14*出雲神の憂鬱

 出雲国御門屋、西の軍の本陣。

 オオクニヌシは、コトシロヌシに西の軍将を任せ、東の軍将として東の軍の本陣に向かう仕度を整えてた。

 コトシロヌシは最も頼れる従神で、最も智略の長ける知将。西の軍は武勇に長ける武将ミナカタヌシをはじめ、ホヒヒコ、ワカヒコ、タカヒメがいる。義親子、義兄弟の契を交わし、絆で結ばれた出雲国の神々がいる。しかし東の軍は諸国の国ツ神のにわか合従軍。天ツ軍進軍前は、たがい国を奪い、守り、戦い合ってた。国利に関係のないオオクニヌシが仲介役として東の軍将となった。

『ミカフツヲ様。コトシロを助け、イヅモを頼みます』

 オオクニヌシは側に立つ男神の手を握る。男神は顔を強ばせる。

『あ、ああ、すみません。その名は、ワタクシがフツヌシと改めました。今は国ツ神、イヅモの神のフツヌシ様でした。すみません、気を悪くされたでしょう』

『いえ、天ツ神のワタシを信じ、迎え、イヅモの神名を戴いた恩義は忘れません。ただ、その、オオクニ様が、従神に敬称敬語は要らぬかと……』

『ああ、すみません。しかしフツも、ホヒヒコ、ワカヒコと同じ、従神でなく義親子、義兄弟です。恩義は感じなくてよいですから』

『いえ、恩義は忘れません。そして報いるよう、コトシロ様を助け、中ツ国を守ります』

『ありがとうございます。あと、ワタクシの教育が至らなかった……』

『ワカフツッ。ワカフツはいるかッ』

 幕外の叫ぶ声が遮る。オオクニヌシは頭を掻き、そして掻く手を止める。

『ワカフツ?』

『はい、タカヒメ様に、イヅモの神名はもったいない。神名の返上もよくない。ならば若いからワカフツヌシと神名を改めるように言われました』

『若い……未熟?すみません、タカヒメに悪気はないと思います』

『いえ、ありがたく戴きました。タカヒメ様に会わなければ、オオクニ様に会えませんでした。タカヒメ様の御蔭です』

『そんな教育の至らなかったタカヒメも頼みます』

 オオクニヌシの苦笑に、ミカフツヲ、改めフツヌシ、改めワカフツヌシは頷く。

『はい、わかりました』

『ここにいたか』

 陣幕を跳ねあげ、タカヒメが入る。オオクニヌシに頭を下げ、ワカフツヌシを見やる。

『父神、ワカフツに設営をてつだってもらいたいのですが、よろしいでしょうか』

『わかりました。フツ、いえ、ワカフツ。よろしくねがいます』

『はい、わかりました』

『ワカフツ、ノヅチ衆を集めろ』

『はい、わかりました』

『初陣に浮かれるワカヒコの横に立てよう。ほんとうの戦を教えてやる』

 ワカフツヌシを連れ、出ていくタカヒメを見ながら、オオクニヌシは、ふと不安を感じる。

『そうか。ホヒヒコ、ワカヒコは武神でない。戦をわかってない……』

 いや、天ツ神と戦うことをわかってない。

『ワカヒコはタカヒメが側に居る。しかしコトシロヌシはホヒヒコの側を離れてる』


 そして。

 出雲神は義兄弟の絆で結ばれてるが、それはオオクニヌシと義親子という関係の義兄弟。オオクニヌシを中心に結ばれてる義兄弟の絆。実兄弟と違い、綻ぶと脆い。オオクニヌシの居ない西の軍に、天ツ軍はどんな智略で攻めてくるか。オオクニヌシは頭を抱える。


 ノヅチ衆を従え、陣営地に向かうタカヒメに、ワカフツヌシが近づく。

『タカヒメ様。ノヅチ衆というのは……』

『神人だ。神威が無く、神に成れなかった神だ。高天原は神だらけだから驚いただろう。葦原は、神と人、そして神人がいる。一族で神威が有れば神と成り、長と成る。神人は神に焦がれ、一族を離れ、古の山神や海神に仕える。クマノの山神に、ワタシに仕えるように命じられたのがノヅチ衆だ。キイのクマノのカラス衆と同族だ』

『なぜ、神人は神に成りたいのですか?』

『神であるオマエも、ワタシもわからない。神威が有ればできること、無ければできないことはある。すこしばかり長く生き、病を治し、一族に崇められる。……なるほど、理由は崇められたいからか』

 頷くタカヒメ。

『神威が有っても死ぬときは死ぬ。病で死ぬ。一族のために戦って死ぬのにな』笑うタカヒメ。

『いえ、高天原も神威による神位があります。武神は低位神で、忌み嫌われ、天ノ河の河上に離れ住まなければなりません。高位神を崇めなければなりません』

 俯くワカフツヌシ。

『葦原も、高天原も似たようだな。すべて神威、神位か』

『はい、タカヒメ様は神に成りたくなかったのですか?』

『ワタシはオオクニヌシの子神として父神を助け、イヅモの国ツ神として国を守り、戦うだけだ。神に成った理由はない。成りたくない感情もない。疑問もない。神威があろうと、なかろうと関係もない。死ぬまで生きるだけだ』

『……タカヒメ様の生きざまを見たいです』

『不老不死の天ツ神の特権だな。ワタシの死にざまも見られる』

 タカヒメが笑う。つられワカフツヌシも顔を歪める。

『笑ったのか?』

『いえ、しんがりに戻ります』

 顔を正し、ワカフツヌシは離れる。


 タカヒメ軍は、ワカフツヌシの指示でワカヒコ軍の陣所の隣に設営を始める。前方に伊那佐の浜があり、ミナカタヌシ軍の陣所が立ってる。西の軍は、天ツ軍上陸の考えられる伊那佐の浜に、ミナカタヌシ軍、ワカヒコ軍、タカヒメ軍が構える。正しく水際作戦。

 タカヒメは、伊那佐の浜の先の海を見てる。

『タカちゃーん』

 振り返るとワカヒコが転がるように走ってくる。

『おお、ワカヒコ。出迎はいらないぞ』

『で、出迎なんかじゃないよ』

『なんか?』

 タカヒメはワカヒコを睨む。

『な、なんで隣に来るの?ヘンだよ、ヘンだよね。フーさん、なんで幕を張るの?』

 ワカフツヌシの処に走り、抗議。

『ワカヒコ。手つだわないなら邪魔だ。あとで遊んでやるから退け』

『な、なに言ってるの。遊ばないよ、なんでタカちゃんと遊ばなきゃいけないの』

 タカヒメの処に走り、抗議。

『なんで?昔はワタシにしつこく纏わりついてたでないか。そうか。今はツクヨミに纏わりついてるな。ワタシでなく、ツクヨミと遊びたいのか。残念だな、ツクヨミが東の軍で……』

『タカヒメ様、終えました。武具は中にあります』

 設営を終えたワカフツヌシが来る。

『よし、しつらえる。ワカフツ、ワカヒコが覗かぬように見とけ』

『の、覗かないよ、タカちゃんなんかの……』

 ワカヒコの眼前にタカヒメの短剣が翳される。

『やはりワタシの聞きまちがいでない。なんかと言った。最近のワカヒコは、ワタシの望まぬ言動、行動が多いようだ。ちゃんと躾けたのに。……ツクヨミの躾が悪いのか』

『ツ、ツーちゃんは関係ないだろ』

『すっかりと手なずけられたな。オマエは乳があればだれでもいいのか』

『ち、乳は関係ないだろ』

『女神ということだ。コトシロの兄神に軍略を学ぶとか、ミナカタの兄神に剣技を習うとか。せっかく、イヅモの神になったならば……』

『あーもーいーいー。タカちゃんだってコトシロにーちゃんの処に行かないクセに』

『軍略はワカフツに任せてある。それにコトシロの兄神の難しい話を聞いてると眠くなる』

『え、眠くなるの?タカちゃん、ヘンだよ、ソレ、とってもヘン』

『減らず口を潰してやろうか』

 短剣を砂浜に刺し、指の関節を鳴らす。

『ぼ、暴力反対ッ』


『オイオイ、オマエら。うるさいぞ。陣中に聞こえる』

 振り返ると青い武具を纏った男神が手を振りながら歩いてくる。ワカフツヌシが跪き、タカヒメとワカヒコも頭を下げる。

『ミナカタの兄神、おひさしぶりです。いま、ワカヒコに初陣の心構を教えてたところです』

『マタマタ、オレは夫婦喧嘩に聞こえたぞ』

 ミナカタヌシが戯ける。

『ふ……』

 タカヒメが固まる。

『フーフじゃないよ。タカちゃんなん……か……』

 ワカヒコが言葉を呑み込む。

 ミナカタヌシは、呆然と聞いてたワカフツヌシに手で招く。

『ダメダメ。フツも止めないと。夫婦喧嘩を止めるのも従神の役目だぞ』

『は、はい、申しわけございません。このような戦は初めてでして』

『い、いくさ……。ハッハハハハ』

 ミナカタヌシが笑う。ワカフツヌシはとまどう。


『ソウソウ、タカヒメ。オレが授けたノヅチの剣はどうだ?』

 タカヒメは剣を構える。蛇行剣という曲剣で、出雲神の崇める古の神・蛇神を模してる。扱いづらい剣で、剣技に長けたミナカタヌシのみが扱えた。

『とても扱いやすいです』

 タカヒメは軽々と剣を振る。

『ウムウム。日々の修練、父神に聞いたぞ』

 タカヒメの頭を撫でる。

『兄神に認められる武神になるよう、修練を積みます』

『タカちゃんは、ミナカタにーちゃんの前になると、急に変わるよね』

 溜息を零す。

『ねー、ボクも剣が欲しい、その大きな剣が欲しい』

 ミナカタヌシの持つ大剣を見つめる。

『オイオイ、カムドの剣か。カムドの剣は、ミナカタ族がコシからイヅモへと移ったとき、交わした契の証、父神の剣をカナヒメに鍛え直してもらった剣だぞ』

『欲しい、とっても、欲しい』

『ワカヒコ、この剣はイヅモの神とコシの神の絆。ワガママを言うな』

 タカヒメが諌める。

『……ウムウム。そうだな、ワカヒコがオレの認める武功を上げたときに授けようぞ』

『あ、兄神。そのような約束を……』

『約束、ぜったい、約束だからね』

『ウンウン。ぜったいだ』

 ワカヒコの肩を叩く。

 タカヒメが近づいてくる女神に気づく。

『おお、サグメ、イヅモは慣れたか?』

『はい。タカヒメ様、気を遣っていただきましてありがとうございます』

 サグメはタカヒメに頭を下げ、ワカヒコに向き、再び頭を下げる。

『ワカヒコ様、ホヒヒコ様が探しておられます』

『ホヒくん。まーたまた天上の悪口かな。イイカゲン、やめてほしーな』

『マアマア、元・天ツ神にしか言えないこともあるぞ。聞いてやれ』

 ミナカタヌシがむくれるワカヒコの頭を撫でる。ワカヒコは頷き、走っていく。その後をサグメが追う。

『ウンウン。あの女神は?』

 ミナカタヌシは遠目で見る。

『ワカヒコとともに降りた巫神です』

『ウンウン。タカヒメはいいのか?』

『なにがですか?』

『あの女神はワカヒコを好いてる。ワカヒコを取られてしまうぞ。ウムウム。タカヒメは略奪愛を知ってるか?』

『りゃ……』

 タカヒメが固まる。


 伊那佐の浜。

 寄せる波に足を濡らせ、タカヒメとミナカタヌシは海を見てる。低く垂れ下がった雲の灰色と海の灰色が混ざる。目を細めると、彼方に雲の切れ目があり、一条の陽が海を照らしてる。少しずつ陽は近づいてるように見える。

『フツは、まもなく天ツ軍が攻め入ると言ってる。ウンウン、とても大きな戦になるぞ。西はオレとタカヒメの軍が戦局を動かす。頼むぞ』

『はい。……東はキイでしょうか』

『キイは国を巡り、国ツ神の戦が長く続いた。ツクヨミがまとめたが、結局は合従軍だ。ツクヨミに懸かってる』

『東は父神が軍将となり、まとめます』

『オイオイ、ツクヨミがいなくても勝てるということか?』

『いても、いなくても勝つということです』

『ヨシヨシ。西も東も国ツ神が勝つぞ。よォしィ、天ツ神ィ、来れるもんならァ来てみろォ』

 海に向かい叫ぶミナカタヌシ。

『ウムウム。タカヒメも天ツ神に言ってやれ』

『はい。天ツ神ィ、来たならばァワタシがァ倒ォすゥ』

『ウムウム。タカヒメよりもォ、オレがァ先にィ倒ォすゥ』

『兄神よりもォ、ワタシがァ先にィ絶対にィ倒ォすゥ』

『ウムウム。さすがオレの妹神。頼もしいぞ』

 笑いあうタカヒメとミナカタヌシを、離れた処でワカヒコとワカフツヌシが見てる。

『フーさん、たいへんだね。ウン、とっても……』

『いえ、ワタシはタカヒメ様に従い、天ツ神と戦う……だけです』

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