TANUKIBUSHI~物の怪共存御触書

いわしたろはな

お通し


 ずれた世界。


 どこでずれたかわからない。


 何がずれたかわからない。


 陽がまだ明るい内にも関わらず、頭に角を生やした者がママチャリで町中を走り、すれ違う女たちに声を掛け、後ろに乗らないか、とわざとらしい笑みを浮かべ誘っている。尻尾の生えている者が茶屋で団子を啄み、隣に座っている坊主と最近この国に入ってきたチェスとやらに興じている。馬に跨り腰に二本の刀を差している侍が、どうやら目上の人物らしい頭頂部がやけに光り輝くスーツ姿の者にばったりと遭遇し、慌てて下馬しては首が取れそうなほど頭を下げている。


 春分。


 このずれた賑わいは春先だからしょうがない、というわけではない、たとえ夏秋冬とこれから季節が巡っても、樹木や草花、町中の者の服装などの変化はあるだろうが、どちらにせよ数十年前の人間がこの町中の光景を目にすれば、夢を見ているのかと自分の目を疑うのは変わりはない。頭に角を生やした者も、尻尾の生えている者も、頭頂部が光る者も今そこで動いており、けっして夢の中の人物というわけではないのだ。


 どうやら橋を越えて四ツ屋坂町の甘味処で食い逃げがあったようだ。文無しは橋の手前まで走ったはいいが、やたらと首が伸びる店子に首を首で絞められ連れ戻されている。その様を見て、童たちは驚いた様子もなく、引き摺られる文無しをやいやいと囃し立てた。すると文無しは、ポンッと烏に姿を変え、店子の首からすり抜けると飛び立っていった。空まで追いかけようにも、相手が早すぎる。頭だけの店子の小粒程度の大きさとなった烏を見上げた。悔しそうになじる声が空へと虚しく響いていく。


 そもそもこの地は日本ではなく、ずれた世界のとある国。ずれたとは何かというと、芯でありネジでもあり、歩んできた歴史であるのかもしれない。もしや、この世界の者全てがずれているのかもしれない。


 人々はこの国を倭国と呼ぶ。倭国を治める者として、外敵から国を守るための存在として征夷大将軍は居る。だが圧政を強いると即座に各藩を治める大名から不信任案が提出され、大名の過半数が不信任に投じると退位しなくてはならないとの決まりがある。そうなると次の征夷大将軍は、各藩の大名による投票によって立候補者から選ばれることになる。

 

 かつては「あかんたれ退位」だの、「髪の国退位」、「不倫ごめんちゃい退位委」など散々な名前を民衆に付けられた退位もあった。


 徳河は姓でも血筋でもなく役職であり、征夷大将軍は正式に徳河征夷大将軍という名称である。だが、征夷大将軍の頭につく名前が、足加賀だろうが、宝条だろうが、この物語を語るにはさして重要な点ではない。


 さて、もう一つ掘り下げて語るのならば、神社奉行、勘定奉行、町奉行の三奉行に併せて物の怪奉行という、聞き覚えのない、全くもって馴染みの無い役職があるなど、やはり日本の江戸時代とは異なる。 そもそも伝わりやすく「江戸」と記したが、倭国では「江渡」と漢字で記すのだ―徳河、足加賀、宝条に関しても決して誤字ではない。また江渡時代というのも齟齬が生じる。今現在の元号に時代とつけるせっかちな人はいないだろう。それと同じだ。


 ずいぶんと理屈っぽく説明してしまったが、ようやくこの世界のずれを語るために必要なポイントが出てきた。


 物の怪奉行。


 罪を犯した物の怪が裁かれる場所である。つまり、罪を犯してない妖怪変化はその存在が国に許されているのだ。また違う見方をすれば、妖怪変化が法を守り存在しているということにも繋がる。


 先ほど町中に居た頭に角を生やした者は鬼である。尻尾の生えている者は犬の妖怪である。首が伸びる店子はろくろ首である。唯一、頭頂部が光り輝くスーツ姿はただの禿げた人間であるが。このように妖怪が隠れることなく、人に危害を加えず町中に住んでいるのだ。それもこれも極度の妖怪オタクが五代目の徳河征夷大将軍になったことが切っ掛けであった。


 物の怪公方と愛称で民衆から親しまれ、没して何十年後の今も愛されている。五代目将軍は就任直後、「物の怪との共存共栄」を宣言をした。気でも触れたかと、大名たちは焦って不信任案を提出しようとした。しかし極度なオタクの行動力は凄まじい。そもそも国を治める者として徳河征夷大将軍に選出されるほどの人物なのだ。したたかで知恵も回れば口も達者であった。何故かこの時期に汚職、不倫、学歴改竄などが明らかになり失脚していく大名が多く、政争の軍配は物の怪公方にあがった。その結果、物の怪公方を恐れ彼の政策に反対する大名がいなくなり、まず一番初めに「物の怪共存御触書」とその名の通り人と妖怪の共存を掲げたお触れが出された。


 何を考えているんだ、妖怪なんているわけない、民衆の反応は総じて将軍を馬鹿にするものであり、「物の怪公方」とはその頃できた彼を罵る悪口の一つであった。しかし物の怪に関するお触れは続いていき四つ目、「物の怪同権同益御触書」、人と妖怪を同等に扱うといった内容のお触れが発表されると、人の世に紛れ込み生きてきた者、身上を隠しある程度社会的地位にあった者などが、実は妖怪でしたと爆弾発言が飛び出してくる。


 倭国全土、上から下まで大騒ぎである。

 

 「御飯がいつも冷めてたと思ったら、妻は雪女でした」


 「祖父が狼男だったらしい。ということは私は妖怪の血を?」


 「入れ込んだ遊女が鬼だった。だがらどうした」 


 「大名がぬらりひょんだった。だが他の藩の大名より素晴らしいお方だ」


 「好きな落語家が禿げだった。河童だと思っていたら、ただの禿げの男だった」


 もはやここまでいけば笑い話にしかならず、民衆たちは「あー、君も妖怪だったんだ」といった様子で、すんなりと受け入れてしまう他なかった。


 長くなったが、そろそろ物語を語らせてもらおう。

 そんなずれた世界の倭国の江渡、四ツ谷坂町にある一軒の大きな食事処。安くて美味いと評判のその店には「狸の庵」と看板が掛けられており、狸の前には赤い大きな丸が書かれていた。うどんとそばを主として提供しているその店は、常連客からは「あかまるだぬき」と呼ばれ親しまれている。昼から夕方にかけ席が埋まり続けるほど人気の食い処である。


「あかまるだぬき」にはお品書きには書かれていない裏メニューがあった。ちょうど、切羽詰まったような顔をした男が店内に駆けこんできた。先ほど町中で禿げたスーツ姿の男にお辞儀をしていた侍である。今空いたばかりの席に腰を掛け、肘をついた手で周囲の客から顔を隠す。あからさまに挙動不審である。侍は注文を取りに来た小間使いに小声で「たぬき鍋」と注文をした。


 その言葉に反応したのか店内の客の好奇な視線が侍に集中し、侍はさらに顔を伏せた。


 「お腰の物をこちらに」と小間使いは侍から刀を預かると店の奥へと案内していった。二階へと階段を昇り、鶴の間、亀の間と立札がついた個室や宴会用の大部屋を通り過ぎ長廊下を渡り切る。鳥獣戯画が描かれている趣深い襖があった。横には狸の間と立札に書かれている。


 「お客様をお連れしました」と小間使いは中に声を掛けた。返事の声はなく、ただ、にゃーと鳴き声のみが男の耳に届いた。鳴き声に返答するかのように、少年はわざとらしく一度咳払いをして、襖を開ける。


 部屋の正面には肩まではだけた着物に腰まで届く栗色の長い髪をした女が気怠そうに煙管を吸いながら、横目で小窓から外を見下ろしている。女の膝にいた真っ白な毛並みの猫はさっと走り寄って小間使いに飛びつくと、彼の頭の上を陣取り器用に座った。


 外から何やら怒鳴り声が聞こえた。食い逃げにあったろくろ首の店子が甘味処の主人に怒られている。どうやら彼らのやり取りを眺めているようで「ふん、強欲じじぃが」と女は鼻で笑った。

 

 いまだに客と目を合わせようともしない煙管女はれっきとした狸の庵の女主人である。女主人とは対照的に、横にいた小間使いは改めて体を侍に向きなおすと、深々とお辞儀をした。頭の上にいた猫は上手に着地をして、不満げに睨み、今度は小間使いの肩へとよじ登る。

 

 「お困りごとをお話しください」


 ここは男女の悩み相談から兄弟喧嘩、荒事解決、何でもお願いをできる場所。人と物の怪との共存により生じた問題までをも取り扱う。依頼料も依頼主の資産や収入に応じて相談ができるため、四ツ谷坂町周辺に住む町民からも高い支持を受けている。侍も風の噂で狸の庵を知り、助けを求めて江渡の外れの町からやってきたのだった。

 侍は意を決して、依頼内容を切り出そうと口を開いた時、


 「之助、二日酔いじゃて、今日は勘弁してくれぃ」


 情けない声が漏れた。

 片側のこめかみを抑える女主人に之助と呼ばれた小間使いは溜息をついた。この店に問題があるとするならば、女主人が物臭だということだろう。


 さて、女主人と小間使い、二人の出会いから物語は始まる。

 


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