第6話 器物損壊

 *

背の低い雑草が生い茂る中にひかれた、泥っぽい道がずっと続いている。

あれほど拓けていた視界だったが、いつの間にか道の左右を木々が立ち尽くし、雑木林に入っていたようだ。

ここは通称『初心の林』。

帝都を出た新人の冒険者にぴったりな下級の魔物が出現することから、そう呼ばれている。

そんなおあつらえ向きな環境でも、武器を持たない僕がやることと言えば魔物が死角から現れないか気を配るだけだ。

たまの魔物もリリーシャが難なく返り討ちにする。

僕の出番はもとより、ロウの出番もないのは喜ぶべきところか。


そして林を抜ける。


「あれがウェスピンか…」


早朝より帝都を出発し、帝都を出てすぐだったころには、高い丘の上にある点のようにしか見えなかった場所が、今では背の高い建物ならば目視できるくらいだ。

林を抜けた先も初心の林へ入る前の風景と同じく、周辺は長閑なもので。一度は開発を試みたと思しき田畑や、遠目には森、ウェスピンの後ろには雲に届く高さの山脈が並んでいる。


あともう少し、と、多少重たくなった足を進めていく。

途中で道が合流するいくつかの三叉路を通るごとに、目的地が同じらしい積み荷を曳いた馬車を見かけた。

積み荷の中には大きな檻のようなものもあり、中を覗いてみようかとも思ったが、積み荷を曳いている馬に跨る商人らしき男がこちらを気にしていることに気が付き、止めた。


やがてウェスピンの門から伸びる行列に辿り着く。


ここでロウが僕とリリーシャに耳打ちする。


(ウェスピンは昔のままなら用水路から町の中に入れるはずだ。俺はそっちから入る。レインとリリーの姉さんはこのまま並んどけ。見た目ほど時間はかからねえさ。)


なるほど。彼が当てにしていたウェスピンの入り方はそれだったか。


「分かった。」

「分かりました。」


「集合場所は冒険者ギルドだ。んじゃ、よろしく頼むぜ。」


そう言ってロウは行列を抜け、近くの林の方へと歩いて行った。


「なんだあの兄ちゃん、糞かなんかかい?」


丁度僕たちの真後ろに並んでいた、鉄と革を繋ぎ合わせた軽めの鎧を着た2人の男が、ロウの背中を眺めてそう言った。


「ええ、そうなんですよ。ほら、たまにいるでしょう?こういう行列に限って催す奴。」


「ハハァ。毎回あんなんじゃあ連れも困ったもんだなあ!」


そう言って笑う2人のうちの中年の男の頬が紅潮しているのは、片手に持っている酒瓶のせいだろうか。


ふと、その男たちが腰に提げている剣が目に留まった。


「もしかすると、冒険者の方ですか?」


こういうのは尋ねてから後悔するもので、間違いだったら失礼に当たるのだろうか、と心配になる。道中、見たことも無い冒険者の姿というものを頭の中に描いていたので、なんだかそれらしい雰囲気を感じ取ってしまい、つい、口に出てしまった。


「おう、そうよ。兄ちゃんたちもそうだろう?」


ほっ。それは事なきを得た。些細な事で胸をなでおろす。

大柄な中年の冒険者はその彫りが深くも小さな目で、そんな僕の様子を測りかねた表情で見下ろす。

あ、僕の回答を待ってるんだ。リリーシャがその男の問いに直ちに答えない僕の横顔を、本人はその気はないのだろうがじっと冷めた目で見つめていることに気が付き、我に返る。


「あ―ええ。そうです。」


数秒の沈黙に、元より深く眉間に刻まれた皺を更にへこませていたその男は、ライオンの鬣を連想させるオールバックに似つかわしい豪快な笑いで場を和ませた。


「ハハハ!だろうなあ!その格好は初心冒険者の基本装備だわな!わざわざ聞く方がどうかしてるってわけだ!」


これは、冒険者の装備だったのか。

確かに、今僕が身に着けている軽めの革のチョッキは、あまり見たことのないものだった。

てっきり、国外に出る時にみんなが身に着けるものだと考えていたが、なるほど、道中で見かけた人間でそのようなものを着ている人はあまり見かけなかった。


中年の男は、濃い目の無精髭を撫でつつ、今度はリリーシャの方へと目を向ける。


「そっちのクールなお姉さんも冒険者かい?」


急にクールと評され、身振り手振りにあたふたするリリーシャ。

ああ、クールが台無しだよそれ。それを見た中年の男は、更に面白がって笑い声をあげている。


「いやいや。そんな姿も可愛らしいもんだ!ギャップ、っていうんだろ。この兄ちゃんもそう思ってんだろうな!仲睦まじいねえ!」


好き放題冗談で煽り立てられ、それを全て真に受けるリリーシャは白い頬を真っ赤に染めている。

照れ屋だなあ。そんな彼女を呑気に眺める僕とは対照的に、彼女自身は握った拳を小さく上下させ一生懸命に言葉を探して抵抗する。


「い、いえ。世辞が、お世辞が過ぎます!あと、私とレイン様はそのような関係では…」


畳みかける親父。


「ん?するとなんでえ。さっき糞しに行った兄ちゃんが本命かい。」


「違います!」


リリーシャがえらくはっきり言うものだから、笑いの種になってしまっている。

何がおかしいのですか!と、憤慨する彼女を冷やかす中年の男とのやり取りが面白く、僕は特に仲裁に入らなかった。


「うちのリーダーが失礼している。冒険者ギルドに行くんだろう。この町は初めてかい?」


中年の男性をリーダーと呼ぶ、僕よりも少し年上くらいの優しそうな男が話しかけてきた。

男性にしては少々長めの青い髪とフレームの薄い四角い眼鏡が特徴的で、色黒の中年の男の方とは対照的に日焼けをしておらず、面長な輪郭と細くも優しそうな目が知的な風采だ。大柄な中年の男に劣るとも、その背はロウほどに高く、よく見れば引き締まった身体をしている二枚目だ。


「ええ、ウェスピンは初めてです。あなたは?」

「僕は一度来たことがあるからね。案内しよう。いいよな?リーダー。」

「んん?なんだ?聞いてなかったわ!」

「だそうだ。一緒に行こうか。君の名前は?」


あれ?

今の会話には少し疑問が残るが、冒険者ギルドに案内してもらうというのはこちらからお願いしたいくらいだ。好意に甘えるとしよう。


「僕はレイン。こっちはリリーシャ。あなたたちは?」

「僕はシュド。あの酔っ払いがダウラだ。僕たちは4人のチームなんだけど、今は2つに分かれて別行動をしていてね。いずれ、他の2人も紹介できればいいんだけど。どうぞよろしく。」


「こちらこそ、よろしくお願いします。」

「よろしくお願いします。」


リリーシャの深いお辞儀に釣られ、僕も精一杯頭を下げた。高身長の彼らから見たらどれほど謙って見えたかは想像できないが。


「それで、さっきの林へ向かった人は誰だい?なんだか、どこかで見たことがあるような気がして…」


うっ、と、僕は言葉を詰まらせる。

シュドがロウと会ったことなどあるはずもない。おそらくそれは大英雄の肖像画かなにかを見たからそう感じたのだろうが、そんなことは口が裂けても言えない。

そういえば、彼に何と名乗らせるか決めていなかった。


「え、ええっと…ラ、ランサ…いや、ロウじゃなくて…」


「そうか、ランスロットか!いい名前だ。まさか、かの名剣と同じ名前とはね。御両親はさぞかし、子どもに大きな夢と希望を託したのだろう!」


「!?」


いやそんなこと言ってないんだけど。

ははあ。分かったぞ。

このシュドって人は、人の話を聞かないタイプなんだ。


「おっと。次は君たちの番だよ。ほら、いつの間にかこんなに前に来ていた。」


困惑する僕とリリーシャの様子などお構いなしに、シュドは爽やかな笑顔で僕たちの後ろを指さした。そう促されて前を向くと、帝都の関門よりも一回りほど小さい門が既にそこにあった。

衛兵が、早く中へ、と急かす。


「あ。では、お先します。門の中で待ってますから。」

「おう!待っときな!」


ダウラが親指を突き立てるのに軽く手を振って返した僕は、なぜか立ち止まって手を振ろうとするリリーシャの手を引っ張って関門の中へ入ろうとした。


「…ん?」


ふと、後方の馬車の積み荷から視線を感じた。

積み荷、その中でも大きな檻の奥からだ。

ここに来る途中に覗いてやろうとした檻ではないだろうか。

よく見えないが、じっとこちらを見ている…ような気がする。


「おい。早く手続きを。」


「あ―すみません。」


短気な衛兵が警棒で門を叩いて鳴らす。

…さっきの視線は僕ではなく、ただ単に門の方を見ていただけかもしれないな。

特段気にすることでもないと割り切った僕は、そそくさと門の内側に設置された窓口へ向かった。



  *

ウェスピンの街並みはどれも帝都を真似ようとしたものばかりだった。

建築物は元より、街の中央にある噴水の様式すらも、節々に丸みを帯びさせアーチやドーム状のものを意識しており、いずれも見慣れたものである。

道すがら、そのような建物を珍しげに見ている観光客を見かけたが、ここまで足を伸ばしたなら帝都へ行くべきだろうと思った。


「なんだか、思ったより新鮮味がありませんね。」


リリーシャは残念そうな表情を浮かべるも、たまにある露店のメニューはしっかりとチェックしているようだ。


「なんだ?おめぇら帝都の人間か!そりゃあ観光にもなりゃしねえわなあ!」


前を歩くダウラが、太い首を捻って会話に参加する。その隣のシュドは、眼鏡を光らせながら周囲を入念に見回しているところから察するに、情報収集には事欠かないよう徹する性格なのだろう。


「ここの役人は皆、帝都に憧れているんだ。ゆえに、どれもこれも帝都の真似事をするんだよ。」


それでもウェスピンらしい良いところもあるからね、とシュドはにこやかに語る。それを聞こうとしたところで、その二人の足がぴたりと止まった。


「ほら、着いたぜ。ここが冒険者ギルドだ。」


僕は初めてギルドという建物を見ることになる。

だから彼らの視線の先を、期待を込めて僕は見上げた。


「…え。ここが?」

「そうだぞ。」

「ええ…。どう見てもレストランじゃ…。」


てっきり何か…想像もつかないような…おお!という何かを期待していた。

3階建てで1階と2階にはデッキがあり、そのいずれにもパラソルつきのテーブルとイスが備え付けられている。

実際にいくつかの席では食事をとる一般市民がいるではないか。

木造の建物で、いたるところに大きめの窓がついており、風通しの良さそうな印象だ。

中は明るいが、例に漏れずそこでは人々が食事を楽しんでいる光景しかない。


「なんだ、兄ちゃん。まさか冒険者ギルドは初めてって言うんじゃねえだろうな!?帝都のギルドだってこんなんだろう!?」


ええ。そうなのか。もしかして、肩透かしの気分を味わっているのは僕だけなのだろうか。

なあ、リリーシャ…と、彼女の姿を探すと、既に店の前にあるメニュー表を貼った看板の前でしゃがみこみ、口に手を添えてじっくりと熟読している。


「…。それが、初めてなんですよね、冒険者ギルド。」


シュドは細い目をいっぱいに広げ、まるで犬に名前を呼ばれたかのような驚いた様子を見せる。


「おいおいレイン君。冒険者登録もしていなかったのかい?それで冒険者を名乗るなんて、君は結構勇気があるんだね。」


シュド曰く、冒険者を名乗るということは、自らの腕っぷしを自慢することに等しいらしい。

それは面倒ごとに巻き込まれやすく、犯罪に加担させられたり、同じ冒険者に決闘を挑まれることもあり得るという。

通常はギルドがその冒険者の身分を保証したり、仲裁に入ることでいざこざを解決するが、そのギルドに登録していないのは親のいない子どもと同じなのだそうだ。


「レイン様!危険です!早く冒険者登録をしなくては!」

「あ、ああ。そうだね。」


いつの間に耳を欹てていたのか、遅くとも僕の危機を感じ取ったリリーシャに押され気味に、ギルドの方へと足を進め始める。


(普段はロウがいたから何も心配してなかったけど、もしかしてこの人たちに会わなかったら相当危なかったんじゃ…)


かなり行き当たりばったりだったな、と反省する。

多分ロウも、自分が用水路より侵入することで頭がいっぱいだったのではなかろうか。

それともリリーシャの腕っぷしを認めたか?いやいや、それは流石にまだないだろう。まだ。


ダウラを先頭に正面の両開きの扉をくぐって中へ入る。

ミートソースやチーズの良い匂いが充満していた。

まだ空腹ではないが素直においしそうだと、周囲の客が食べているものを眺める。


ダウラは正面奥にてにこやかに注文を受け付けているカウンターを通り過ぎ、そこから右に逸れたところにあるもうひとつのカウンターへ向かった。


カウンターの上にはでかでかと、

『冒険者ギルド受付はこちら』

と、書かれている。


「あら、ダウラさんではありませんかね。お帰りなさいですかね。」


「おう、ドリア。久しいな!」


ダウラの向かったカウンターで受付をしている、リリーシャと同い年くらいのドリアと呼ばれる女性がダウラに声をかけた。

ふちの無い丸眼鏡をした彼女の目が前髪の隙間から見えるのだが、後ろで結んだ蜜柑色の明るい髪色に反して、えらくどんよりと濁った瞳をしている。その目の下には深いクマができ、不健康そうな見た目であるのは受付嬢として大丈夫なのだろうか。

えらく吊り上がった口角が本来ならば愛嬌があるものとして見られるだろうに、およそ気味の悪い要素のひとつとなっているのが可哀相だ。まるで、口元だけは縁日のお面のよう。


「シュドさんも、御機嫌ようですかね。おや?お連れのお二人はみたことがないですかね?」


「あ。レインといいます。こっちはリリーシャ。冒険者登録をしに、ギルドへ来たのですが…」


「ああー。では少々お待ちいただくと良いですかね~。」


ドリアは一度カウンターから下がり、よろよろとした足取りでその奥のドアの向こうへと入っていった。


「相変わらず、ドリアさんは表情を一切変えないなあ…。」


シュドはそう言って苦笑いを浮かべている。

終始上がりきった口角は、どうやらあれが平常のようだ。

なんだか途中から似顔絵と話している気分になってしまうのだが。


やがて、ドリアが再びドアからその顔をぬっと出し、何やら重たそうなものを両手に抱えてカウンターへ戻ってきた。


「お待たせいたしましたかね。どうぞこの水晶に手をかざすと良いですかね。」


「わあ!大きい!」


リリーシャが声を上げる。

ゴトリ。

カウンターに置かれた水晶は、およそ人間の頭よりひとまわりも大きいサイズだ。


「手をかざすだけでいいんですか?」


僕の問いに、コクリ、とドリアは頷く。それを合図に言われた通りに右手を水晶の上にかざした。

水晶が薄い光を放ち始め、コオオオ、と大きな音を立て始める。

すると、何やらたくさんの文字が水晶の中で、浮かんでは消え、浮かんでは消えていく。


「ですかねですかね~」


途端、ドリアが手元の帳簿に羽根ペンで、何やら文字を記入し始める。

ガリガリと激流のような筆さばきでみるみるうちに表が埋まっていく。その速さは羽根ペンの先端が火花を散らすのではないかと案ずるほどだ。


やがてドリアは筆を止め、ふう、と一息つく。

無論ここまであの表情は微塵も崩れず。


「終わったですかね。もう手をどけていいですかね。」


「あ。はい。」


ドリアは額の汗を拭う仕草をとりながら、表の部分部分を読み上げ始めた。


「レイン・フォルディオさんですかね。総合Lv.5。んん~。目立ってずば抜けた点はといえば…」


表を眺めるドリアの目が一瞬、ぴたりと止まった。だがすぐに、他の項目へとまた目を動かし始めた。


「…特にないですかね。続いてスキルの方は…おや、珍しいスキルをお持ちですかね。『英雄資質Lv.??』ですかね。」


「英雄資質?」


その場にいた全員が首を擡げる。リリーシャはもちろん、ダウラやシュドも知らないらしい。

ドリアは、うーん、と小さく唸った後に、カウンターの下から大きな本を出して開く。

表紙には、『世界たくさんスキルガイド(一級鑑定士監修)』と書かれていた。


「そのスキルを持つ人、記録上で見かけはするけれども、どんなスキルかはガイドブックにも載ってないですかね。発動条件不明、発動効果不明、と。色々と人体実験もやったみたいですがね、特に成果なし。まあ、そのスキル持ちが活躍したことは特段今まで無いですかね。気にせんでもよいですかね。」


英雄、とかいうのだから凄いスキルかと思ったが、そんなことはないらしい。過去活躍なしのスキルとはガッカリだが、解明されていないだけでポテンシャルがあるのではなかろうか。

ロウなら何か知っているかもしれない。

合流できた時に聞いてみるとしよう。


「では、これで登録しておきますかね。」


「次!次は私です!」


リリーシャが待ってましたとばかりに水晶に手をかざす。

薄い穏やかな光。耳を突く大きな音。

突然登録を始めてしまったリリーシャに追いつこうと、ドリアは慌てて帳簿をめくり、記述を開始する。


「冒険者登録は、何かプレゼントの箱を開けるみたいで楽しいね。僕も初めて自分のステータスを告げられる時は、ワクワクしたものだよ。」


シュドがそう言って思い出に馳せる。

確かに、これは記念すべき第一歩なのだ。

リリーシャのこの瞬間も、しっかり目に焼き付けておくようにしよう。


程なくして、ドリアが記述を終えてペンを置く。


「どうですか!?」


「んん~ですかね〜。名前はリリーシャ…」


ドリアが一瞬言いよどみ、僕に目配せをした。

まさか、と、僕は事態を認識する。

その焦りが伝わったのか、ドリアは、ふう、と息をついて続けた。


「リリーシャ・フォルディオ。」

「なに!?お前ら結婚してたのか!?」

「ええ!?ええ!?」


驚愕するダウラ。

混乱するリリーシャ。

僕は咳払いで間をとる。


「違いますよ。姉弟。姉弟なんです。リリーが姉で、僕が弟。そうだよね?リリー。」


「え?ええ、そ、そうなのですよ。いやあ、言ったではありませんか、そういう関係ではないと、ほらさっき。」


「ああ…なんだよ、そうだったのかよ。かー、先に言えって。驚いちまったじゃあねえか。がははは!」


ダウラが単純で助かる。

シュドはといえば、何やら僕とリリーシャをちらちら見比べているが、おおよそ似てないだとか、そんなことを考えているだけだろう。

ドリアの急な機転を効かせてくれて助かった。リリーシャのフルネームを、一般に言えない理由には心当たりがある。


「…続けてもいいですかね?」


ドリアの変わらない表情が一瞬怖く感じた。


「あ、お願いします。」


未だ姉弟と告げられたことに混乱するリリーシャはさておき、鑑定を進めてもらう。


「総合Lv.7。魔法適性値が全体的に高いですかね。これは今後、見ものですかね。運動神経は…ちょっとした呪いがかかっているですかね。解除するとこれも高めの数値になるかもしれないですかね。」


ダウラが急に、カウンターへ太い腕と拳を叩きつけて叫ぶ。


「の、呪いだとお!?教会だ!!教会に行くぞお!!!!」


「飲みすぎだよリーダー!静かにしてなさい!」


「…続けてもいいですかね!?」


「あ…お願いします。ごめんなさい。」


シュドがドリアの代わりに謝る。

どうやらこのドリアという女性は、自分の話が遮られることを酷く嫌うようだ。


「最後にスキルは…これは有望、『光の戦士Lv.1』。光魔法の理解が通常人より若干早くなるですかね。」


「すごいじゃないか。僕は氷の戦士のスキル持ちだけど、同じ~の戦士スキルを持つ人と直接会ったのは初めてだよ。」


シュドはそう言って頷く。

この人は氷魔法が得意なのか。爽やかな印象にぴったりだ。

それに、光の戦士のスキル保有は納得がいった。魔法に関しては素人で魔導書は昨日買ってもらったばかりだというのに、今朝には既に下位魔法『ピーカー』を使うことができたのだから。


「呪いというのが気になるところだなあ。」


ダウラは相変わらず呪いが気になっているようだ。それに同調し、リリーシャも、うんうんと細かく頷く。


「私も、気になります…。」


ドリアが、呪い、と表現してくれたから助かったが、本当は呪いではないことということに僕は検討がついていた。

これは先ほどの、リリーシャのフルネームが言えない理由に密接に関わっている。

僕の予想が当たっているとしたならば、近いうちに対処を検討しなくてはならない。


「ではでは、これにて登録は終了ですかね…」


「ちょいと待ったァ!」


どこからか聞きなれた声がした。

声の主を探すと、料理を囲んでいる人々の中から、紫がかった髪色の男がスクッと立ち上がり、こちらへ歩み寄ってくるではないか。


「俺も、冒険者登録をさせてくれよ。」


そう、声の主はロウ・ビストリオだった。


僕の心臓が、一度大きく飛び跳ねて脈動を早くする。

これはまずいのではないか。

この水晶はどうやら、名前を言い当てるようだ。この顔で、しかも名前がロウ・ビストリオだと知れた際には大事だ。そうでなくとも、彼には勇者特有のスキルがあるはず。

例え名前を偽ってもそれがバレた瞬間、ランサー・ロウここにありと言っているようなものだ。


「ま、まま、待った方がいいんじゃないかな~ランスロット~。ほら、水晶だってさ、三回も連続で使ったら疲れちゃうだろ~?」


「はあ?何言ってやがる、レイン。急に気持ち悪い喋り方してどうした。っていうかランスロットって、誰。」


本当に何を言っているんだろう僕は。


「おお!誰かと思ったら、入門前に糞しに行った兄ちゃんじゃねえか!」

「リーダー!!!ここでは食事をとっている人がいるんだぞ!!!」

「ええっと、あのですね、皆さん一度落ち着いてみてはいかがでしょうか、私もちょっとお茶がしたいなーって」


「うるさいッ!!!!!」


ピシッ…と、ギルド内の空気が一瞬にして固まった。

ドリアの一喝が全ての音を瞬く間もなく殺した。


「そこのお兄さん。結局、冒険者登録するんですかね…?」


「おうッ!」


おうッ!

じゃねえよ!!

お前自分の立場分かってんのか!!!


止めに入ろうとしたが、もう駄目だ。

これ以上話に割り込んでドリアを刺激することはできない。

おお神よ。

どうかこの登録がエラーにまみれますように。


ロウが手をかざす。

魔力の奔流である、水晶の大きな音が始まった。

水晶が輝き始める―


「「な、なんだこの光は―」」


輝くも輝く。どんどん輝く。

僕やリリーシャの時とは比べ物にならないほどの眩い光量に、その場にいた全員が目をつむった。


ブンッ!

パリーン。


あ。今何か。目を閉じている間に。何かがそばで割れた音がした。


恐る恐る目を開ける。

ロウが手をかざしているその下、カウンターの上。

そこには、真っ二つに割れた水晶があるではないか。


「わ」

「「割れたー!?」」


「そ、そんな、そんなバカなことがで、ですかですですかねねねね」


バターン。

白目を剥いたドリアが、その場に頭から倒れる。

只事ではないと、他のカウンターにいたスタッフが駆け寄ってきた。


「だ、大丈夫?ドリアちゃーん!」

「だいじょばないですかかかかねねねね」

「ドリアのやつ、どうしたってんだ。確かに割れたのは驚きだが…」

「知らないのか?リーダー。あの水晶、家買えるくらい高いんだよ。前、転んで壊したギルドマネージャーが負債抱えながらクビになってた。…と、こうしちゃいられない、ドリアさーん!!」


あぁ。なんとお気の毒な話だろうか…。僕はただ茫然とドリアと真っ二つに割れた水晶を見やることしかできない。


「どうやら…俺の魔力が強すぎて、水晶がぶっ壊れっちまったみてえだな。」


ロウは悪びれもせずそんなことを口にする。

シュドは倒れたドリアを抱きかかえながら首を振った。


「ば、バカな!そんな話聞いたことがない!」


「んー?じゃあなんだってんだ?」


「そ、それは…」


それ以外の理由。

考えられるとしたならば、ドリアの水晶のメンテナンス不足だ。

そうでなくとも、使い過ぎで水晶が割れただとか、そういう理由も考えられなくもないが、そうなるとこれも結局ドリアの管理者責任となってしまう。ドリアの身を案じたなら、誰もそんなことを口にはできない。


「ど、ドリアのせいじゃない。そう…魔力が。魔力が暴発したんだ…」


力ないシュドの言葉。それに説得力が無いこと自体、本人も分かっている。

無名の人間が冒険者登録で魔力暴発を起こした、だなんて誰も信じやしないだろう。


「僕が…」


そう呟いたシュドは、決心した顔でこう言い放った。


「僕が!冒険者記録を更新させようとしたら!あまりにも魔力値が高すぎて!水晶を壊してしまった!!」


「しゅ…シュド…さん…」


ドリアはそのいつもと変わらぬ表情に涙を浮かべて、自らを抱きかかえるシュドを見上げる。


「…そうだな。」


ダウラが、フッ、と笑ってシュドの後に続いた。


「すげえ。すげえ奴だぜ俺の仲間は。流石は氷の戦士だ!あの大昔の勇者にも劣らねえ力を身に着けていやがる!なあみんな!そうだろう!!」


「お、おう」「そうだ…」「すごいわ」「すげえ!すげえよ!」


状況を飲み込んだギルドマネージャーや、本当にそうだと信じ込んだ客が一斉に声を上げる。

拍手と喝采だ。

半分は何が起きているのか分からない客が、とりあえず便乗しているだけだろうが、ここまで盛り上がってしまえば決定的である。

そんな中、ロウがシュドの耳元で静かに声を掛けた。


「…いいのか。お前さんは。これから、身の丈に合わない期待を背負って生きることになるぞ。」

「構わないさ。一日でも早く、それに見合う力をつけなきゃな。僕は負けないよ。なんてったって氷の戦士、だからね。」


シュドは静かに、しかし強い決意に満ちた笑顔で、ロウにそう言い返した。

ロウはその笑顔にすまし顔で笑って応えると、机の上の帳簿にあれやこれやと書いて、そばにいた適当なギルドマネージャーに渡した。


「悪いが急いでいるんでね。水晶がないんじゃあ、自己申告の手書きでも仕方ねえだろ。これで登録を頼む。」


「い、いえ…それは…。」


「いいの!」


シュドの腕の中で、ドリアがそう声を上げた。

ここで登録をしなければ、ロウは再度登録をしに来るだろう。そうなればまた水晶を割られてしまうかもしれない、それを危惧したようだ。


「…冒険者ギルドへようこそ。今日からあなたも冒険者…ですかね。」


ずり落ちた丸眼鏡をかけ直し、気丈にドリアはその決まり台詞をロウの背中へ投げた。


「ああ。さんきゅ。ドリアさんよ。」


そう言ってロウはギルドを去ろうとする。僕とリリーシャがその後を追う。


「待て、最後に名前を聞かせてくれよ。お前さんの口から聞きてえ。冒険者たるもの、名乗りをせずに去るのは無粋ってもんだぜ。」


ダウラの酒に焼けた声に、ロウは立ち止まってこう言った。


「俺か?俺は―ランスロット・フォルディオ。こいつらの兄貴さ。ランスと呼んでくれ。よろしくな。」


また来るぜ、と最後に言い残してその場を後にする。

僕とリリーシャも、ひとまずの礼とお辞儀をしてから外へ出ていった。



夕暮れの中、僕たちは関門の方へと歩を進める。

ギルドから僕たちが去っていくのを見送る人々も、やがて見えなくなるほどに遠くなった。


「とりあえず、目的は達成しましたが…。」


なんともやりきれない様子でリリーシャが口火を切った。

それはそのはずだ。かなり迷惑をかけた挙句、きちんとした礼もできずに出てきてしまったのだから。それに、シュドのことも心配だろう。

ロウはそんなリリーシャの背中を強く叩いた。


「大丈夫さ。アイツは俺の見立てでは、物凄く強い冒険者に育つ。今からでけえ称号を背負ってても、誰も後ろ指を指しはしねえよ。」


ロウの言葉にリリーシャは、そうですね、とうなずいて夕日の方へと走っていく。

ドタドタと彼女の右と左でちぐはぐなテンポの足音が、えらく懐かしく聞こえた。


「それにしても、流石だな。あの大水晶を魔力負荷で壊すだなんて。」


「あ?そんなことできるわけねえだろう。」


「え?」


なんだ、気付かなかったのか、とロウはいつもの眉を互い違いにくいっと上げるバカにした表情を僕に向けた。


「ありゃあ、手をかざした時に光魔法『フラッシ』で周囲にいた全員に目つぶしをかけたんだ。」


「…え?ええ?」


「あの水晶、使ってる最中すげー音立てるからな。詠唱なんざ聞こえなかっただろ。んで、全員が目えつむってる間に自慢の槍で一発、ガツンとな。」


そういえば、割れる前に何かが空を切るような音がしたような…。


「難癖つけて帳簿に登録情報を直書きしてやろうと思ってたが、なんだが考えてた方向と別の方に話が進んだなあ。ま、細けぇことは冒険者登録ができたことだしいいか。いくら俺でもよお。魔力で水晶割るなんざ無理無理。ハハハ。」


向こうでリリーシャの呼ぶ声がする。

おうッ!と返事をし、ロウは小走りに彼女の元へと走っていった。


(いや、『おうッ!』じゃねえよ!コイツ自分の立場分かってんのか!この話、リリーシャ…ましてやシュド、ドリアには絶対にできないぞ。っていうかあの勇者、思ったより人でなしだ!)


先行きが不安だ―しかし、僕はその程度では揺るがないくらいの決意を胸に灯してしまっているのも事実。ならば、僕が考える。皇帝を倒した後の統治とか、奴隷身分だった人の扱いだとか。ただ殺してお終いにはならない。正義の心で間違いのない采配をしたい。―この情熱をどうか失わず、燦然と燃やし続け、育てていきたい。ロウには無いことは僕にあることにしたい。

そう、レインは決意を新たにするのだった。

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