第10話 冒険者

  *


「ほーん。訓練のためにアンデッドを貸してもらいたかった、というわけじゃなあ。」


ごほん。

そう言ってナナは喉にからまる牛乳の粘り気を咳払いですっきりさせ、僕に握手を要求した。彼女の手はその見た目に違わず小柄であり、僕の指とは関節ひとつ分くらいは大きさが異なるだろう。


隙間風の激しい骨塚で眠った翌日。

朝の早いロウは、既に僕が目の覚める頃にリリーシャを交えてネクロマンサーの彼女―ナナ・フェインとの情報交換を終えていた。

おそるおそるログハウスの中を覗いた僕を見るや否や、ナナとリリーシャは世話しなく台所とリビングを行き来するなり、有無を言わさず朝食の準備が始まったのだった。

ナナと顔を合わせるのに馴れない僕は、ロウが外で素振りに勤しんでいたのを良いことにそっちへ逃げたのは良くなかったと今では思う。アンデッドを扱う彼女に警戒心を抱いていたが、リリーシャと年の離れた姉妹のようにじゃれ合う姿を見ていると、杞憂であったと反省した。

手短な自己紹介の後、あのおどろおどろしいログハウスの中で朝食を御馳走になった。

サラダ&サラダ。それから何かの肉を少々。

町に出られないナナはこのラインナップが精一杯の御馳走らしい。昨日の鍛錬で空いた腹には少々物足りなく感じたが、その好意だけでも十分だった。


「ここの住処が見つからないようにするには、人里から離れることが一番なのじゃあ。だから、うちで採れるものしか出せんのじゃあ。」


ロウが語っていた通り、ここは通称『帰りの森』と呼ばれる森の中。

入って出られなくなることはないが、どうしても森の北側へ出ることができない不思議な森だ。

森の中では昼夜問わず霧が立ち込めており、それが何らかの魔術と相まって、入る者を元来たところへ帰してしまう。


「それはうちの魔術のせいなのじゃあー。100年以上ここで籠城しておるからの、まあ森の名前の由来くらいにはなるかの?」

「じゃあ、ここは森の奥地…なのか?」

「うーん、真ん中あたりかのう。」


奥地とは、森の北側を指す。北側は巨大なボロス山が面しており、その山は魔物が多く生息する危険地帯であるため、誰もそこを踏破し、切り立った崖を降りて森の北側へ入ろうなどできたものではないのだ。


「んまあ、俺は旅のついでがてら、ボロス山を越えて北から森に入り、ナナに出会ったわけだがな。」

「ロウさんは勇者ですからね…。私やレイン様ではあの山に近寄ることも難しいです。」

「あの時は驚いたのう。今でも、山から急に落ちてきた人間が、うちのアンデッドたちを槍で薙ぎ払い、宙を舞わせていたのを憶えておるのう…。」


そう言ってナナは、ふあー、と大あくびをかましているわけだが、その風貌はどこからどう見ても10歳程度の子供にしか見えず、とても100年以上生き永らえている老婆には見えない。その印象をロウへ耳打ちする。


(なんか、昨日と違って、ナナさんボケっとしてないか?よく見るとよだれ垂れてるし。こっちの方が雰囲気とか見た目相応の少女らしいんだけど)

(ああ。コイツな、夜は頭も腕もキレるんだが昼はてんでダメだ。しかも基本早寝早起きだから、通常ダメだ。)


「少女じゃないわい!」

「誰もそんなこたあ言ってねえよ。」

「あ、ほらほらナナさん、口にサラダがついてますよ、拭いてあげますからね。」

「ぬあー…恥ずかしいのう。」


そんな談笑をしながら、僕たち4人は食後の温かい茶をすすり始める。

室内は外の見た目に反し、木材をふんだんに使った家具や小物類が小奇麗に整頓されている。

朝食といい食後のこれといい、僕たちはここにきて初めてまともな彼女のもてなしを受けているわけだ。


「お主、今失礼なことを考えておらぬかのう…?」

「い、いや。それよりも君は、ずっとひとりでここで暮らしているのか?」

「んむ。うちは100年以上前から、ひたすらこの森に籠もって農業に勤しんでおるのじゃ。外は怖いからのう。うちを利用しようとする輩でいっぱいなのじゃ。怖いのう。怖い。」

「利用?」

「んむ…。ここまで長生きできる者など、他にいないからのう。」

「ネクロマンサーはみんな長生きなんじゃ?」


むぅ、と彼女は小さく唸る。ぼんやりとした雰囲気は相変わらずだが、少し沈んだ表情に見えた。

彼女はフードをもそりと深く被る。


「ふあぁ…うちはネクロマンサーだから長生きなわけじゃあないわい。ネクロマンサーも人間と同じ寿命じゃ。ちょっと血に魔族入ってるだけなのじゃ。多分。じゃから…その。不老不死なのは…うちだけなのじゃ。」


どうやら聞いてはいけないところをつついてしまったようだ。昨夜の彼女の大泣き顔を思い出し、どうにも僕たちは彼女の心を苛んでばかりなことに気が付いてしまう。


「レインさんよ、そこを聞くのは、ちと早すぎるな。コイツのトラウマみたいなもんだ。いずれ知る機会もあるだろ。そっとしておいてやれ。」

「すまんのう。あれからどれほど年月が経とうとも、心の傷は癒えんのじゃー。」

「や、ごめん。まさかそういう感じだとは思わなくて…」


リリーシャが間をとるようにナナの湯飲みへ茶を注いだ。うむうむ、と、もじもじ手と湯飲みを擦り合わせながらナナは茶をすする。

おそらく、誰かに茶を注がれるのも久しいのではないだろうか。茶を飲むだけでほんわかと頬を赤らめ、楽しそうに体を小さく揺らしている彼女を見てそう推測した。

僕もまた茶に口をつける。

―それにしても、異常なほどに若く長生きであるとは認識していたが、まさか不老不死とは。

非常に気になるところだが、これは彼女の方から話してくれる日を待つ他なさそうだ。


「んで。話を戻すが。アンデッドを貸してはくれねえか?訓練に使いたい。」


ロウが唐突に話題を戻す。人型の魔物は少ない。対人戦を考慮した結論がアンデッドに対する訓練なのだろう。ナナはすぐに首を縦には振らない。


「いくつか条件があるのう。」

「…なんだ。言ってみろ。」

「動乱でもなければ、森の外に出られんからのうー。森の外に出たいのうー。」


動乱なぞ、100年のうちに数えるほどしかなかったわい、とナナはこぼす。要するに、この人は世間が混乱をきたしているどさくさに紛れて町を見て回っていたそうだ。随分ちゃっかりしているが、100年も生きればそれくらいの大らかな価値観になるのだろうか。


「俺達についてくれば、簡単に叶う話だ。よし、交渉は成り…」

「いや!条件はまだあるのじゃ!…あのなー。森の北側の奥深くにな。最近、ダンジョンができとってな?」


ダンジョン。

聞いたことがある。この大陸では、ある日突然洞窟や遺跡が姿を現すことがあるらしい。

それは森の中であったり、山の中腹であったり、川の底であったり。終いには街の中にできることもあるそうだ。


「そのダンジョンからたまに魔物が出てくるんじゃ。昨日の夜のアンデッドもそれじゃ。うちの農作物を荒らすし、おちおち眠れたものじゃあないわい…。夜はうちのアンデッドに門番をさせておるが、強個体が出てきたら厄介じゃ。あれをなんとかしてほしいんじゃ。もちろん、うちも手伝うのじゃ。」

「なんとか…できるものなのでしょうか。ロウさん。」


いつの間にやらリリーシャの膝上に座っていたナナの頭を撫でながら、リリーシャがロウへ切れ長な目を向ける。


「まあできねえことはねえが…」


ロウ曰く。ダンジョンから出る魔物対策にはいくつか方法があるらしい。

まず第一に、発生主義での対処。

ナナが今やっているのがこれに当たり、ダンジョンから出てきた魔物をその都度駆除していく方法だ。継続的な手間はかかるが、強個体が出てこない限り最小限の力で対抗できる。

第二に、討伐による対処。

自らダンジョンに潜り、魔物を大量に討伐する方法だ。元々ダンジョンから魔物が出てくるのは、同一階層内に魔物が増えすぎたことによるものなので、増えた種族の魔物を多めに討伐すれば、しばらくはダンジョンから魔物が出てくることはない。

だが、ダンジョンに入るということは魔物の群生地に足を踏み入れるということ。

腕に自信が無ければ薦められたものではない。

第三に、封鎖による対処。

門や穴を爆破などによって崩落させることにより、出入り口を封じる方法だ。一見効率的かつ安全な方法に見えるが、これには大きなリスクがある。

ダンジョンには強大な力をもった主が居る場合があり、それの怒りを買ってしまう場合がある。

そんな強い魔物が塞いだ穴からいつ出てくるか分からない上に、出てきてしまえば怒りのままに暴れ尽くすという。街にできたダンジョンを政治上の理由で塞ぎ、次の日曜日には町は消えて無くなったという話もあるくらいだ。


「ロウさんがダンジョンに潜ってボスを倒してしまえばどうでしょう。」

「いや。俺はアルマロンの方を何とかしなきゃあな…。それにボスを倒しても、それと同等かそれ以上の魔物がいずれ新たに生まれる。ダンジョンの最奥、つまり地中深くの魔力源がそうさせてんのさ。アレは破壊なんてできるものじゃあねえし、そもそもたどり着けるかどうか。どうしようもねえのよ。」


となると、現実的な手段としては逐次討伐か踏み入っての討伐か。そして、前者では今の現状を改善できるわけではない。となると―


「決めた。リリーの姉さんはダンジョンに入りナナと修業がてら魔物の討伐だ。根本的解決にはならねえが、しばらくはそれで落ち着くだろう。俺はアッピラ荒野のアルマロンの巣を潰す。」

「あれ、僕は?」


頭数に入ってないよ、とロウに目で訴えたが、折り込み済みというそしり。

僕が思い描いていたのは、僕とリリーシャとナナがダンジョンに潜りながら、空いた時間で農業体験をする情景だったのだが。ベキャツやトマットトを汗を流しながら収穫したりして、爪の隙間に入った土を取ろうと水辺で四苦八苦するような、そんな姿だったのだが。


「レインは冒険者稼業をしながら見聞を広めてくれ。」

「ぼ…冒険者?僕が?それは…」


なんだと。ここにきて独り行動だというのか。僕が異を唱える前に、椅子から立ち上がってリリーシャが反対する。


「ちょっと待ってください!レイン様を一人で行かせるなど、そのようなことはできません!せめて私とダンジョンに…」

「いいや、ダメだ。考えてもみろ。俺のこの大陸に対する知識は100年以上前のもの。ナナはそれより昔から森に籠もりっきり。リリーの姉さんやレインは街からロクに出たことがねえときた。」


これで商売だ旅だ、ましてや反乱なんてできるわけがねえだろう。

反乱を言い出した張本人である彼が、不平のように言い放つ物言いに待ったをかけたいところだったが、確かにその通りだ。おそらくその説得力は、彼が一度勇者として幾多の冒険を潜り抜けてきたことに由来する。情報の大切さが身に染みているのだろう。


それはそうですが、とリリーシャは口を噤み、首を捻り心配そうな面持ちをこちらへ向けた。そういうところが本当の姉らしく感じる。これが尚更、僕が1人で行く理由になってしまうのだ。

僕は静かに、今の自分を見据え、可能性に賭ける心の準備をした。


「…やるよ。僕は冒険者としてスタートしてみる。」

「れ、レイン様…」


不安だ。昨晩のアンデッドの群れに遭遇したときのような、体が嫌な熱を帯びる緊張こそしないが、それは冒険者という知りもしない生活にまるで実感が湧かないからだろう。それが殊更に、不安を駆り立てられる。

先日まで引きこもり、特技といえば隷属魔法に精通しているくらいというもの。体力だって平均以下だろうし、剣術だって思い切り剣を振ることを覚えただけだ。


「大丈夫さ。今のお前なら、倒せる魔物もいる。アンデッドに向かって剣が振れるんだ。いずれ…」


生の軍人にも剣が振れるさ。

そう、ロウは目を細め、僕ではないどこかを見つめ、そう零した。


そうだ。

僕がしようとしていることは、それだった。ロウですら踏み入れたことのない領域だ。

人斬り。それができたとき、僕は成長したと喜ぶのだろうか。

それとも、人で無い何かになったと、哀しむのだろうか。


でも、おそらくその隣には、僕より真っ先に槍を振るい手を汚したリリーシャがいるような気がするのだ。

彼女はそういう人間なのだ。

僕のためならば、普段の頼りないリリーシャから変心して、その淡泊に涼しい表情のまま、真っ先に、僕より先に、泥の中に足を入れ、火の中に手を入れてしまう。


僕はそんな彼女の強かさが、大きくて、辛い。

だからこそ、彼女よりも先に進むことが必要だ。

だからこそ、僕は冒険者として受難の道に立ち入ろうとも、構わない。

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