第111話 ユミル [邸宅]

 ――ユミルは、綾香の自宅に来ていた。


 つい二週間前にも一度来たが改めて、大きな家だと思う。いや、"家"と言うよりは、"邸宅"と言った方がしっくりくる。


 表門は大型車……バスなんかも同時に行き来出来るほどの大きさがある。その表門の中に入ると、駐車場があり、その奥に中塀がある。どうやら、門の中に"検問所"の様なモノを置いているらしい。


 大きな組織の本拠地ともなると、敵対組織からの守りも重要なのだろう。



 ユミルは、駐車場に停車したのを確認して、ドアを開いた。


 『もしかしたら、ナビがドアをロックするかも知れない』と考えていたが、どうやら不要な心配だったようだ。


 その後、綾香の案内で邸宅内に入った。


 途中途中、組員であろう者達が"身体検査"をしようとして来たが、その度に綾香が『私がします!』と言って、体をペタペタと触って来た。


 ……正直、同じ女性、しかも年下の少女に触られたところで、何という事も無かったので、好きにさせておいた。


 それに、本当に"身体検査"するのであれば、機械を通させるか、裸にして隈なく調べるくらいしないと、検査にはならない。


 それこそ、服の襟に仕込んだ針に、予め毒を仕込んでおく方法なんかも有るのだ。


 それらを鑑みてもこの"身体検査"は、綾香が周囲に対して行っている『この人は大丈夫です!』という、一種のパフォーマンスなのだろう。


 こんな風に、ちょっとした事は有ったが、ほぼ何事も無く邸宅の奥まで来ていた。


 得た情報の中で判断するのであれば、この辺りが一番安全だろう。


 それこそ、空から"爆撃"する位でないと、この辺りの人間をどうこうする事は出来ない。


 例え、侵入されたとしても、たどり着くまでの間に、逃走する為に必要な時間が、十分稼げる。


 そんな事を考えていたら、一歩前を歩いていた少女が振り返った。


「あの、お名前を教えて貰えますか? その、ご紹介する際に……」


 名乗る必要が出てくる可能性を考えていなかった。


 何やら、ごにょごにょと続けていた少女に、目を向ける。


 ……下手に偽装しても仕方ないだろう。


「そうですね、私の事は『ユミ』とお呼び下さい」


 そう言うと、少女は嬉しそうにして『はい! ユミ様ですね……ユミ様、ユミ様……』と、"ユミ"と言う名前を繰り返し呟いていた。


 そんな様子を、見つめていた。やがて、満足したのか『こちらへご案内します』と言って来たので、付いて行く事にした。




――

 案内されたのは、6畳ほどの小さな和室だった。

 その部屋には、殆ど物が無かった。


 有ったのは、掛け軸とその前に二振りの刀のみ。

 不思議な事に、両方とも同じ長さの刀だった。


 普通だと、少し寂しく感じるはずの部屋だろう。


 しかし、部屋に入った時、最初に感じたのは"部屋内に充満した濃厚な気配"だった。不思議な事に、濃厚な気配の外にも、複数の気配がある様に感じた。


 ……こちらへの"興味"と"不審"を含んだ気配。この気配を感じている時には、"決して怪しい行動を取るな"と、昔孤児院で教わった事が有る。まあ、それ自体が"暗殺教科"の一つだったので、今当てはめて考えるのは不味そうでは有るが……


 そんなユミル基、"ユミ"だったが、ユミルが部屋に入った瞬間、それ迄充満していた気配が変わった。それこそ、霧散するように……


 どうしてなのか疑問に思っていたら、一歩前に居た少女が助走をつけて走り出し……次の瞬間、綺麗な回し蹴りを放っていた。


 ……部屋の奥に座っていた人物目掛けて。


 側から見ても、綺麗な蹴りだった。

 ――それこそ、数年程度の練度では到達できないであろう、美しさがある。


 ……しかし、その蹴りが届く事は無かった。


「……随分な挨拶だな。それに、暫く稽古をサボっていたな? キレが落ちているぞ」


 綾香の放った回し蹴りは、無造作に出された手の平に、止められていた。


「お父様が悪いのです! 連絡も入っていた筈ですのに! ……出て行きます!」


 プンプンと怒り始めた綾香に対して、途中まで毅然とした態度を取っていた男だったが……『出て行きます』と言われた瞬間、様子が変わった。


「そ、そんなぁ……だって、心配だったのだぞ? 聞いたら、駐車場に停まった"ヤバそうな車"から降りて来たっていう話だったし、それに『例の王子・・』が一緒って話じゃないか……それが、女性だとは嬉しい誤算ではあったがなぁ……」


 と、それ迄ため込んでいたモノを吐き出すように、つらつらと吐き出し始めた。


 ……どうやら、娘が心配だったようだ。


 子供は愚か、親の居た事さえないユミルにとって、その気持ちを推し量る事は出来なかったが、"物凄く心配だった"と言う事だけは分かった。


 だからこそ、今かける言葉は一つだけだった。


「そうですね、私も"心配"すると思います」


 そう言うと、目の前の男は少し明るい表情を浮かべそうになった。しかし、目の前に"仁王立ち"している娘を見て、すぐに、助けを求めるように視線を向けて来た。


 そんな様子に、少しため息を付きそうになりながら、口を開いた。


「そうですね……それでは、なぜ私が"心配"なのか話した方が宜しいでしょうか」


 そう口火を切ると、それ迄父親に視線を向けていた綾香が、不思議そうな顔を向けて来た。そして、視線が合うと何を勘違いしたのか、嬉しそうな表情を浮かべて戻って来た。


「……私は、自ら危険な目に遭いに行くような――」


 途中まで話して、察しが付いたのだろう。


 それ迄静かにしていた綾香が、慌てて口を挿んで来た。


「さ、さあ! お客様ですよ! お父様に紹介したかったのは、この方です!」


 綾香は、必死になって気を逸らそうとしているが、既に時遅し。


 それ迄、何処かフワフワとした雰囲気に変わっていた男が、再び探るような気配を放っていた。……綾香に対して。


 一、二秒綾香に気配を放っていた男は、ユミルに視線を戻すと、口を開いた。


「……その話、詳しく聞こう」


 そう言った男の言葉を聞いて、ユミルは"これが父の愛"なのかな?と考えていた。考えてみても、答え合わせの手段が無かったので、取り敢えずは保留しておく事にした。


 視線を綾香に向けると、嘆願するようにこちらを見つめていた。しかし、"報告"に大幅な虚偽を含ませる事などできないユミルは、見たままの事を全て話し始めた。


 途中、気配を消して、部屋を出て行こうとした綾香だったが、男の『ここに居ろ』と言う言葉に『はい、お父様』と、観念する外ないのであった。


 ……男は、最初の内は静かに聞いていた。


 しかし、綾香が『分離した男に声を掛けた』辺りで、こめかみに青筋を浮かべていた。そして、一通り話し終えた後も、少しの間目を閉じたままだった。


 しかし、どうやら感情のコントロールが上手いようで、目を開いた時には落ち着いたようだった。……そんな男の様子を見て、ユミルは感心していたのだが、どうやら綾香は意見が違うようだった。


「……"静かな鬼"」


 綾香は一言だけ呟いて、畳に座った。


 そんな様子を見たユミルは、それまで立ちっ放しだった事に気が付いて、慌てて座った。

 ――以前、研修内で畳の作法を学んでいた。


 綾香とユミルが座ったタイミングで、男は口を開いた。


「綾香には、一人での行動を禁ずる。何処にあっても、必ず護衛を付けるように」


 そう言った男に対して、綾香は『はい、お父様』とだけ返していた。

 その様子を確認して頷いた男は、ユミルに向き直った。


「不躾で申し訳ないが、相当腕が立つと見える。娘の護衛として雇われてくれないか? 今は、組織内の者を、護衛に付ける訳にも行かなくてな」


 そう言って、『頼む!』と頭を下げて来た。


 ……正直、ユミルとしても無駄に付きまとわれて、動き辛くなるよりは、ある程度把握できている状態の方が良い。それに、これ以上のチャンスは無い。


「分かりました。ただ、条件が有ります」


 そう言って、その瞳を真っすぐに男へと向けた。



 ――

 男は、娘の恩人であるはずの女の瞳に、危険な色を見ていた。

 平時であれば、決して関わってはいけない、危険色である。


 しかし、今は"有事"だ。

 形振り構ってなどいられなかった。


 『何か得体の知れないモノに関わる事になりそうだ』と、心の中で思いながら、先ずは女の"条件"とやらを聞いてみる事にした。

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