第3話「ディープアビスへようこそ!」

 魔王城の地下深く、まさに奈落アビスへと降りてゆく螺旋階段らせんかいだん

 その先でヨシュア達を待っていたのは、見たこともない光景だった。

 ディープアビスと名付けられし、救われた世界に残された最後の秘境……魔王アモンの置き土産。誰が呼んだか、またの名を祭終迷宮エクスダンジョンという。


「ヨシ君、ちょっとビクビクしすぎだよぉ?」

「でも、先頭切って歩いてくれるの、助かるな。やっぱ男の子って頼りになるねっ!」


 セーレとリョウカが、背後で「ねー?」「ねー!」とはしゃいだ声を重ねてくる。

 ヨシュアは男らしくパーティの一番前を歩きつつ……異様としか思えぬ周囲に警戒心をとがらせていた。

 広い通路は全て、金属製である。

 鉄やはがねではないし、魔法で加工された銀や合金のたぐいでもない。真っ白な壁は、まるでつい先日できたかのような生まれたての輝きを持っている。時折ときおり、案内表示らしきものが光っている……そう、光が文字を浮かべて空中に記されているのだ。

 この世界の文字ではないらしく、ヨシュアでも読めないようだ。


「妙だぜ、このダンジョン……こりゃ、絶対に人の手で作られた構造物じゃねえか」


 自然にできた洞窟ではないが、こんなものを作る技術は今の魔法文明にはない。

 妙な清潔感が逆に不気味で、天井のかすかな唸り声が涼しさを届けてくるのに、ヨシュアは汗をぬぐった。強力なモンスターが多数出没すると聞いていたが、それ以上にダンジョンの存在自体が不可解である。

 だが、すぐにそんなことを考えてはいられなくなった。


「ちょっと待て! 止まれ……おいセーレ、リョウカを守ってやれよな。いいか?」

「もち! んじゃ、リョウカちゃんは私から離れないでね?」


 リョウカは腰の剣に手を伸ばしたが、セーレと分け合っても巨大な荷物は重過ぎる。まともに戦えるとは思えない。

 そのセーレだが、まるで疲れた素振りも見せないあたり、流石さすがは魔神である。

 聞けば、セーレは七十二柱の悪魔の中でも、運搬や輸送に関する能力を多数持っているらしい。どうにもだらしなくてゆるゆるな言動だが、戦いに関しても頼れる仲間だ。

 そう、召喚と契約によって得た下僕しもべだが、魔力のないヨシュアにとっては大事な仲間である。


「なんだありゃ……初めて見るタイプのモンスターだ」

「およ? ヨシ君、詳しいの?」

「直接見るのは初めてだけどな。古文書や文献をあさってりゃ、あっという間にモンスター博士さ。けど、ありゃ俺の記憶にないやつだ」


 延々と続く単調な景色の中、曲がり角の奥に敵意が立っている。

 ちらりと顔だけをのぞかせれば、恐るべきモンスターの背中が見えた。

 このソロモニアに生息するモンスターは、大きく三つに分かれる。一つは、元から大自然に生きている野生動物……巨大なくまいのししから、グリフォンやヒュドラといった危険な魔獣まで様々だ。次に、魔王アモンの軍勢が生み出した、いわば魔造生物と呼ばれるモンスター。不定形のスライムや、宝箱に擬態するミミック、動く石像など多岐たきに渡る。

 そして最後に、災厄の元凶だった魔王アモンや、隣のセーレ……地獄より来たる魔の眷属けんぞくだ。

 だが、かろうじて人の姿に見える四肢をもった、いかついモンスターはそのどれでもない。

 強いて言えば、周囲と同様に人の手が入った被造物ひぞうぶつに見える。


「ヨシュア君、えと……あれね、この第一階層を巡回しているモンスターなんだ。侵入者を手当たり次第攻撃するの」

「第一階層? リョウカ、なんだそれ」

「そう、地下五階にモンスターの入ってこない不思議な空洞があって、そこが冒険者さんの中継地点になってるの。わたしのコンビニ、ブレイブマートもそこにあるんだよ?」

「なるほど、そこまでを区切って第一階層、そこから下は第二階層か」


 確か、ディープアビスは現在、地下七階まで探索が進んでいるらしい。どこまで深く続くかはわからないが、ダンジョンと見れば命を惜しまず飛び込んでゆくのが冒険者だ。

 好奇心と探究心、そして勇気を武器に挑む者……ヨシュアも今、その一人だ。

 しかし、残念ながら彼の冒険は地下五階で終わる予定である。

 そこにある、コンビニエンスストアなるもので働くことになっているのだ。そのためにもまず、目の前の驚異を排除しなければ先に進めない。


「なあ、リョウカ。お前、何度か地上と地下とを行き来してるだろ? どうやってんだ」

「えっと、普通に、だよ? いつもは荷物が少ないから。グッと勢いを付けて、ガガガッと押し切る感じ」

「……全然わからん」

「ん、じゃあ……ちょっと待っててね」


 リョウカは荷物を下ろすと、そっと壁に立てかけた。

 そして、腰の剣を抜く。

 鞘走さやばしやいばには、不思議な紋様もんようが輝いていた。

 魔法で鍛えられた業物わざもの、魔剣だ。

 止めようとしたヨシュアを、そっとセーレが手で制する。

 彼女もどうやら、リョウカの正体やその実力が気になるようだ。

 リョウカはその場でトントンと小さくねて、かかと爪先つまさきの感覚を研ぎ澄ませてゆく。準備運動のようなものかと思った瞬間、彼女は残像を残して消えた。


「うおっ!? ま、まさか! マジかよっ!」

「うわぁ! リョウカちゃん、やっるー! いっけー、がんばれー!」

「なに言ってんだ、セーレ! 俺達も行くぞっ!」

「ほいきた!」


 リョウカはすでに、通路をふさがんばかりに巨大なモンスターの前にいた。

 振り向く姿は、どこか魔導師達が精製するゴーレムに似ている。だが、頭部に目鼻はなく、丸い光が真っ赤に揺れている。まるでサイクロプスだが、その全身はよろいを着込んだ重戦士じゅうせんしのようだ。

 手には不思議な武器を持っており、剣や槍のようで、そのどれとも違う。

 耳障みみざわりな金属音を連ねながら、そのモンスターは武器を向けてきた。

 瞬間、光が走って床が赤熱化する。

 なにかしらの射撃武器のようだが、矢が飛び出るのがヨシュアには見えなかった。


「ヨシュア君、気をつけてね……そーれ、ええいっ!」


 驚くヨシュアを、さらなる驚愕きょうがくの光景が襲う。

 魔法の剣をひるがえして、リョウカは敵に斬りかかった。

 まるで疾風しっぷう、春の嵐のような斬撃。ヒュン、ヒュンと空気を切り裂く音が、電光石火でんこうせっかの連撃をヨシュアに伝えてくる。

 あっという間にリョウカは、向けられた武器を両断し、それを握っていた腕を斬り落とした。

 すぐにセーレが、大荷物のままで手をかざす。

 まばゆい電撃がほとばしって、ゴーレムもどきは全身から煙を吹き上げ崩れ落ちた。

 悪魔にとっては、人間が術式と呪文で発動させる魔法など、最初から持っている能力の一つに過ぎない。呼吸で息を吸って吐くように、意識すらせずに攻撃の意思を具現化させるのだ。


「ほい、いっちょあーがりっ! ヨシ君、どう? 私、結構強いでしょ。リョウカちゃんも凄いなあ。やっぱソロモンが言ってた通り、人間の可能性って時々びっくりしちゃう」

「あ、ああ。……いや、驚いてばかりもいられねえみたいだ!」


 今度は俺の番……俺様の力が振るわれる番だ。

 ヨシュアは振り向くと同時に、今来た道をにらむ。

 先程リョウカとセーレが瞬殺したモンスターが、新たにもう一体出現していた。

 ちょうど荷物を背負い直していたリョウカへと、見えない矢を射る武器が向けられる。

 すぐにヨシュアは、セーレの腕をつかんで引き寄せた。


「セーレッ、ちょっとお前の身体を、霊格マハトマを借りるぞ!」

「とっとっと、いやーん! ヨシ君ってば大胆?」

「うるさいっ!」


 先日は、命をけての大規模な召喚術でセーレと契約した。セーレはヨシュアの血を認め、その傷を塞いで命を預け返してくれたのだ。

 そして、セーレの存在を得てヨシュアの召喚術は新たなステージへ進んでいた。

 これもまた、古い書物を紐解ひもとき研究した成果……いわゆる召喚術と呼ばれる、異界の神々や魔の眷属との接触には、ルールがある。それぞれに霊格と呼ばれるランクがあるのだ。

 ソロモニアの創造主に連なる七十二柱の悪魔は、その中でもトップクラスである。

 その一人であるセーレを得た今、彼女より下位の霊格は全て、命より軽い代価を持って召喚することが可能なのだ。主にそれは、ヨシュアの体力で支払われる。

 ヨシュアが集中力を研ぎ澄ますと、セーレの剥き出しの肌が光り出した。


「魔神セーレがあるじ、ヨシュア・クライスターが命ずる。我が呼びかけにこたえよ……来いっ! ワルキューレッ!」


 ヨシュアは古今東西の、あらゆる神話や伝承を研究した。このソロモニアには、今の魔法文明と教会が生まれる以前の歴史があったのだ。そこでは無数の神々が世界を守り、絶えず人の社会を支えていたのである。

 今は教会が悪魔と定めた、いにしえの神々……偉大な王に使えた戦乙女いくさおとめが現れる。

 セーレとは異なる信仰の霊格だが、実力差からいって問題はなかった。


「呼ばれて飛び出て、ズバババーン……出るなりごめん、帰りたいッス。そんな私はレギンレイヴ。えっと、召喚主マスターは少年か?」

「テンション低っ! と、とにかく、あの敵をなんとかしてくれっ! お前ならできる!」

「あ、それ嬉しい……自分、められて伸びる子ッスから。んじゃ、まあ」


 現れたのは輝くかぶとと鎧の少女だ。しかし、何故か三白眼気味さんぱくがんぎみなジト目で眠そうだ。おまけにやる気が全く感じられない。

 だが、レギンレイヴは手にした槍をモンスターへと向ける。

 あおい雷がほとばしり、あっという間にモンスターは黒焦げになって崩れ落ちた。


「はい、しゅーりょーッス。……ありゃ? なんか……ぞろぞろ出てきた、けど」

「侵入者アリ! 集結セヨ、モビルガードナー、集結セヨ! アラユル武装ノ使用ヲ許可スル。緊急アラート、全機出動セヨ!」

「……って、言ってるスけどぉ……あ、自分の召喚をつないでくれた霊格は、そこの痴女ちじょねーさんスね。えっと、もう帰っていい?」


 同じタイプのモンスターが、けたたましい音と共に殺到してくる。

 これにはリョウカも仰天ぎょうてんの様子で、慌てて荷物を背負い直した。レギンレイヴはと言えば、セーレとなにやら話し込んでる。

 そして……今の召喚で体力を使ったので、ヨシュアはその場に崩れ落ちた。

 わかっていたことだが、セーレを介しての召喚でも体力を消耗する。そしてそれは、召喚される霊格の強さに比例するのだ。


「やべ、立てねえ……おいセーレ! くっちゃべってないで俺を、おおっ!? お、おいっ!」

「ヨシュア君、黙ってて! 舌をむよっ! セーレさんも、そっちの子も! 走って、こっち!」


 リョウカはひょいと軽々、ヨシュアを小脇に抱えて走り出した。まるで風に抱かれているようで、密着するリョウカの柔らかさと温かさが伝わってくる。

 緊張感なく追いかけてくるセーレとレギンレイヴが、無数の光を連れてきた。

 光の矢とでも言うべき攻撃をかいくぐりながら、どうにかヨシュアは第一階層……かつて別世界の人類が建造した、星の海を渡る船を駆け下りてゆくのだった。

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