第10話 彼の事情(4)

 右手はまだ痛む。共有した痛みは激しく彼女の無茶を伝えていたが、唐突に消えた。


「……深緑のヴェールか?」


 治癒を司る魔術の中で、もっとも早く効果が現れる緑の光を思い浮かべる。


 美しい肌に傷を残し痛みを我慢すれば、このオレの怒りと報復を招くことを……。彼女は誰よりも知っていた。だから魔力が足りるならば、最上級の治療を己に施す。


 隣にいれば、オレが癒すが……いや、それ以前に彼女にケガなどさせなかった。



 治癒された事実にほっと息をついて、痛みで中断した作業を開始した。


 手元に作られているのは、小さなレース編みのような模様だ。左掌の上に刻みつけた形で、直系7cmほどの円が展開する。


 魔法陣の一種だが、円形であるにも関わらずひどく歪に見えた。崩れてしまった失敗作かと疑うほど、その形状は非対称で美しくない。


「うーん、あと少し」


 右手の人差し指で爪びくように線を引っ張り、さらに形を崩した。


 複雑な魔法陣はすでに崩壊寸前――数年をかけ練り上げたであろう彼女の『切り札である魔法』は、彼にとって『稚拙な魔術』となり果てた。



 仕組みを正確に理解せぬまま組み上げた超常現象である『魔法』は、常に直感を頼りにする『女王』の十八番だ。それらの魔法は女王が『かくあれ』と願った結果に過ぎず、大量の魔力を注いで無理やり願いを形に変えるものだった。


 魔王が揮う力に匹敵する大きな魔法を展開する彼女は、その魔法の力ゆえに『女王』と呼称される。


 だが、それでも『魔王』には届かない。『魔女王』になれぬ程度の実力なのだ。


 魔王と呼ばれる彼らは、魔法などというあやふやな定義の力を信用せず、利用しない。


 魔王が使うは、確固たる理論と術式によって確約された『魔術』だった。


 炎を起こす魔法と魔術、威力が同じであっても本質は別物だ。


 魔法によって起こされた炎は不安定で、同等の威力を引き出す為に使用する魔力の量が状況によって増減する。だが術式が確定した魔術ならば、まったく同じ威力や熱を『再現』出来た。


 使用する魔力の量までぴたりと同じ、炎を起こす場所、量や質、色、熱に至るまで、完璧に複写した術を展開するさえ可能になるのだ。

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