第25話 決意と協力者

 社務所の一室で、熱いお茶を淹れてくれた宮司さんに、まだ手をつけていなかった桜餅を「一緒にどうですか」と出す。すると宮司さんは柔らかい笑みで言った。


「どうせなら、こちらを献饌といたしましょうか。どうぞこちらにいらしてください」


 私から包みを受け取り、私とクロードを促して、拝殿に向かった。


「ではそこに座ってください」


 促されるまま私たちは座り、恭しく頭を下げる宮司さんを見守った。三方に桜餅を供えると、玉串を持って私たちの方に戻ってきた。


「略式ではありますが、お二人のために清めさせていただきます。頭をおさげください」


 言われるまま頭を下げると、紙が擦れる音が二度、三度と通り過ぎる。


「結構ですよ。頭を上げてください」


 すると宮司さんは私たちの前に座り、にこりと微笑んだ。


「神様の前での誓いは、法的な拘束力はありませんが、真摯な思いは必ず通じ、きっと力をお貸しくださいます。もしお二人が望まれるのでしたら、私からも祝詞をあげさせていただきます」


 どうしますか? そう優しい声で問いかけられた。

 私とクロードは互いに惑いながらも、頷く。すると宮司さんはにっこりと微笑み、の前に向かうと、祝詞をあげ始める。

 ただお参りするくらいに思っていたのに、こんなにちゃんとしたものになるとは。神妙になっていると、クロードが私の手をとって握った。

 不思議と、それだけで一人じゃないんだという思いが沸き上がる。

 宮司さんの吟うような声を聞きながら、私はしっかりと前を向いて、祖父の願いに背くことを誓った。



「すっかり冷えてしまいましたので、作り直しますね」

「あ、私がやります」


 宮司さんから急須を受け取り、改めて三人分のお茶を用意する。そして桜餅を並べると、誰よりも嬉しそうなのは宮司さんだった。


「実は、餅菓子には目がなくて。ありがたく頂戴しますね」


 早速、口する宮司さん。ペロリと一つをお腹に収めると、満足そうにお茶をすする。そんな姿になんだかほっこりしながら、私とクロードもお茶と桜餅を食べて、一息ついた。


「しかし亀蔵さんのお孫さんと、こうして立て続けにおめでたい縁を結べるのは、感慨深いものです」


 お茶のお代わりを自分で注ぎながら、しみじみ語る宮司さん。


「祖父はよくここに、お邪魔したんですか?」

「元々、私が宮司を引き継ぐおりは、亀蔵さんが氏子総代をされていた頃でして、町のみなさんに快く受け入れてもらえたのも、亀蔵さんのご尽力あってのことです」

「そうだったんですか」

「体調を崩される前も、宝物庫の整理や古い文書の仕分けなどを、よく手伝ってくださいました。その時に知らずご無理をさせたかと思うと、申し訳なく……」


 祖父は、そこで自分の持つ石の意味を知って、愕然としたのだろう。

 この祖父の死を悼む優しい宮司は、どこまで祖父の抱えていた秘密を、目の前にいるクロードのことを、どこまで知っているのだろう。祖父が宮司さんに聞けと書いたからには、何も知らないということはないはず。そう思うものの、私はクロードを前にして、それを尋ねることはできずにいた。

 しかしそんな複雑な思いを知ってか知らずか、宮司はこう話を切り出した。


「潔子さんはご存知ですか? 実は亀蔵さんと整理した資料のなかから、翁の一族について、その後の記述が出て来たんですよ。まだ資料の検証研究が進んではいないので、表には出せないのですが……」

「ただの伝説ではなったということなのか?」


 すかさず聞き返したのは、クロードの方だった。


「そこもまた検証しなければはっきりしませんが、どうやら伝承の翁とされる家は、実際にあったと考えられます。神楽として語られるようなことが現実にあったかどうかは、別にして」

「家が続いていたということは、娘は? 亡くなってはいなかったのですか」

「庄屋となって月鏡から名前をもらい、『鏡』という姓を名乗ったようです。しかし詳しくは分からないのですが、騒動が何かしらあった後、あっという間に財と信用を失い、名を変えて村を去ったということでした。遠縁の一部はここに残り、主だった者はここから北の地に居を移し、字を変えて『各務』と名乗っていたようですね。こちらなら、よくある名ではあります」

「各務……」


 クロードが唸るようにその名を繰り返す。


「どうしたの?」

「いや……なんでもない」

「翁の娘が生き残っていたかどうかは分かりませんが、そうして書物に各務家の顛末が残されたのには、理由があったようです」

「理由?」

「一族に、女児しか生まれなくなったそうです。それは天人様の怒りを買った罰なのではないかと、記されていました。まあ昔のことです、ここのような山に囲まれ冬も厳しい環境で、どうしても家を守るには男児が望まれたのは仕方がないことです。そういう理由もあり、後世が都合よく書き足した可能性も否定できません」

「あの獅子面の男は本当に、罰を下すほどに、怒りと憎しみを募らせたのだろうか」


 クロードがそう尋ねると、宮司さんは微笑んで答えた。


「二代ばかり女児のみが続けば、絶望して目に見えぬものに縋ることもあるでしょう。きっと教訓として、そういう話を付けたさねばならない事情もあったかもしれません。ですがもしその後もずっと続いたのなら、むしろ罰というより、別の違う理由があったのではと考えるべきではないでしょうか」

「別の理由って?」

「さあ、そこは私にも分かりかねます。ただ……」


 宮司さんはお茶をすすり、「古い伝承とは興味深いものです」そう締めくくった。

 そうして私たちは夜の訪問を詫び、祝詞の礼をのべて帰路についた。

 満月の明りを頼りに、坂をのんびり歩く。いっぺんに色々なことがあったせいか、二人とも言葉が少ない。


「なあキヨ……あの人は、まだ何か知ってると思わないか?」


 突然そう話しかけられ、私はびくっと身体を震わせた。繋いだ手から、それが伝わったかもしれない。


「知ってるって、何を? あなたのことを、章吾さんたちのようにじいちゃんから聞いてたってこと?」


 誤魔化すように聞き返すと、でもクロードはそんな私に気づかない様子で続けた。


「そうじゃなくて……天人様が、どこから来たのかとか。俺、やっぱり確信した」

「なにを?」

「同じ世界から、来たんじゃないだろうか。もしかして、俺は……呼ばれたのかもしれない」


 呼ばれた? どっちに、だろう。

 クロードは足を止め、混乱する私の手を、ぎゅっと痛いほど握りしめた。


「俺の母親の旧姓な、各務っていうんだ」


 私を見下ろすクロードの顔が、月を背にしていて、よく見えなかった。


「母親は親類と縁を切っていたから、実家がどこにあるか分からない。だがたぶんこことそう離れていないと思う。昔、母親に聞いたことがあるんだ。なんで祖父母が父方しかいないんだって。そうしたら、すごく哀しい顔をして言われた。祝福されなかったから、縁を切ったんだと。父さんと結婚を祝福されなかったのかと聞き返したら、違うって。そうじゃない、ごめんって言われて、なんとなく察したんだ。もしかして俺なのかなって」

「……クロード、そんな」


 なにか誤解なんじゃなくて? そう聞く間もなく、クロードの話は続く。


「なあキヨ。俺だってまさかと思ってたよ。だから母親との会話は内緒にして、父親にもこっそり尋ねたことがあったんだ。そうしたら、一つだけ教えてくれた。各務の家は女系家族で、なぜか女ばかりが産まれる。たまに男子も産まれるが、病気や不幸な事故が多く育たない。だから決まって養子に出して手放すんだと」


 私は言葉を失う。

 むしろクロードがよく、宮司さんの話を冷静に聞いていられたと思うほどの類似。

 病気や不幸な事故。その事故のなかに、もしかして行方不明も……?


「母親はあまり、精神的に強い人じゃなかったと思う。縁を切って俺と弟を手元で育てたのは、父親と父方の祖父母の協力があったから出来たことだろうな。だが、俺は言われていた通り、行方不明で……死んだも同じだ」

「きっと、自分を責めたかもしれない。でもあなたもお母さんも、何も悪くないのに」


 クロードは唇を引き結び、押し黙ったままだ。

 しばらく考えていたが、ふと顔を上げる。どこか諦めが入ったように、力なく呟く。


「確める術もないが、もしかしたら、俺だけじゃなかったのかもな」

「行方不明が?」 

「ああ、異界に飛ばされたのは、これまでに何人もいたかもしれない。俺のなかの血が喚ばれたのかと思えば、常に引き寄せられるこの感覚にも納得がいく」


 クロードの血を現世こちらに引き寄せるのが月鏡の石ならば、その逆はなんだろう? まさか、帰りたいと願う天人様の想いとでもいうのだろうか。もう数百年も前の人の想いが、クロードを苦しめているのだとすれば、それを消してしまえる術はないのだろうか。

 もしかして、宮司さんがなにかまだ知っている? 宮司さんが知らなくても、神社に残された文書のなかに、なにかヒントがあるかもしれない。

 もう一度、訪れてみようと心に決める。


「キヨ、もうあまり時間がない。早く戻ろう」


 手を引かれて、私たちは再び歩き出す。思ったより早足のクロードに、声をかける。


「ねえ、そんなにもう時間が迫ってるの?」

「あと、二時間くらいかな」

「え、なんだ。今すぐかと思ってビックリしたじゃない」


 ほっとした私を振り返るクロードの顔が、なんだか不服そうだ。


「どうしたのよ、文句あり気な顔で」

「あるに決まってるだろ。二時間しかないんだから」

「……あ、そうか。ご飯食べてなかったもんね!」


 いつも山盛りおかわりをしていく、この食い意地の張った客のために、多めにご飯を炊いているのだ。私としても食べてもらわねば、余ってしかたない。

 なのにクロードはさらに顔をしかめたと思ったら。何を考えているのか、いきなり私のお尻の下に腕を回し、ひょいと抱き上げたのだ。


「わっ、なにするのよ!」


 幼子を抱き上げるように、片腕で縦抱きにされている。少し小柄とはいえ、成人女性を軽々だなんて、なんて力なの。

 ひたすら驚いている私を見上げながら、クロードがいたずらっぽく口角を上げた。


「そうだな、せっかく夫婦の誓いをしたんだ、そんなに勧めるならキヨを食べようか」


 その言葉で、一気に顔に血が集まり、無防備な頭をぺちっと叩く。


「往来でなに言ってるのよ馬鹿!」

「キヨが鈍すぎるせいだろ。一ヶ月後まで会えないんだから、少しは惜しめよ」

「な、それは……」


 私だって時間が惜しいから、まだ二時間あるとほっとしたのに。

 けれども、今度こそ真剣な眼差しを向けられ、私はそれ以上反論もできず、残りの数メートルをそのまま運ばれるはめになった。

 もちろん、そのあとは作り置いてあったご飯を二人で食べて、他愛もないお喋りをして、いつも通り過ごした。

 当然だけど、一腺を越えることもなく、二時間と少し後に、クロードは姿を消した。ただ……別れの前に交わしたキスが長すぎて、腰が抜けていたのは絶対に秘密にしておく。


◇◇◇


 満月の翌日、私は朝早くに再び神社を訪れた。田舎といえどもまだ仕事が始まる前。通りには、豆腐の奥さんがお店の窓越しに手を振ってくれたくらいで、人通りもない。

 神社の坂を登って鳥居にさしかかったところで、箒を持った袴姿の宮司さんを見つけた。


「おはようございます、宮司さん。昨晩はお世話になりました」

「ああ、潔子さんおはようございます。ちょっと待っててください」


 宮司さんは集めていた花びらを塵取りですくい、ゴミ袋に納めた。


「お待たせしました。こんな朝早くから、どうなさいましたか?」

「じつは、宮司さんにお願いがあって。朝からすみません」

「御願い、ですか。神様にではなく?」

「はい。昨日の件なんですが……」

「ああ!」


 と宮司さんは早合点したのか、こう続けた。


「こちらでお二人が祝言をあげたことは、誰にも言いませんからご安心を。さすがに訳ありなのは私でも……」

「あの、違います。ああ、ええと……いえ、確かに違わないですけど、お願いは別にもあって」

「ほう、なんですか」

「月鏡の伝承について、翁の一族のこととか、もっと詳しく知りたいんです。どんな些細なことでもいいので、お願いします。お務めの邪魔はしません」


 私がそう言って頭を下げると、宮司さんは優しい声で言った。


「頭を上げてください潔子さん。私でよければ協力いたします、なんでも訊いてください」


 にこにこと微笑み、宮司さんは続ける。


「その件でしてら、お待ちしてましたよ、潔子さん」

「……え?」

「亀蔵さんから、あなたの力になってやって欲しいと、頼まれていました」

「じいちゃんから」

「ええ。そのくせ、詳しいことはなにも。でも……昨日の彼がとてもかかわっている?」

「……はい」


 宮司さんは私の返事を聞くと、何度か頷く。


「独りで抱えては苦しいばかりでしょう。亀蔵さんもそれは望んでいないはずです。ちょうどいい、よき協力者を得ることができそうですよ潔子さん、今日は調査に出した文書の報告を受けるんですよ。よかったら同席されますか」

「月鏡の伝承についての文書ですか」

「はい。専門家に時代や様式などから本物かどうか、鑑定をお願いしてあるんです。地元の大学の研究者が、その作業を買って出てくださいまして」


 大学の研究者。それって、もしかして……


「ああ、早速いらした。あの方です、確か黒田……ええと」


 振り向いた先、坂を登ってくる青年を見て、私はその名を呟く。


「黒田、智晴さん」

「そうそう! 潔子さん、お知り合いですか?」


 智晴さんは坂を登りきったところで私に気づくと、驚いた顔をしながらも、深々と頭を下げたのだった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る