どストライク少女は傘がお好き①

    

『……あのね、比田くん。……この間のことなんだけど……』

 うつむき加減の花桐が、省介を見上げる。

『……私、誤解してたみたい。……その、……ごめんなさい』

「……な、何言ってるんですか、花桐先輩が謝ることなんて一つもないですよ。むしろ本当にすみません。……あんな醜態をさらしてしまって……」

 ふるふると首をふり、花桐が言う。

『そんなことないよ? ……むしろその、なんていうか、……立派だった』

「……えッ? あの、ちょっと花桐先……」

 言い終わるより先に、花桐がうるうるとした視線が目に入り、

『……私、どうしても比田くんに、……お詫びがしたいの……。……いい、よね?』

 頬を染めた花桐が目を閉じる。

 ……ええええッ!

(こ、ここ、これは、……だいぶ強引な展開だが、そ、そういうことだよな? いいんだよな?)

 ギュッと目を瞑り、

 んー、と可愛らしい声が近づいてくる。

 その唇まで、後二センチ、一センチ。

 バクバクと鼓動がレベルマックスに跳ね上がり、


 ちゅう。


 唇に感じる、その感触は……、

 ……や、柔らか……あれ?

 異変に気付き、省介は思わず眉を寄せる。

(……柔らかくないことはないのだが、なんていうか、……薄い? 唇と唇の触れ合いだから、もっとこう……ふわっとした印象だったんだけど。……実際のキスってこんな感じなのか?)

 花桐先輩はどう思っているのだろう、と恐る恐る、省介は目を開ける。

「……ッ⁉」

 目の前は真っ暗だった。

 いや、何かがすぐ目の前にあって密着しているため、何も見えないのだ。

(……何だこれ、板? いや、それにしては妙に生暖かい……)

 状況を確認しようと、顔の角度を動かす。

「……ひゃッ、……」

 上の方から、何やら引きつったような声が。

(……ん? 今の声、どっかで聞いたことある……)

 さらに角度を動かすと、

「……んんッ、いやぁ……せんせぇッ……」

 ……先生?

 いよいよ不振に思った省介は、両手を突き出して顔に密着する何かをガバッ、と引き剥がす。

「……あッ」

 視界が明瞭になり、

 目前に広がる風景の情報を、脳が認識する。

 ……え、

 板だった。

 それは確かに、板と呼べるものだ。

 しかし、


「ぎゃあああああああああああああああああああああああああああああああッ⁉」


 板は板でも、まな板、と表現をするのが何ら間違っていない、それほど起伏の乏しい、ブラウニーの着崩れたパジャマから覗いた、胸板だった。


一気に目が覚め、省介の意識が覚醒する。

ロケハンの翌日、午前六時。

 清々しい朝の部屋、いつも通り各々の寝袋にくるまり、まるで川の字のような配置だった。一本線が足りないのは、省介とブラウニーの寝袋が密着しているせいで、まるで添い寝するような体制になっていたからだ。

省介は思わず、自らの口を覆う。

(……つまり俺が花桐先輩だと思ってキスしたのって……)

 視線を投げ、ブラウニーの平坦な胸元を確認すると、微かな凹凸の凹の部分に濃厚なキスマークが出来ている。挙句に当のブラウニーは、はぁ、はぁと頬を上気させ、涙目になっている始末だ。省介の顔が色を失う。

「もう……早朝から何騒いでるのー? ルンうるさくて眠れな……ッ⁉」

 ごそごそと寝袋から出てきたバスローブ姿のルンが、ひらり、と手からパンツが落とす。

 本人曰く、寝る時に香る用のヤツ、だ。

「……艦長、どうかし………………」

 不機嫌そうに起きてきたボーハンが、着ているネグリジェには似合わない、二倍増しくらいの無表情で固まる。

二人の視線は、ブラウニーへ、そしてその胸元へ、そこに付いたキスマークへと向けられ、その次には省介へ、その盛り上がった股間(生理現象)へと分かりやすい動きをした。

 ……今、何が起こってるのかは理解できる。

(そしてもし対応を誤れば、危うく変態ロリコンの噂が真実になりかねない……)

 ゆっくりと身体を起こし、深呼吸をする。

(……ここは慎重に……)

「ち、違うんだ、これは――」

「ななな何してるのご主人様ッ‼」

 ルンの言葉に、省介は身構えて委縮する。

 ……が、

「……見損なったよう、どうしてルンじゃないのッ⁉ ……よりにもよってそんな貧乳を選ぶなんてッ‼」

 ……そっちかい。

「……艦長」

 ルンを押しのけるようにして、ジト目のボーハンが近づいてくる。

「据え膳を食わないなんて、男の恥。……このイ●ポ野郎」 

「いいい今この娘何て言ったッ⁉」

「……言い直す。……貴方には失望した、このイ●ポテンツ。あれで終わりなんてブラウニーに失礼、どうせなら最後までヤるべき……飾りなら腐ればいい、このチ●カス童貞」

予想を超える汚い罵りに、省介は言葉も出てこない。

……ていうか、咎めるとこ、そこ?

「……ひ、比田ぁ……」

 胸元を寝袋で隠し、いかにも事後みたいな仕草でいそいそと起き上がったブラウニーが言う。

「……そんなに、……僕が良かったの……?」

 頬を赤く染め、眉をハの字にしてうるうるの流し目を……、

「……って違うだろッ‼ そこは怒らなきゃダメなとこだろブーッ‼ 変態なコイツらの言動がおかしいのはともかく、いつもは常識人なお前まで何を言っているんだッ⁉」

「……え、……でも……」

 ブラウニーが口元できゅっと手を丸め、

「……僕は、比田が望むんだったら……その……」

「……えッ」

(どうしよう、これって本気にしちゃってるパターンじゃないか? こんな簡単にそういう思考になるブーのチョロさも問題だが、寝ぼけてセクハラしておいてその実、夢の中では別の人のこと考えてましたって俺も、考えてみると相当問題なのでは……)

 どっと脂汗が出てきて、省介の顔色が悪くなる。

 一方でブラウニーは女の子座りで首を引っ込め、赤い顔をしている。

 そんな二人の様子を、パンツを歯噛みして恨めしそうにルンが睨み付け、その肩にボーハンがポン、と手を乗せる。

 ……頼むから『まぁ、こうなったら二人を祝福してあげよう』みたいな目は止めろ、ボー。

 なぁ、と省介が口を開いた。

「……皆、とりあえず、メシにしないか……?」




「あっはっはっは、なんだー、そんなことだったの? 怒って損したーッ」

 朝の喫茶店で、省介達はテーブルを囲っていた。

 机の上には、見るからに甘そうな大量のクリームの乗ったパンケーキが三つ。

「……大したことないけど、もぐもぐ……童貞にしては上出来」

 フルーツの乗ったタイプを頬張りながら、ボーハンが親指を立てる。

 そりゃ、どうもと省介は肩を竦めた。

「ねぇー、ブーちゃんもこっち来て食べようよ? 美味しいよ、このパンケーキ。せっかくご主人様がお詫びにって言ってくれてるんだし、……そんな店の隅っこで落ち込んでないでさー」

「……ルンフェル、あれは落ち込んでいるんじゃないと思う、もぐ……きっと勘違いしてしまった自分を……もぐもぐ、恥じている真っ最中、……落ち込むのはそれから」

「……やれやれ」

 省介達の席を立ち、店の角のスペースでしゃがみこんで顔を覆っているブラウニーの元へ向かう。

「なぁ、ブー……」

「き、気安く呼ぶなッ、あっちに行け、比田のばか」

「いや、……他人の視線もあるしそうはいかんだろ」

「フンッ」

 綺麗な金髪を揺らし、ブラウニーが顔を背ける。

「どうせ比田は、僕の気持ちなんてどうだっていいんだろうッ? 今回のことで僕がどれだけ傷ついたのか、想像できるかいッ? ……僕はただ、男の人にあんなことされたの初めてで……どうしていいかわからなかっただけなのに。……なのにあれは寝ぼけてただけでしたなんて後から言われても、……もう遅いし、気付けなかった自分が恥ずかしいし、もうぐちゃぐちゃ。……それをあんなパンケーキ数枚で済まそうなんて……ムシが良すぎる……!」

「……悪かった。お前の勘違いも含めて、今回の件については全面的に俺が悪い。……本当にすまなかった。……何ならパンケーキだけじゃなく他の方法でもいい、お前の望むことなら何でもしてやるから、許してくれないか?」

 少しの間の無言。

「…………何でも?」

「……ああ、何でもだ。もちろん俺に実現可能な範囲内でなら、だが……」

 気が付くと、ルンとボーハンが傍らにいた。

 ひそひそと会話する声が漏れてくる。

「……ねぇ、奥さん今の聞きました?」

「……聞いた、何でもって言った、確かに言った」

「……何でも、とかだったら『責任とって僕をもらって』でもいいってことかしら?」

「……必然的に、そういうことになる」

「Oh、それはそれで興奮のシュチュだけど、ルン的には大ピーンチ……」

「……何の話だ。なぁ例えば、どこか行きたい所でもいいぞ? 昨日の善戦のおかげで今日と明日は作戦的にも何もないんだし、何なら、皆でどこかに遊びに行っても……」

 ピク、とブラウニーの長耳が動いた。

(お、食いついた?)

「……もしかして、どこか行きたい所あるのか?」

 下を俯いたブラウニーの肩が、小刻みに震え始めた。

 不審に思った省介が顔を覗き込むと、紅潮した頬に加えて目をキラキラと輝かせ、すっかり興奮した様子のブラウニーが、

「……ねぇ、比田。、僕ッ、あそこへ行きたいッ‼」



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