第5話 町長の提案

 入院して十日経った。


 ケガは順調に回復している。

 噛まれた傷は思っていたほど酷くはなく、腱や神経は損傷していなかった。後遺症に苦しむことはなさそうだ。

 縫われていた左腕も既に抜糸済み。打撲についてはもうまったく痛まないほど良くなっている。


 包帯はまだ取れていないが、今朝退院する運びとなった。




 入院中、カイルは毎日こちらに来て俺の世話をしていた。

 あの人懐っこい金髪少年は多忙の身だと思うのだが、時間を作って俺の食事を作り、洗濯をし、外出にも付き合ってくれた。


 夜になっても帰らずに病室に泊まる点についてはいかがなものかと思ったが、毎日彼と話すことで、こちらの国についての知識が少しずつ付いてきているような気がする。

 感謝してもしきれない。




 クロは入院二日目に一度失踪した。

 しばらくしたら生乾きで戻ってきたので理由を問うたところ、「体を洗ってきた」とのことだった。

 どうやら一日目夜の「ニオイが苦手」という俺の無神経な発言が、しっかり拾われてしまっていたらしい。


「あれはクロが臭いからダメだとかそんな意味じゃなくて、俺が個人的に動物のニオイが苦手なだけなんで、気にしなくていいんだよ」

 と慌てて説明したが、どこまで伝わったのかは疑問だ。


 その日の夜に、洗濯場の管理人を名乗る女性が病室に来て、

「なぜ霊獣様が一人で水浴びをしているのか」

 と怒られてしまった。


 どうも聞くところによれば、クロはこの町の共用の洗濯場に突然現れたそうだ。

 そして洗濯をしていた人達があっけにとられる中、バシャバシャと水浴びをしていたらしい。


 従者がきちんと同伴して洗ってあげるべきであり、まだ怪我で動けないのなら、誰かに頼むべきだ――

 そう説教されてしまった。怒るポイントが少し違うような気がする。

 ちなみに水浴び後も微妙にケモノ臭がしたが、クロには内緒だ。


 三日目以降は失踪することもなく、基本的に病室の扉の横に居た。

 素人目には運動不足になるような気がしたので、車椅子で外出するときは一緒にクロも連れて行くようにしていたが、それで十分だったのかどうかはわからない。

 本人に聞いたら「十分だ」と返ってきたが、それもどこまで本音なのかは不明である。


 なお、食事については当初カイルがクロの分も作って来るつもりでいたらしいのだが、信心深い町の人が毎日「霊獣様に」などと言って差し入れを持ってきてくれていたので、それを食べさせていた。


 かなりの罪悪感だが、何度も「ペットなのでお供え物は結構ですよ」と説明はしている。

 それでも持ってきてくれるものは仕方がない。

 あきらめて、ありがたくもらってしまっていた。




 ***




 さて……退院だ。


 俺はチノパンにパーカー姿。ぶんどられたボクサーパンツ以外は入院前の格好に戻っている。

 クロのほうは相変わらずの首輪姿。

 見送りは女医だけだ。白衣姿のまま、診療所の玄関外まで来てくれている。


 カイル少年は朝早くから孤児院に出勤しているので、今はいない。

 が、昨日も例によって病室に泊まっているので、既に挨拶は済ませていた。

「この町からいなくなっちゃうわけじゃないよね?」

 と繰り返し聞かれたが、今この町を去っても行くあてなどない。しばらくはいることになるだろう。


「色々お世話になりました。入院費って本当に払わなくて大丈夫なんですか?」

「ええ。それが当たり前だから気にしなくて大丈夫よ」


 この町に限らず、この国では診療所でいくら治療をしても本人負担は原則ゼロ。全額公費でまかなわれている。

 病気をしたらみんなで助け合いましょうという精神らしい。

 ただ、基本的には健康な人が多いため、普段はあまり忙しくないとのこと。


「それより、またここに戻ってこないように体には気を付けないとね」

「あ、はい」

「クロちゃんも元気でね」


 クロはじっと女医を見つめることで答えている。

 霊獣などではなくただのペットであると何度も説明した成果か、この女医は途中から「クロちゃん」と呼ぶようになった。


 町の人たちはまだ勘違いしている人が多数だが、いまさら説明して回ってもキリがない。

 正しく理解している人から情報が回って、自然に訂正されることを期待する。


「じゃあ、しっかり町長と相談するのよ。頑張って」


 そう。この後は町長のところに相談に行くことになっている。

 結局、今後のことについては自力で考えをまとめることができなかったためだ。


 話によると、通常であれば、他の町からの転入は役場で手続きをして終了らしい。

 しかし、俺は普通の転入者ではない。

 この国のことを知らない、この町のことも知らない、右も左もわかりません、資産もありませんという状態である。

 記憶喪失者が裸一貫で突然やってきたのと大して変わらないため、事務手続きをしただけではどうしようもない。


 カイルは「オレのとこに来ればいいじゃんかー」とか言っていたが……。

 どうにもならないとなれば、最後の手段としてしばらく少年に甘えさせてもらうことも仕方がないかもしれない。

 だが、その前に何か手がないのかは確認しておきたい。


 元の日本に帰る手段がなかなか発見できず、こちらでの生活が長引く可能性もある。最悪のケースとして永遠に帰れない可能性すらある。

 そして帰る手段を探すにも、この町で手がかりなしとなれば、他の町に行かなければならない。

 そうなると旅費なども必要になる。


 つまり、自力で生活し、稼ぐということがどうしても必要となる。

 できるだけ早く、この町で生活の基盤を作らなければならない。

 もうこうなると自分だけで考えていてもわからない。


 そこで、女医の「町長へ相談すればいかが?」という勧めに従うことにしたのだ。

 診療所経由で町長に話を通してもらい、アポを取ってもらった。


「ありがとうございました」


 俺はもう一度女医にお礼を言ってから町役場に向かった。




***




 町役場は町の中心に近いところにあった。


 町の家はほとんどが木組みの家のようだったが、役場は煉瓦造りになっていた。

 二階建ての建物だが、天井が少し高い設計になっているようで、入り口の前で見上げるとかなりの偉容である。

 まるでこの国のハードルの高さを見せつけられているようで、不安を掻き立てられた。


「クロ、お前も一緒に入ってもらうけどいいな」

「ああ。構わない」


 不安を紛らわす意味も半分くらい込めて、クロに声をかけた。

 既に町長にもクロの噂が耳に入っており、「今日は執務室まで連れてきてほしい」という旨を事前に診療所経由で言われている。


 建物の中は広かった。

 一階は壁で仕切られておらずぶち抜きになっており、定間隔に柱だけが立っている。


 正面にはカウンター、手前は待合所になっているようだ。

 早い時間にもかかわらず、町の人が既に何人も座っていた。


 俺はこの国ではあり得ない服装をしているし、白い犬まで連れているのでどうしても目立つ。

 なるべく待合所の人たちを見ないよう、まっすぐカウンターに向かった。


「あの。これから町長にお会いする予定のオオモリ・リクですが」

「はい。お聞きしています。ようこそいらっしゃいました。町長の部屋は二階にありますので、そちらの階段を上ってください」


 受付の中年女性は一見平静を装っているが、視線の先は俺の服やクロをうろちょろだ。

 まあ仕方ないだろう。




 執務室の扉は閉まっていた。


 ――ええっと。約束有りとはいえいきなり開けるのはダメだよな?

 まずはノックだ。


 ……あれ、この国ってノックは何回なんだろう?

 しまった。確認してから来るべきだったか。


 まあいいか、二回やればいいかな。

 ああ、その前に。万一お取込み中だとマズイから、扉に耳を付けて確認っと……。


「兄ちゃん何やってるの?」


 心臓が止まるかと思った。

 振り向けば金髪の少年だ。クロは気づいていたはずだが、もうこの少年に慣れてしまったので反応しなかったようだ。


「び、びっくりした……。お、驚かせるな」

「あはは。泥棒みたいで面白かった」

「泥棒じゃねえよ。お前こそ何でここにいるんだよ」

「オレも今日町長に呼ばれたんだけど、ちょっと早く着いちゃってね。ていうか、そんなおっかなびっくりやってないで堂々と入って大丈夫じゃないの? こんな感じで」


 そう言うと、少年は扉をバンっと勢いよく開けた。

 ――あわわわ。まだ心の準備が。


「おはようございます!」

「カイルくんか……おはよう。いちおうノックをしてくれと以前も言ったはずだが」


 ほら見ろ……。


「そちらのかたがオオモリ・リクくんかな? 私が町長のイチジョウだ。以後宜しく」

「あ、失礼しました。オオモリ・リクと申します。宜しくお願いします」


 町長は初老の男性だった。

 白髪交じりの黒髪で、確かに町長らしい威厳はあるが、優しさも備えた顔をしている。


 もっとも、今までの人生、あまりたくさんの人に会ってきたわけではない。

 なので正しいイメージかどうかはわからないが、怖すぎな人ではなさそうなので少し安心した。


 しかし「イチジョウ」ということは、「一条」ということだと思う。

 俺の知る日本でもあり得そうな、なにやら藤原氏の流れっぽい名字だ。

 そのような人もこの国には存在するということになる。


「その犬はクロと言ったかな。真っ白だ……なんと神々しい姿であることか。たしかに霊獣様そっくりに思う。噂どおりだ」

「霊獣様ではなくてペットですけどね」


 最初が肝心なので、しっかり否定しておく。

 クロを見ると、お座りの姿勢を取って町長を見ている。それで挨拶としているのだろう。


「ふむ、そうなのか。そのようなペットは今まで見たことがないがな……。

 この町で真っ白な犬が見られるということは、とても縁起が良いことだ。これからも時間があれば街中を散歩して、みんなに姿を見せていってほしい」


 ……。

 まあ、散歩はすることになるとは思う。

 そうしないと、クロが運動不足になってしまうから。


「さて、では早速話を。カイル君はこの後に話をする予定なので、下で待っていてくれないか」

「んー。ここにいちゃダメですか?」


「お前、居てどうするんだよ……」

「いや、なんかさ。兄ちゃん凄い緊張してるからさ。オレいたほうがよくない? ホラホラ。服も汗でベチャベチャじゃん」

「コラ抱きつくな」

「うん、あまり汗臭くはないね」

「ニオイを嗅ぐな!」


 町長がふうと溜め息をついた。


「とりあえず下で待っていなさい」


 カイルは追い出された。

 クロが彼をじっと見つめていたが、何か思うところでもあるのだろうか。

 ……まあいいか。


 なんだか今のやり取りで少し緊張がほぐれた。いちおう彼に感謝はしよう。


「ずいぶん彼は君に懐いているようだね」

「何ででしょうね。でも俺としては入院中いろいろ世話をしてくれて助かりましたよ。彼がいなかったらどうなっていたか」


「ふむ……もしかしたら、君を兄のように見立てているのかもしれないな」

「え」

「既に聞いているかもしれないが、あの子は孤児院の出身で家族が誰もいなかったからね。そのような繋がりに飢えているのかもしれない」


 なるほど、それで今でも兄ちゃん呼ばわりなのだろうか。俺の名前は知っているのに。

 でもそうだとしたら、なんとも頼りない兄だ。


「さて。ではこちらのソファーに。この町への転入希望ということだったね。診療所からおおよその話は聞いているが、この町に来ることになった経緯から、あらためて聞かせてくれ」




 俺は崖落ちから今に至るまでの話をした。

 そして……。


 時間をかけてでも、自分の国に帰る手段を探りたいと思っていること。

 しかしそのためにどうすればよいかはわからず、今後の方針が立っていないということ。

 資産は何もないが、できるだけ迷惑をかけたくないと思っていること。


 そのようなことを告げ、何か手があれば教えてほしいとお願いした。


 上手く話せたかどうかはわからない。だが、何とか伝わったとは思う。

 町長はときおり頷きながら聞いていた。


「ふむ。よくわかった。同じ名前の違う国から飛ばされてきたというのは、常識では考えられないような話だ。だが、君の服は今まで見たことがないようなものだ。おそらく間違いではないのだろうな。

 しかし、家族とも離れ離れになったとはな……。ずいぶん大変なことになったのだね」


 町長は続けた。


「実は、診療所に今回の話をもらってから、前の町長にも確認を取りに行ったんだが……。少なくとも前の町長の時代から現在に至るまで、君のような境遇の人物がこの町に来たことはないんだ。

 よって、君は極めて特殊な訪問者ということになる。特例として君が帰るまでの資金を町が援助したとしても、みんなが文句を言ってきたりはしないだろう。

 だが君が『出来るだけ迷惑をかけたくない』というのは、そこまでは望まないということなのかい?」


「あ、はい。訳がわからないままこの国に来ましたので、先ほども申しましたとおり、元の国に帰る手段がまったくわからない状態で……。手がかりすらもないので、すぐに判明するとは思えないです。

 なのでこちらにいる期間は長引くかもしれません。そうなると援助をダラダラと頂いてしまうわけにも――」


「うーむ……そういうことか。たしかに延々と活動費を町が持つとなると、いずれ問題にはなるかもしれないね。ふむ……そうなると、どういうかたちにすれば問題なく君に資金を出せるのかな……」


 町長は考え込む。

 ルールの範囲内でできる援助の方法を考えてくれているようだ。

 俺のようなわけのわからん転入者に対し、ずいぶんと協力的な町長だと思う。ありがたいことだ。


「そうだな……。では君の国の技術をうちの町に伝えてもらって、それに対して町が対価を払うというかたちにするのはどうだろうか?

 私は町長だから、町のためになるものが手に入るのであれば、町のお金を使って対価を払うことはごく当たり前のことだ。君を町の産業の顧問ということにできれば、町から給料を出し続けることができるし、宿舎を提供することも可能だ。

 何でも構わないよ。例えば君の服はかなり特殊な布と製法を使っているように見えるから、その作り方をこの町に伝えてもらう、などでもいい」


 やはりそう来るか、と思った。

 いずれ何かしらの技術供与を依頼されるであろうことは、鈍い俺にもある程度予想はできていた。

 そしてきっと、俺はその依頼を受けることができないだろう、ということも……。


「どうだね? 君は何ができるんだ?」


 その町長の問いかけは、鋭く俺の体に突き刺さったような気がした。

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