い来る組員達を冷静に確認していた龍児は、順番に沈めて行った。


 ……そこには、激昂しているとは思えない程冷静な男がいた。


 ――数分後、7人の"向かって行った男達"が倒れ伏していた。


 男達に共通していたのは、全員"睾丸が潰されていた"という点だろう。


 特に、最初に日本刀で切りかかった男は、回復した後に再度切りかかり……その日本刀で、男のシンボルとも言える生殖器を切り取られていた。


 そこに立っているのは、龍児唯一人となっていたが――それら、一連の出来事を部屋の隅で見ていた男がいた。


 その男は、女性が攫われて来た時、唯一近くに行かなかった者だった。特に腕っぷしが強い訳ではなく、特に男気のある訳でもなかったが、感だけは鋭かった。


 男は、一連の騒動の初めから、何となく・・・・"関わらない方が良い"と感じていたのだ。……部屋の隅で小さくなっていたが、一連の龍児の振る舞いと、その所業を見て静かに呟いた。


 ――『静かな鬼…… "静鬼セイギ"なのね……』


 この鳴海組は、その後一度解散するが……再び、やけに感の良い男を頭として、組を立ち上げる事になる。


 その組には、やけに綺麗なオニイ様方が在籍する"イロモノ"達の組として、有名になるのだが……そんな事を、床で呻いている男達は愚か、部屋の隅で頬を染めている男が知る筈も無かった。



 ――騒動から一週間後。


 弘瀬組本部で、幹部会が開かれていた。

 通常の幹部会では、上級幹部のみが呼ばれる。


 しかし、そこには龍児以外の若い世代の幹部達も、集められていた。


 ――総勢38名。


 全国に分布する枝組織の幹部を含めて、招集された形だ。


 当然、招集するには時間が要る。

 しかし、今回の件は対応が早かった。


 問題となる騒動の翌日には、弘瀬組本部から通達されたのだ。


 そこに居た者達には、どんな決定が下されたのか、知るものが居なかった。


 ただ、一人の男は違った。


 ニチャっとした笑みを口元に浮かべている男――岩斉保文、教育係の男だ。


 岩斉は、事の顛末の報告を受けていた。


 ……少しばかり計画とはズレたが、結果的に予定通りに事が済んだようだった。


 『これで、龍児は"問題行動"の責任を取る事になり、失脚する。代わりに自分が幹部として重用されるのだ』……そんな風に考えていた。


 しかし――


 進行係の者が、口を開く。


「お集りの皆様方、遠くよりご苦労様です。この度、最高幹部会において一つの"決定"を下しましたので、そのご連絡をさせて頂きます。それでは、先ず……」


 ――そこで発表されたのは、岩斉の予想していた内容と違った。


 既に、先が短いと言われていた弘瀬組長は、車いすで登場するとこう言った。


「今回の鳴海組との事は、皆が知っていると思う」


 内容はともあれ、中心に居たのが"次の大親分"と言われている男が絡んでいたのだ。当然、裏社会にはそのニュースが一夜にして知れ渡った。


「して、今回開いた幹部会では、龍児を"若頭補佐"とする事に決めた」


 弘瀬親分がそう言った瞬間、そこに居た多くの者は息を呑んだ。しかし、次の瞬間には、そこに居たほぼ全ての幹部達が、頭を下げた。


 ――決定が下された。


 これは、ただの決定では無かった。


 通常、更に低い地位……教育係や管理部などに降格される筈が、若頭から一つ下の"若頭補佐"にされただけなのだ。


 しかもその決定を、全国の幹部を集めて発表する。これは、実質的に龍児が、次の親分に内定したようなモノだった。


 その場は、一瞬どよめきかけたが、司会が『それでは、龍児君』と、龍児に前に出るように促した言葉で、再び静まり返った。


 ……龍児が、弘瀬親分の横に進み出る。


 親分に一礼した後、言った。


「皆様に報告が有ります」


 てっきり、形式通りに返すと思っていた面々は、龍児の言葉に驚きつつも集中した。


 そこに居る面々の視線が集まる中、龍児は続けた。


「結婚します」


 突然の龍児の"報告"にどよめいたが、龍児の側近で弟分の男が『住民からの心象が良くなった件で、助けたお嬢さんですよ』と火消しをしていた。


 本来は、重い処分が下される筈だった。しかし、相手である鳴海組の親分と組員からの申し出と、住民による風当たりの変化が幹部会で取り上げられたのだ。


 ――その幹部会には、証人として、現場に居た"鳴海組構成員"が連れられていた。


 これらは全て、龍児を敬愛する弟分が勝手にした事では有ったが、それらも含めて"器"が判断されたのであった。


 ――その後、龍児は宣言通りに結婚をする。


 ただ、龍児の結婚式は大々的には行われず、身近な者達で行われたようだった。


 ……岩斉が式に呼ばれる事は無かった。


 ――


 そして、龍児と女性の式から数年後、二人の間に、一人の女の子が誕生する。しかし、元々体が弱かった事と、鳴海組による乱暴が原因で、その二年後に亡くなってしまった。


 岩斉は、幹部会でのダメージが大きく、その心は鬱屈したものとなって行った。その為、更にスズヤの提供する"愉しみ"に嵌って行く事になった。


 その間、岩斉はスズヤの方針のままに、チンピラ達を弘瀬組に組み込んでいった。


 色々やった。


 弘瀬組は、組織として"薬物"の販売及び使用を禁止している。しかし、岩斉はチンピラ達に指示をして、薬物の育成から販売までを密かに行っていた。


 その薬物の多くは、国内の顧客相手に捌かれていた。

 そして、その顧客の一つが"孤児院"であった。


 何をするにしても、スズヤの協力は欠かせなかった。


 ……スズヤに対しての恐怖と忠誠が増して行った。


 一度パーティで出会った少女が居た。

 岩斉から見て、完璧な少女だった。


 その少女を手に入れる為には、幾ら積んでも良いと思える程であった。


 しかし、その少女は龍児の娘だった。


 その日以来、欲しいものが一つ増えた。


 弘瀬組を二つに分裂させ、自分の組織を持つ事が出来た。


 ―――― 着実に、長い間準備した。

 ―――― 一つずつ、着実に。



 ――……そして、現在。


 先程、龍児の娘である綾香の"隠れ家"が分かったと電話があった。


 綾香の隠れ家近辺は、どうやら人通りが多い通りに面していて、警察の巡回が頻繁にされているようだ。しかし、部下であれば上手い事攫って来るだろう。


 ニチャっとした笑みを浮かべた男は、拘束器具に固定された少年に向き直った。


「さてぇと、アヤカちゃんが来るまでの間、愉しむ事にするかなぁ~」


 ……その手に握られた新たな"道具"が、鈍く光を反射させていた。

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