共生戦士ブラックガイ
南雲麗
VS廃病院の怪
闇夜に散るのは幾つもの火花。
闇夜に舞うのは白衣と漆黒。
電気もない廃墟の建造物の中。刀と刃金がそこかしこで交わり、涼やかな音が繰り広げられていく。
漆黒が間合いを詰め、上段からサムライソードを振り下ろせば、白衣はそれを二本のナイフ――否、鋭く研ぎ上げ、不気味なまでに光るメスを交差させて受け止める。
「――っ!」
舌打ちのような音の直後、白衣の身体がくの字に折れた。土手っ腹に苦し紛れの蹴りを受けたのだ。そのまま漆黒は後ろに飛び、間合いを取る。二刀流のメスを持つ白衣に、主導権を握らせないためのヒットアンドアウェイである。
だが白衣もそこで崩れはしなかった。身を屈めたまま、サムライソードから体一つ置いた距離までにじり寄ると、メスを腕に掲げて高く跳躍した。刃先が漆黒の身体に突き刺さるように持ち替え、猛犬の如き唸り声を上げて飛びかかる。
「ちっ!」
ここで初めて、漆黒から明瞭な声が上がった。迎撃するには間合いが近過ぎる。しかし大っぴらに逃げを打てば潮目が変わりかねない。故に、ギリギリまで見据えて。
ギャギンッ!
鈍い音が上がった。二本の牙が漆黒の肌を貫くその刹那。漆黒はサムライソードを咥え、その身を背後の空間へと投げ出した。そのまま床に手を置いて体を支えると、一回転して立ち上がる。素早く右の手で武器を取り、正眼に構えた。その肌に、僅かな傷が生まれていた。
ほぼ同時刻。白衣と漆黒の戦いの場から少し離れた物陰にて、一人の女がうずくまっていた。剣戟の音は彼方に聞こえているが、女は立ち上がろうともしなかった。
「一体なんなのよこれぇ……」
力のない声を上げ、壁に寄り掛かり、体育座りで顔を伏せる。否。『なにが起こったのかは分かっている』。ただ、脳が現実を拒否しているだけなのだ。
それは、彼女の傍らに置かれたスマートフォンの画面ではっきりと分かる。いずこかの掲示板と思われるその画面には。
『○○県××市の郊外にある廃病院に、殺人医師の霊が現れる』
『手術に失敗、高額の賠償金の支払いに悩まされて病院で自殺した』
『死後もその魂が病院を彷徨い、迷い込んだ人間を手術の実験台にしている』
などなど、噂とも真実とも取れるような文言が並んでいる。
「まさかホントに出るなんてぇ……。聞いてない、聞いてないよぉ……」
女の口から嗚咽が漏れる。彼女はオカルト仲間の友人達と掲示板を参考に、廃病院へ肝試しに来ただけだったのだ。ところが、うっかり途中ではぐれてしまった。追い付こうとして走ったはいいが、気が付けば周囲を奇妙な靄に包まれ、方向感覚を見失った。スマートフォンは圏外になり、助けを呼べども返事はなく。そして。靄の中から噂通りに現れたのである。
それは、二本のメスを手にした白衣の男。目に色はなく、口の端からは涎を垂らし、明らかに只人ならざる姿をしていた。
彼女は至極当然に叫び、来た道を走った。だが、白衣の男の足は早かった。間違いなく人間の速さではなかった。瞬く間に追い付き、その背中にメスを突き刺さんとした時。
靄の向こうから飛んで来たクナイが、それを阻んだ。次の瞬間、彼女の目はもう一つ、信じ難いものを目撃した。それは、右目の辺りだけが灰色になった漆黒のヒトガタ。
再び彼女は叫びかけた。しかし、そこで気付く。漆黒のヒトガタを中心にして、靄が消えていっている。そして、それまで直線にしか見えていなかった道に、明らかな曲がり角が見えた。白衣に向かってサムライソードを抜き放ったヒトガタと入れ替わるように女はそこへ飛び込んだ。そのまま恐怖に怯えるようにうずくまり、現在に至ったのである。
一方。白衣と漆黒の戦いは更に激化していた。突く、薙ぐ、斬る、押す。弾く、防ぐ、跳ねる、舞う。全ての手段を駆使して互いが互いの急所を狙い、その度に火花と剣戟の音が廃病院を彩っていた。
「――ッ!!」
人ならざる咆哮と共に、白衣が漆黒にメスを投げ付ける。漆黒はそれを、サムライソードで弾いた。だが、白衣はその間に身を低くして間合いに潜り込んでいた。拳に仕込んだメスを、アッパーで漆黒の顎を狙って突き上げる。漆黒は身体を仰け反らせてその一撃を躱し、アッパーが頂点に達した所で足を引く。
そこで一瞬間合いが生まれるが、漆黒は止まらない。引き戻していたサムライソードを、今度は白衣の心臓めがけて突き出した。が、この高速の一撃も左手に持ち替えられたメスと体捌きで逸らされる。そして再び右のメスが漆黒を襲った。
「んなろっ……!」
漆黒から再び声が上がる。右目、灰色の部分が。糸を引くように動く。一段早い動きで体を入れ、右手で腕を弾いた。そしてそのまま踏み込み、跳ね上げるようにして肘を顎に叩き込む。
「っ――!」
回避が間に合わず、ダウンを奪われる白衣。だが漆黒は追い討ちをせずに間合いを取り、素早く曲がり角へと消えたのだった。
女は既に目を開けていた。だが、まだ恐怖に身体は竦んでいた。震えながらもスマートフォンを拾い上げ、そこに文字列を打ち込む。
「しっこくの……ひとがた……」
手が震え、文字を何回も打ち直す。変換も狂う。だが打ち終えて、『検索』のボタンを押す。そこには――。
「俺のことを調べてるのかい?」
「あ、は……。ひゃ……っ!?」
不意に掛かった声に顔を上げると、そこには漆黒のヒトガタ、それそのものが居た。開いた口が塞がらない。歯の根が合わない。叫びだけは無理矢理飲み込んだが、動揺だけはどうにもならない。
「な、ななな、なんのごようでしょうか? い、いのちだけは、いのちだけは……」
壁に寄り掛かったままなので、後ろには下がれない。小声で命乞いの言葉をまくしたてつつ、横歩きでなんとか距離を取ろうとする。だが、それを見てもヒトガタは動かなかった。それどころか。
「うわちゃー……。まあそりゃそうだよな……」
くぐもってはいるが、妙に人間臭い声を上げる始末。
「え……? え?」
女も思わず素っ頓狂な声を上げてしまう。それもそのはずだ。恐ろしげなヒトガタから、まさかの人間と思しき声である。
「え、えーと。まさか?」
女の問いかけ。その意図を察して、ヒトガタはうなずいた。そして、女に顔を近付ける。一瞬、女の表情が強張った。が。
「落ち着いて」
ヒトガタの強い声が、彼女を鎮めた。強張った表情が、真剣なそれに変わる。
「この道をまっすぐひた走れば、出口にたどり着けます。俺からは、それだけです」
よく聞けば、若い男性の声だった。女と同年代、あるいは、それよりも下。
女は、うなずいた。忘れられるかはともかくとして、この状況から脱出できるというのなら。それに従う他なかった。
「さあ、早く」
「あの、せめてお名前だけでも」
「『ブラックガイ』です。さあ、早く。奴が起きてしまいます」
ヒトガタが促した。女は立ち上がり、ゆっくりと駆け出した。その足取りはやがて早くなり、ヒトガタの視界から消えて行く。
女のフィールドからの退避を確認した後、ヒトガタ――否、ブラックガイは、漆黒の中に隠していたサムライソードを取り出した。
――ほっときゃイイじゃねぇか。ニンゲンなんざ。
右目に宿る『灰色』が意志を伝えて来た。邪魔だ。邪魔だが、この戦いにおいては欠かしたら負ける要素だ。
「そうもいかないんだ。俺も……人間だからね」
――チッ。まあいい。負けたらどちみち一緒くたに死ぬからな……。オマエの選択にノッてやるよ。
「オーケー。じゃあ、ちょっと力を貸してくれ」
既にブラックガイは戦場となった通路に戻っていた。白衣はもう立ち上がっていた。ダメージを癒やし、武器を整えることに注力していたのだ。その証拠に色を失くした眼は爛々と輝き、両の手に構えたメスはギラギラと光を放っている。
「来いよ。
サムライソードを正眼に構える。右眼が熱い。『灰色』が明滅しているのだ。心臓の鼓動に、『灰色』の明滅に、呼吸を合わせる。するとブラックガイの纏う漆黒に、白い筋が通り始めた。それは、人間の神経回路をなぞるように、漆黒の全てへと伸びていく。
「――――――――ッ!」
先手は、パブリック・エネミーと呼ばれた白衣が取った。人ならざる雄叫びと共に、両の手に持つメスを腰に構えて突進する。だが、ブラックガイは動かなかった。
三メートル。まだ動かない。
二メートル。それでも動かない。
一メートル。その時ブラックガイが、灰色の筋を残したまま消えた。
カキィン……。
一秒後。突き出されながらも空を切ったメスが、白衣の手から落ちた。見ればその白衣の腹部から、サムライソードの切っ先が生えていた。切っ先の根元、即ち白衣の背後に、ブラックガイは立っていた。
「……」
ブラックガイは、黙したまま動かない。やがて白衣の身体が、崩れ始めた。崩れた姿は、靄へと変わ……れなかった。変わろうとする一瞬、ブラックガイの身体から白が伸び、捕食したのである。
「……食ったか」
――食ったサ。食わなきゃここから出られねえ。
「出さないぞ。出るなら俺ごと死んでやる」
――乗っ取るという選択肢もあるが?
「乗っ取られる前に目を突いてやる」
――そういう奴だよな、オマエは。だから、嫌いになれないんだが。
「パブリック・エネミーに好かれたって嬉しくないな……。さて、ここの靄も晴れたな。行くぞ」
――ヘイヘイ。せいぜい大人しくしてやりますよ。
カツンカツン。靄が消え、元の姿を取り戻した廃病院。そこに僅かな足音がこだまし、やがて消えていった。
「……『カウンターパート・ブラックガイ』かあ」
廃病院での命の危機から数日後。女は自宅のパソコンを前にして、独り言を呟いていた。最初は全てを忘れようと思ったのだ。しかし忘れ難かった。そこで廃病院で起きた事実を、地名等がバレないように脚色し、オカルトサイトの掲示板に書き込んだのである。すると、いくつかの噂が舞い込んできたのだ。曰く。
『都市伝説や怪談等、噂のある地域に赴き、噂そのものを消し去る集団がいるらしい』
『都市伝説を実在化させ、人間に危害を加える者が居るらしい』
『先輩の知人が都市伝説に襲われ、黒いヒトガタに助けられたらしい』
『噂を消し去る集団は自分達をカウンターパートと名乗っている。自分達の話についてはむしろ広めて欲しいようだった』
「……案外世の中、奇特な集団が居るものね」
女は椅子に背を預け、天井を仰いだ。ついこの間非現実的な事件に巻き込まれたばかりだというのに、結局オカルトサイトを見ている自分。しかし、不思議と止める気にはなれなかった。
「次は、どこへ行こうかな」
そう言って彼女は、再び掲示板を覗き込むのだった。
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