第50話 害虫
ほんの少しだけ夕焼け色に染まった空の下、地平の手前には、長く広がる塁と城壁が見える。
とうとう地下都市に一番近い城、ミクトラン城の城下町の近くまで来た。
この国、和風と思われる地名もわずかにあるが、圧倒的に洋風の地名が多い。
背景にあるのは、文明崩壊の原因になった戦争だと考えられる。
その戦争においては、当事国以外であっても、一定以上の水準の町はすべて攻撃対象となった。理由は、そうしないと戦争終結後に力を持たれてしまうからだとか。
日本も例外ではなく、全国的に攻撃の対象となり、ほぼ全壊したとされる。
その後の再発展の過程で地名は新しく付け直されていったと思われるのだが、もうそのときには、旧日本人の流れをくむ人の割合は大きくなかったのかもしれない。
さて。
行軍もやっと一段落となる。
ここが終着駅になるのかどうか、それはまだわからない。すべては会談の結果次第だろう。
前方の景色を引き続き眺めていると、壮年の男性が、俺のすぐ横に馬を寄せてきた。
その壮年男性のすぐ後ろには、やや小振りの馬に乗った黒髪短髪の少年、レンがピタリと付いている。
「オオモリ殿は、この城も初めてですね?」
「はい。初めてです」
「この城も道中にあった他の城のように、城下町ごと堀と塁で囲い、外敵から町ごと守れるようになっています。今見えている南側の外堀だけは空堀ですが、城が大きな川に隣接しているため、他の面の外堀や内堀には川の水が引かれ、水堀となっていますよ」
「なるほど……。塁はこれまでの城より高いですよね? いかにも堅そうな感じがします」
「そうですね、国内で最も防御力が高い城の一つでしょう。昔に北の国から攻め込まれたことがありましたが、一か月の包囲に耐えて撃退した実績があります」
初めてこの城に来る俺に対して、詳しく説明してくれているこの壮年男性。歴史学者であり、今回の行軍では従軍記者のようなポジションである。
彼はレンの師匠でもあり、行軍開始以降は基本的にいつも二人一緒にいる。
「毎度毎度教えてくださって助かります。俺も、参加する以上はもっと予習してから来るべきだったんでしょうけど」
頭を掻いてしまう。
レンがニターっとした顔をしているのが、視界の端にぼやけて見えた。ピントはあえて合わせない。
城下町の門の前まで来た。
領主はオドネルという名前だと聞いている。どうやら、門の前に見える小太りの着飾った中年男がそうであるようだ。部下を従えて出迎えに来ていた。
先日の神降臨パーティにも来ていたと聞いたが、あいにく俺はその顔に覚えがない。
城門を先頭で通るのは、もちろん国王である。
俺は城門に近づく前に後方に回り、先頭集団の一番後ろに付く。民間人なので遠慮しておいたほうがよいと思い、道中の城では必ずそうしていた。
先頭の国王が領主に挨拶をすると、領主オドネルはオーバーな仕草で歓迎の辞を述べていた。国王は馬から降り、案内を受けて先に進んでいく。
そして次は神とジメイのペアが馬から降り、挨拶をして進んでいった。参謀や他の側近たちも続いて中に入っていく。彼はそれぞれに笑顔で挨拶を返していった。
ところが、最後に俺が挨拶をすると、彼の顔からその笑みが消えた。
「ほう。最近陛下に取り入ったという自称古代人のオオモリ某とは、お前のことか」
一瞬、何が起きているのかわからなかった。
固まってしまった。
その表情に侮蔑の感情が込められていると気づくのにも、数秒を要した。
「お前のような海の物とも山の物ともつかない者に振り回されて、陛下も気の毒なことだ」
そう言うと、彼は俺の後ろに視線を送る。
「噂に聞く霊獣そっくりの白い犬か。従者を選べないのは不幸だったな。こんなくだらん人間に世話をされているとはな……かわいそうに」
クロは差し尾を硬く挙げて、領主をじっと見ていた。
***
正直なところ、かなり動揺してしまっていた。
この国の要人にあからさまな敵意を向けられたのは、初めてだったからだ。
門をくぐってからその先は、放心状態に近かったのでよく覚えていない。案内役の兵士に言われるがままに動いていたとは思うが……。
カイルが門のところで何やら言っていたような? なぜ俺が他のメンバーとは別のところに案内されるのかと、城の兵士に抗議していたような気もする。記憶がいまいち曖昧だ。
気づいたら、兵舎の中の、ベッドしか置けないような狭い箱部屋で立っていた。
視界がぼんやり暗く、頭は重くて垂れてきそうな気がする。手足が少し痺れている。
この兵舎は二階建てで、今俺がいる二階部分は、狭い個室が通路を挟んで左右に並んでいるようなつくりだが、非常に古い建物に感じる。掃除が行き届いているようでもなく、吸い込む空気は埃っぽい。
この部屋は二階だが、歩くとミシミシ鳴り、床が抜けて一階に落ちるのではないかと不安になるくらいの廃墟感である。
城の建物からも少し距離があると思う。明らかに他のメンバーから引き離された格好だ。
踏ん張りが利かなくなってきたので、ベッドに横になった。
「……リク」
案内してくれた兵士からは、「明日の打ち合わせの時間までには来るように」と、突き放すような態度で言われた記憶がぼんやりとある。それ以外はおそらく何も聞いていない。食事もどうすればよいのかわからない。
今まで宿泊した城では、俺が泊まっていたところはすべて城の中の部屋で、国王の側近らからも近いところに配置されていた。そして風呂や食事の案内まであったのだが……。
あの領主の態度から、やはり嫌がらせをされていると考えるのが自然だろう。
「……リク!」
この時代に来てからは、会う人はみんな俺に対して好意的に接してくれた。孤児院にいたときも、首都にいたときもそうだった。不思議に思うくらい、みんな親切で優しかった。
こんなことは初めてだ。
「リク!!」
左脇にドンという衝撃を受けた。
「うぇ!? あ、クロか。どうした?」
「何度も呼んでいたが……大丈夫か? 様子がおかしいが」
「ああ。まあ、大丈夫だよ」
そう言って仰向けになって目を閉じたが、クロが離れる足音が聞こえない。引き下がってはいないようだ。
いつもなら「そうか」などと言って、入口横に戻ってペタンなのだが……。
「さっきの人間は何を言っていたのだ」
「んー、いろいろと、だな。なんだか知らないけど、俺はずいぶんと嫌われてるみたいだ」
「何を言っていたのかと聞いている」
「……ずいぶん食いついてくるね」
あらためて横向きになる。
クロの顔を見たら意外とシリアスな顔だったので、少し驚いた。
「俺が最近のさばっていて、国王は俺みたいなわけわかんない人間に振り回されて大変だな……とか言っていたかな? どうも俺は害虫扱いされているみたいだ」
「……。私にも何か言っていたが。何と言っていた」
「えーっと、『従者を選べないのは不幸だったな、こんなくだらん人間に世話をされてるとはかわいそうに』だっけな? そんな感じのことを言ってたよ」
「従者……くだらん人間……誰のことだ」
「そりゃ俺のことでしょ」
「……」
うわ。凄い怖いんですけど。
「いちおう言っておくぞ。あの人は味方だからな。この国の人間だ」
「味方ならなぜそのような発言をする」
「んー。説明が難しいな。なんというか、人間って、味方なら敵でないとは限らないというか……」
「意味がわからない」
「そうだよな。俺もわからない」
「……」
「でもさ。よく考えたら、俺は特に能があるわけでもないのに国王に気に入られて近くにいるからさ。嫌われやすい存在ではあるんだろうな。逆に、今まで堂々と嫌ってくる人がいなかったというのが奇跡だったのかもしれないぞ」
「人間はよくわからない」
「そうだよな。俺もよくわからない」
「お前はさっきもわからないと言っていた」
「ああ。本当にわからないからな……」
そこでクロが、突然入口のほうを向いた。
それに遅れて足音が聞こえてくる。クロが特に慌てていないので、俺の知っている誰かということになる。
「いた! 兄ちゃん探したよ」
「カイルか。どうした?」
やってきたのは金髪少年だった。
「どうしたじゃないでしょ。なんで兄ちゃんだけこんなところに入れられてるの」
「なんか俺はここの領主に嫌われてるみたいでな」
「陛下に言いつけちゃおうか?」
「いやいや、それはまずいぞ」
「なんで?」
「んー、自分で言うのもなんだけど。たぶん陛下は俺のことを気に入ってるよな」
「オレも兄ちゃんのこと気に入ってるよ」
「誰もお前のことは聞いとらんぞ……」
「へへへ」
「まあアレだよ。『俺の扱いが酷いんですけど』とか言いつけたとしよう。あの人ホントに怒るんじゃないのか? 下手したら『あの領主を処分する』とか言いかねない気がするんだが」
「あー、言いそうだね。でも処分されたらまずいの? あ、そうか……まずいんだ」
突然、納得したような表情になった。
この少年は頭の回転がいい。俺の言いたいことがわかったようだ。
「そうなんだよ。明後日に地下都市からの使節団が来て、この城で会談するから。陛下と領主が今揉めることがあると、ちょっとまずいんだよな。
今回の会談は国の行く末にも影響するような大事なものだし、陛下には余計なところに神経を使わずに集中してほしいんだ。だから陛下が気づいていないのであれば、そのままにしておくほうがいいな」
とりあえず、寝るところがなくて困るわけではない。事を大きくする必要はないと判断している。
カイルが心配してくれるのはありがたいが、チクリ作戦は実行しないことが望ましい。
まだ嫌がらせは追加で発生してくるかもしれないが、どうせこの城にいるのは数日間だけだろう。その期間限定で学校でのいじめの対象になると思えばいい。
学校のいじめの場合は、下手すれば卒業するまで毎日続くことになる。それに比べれば遥かにマシだ。
「それより、タケルはどうしてるんだ? カイルと一緒のところに泊まる予定なのかな?」
「うん。城の大部屋で子供たちと一緒の部屋だよ。心配しなくても大丈夫」
「そっか。それは安心だ」
タケルは手枷を付けたままなので、誰かが一緒でないと不便を感じてしまうだろう。
エイミーとカナの逆セクハラコンビと同部屋だと別の心配が生じるが、致命的な問題ではないはずだ。
「まあ、とりあえずだ。俺は別に困っているというわけじゃないんで。ひとまず今日はそのままで。お前は与えられた部屋のほうで寝ろ」
「……わかった」
カイルは首を縦に振ったが、どこか不服そうな顔だ。
いちおう、俺にも少し引っ掛かることはある。
あの領主、俺に嫌がらせをして、万一あとで言いつけられたら自分の身が危険だということは考えなかったのだろうか? という疑問がないわけではないのだ。俺でも考えつくリスクなので、当然頭に浮かぶと思うのだが。
チクられない自信があったのだろうか? その自信の根拠は?
――まあ、いいか。
俺も余計なことに頭を使わないほうがいいだろう。
「じゃあ、また明日な」
「うん……」
少年が若干名残惜しそうに回れ右し、立ち去ろうとする。
「あ、そうだ。カイル」
「?」
呼び止めると、首だけこちらに回した。
「心配してくれてありがとう」
「……」
今度は体ごとこちらに向け、じっとこちらを見る。
「……ん?」
「オレ、やっぱり今日はこっちで一緒に寝る」
「うぇえ?」
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